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望まぬ君を望む世界  作者: 波積 形り
3/53

第二話:月光/暗雲

 秋の山の落ち葉を蹴散らしながらユウは頼まれたきのこ探しに夢中になっていた。


「これか?いや違うかただの土の塊だ。くそ、せっかく頼まれたってのにまだ一つも見つけられてないなんて、これじゃあ恩を返せないじゃないか」


 元々きのこの知識があるわけではなかったし土地勘もないのだ,そう簡単にいくわけが無かった。


「ちょっと休憩するか」


 ユウは落ち葉の上に腰を下ろした。人があまり来ないからか落ち葉は座るにはちょうどいいクッションになった。

 突如強い風が吹き、木の葉が吹雪のように降った。その光景をユウは気にも留めなかった。しかし、それと同時に背後の草むらから物音が聞こえた。


「なんだ」


 ユウが跳び上がるように立ち、草むらから距離をとってニーアから借りたナイフの鞘を抜いた。

 危険な獣でも出たと思ったユウだったが、そこにいたのは白装束の山に入るには不向きな服装の女性だった。


「なかなかいい反応をするじゃないか」


「あなたはさっきの、確かデジデリーさん」


「別にかしこまらなくていいよ。私の事は呼び捨てでいいよ。まあ、ニーア(あの子)はなかなか聞いてくれないがね」


「その、なんでここに?」


「この格好のことかい。これでも結構気に入ってるんだが、確かに山に入るには不向きなもんだな裾が汚れてしまう――それよりその手に持ったナイフをしまってもらってもいいかな?」


「あ、すいません。何か出たんじゃないかと思ってつい」


 ユウがナイフを下ろし鞘に納めた。


「なるほどね。そのナイフを持ってるってことはやっぱり君があの子の言ってたユウ君だね」


「そうですけど。俺に何か用ですか?」


「用か、用というのかわからないが、とにかく立ち話もなんだし、うちに来いよ。そこで話そう」


 そう言うとデジデリーはユウを先導するように歩き出した。

 しかし運悪く進んだ先は大量の落ち葉が積もった場所だった。動きやすい服装であれば落ち葉を蹴散らして進むことは安易だったがデジデリーの服装は足首近くまである長いスカートであったため落ち葉に足を取られてしまった。 

 幸い、勢いよく前のめりに倒れた先にも落ち葉が積もっていたおかげでそれがクッションとなり怪我をするようなことは無かったが、先導しようと意気揚々と歩き始めてすぐに転んでしまった恥ずかしさがデジデリーをこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいにした。


「大丈夫ですか、手、貸しましょうか?」


「いらん。と、とにかく私は先に教会まで行っておくからお前はゆっくり来い。いいかゆっくりだぞわかったな」


 そう告げるとデジデリーは足早にその場から去って行った。





 目的地が高い建物であったおかげで道に迷うことも無くユウが教会にたどり着くまでそう時間はかからなそうであった。

 しかし無舗装の道と落ち葉は余計にユウの体力を奪っていた。そのため意図せずともゆっくりとユウは進んでいた。


「近くで見ると一層でかく見えるな」


 近くに来てみたはいいが、その大きな扉はユウを圧倒し開けるのを躊躇わせた。

「ここしかないよな、なんか緊張するな」


 恐る恐るゆっくりとその大きな扉を開けた。

 そこは天井が高く、床には多くの長椅子が備え付けられた広い部屋で、窓の立派なステンドグラスがユウに親戚の結婚式で行った教会を思い起こさせた。


「どうぞ、好きな場所にお掛けになって下さい」


 その長椅子の一番前に座っている女性が言った。ユウからは背中しか見えなかったが、その声がさっきのデジデリー本人であることに間違いなかった。

 とりあえず、ユウは先頭から3列目の真ん中の席に腰を下ろした。


「あの、用というのはどんなことでしょうか?」


 ユウは恐る恐る尋ねた。

 というのも、ニーアに村の人間にあまり会わない方が良いと言っていたことが引っ掛かっていたのだ。


「別にちょっと聞きたいことがあっただけだよ――ユウ、お前どこから来たんだ?」 


 いきなりの質問にユウは動揺してしまう。

 この小さな村の住人が余所者である自分をどのように扱うのか、ニーアの言葉から良い扱いを受けることはなさそうだということはわかった。

 ましてや別の世界から来たなどと。

 そもそも言っていいものだろうか、信じてもらえるのだろうか、荒唐無稽な話を。


「そこの山の上から」


 嘘を言ってはいない。


「なるほど。で、本当は?」


 ユウの考えを見透かすようにデジデリーが質問を続けた。

 その言葉でユウは覚悟を決めた。目の前の女性の背中の威圧感が言わなければいけないとユウに思わせてきたのだ。


「その、信じてもらえないとは思いますが、俺、こことは違う世界から来たんです。それで、気が付いたら森の中で倒れていて」


「なるほど、そう来たか」


 デジデリーの反応はユウが思っていたよりもあっさりした反応であった。


「私の名前はデジデリー、一様このアグネル教の聖職者で、ニーアの後見人」


「後見人、というと家族みたいなものですか?」


「家族か、少なくとも私はそう思っているんだがね。君の事はあの子から聞いたよ、ずいぶんと信用されているみたいだね」


「そうですか。でも、俺も彼女の善意に甘えているわけにはいかないです。恩を返したら、すぐに出て行く予定です」


「だろうね」


「何ですか?」


「いや、何でもないさ。君たちはよく似ているなと思っただけだよ」


「似ている。俺とニーアがですか?」


「さあ、どうだろうな。それより君はあの子から何か頼まれていたんじゃないかい?」


「頼み。あ、そういえば俺、高く売れるっていうきのこを探してほしいって。でもまだ一つも見つけられてなくて。あの、もしどこかで見たりしていたら教えてくれませんか?」


「いや、見てないね。森の方へは普段あまり行かないからね――いや、心当たりがない訳じゃないな」


「本当ですか」


「ああ、付いてきてほしい。案内してやるよ」

 



 デジデリーがさっきのように転ばないか心配に思ったユウだったが、それを言うとデジデリーの機嫌を損ないそうでとても言えはしなかった。

 そんな心配をよそにデジデリーが案内した道は舗装こそされていないものの比較的整った道であった。


「こんな道在ったんですね」


「知らずに森に入ってたのか、道理で見つけるのに時間がかかるわけだ」


 デジデリーに先導されてやや森の中を進むユウだったが、次第にあたりの景色に変化が現れ始めた。

「あの、こっちって川のある方じゃないですか?そんなところにきのこなんて生えてるんですか」


「いいから来い」


 案内された場所は河原だった。地面は石や岩で覆われており、その中にはユウの身長を超えるほどの大岩も多くあった。

 当然、そんなところにきのこが生えているわけが無いということは知識のないユウにもわかった。


「よし、この辺でいいな」


「あの、こんなところにきのこが生えているとは思えないんですけど。きのこどころか木すら一本も生えてないし。本当にここなんですか?」


 ユウが河原の大きな石にもたれ掛かって言った。


「ああ、ここであってる――ところで彼女から預かったナイフがあるだろう、それをちょっと貸してくれないか?」


「いいですけど、どうかしたんですか?」


「いや、どうもしないさ。このナイフについてニーアから何て聞いてる?」


「そのナイフですか?大切なものだとは聞きましたけど」


「そうか。じゃあ、残念だが君にはここで死んでもらう」


 そう言うと、デジデリーがナイフの鞘を抜きその刀身をユウに向けた。


「え、ま、待ってください。俺何かやりました?」


 ユウが逃げようにも後ろは大岩の壁で閉ざされ、更に足場も悪く逃げることは出来そうに無かった。


「言っただろう、私はニーアの後見人だと、君みたいなのをあの子に代わって排除してやるのも私の役目だ」


「待ってください、俺、さっきも言いましたが恩を返せばすぐに出て行く予定ですよ、そんなことしなくてもすぐにあなたの言う通り居なくなりますよ――それとも、俺が余所者だからですか?」


「どうだかな」


 そう言うとデジデリーがナイフを振り上げユウの頭目掛けて勢いよく振り下ろした。

 ユウはあまりに突然の出来事に咄嗟に腕で頭を守る姿勢をとる事しかできなかった。 

 しかし、そのナイフがユウの腕を貫くことは無かった。

 ユウが何かしたというわけではない、ユウは生きることをわざわざ望むことはないからだ。

 ではなぜ、ナイフがユウの腕を貫かなかったのか、それは単純に振り下ろしたナイフをデジデリーが寸でのところで止めたからだ。


「なんてな、冗談だ。このナイフを血で汚したりなんかしたら私があの子に怒られてしまう」


「冗談って、そんな冗談をするためにこんなところまで俺を連れてきたんですか」


「すまんすまん、そう怒らないでくれ。ただ、もしあの子を傷つけるようなことをすれば次は止めないからな」 


 デジデリーは嘘を言っている風ではなかった。


「は、はい。わかりました」


「わかればよろしい。このナイフは君に返すよ。それと、君をここに連れてきたのはニーアが君に話したいことがあるからと頼まれたからだよ」


「話ですか、いったい何でこんなところで?」


「さあな、とにかく行ってこい。私はここで待ってるから、君の今もたれている岩の後ろでニーアが待ってる」


「はあ、そうですか」


 デジデリーに言われるがまま大岩の後ろへとユウは向かった。

 河原の石の中には苔の生えたものもあり、それを注意して避けなければ足を滑らせそうであった。

 もっとも川の方に落ちたとしても溺れるような深さではなさそうだったが、それでも季節は冬に向かっており、この日もユウはすこし寒さを感じ始めていた。

 足元に気を付けながら河原を少し進んだ先で、2メートルほどの大きの岩がユウの行く手を塞いだ。

 その岩は川に張り出していたため、ユウには川に入らなければ超えることができないように思われた。

 ユウが振り返りデジデリーを見ると、デジデリーは岩陰から岩を上るようユウに身振り手振りで促している。


「仕方ないか。まあ、登れないことも無さそうだしな」


 そう呟いて、ユウは大岩の窪みに手をかけてよじ登った。

 岩の上に立ちユウが見た光景は川の流れが穏やかな、大きな岩に囲まれているおかげであたりから見えにくくなっていた場所であった。

 そこにはデジデリーが言う通り、確かにニーアがいた。

 ただ、一つ変わったことがあった、そこにいたニーアは服を着ていなかったのだ。


「うわっ!」


 ユウはその状況に驚き咄嗟に身を屈めようとしたがそれが足場の悪い岩の上であったため大きくバランスを崩してしまった。

 大きく水しぶきを上げてユウは川に落下した。偶然にも落ちた場所は深くなっていたため怪我をすることは無かった。




「代わりの服を持ってきてやったぞ、大きさは大丈夫だと思うが合わなければ言ってくれ」

 

 川に落ちてずぶ濡れになったユウは体を乾かすため教会の庭で焚火にあたっていた。


「ありがとうございます」


 ユウがデジデリーの持ってきた服にそでを通す。大きさは少し大きかったが、問題なく着ることができた。


「ところでさっきのは何なんですか」


「あの子はあの時間にあそこで水浴びをするんだよ。いやー、それにしてもいい流れっぷりだったな」


 ユウが真剣に尋ねたが、それをデジデリーはとぼけた調子で返した。


「そういうんじゃなくて、話があるんじゃなかったんですか?」


「あーあれはただの冗談だ、君をからかっただけさ」


「からかうって、そんな勝手な。そのせいでこっちは川に落ちたんですよ」


「それについては君の不注意だろ。それに私だってあの子の大切なナイフが流されたんじゃないかと心配したんだぞ」


「そこはまず俺の心配をしてください。それにニーアだって嫌でしょ、こんな覗きみたいなこと」


「心配するなあの子は気づいてなかったみたいだ。まあ、私が言っておいたが」


「なんで」


「なんとなくだ。お、そろそろいけそうだな」


 デジデリーがそう言うとユウの当たっていた焚火のそばに置いていた器を手に取った。


「それ何なんですか?」


「これか、これは野菜のスープだ、元々このために焚火の準備をしていたからな、これに感謝して飲めよ」


 そう言って器の中身を小さなコップに移しユウに手渡した。


「どうした、飲まないのか?」


「いや、毒物とか入ってないかなって」


「入れるか」


「冗談ですよ、ただ味が気になっただけです」


「お前意外と失礼なこと言うな」


 ユウは昨夜のニーアの謎の料理を思い出していた。これまで食べたものの中であれほどまでにおぞましいものは無かった。

 もしかするとこのスープもあれと同じなのではないかと思うと気が気でなかったのだ。


「背に腹は代えられないか」


 そうはいってもこれから何も食べないというわけにはいかなかった。

 意を決してそのスープを一口すすった。


「お、美味しい」


 それはただ、見たままの味というだけであった。

 しかし、異常な辛さや苦さが無いというだけでユウは美味しいと言わざるを得なかった。


「そうだろう、そうだろう。なんたって私が作ったからな。まあ、ほとんど火にかけただけだが」


 デジデリーも自分の料理の味を褒められることがまんざらでもないらしく、誇らしげにしている。


「ちゃんと味がする、辛くない、苦くない」


「馬鹿にしてんのか」


「違いますよ。ただ、料理には味も大切だなと」


「あっ、そうまあいいけど。そうだ、お前の着てた服、今日中には乾きそうにないから今日は今着ている服で我慢していてくれ」


「まあ、良いですけど。でもこんな服、なんで持ってたんですか、教会にいるのは自分一人だって言ってませんでしたっけ?」


 ユウの今着ている服はデジデリーが着るとも思えなかった。

 それにどこか埃っぽい臭いがして、長い間着られていないようであった。


「ああ、それは別に気にするな、持ち主はもう居ないからな。それよりそろそろ帰った方が良いんじゃないのか?」


「言われなくても帰りますよ。そもそも、川に落ちなければこんな時間にはならなかったんですからね」


「そう言うなよ、ひょっとして意外と根に持つ方か?」


「別に、そんなことないですよ」


 ユウは望まない人間だ。

 それは、執着しない人間で近づきすぎない人間だった。

 しかしユウ自身、目の前の自称聖職者のペースに乗せられてこれまでの自分と変わったことをしている自覚はあった。


「とにかく、俺はもう行きますから」


「ちょっと待て」


 立ち上がり焚火のそばから離れてニーアの家まで帰ろうとしたユウをデジデリーが引き留めるように言った。


「何ですか?」


「いや……何でもない。そうだ、このスープ持って行け。ニーア(あの子)、最近私に悪いからって言ってなかなか料理を貰ってくれないんだ。でも君が渡せばあの子も受け取ってくれるだろう?」


「知りませんよそんなの。まあ、貰っておきますけど」


 デジデリーに見送られ、ユウはデジデリーに渡された鍋を持ってニーアの家へと坂を上った。

 坂を上りながら見た山の陰に沈む夕日はユウを感傷的な、どこか懐かしい気持ちにさせた。




「あ、ユウ君ここに居たんだ。てっきりもう帰ってると思ってた。……その服、どうしたの?」


 家に向かう坂の途中で、森の木々の陰からニーアが飛び出してユウに尋ねた。

 しかし、ユウを見ると少し動揺した様子に変わった。


「やあ、ニーア。デジデリーさんが貸してくれたんだ。どうかしたのか?」


「ううん、何でもない。それよりデジデリーさんから聞いたよ、私は気づかなかったけどさっき川の方に居たんでしょ」


「ああ、でも大丈夫だ遠かったから何も見てない」


「そうだったんだ。でも大丈夫なの?」


「ああ、川に落ちたことなら別に何ともないよ」


「そうじゃなくて、ユウ君、その、定期的に女の子の裸を見ないと死んじゃう病気だってデジデリーさんが」


 ニーアは本気で心配した様子で恐る恐る尋ねた。

 デジデリーがニーアに伝えたと聞いてはいたユウであったが、まさかわざわざふざけた嘘を伝えているとは思っていなかった。


「ニーア違うぞ。俺はそんなふざけた病気じゃないし、第一そんな病気ないし」


 意味も無く嘘をつくデジデリーに呆れつつも、訂正せずにはいられなかった。


「そうだよね、良かった。もし本当だったらどうしようかと思っちゃったよ」


 安心したようにニーアが言った。

 どうやらニーア本人も言われたことを完全に信じていたわけではなかったようだ。


「ニーア、人を信じすぎじゃないか。特にデジデリー、あの人には一回きつく言った方が良い」


「まあ、あの人ちょっと冗談が過ぎるというか、距離が近いというか。でも悪い人じゃないよ、多分。そうだ、さっきから気になってたんだけど、ユウ君の持ってるそれ何?」


 ユウの忠告にニーアが相槌を打った。

 どうやら、これまでにも似たようなことがあったのか多々あったのだろう。


「これか、デジデリーさんがくれた。野菜のスープらしい。少し食べたが、味は意外とよかったぜ」


「そう、でも悪いな、何かお返しをしないと。何が良いかな、やっぱり料理が良いのかな?」


「いや、それは止めた方が良いと思う」


 ユウは全力で阻止した、昨夜の料理を食べたからこそ言えることだった。

 特別デジデリーの心配をしているわけではなかった。しかし、ユウの中の正義感はそれを止めるべきだと訴えかけたのだ。


「そうかな、でもなんで?」


「いや、せっかくだし何か形の残る物の方が良いんじゃないかと思って、食べ物だと食べたらそれで終わりだし。それにきっとあの人も君に貰ったものなら大切にしてくれるだろうし」


 ユウ自身思い付きで言ってしまったようなものであったので、代案があるわけではなかった。

 そのため適当なことを言って必死にごまかした。


「大切にか、ねえ、ユウ君。ユウ君の大切なものって何?」


 ニーアもそのことに気が付いたのか、言葉尻を切り取ってユウに疑問を投げかけた。


「いきなりだな。そうだな、俺の大切なものか、何だろうな――そうだ、ニーアは何かあるのかい?」


 ユウにとって大切なもの。身に着けているものはほとんどが借り物で特別大切にするほどの思い入れは無かった。

 そのため、その質問に答えることはできず、投げかけられた質問をそのまま投げ返した。


「私の大切なものは”自分”かな」


「まあ、確かにそれは大事だな。病気に苦しむよりかは健康で生きていたいしな。それよりも、なんていうか意外だな」


 ユウは言葉の上では”確かに”とそれに乗った。しかし、本当は大切だなどとは微塵も思えていなかった。

 しかし、そんなことよりもニーアが別の何かではなく自分が一番大事だといったことが意外だったのだ。 

 どちらかというと目の前の少女は自分を犠牲にしてでも何かを守ろうとするような、そういった危うい強さをユウは感じていたのだ。


「そうかな。私思うの、自分の周りにあるものはいつかは無くなっちゃうけど、でも無くなった後も思い出とかそういうのは自分の中にだけはずっと残るって。だから自分が一番大事なのかなって」


 その微笑みはまるで今にも沈みそうな夕日のように儚いものであった。

 そしてその微笑みが、ユウのこれまで感じていた彼女に対する感情を裏付けたのだ。


「そういうことか。大切にしたいものをずっと自分が大切にする。やっぱりニーアは優しいんだな」


「優しい」


「どうかしたか?」


「ううん何でもないの。その言葉、子どもの頃にも言われたことがあったなって思い出したの。その服の所為かな」


「戦争に行ったていう、君の兄の事か。そうか、この服はその人のだったんだな」


 どれだけ待っても、帰ることが無い人。それは恐らく彼女にとっての”大切なもの”無くなっても、亡くなっても、彼女の中に残り続けるもの。


「別に気にしなくていいよ。その服だって、しまったままにするより誰かが着た方が良いよ、それに……」


「それに?」


 ついうっかりと言葉が出てしまうことがある。

 恐らく、彼女自身も気づいているのだろう、この服の持ち主がもう帰らないことを、しかし、それを口にすることはできないのだと。


「ううん、何でもない。それより早く帰ろう。せっかく貰ったスープが冷めちゃうよ」


「ああ、そうだな」


 ユウの中で言葉が幾度と生まれ、しかしそれは口にする前には消えていった。

 目の前の少女に近寄ることができなかったのだ。そして、もし想起された言葉を全て繋げたとしてもそれは自分にはできないことだとユウにはわかっていた。

 もし、沈み行く夕日の一つを思い続ける人が居たなら、その人は新しい日が昇ることを望むことは果たしてできるのだろうか。




「ごちそうさまでした。やっぱりこのスープ美味しいな、特に塩加減が絶妙だ」


 デジデリーの野菜スープを二人で平らげて、ユウがニーアに尋ねた。


「うん、そうだね、すごく美味しい」


「そうだ、今朝の事なんだけど言っておこうと思って、ちょっといいかな?」


「え、どうしたのいきなり?」


「俺、森を探したんだけど君の言っていたきのこ、一つも見つけられなかったんだ。だからその、別の事で何かないかなって思って」


「あ、ああ、そのことね。別に急がなくてもいいよ」


「いや、これ以上君に迷惑をかけるわけにはいかないから。だから、お願いしたい」


「う、うん、また考えておくよ。それより、ユウ君、文字が読めないんだよね?」


「ああ、まあそうだけど。それがどうしたんだ?」  


「私にいい考えがあるの、デジデリーさんに相談してみない?」


「え、いやなんであの人に」


「あの人、というよりこの国の教会の人って子どもに文字の読み書きを教えることも仕事一つらしいから。私もあの人から読み書きを教わったの」


「そうだったのか、そういえばこの村には学校とかなさそうだしな」


「え、今なんて?」


「いや、何でもないよ。こっちの話」


「そう。ねえ、ユウ君。聞いてもいい事なのかわからないけど、ユウ君の元居た場所ってどんなところだったの?その、私ほとんどこの村から出たことないから、少し興味があって」


「別にここと何も変わらないよ。まあ、少なくとも俺には合わなかったみたいだけど」


 実際、ユウにとっては何も変わらなかった。

 確かに、元居た世界と今いる世界は見た目はまるっきり違う。しかし、その世界を見るユウ自身は何も変わらないのだ。


「ユウ君は、その場所でどうしてたの?」


「どうしてた?か、俺はどうもしてなかったよ。自分でどうしようかと望めないから、誰かの望みに従って生きてきたんだ」


「そう、今はどうなの。今もその、変わらないのかな?」


「変わらないよ。ここに来る前も後も俺は望めないままだよ、人っていうのはそう簡単に変われないんだろうな」


「そう、そうだよね、簡単に人って変われないものだよね。ごめん話が逸れちゃってた。とにかく明日教会に行こう、ね?」


「ああ、わかった。あれに教わるのは癪だけど、読めた方が便利だもんな」




 次の日、ユウとニーアは教会に向かった。人の目を避けるために敢えて早朝を選び、そのかいあってか道中人と会うことは無かった。

 ユウたちは教会の大きな扉の部屋に通され、その場でニーアとデジデリーはユウを置いて、話があるからと二人で奥の小部屋へと行ってしまった。

 それから少しの時間がたって、奥の小部屋の扉が開かれたとき、ユウは座っていると寝てしまいそうであったので壁にもたれるようにして立って待っていた。


「ユウ君、待たせてごめん、話は終わったから。それじゃあ私は行くね」


 扉からニーアが出て来て、急ぎ足でユウの元まで歩いて来た。


「わかった。でもどこに?」


「昨日、川に仕掛けておいた罠を見に行くの。もし魚がかかってたら今日のご飯はお魚だよ。楽しみにしててね」


「うん、わかったよ。釈迦に説法かもしれないけど、足元に気を付けてね」


「シャカ?セッポウ?よくわからないけど、気を付けるよ。デジデリーさんもよろしくお願いします」


「ああ、わかってるよ。これでも一様仕事だしな」


 ニーアはデジデリーに一礼し教会を後にした。

 その後静まり返った教会はユウとデジデリー二人だけになった。 


「あの、さっき何の話してたんですか。その、俺の事だけにしては少し長いなって思って」


「うるせえな、私たちの間には話すことがいっぱいあるんだよ。はあ、なんで私がお前に読み書きなんか教えなきゃならねえんだよ。あの子の頼みじゃなかったら、絶対にやらねえのに」


「俺だって、別に教わりたいとは思わないね」


「はあ、めんどくせえ。が、引き受けたもんは仕方がねえ。来い、特別に部屋に入れてやる」


 そう言うとデジデリーはさっきまで居た奥の小部屋へと入って行った。


「適当なところに座れ、私は教書をとって来るから。念のため言っておくがその辺の物に触るんじゃねえぞ」 


 その部屋はニーアの家とは対照的にやたらと物が多く、そのせいか最初は取っ散らかっているという印象を与えた。

 ただ、収納や並べられているものが多いだけで、意外と片付けられた部屋であるようだ。

 しかしそれでも物が多く、物がないのは部屋の中央の机の周辺ぐらいだった。

 ユウはとりあえず、その机に向かうように付属の椅子に座った。

 ユウが椅子に座って待っていると、すぐにデジデリーはその手に少し分厚い手帳サイズの本を持って戻ってきた。


「よう待たせたなユウ、―っておい、お前そこは私の愛しいニーア専用の席だぞ、誰に断って座ってやがる」


「え、いや適当なところに座れって言ったじゃないですか。それにそもそも椅子二つしかないし」


「その辺に立ってろ、お前にはそれで十分だ」


「理不尽だ」


「チっ、仕方がない今回は特別だ、お前にその椅子を使わせてやる。私も一度引き受けたからな。そうだ、これお前にやるよ」


 デジデリーが手に持っていた本をユウに渡した。


「これは?」


「書いてある通りだ。おっと、ユウくんには読めないんでちたねえ」


 わざとらしくデジデリーはユウを挑発するように言った。


「まじめにやってもらえます。てかその言い方すごくむかつく」


「わかってるわかってる。これは我がアグネル教会公認の国語教科書だ。これのおかげでこの国は子どもでも大体は読み書きができる。どうだすごいだろ」


「はあ、まあそうですね。でもなんで教会がこんなことを……あの、デジデリー、ここにはなんて書いてあるんだ?」


 ユウはその教書のページをぱらぱらとめくり、その中の一つの文を指さして、デジデリーに尋ねた。


「ん、そこか。そこは『寄進の大小に差はないが、一度は皆行うべきである』だな。どうした、急に学習意欲が湧いてきたか」


「いや、別に。なんとなくわかった」


 寄進。つまりは教会への寄付を呼び掛けているのだ。


「まあ、良いが。それにしてもなんでお前なんだよな」


「どういうことですか」


「今ので思い出したんだよ。昔はあの子(ニーア)も私になんて書いてあるか聞いてきたもんだが、教えてからは聞いてくれないな」


「そりゃそうでしょ」


「寂しいじゃないか。昔は頼って来てくれたのに。こんなことなら教えなきゃよかった」

「あんた何言ってんだ」


「冗談だよ。でも、最近は特にあの子と距離を感じる気がするんだよな」


「いや、十中八九あんたが悪いでしょう。言ってましたよ、距離が近いって。そういうところじゃないですか」


「そうかな~、そんな駄目か。あの子に気づかれないようにこっそり覗き、見守ったりしてるだけなのに」


「いや、今覗きって言ったし。絶対その所為でしょ」


「ぐぬぬ。だが、今日、お前に文字を教えるということを頼まれたのは、あの子も私を好きでいるということだ」


「いや、勝ち誇ったような顔をされても。そもそも、教会に一人しかいないんだったら仕方ないんじゃ」


「いちいちうるさいな、そういうこと言うなよ」


「冗談ですよ、それに、ニーアはあんたの事も好きだと思いますよ。多分」


「お前もそう思うか、そうかそうか。意外と見る目があるじゃないか、見直したぞ」


「いや、なんというかその、ニーアは身近な人だったり物だったりをすごく大切に思ってるんだと思いますよ」


 ユウは昨日の夕日の沈む坂で話していたことを思い出していた。

 ”大切なもの”

 彼女の言うそれはたとえなくしたとしても残り続ける自分の記憶。

 だが、その本質は身近なものをとても大切に思うことだ。これまでの彼女の行動を見てユウはそう感じていた。


「知ってる。そんなこと出会って数日のお前より私の方がわかってるんだ。だが、私はあの子の本当に大切なものにはなれはしないんだ」


「それは、なんでですか?」


「私はこの村にずっと居られるわけじゃない。いや、むしろ確実にいつか居られなくなる時が来る」


「だから、ニーアの言う”大切なもの”にはなれないってことですか」


「そうだ」


「何故?」


「聞かなかったのか、あの子が一番大切にしているものを」


「それは、自分、ですよね。大切なものがなくなってもその記憶は消えないから」


「そうだ、だがその大切な記憶によって、これ以上大切なものを持てなくなったてことだ。あの子は自分の記憶という世界をたった一人で守ろうとしているんだ。今や未来を捧げてでも、自分一人しか居ない世界を一生懸命に」


「それは、どういう意味ですか?」


「それを聞くことは、君があの子の世界に踏み込むということだ。お前にその覚悟があるのか?」


「それは……」


 ユウはハイとは言えなかった。

 (セカイ)(セカイ)との間の境界線。それは簡単に越えていいものでも、越えられるものでもないのだ。

 ましてや部外者で望まない人間(覚悟の無い人間)であるユウにはなおさらだ。


「冗談だよ、気にするな、これからする話はただの世間話だよ。お前、あの子の家族については聞いているか?」


「いえ、詳しくは。兄が居たとは聞きましたが」


「あの子の家は元々は4人家族だったんだ。まあ、あの子が面識があるのはその兄だけらしいが」


「確か、戦争に行って、まだ帰ってないんですよね。帰りを待っていると言っていました」


「ああ、帰りを待ってる。最も帰って来ることがもうないだろうことはあの子も知ってるだろうが」


「行方不明じゃなかったんですか?」 


「ああ、一様は行方不明だ。だが、ならなんで未だに帰ってこないと思う?」


「それは、何か理由が」


「理由か、確かにあるかもしれないな、死んだ人間が行方不明扱いになる理由が。これは私の推測も混じるが軍は戦死したことを隠している可能性がある」


「どうしてそんなこと」


「どうしてって。この国には兵士がもし戦死すれば軍はその家族に見舞金を支払う制度があるからだ」


「それって、つまり」


「ああ、そうだ見舞金が払われるのは戦死した時だけ、行方不明なら軍は金を払わなくてもいい。軍の連中はたかが知れてる金のために兵士の死を偽装した。そのせいであの子は待ち続けている」


「それをニーアには?」


「言えると思うか、部外者の私に、そんな無責任なこと」


「それは……」


 言えるわけが無いことは長く一緒にいるデジデリーは勿論ユウもわかっていた。そのことを言うことはただニーアを傷つけるだけだと。


「でも、なんでそんな話を俺にするんですか?俺はいずれ出て行くと言ったじゃないですか」


 少しの沈黙が二人を包んでいた。なぜこんな話をするのか、ユウは勿論デジデリーでさえも詳しくは説明できなかったのだ。


「言っただろ、ただの世間話だって、この話はこれでお終いだ。それよりお前朝飯は食ったか?」


 沈黙を破ったのはデジデリーだった。

 ユウは自分の質問に答えないデジデリーを深く追及できなかった。

 自分自身もデジデリーも、もちろんニーアも言うだけなら勝手なのだ。


「食べてませんよ、食べる時間が無かったので」


「そうか、じゃあ食っていけ。気にするな、ニーアならともかくお前に感謝されても気持ち悪いだけだからな」


「後半言う必要ありました」


 ユウは気づいていた、デジデリーは本当にニーアの事が大切なのだろうと。そして、ただ本当に不器用で今もこうして気を使わせないために振舞っているんだと。




 デジデリーと共に朝食をとり、それからは無駄話も無く時間が過ぎ、あっという間に空は夕日に包まれていた。


「今日はこれぐらいにしておくか、どうだ調子は?」


「まあ、順調ですかね」


「そりゃそうだろ、なんたって教え方が良いからな」


「いや、あなた途中からほとんどいなかったじゃないですか」


「悪い悪い、まあ、気にするなよそれにこれでも私も忙しいんだぞ」


「あんた前自分で暇だって言ってませんでした?」


「お前なんでそんなことだけは覚えてるんだよ」


「ところで、どこに行ってたんですか?」


「教えるかバーカ。それより、その教書持って帰っとけよ、もうお前のものだからな。それと昨日と同じくスープを作っておいた、持って帰って食え」


「わかりましたけど、大丈夫ですか。昨日もニーア、お返しをどうしようか困ってたので」


「それについては大丈夫だ、今朝その話をして納得してもらった」


「今朝の話しはそういうことだったんですね。それで、なんて言って納得してもらったんですか?」 


「お前が私の下について教会の雑用をする」


「え、いやそれってどういう」


「そういやまだお前には言ってなかったな。私とお前とニーア(あの子)の間には、まず私からニーア(あの子)への料理の貸しがある、そしてニーア(あの子)にはお前に貸しがある。だから、それを別々に返すよりも、三人で貸し借り無しにしようってことだ」


「なるほどそういうことだったんですね。でも、最初に納得するべきだった人が一人いましたよね」


「そうか、誰かいたかな?私だろ、ニーアだろ、他には居なくないか」


「いや、もうわかって言ってますよね」


「安心しろ、ニーア(あの子)にはお前はもう納得したと言っておいた」


「まあ、俺にとっても嬉しいですけど。このままだらだらとニーアに甘え続けるわけにもいかないので。それで、俺は何をすればいいんですか?」


「それについては明日話そう。もう帰れよ、魚が取れなくてあの子も悲しんでいるだろうから」


「え、なんで知ってるんですか。魚を捕りに行くとは言ってましたが。まさか、長い間いなくなってたのって」


「え、いや別に覗き見てたわけじゃないぞ。断じてそんなことはないからな。知ってたのは、あれだ、心が通じ合ってるんだよ私とニーアは、だからだ」


「いや別にいいですけど、俺もう行きますからね」


「ああ、そうだな。それが良い……なあ、ユウ」


「なんですか。別に覗きのことは何も言いませんよ、俺はそもそも部外者なんで」


「いや、そうだな。それより、明日も来いよ」


「わかってますよ、恩を返すまではここに居るって言ったでしょう」 




 その日、ユウはニーアの家に帰るとそこには思ったほど魚が取れなかったっと残念そうにしているニーアが居た。

 どうやら仕掛けていた罠に穴が開いていたようだ。かなりの年代物で、これまでにも何度か同じことがあったということを仕掛けの修理跡が物が建って居た。買い替えないのかとユウは思ったが、今いる家の状況を見ると、とても買い替えるお金がないであろう事は推察できた。


「でも、一匹は捕れたんだよ、小さいけど。穴の開いた罠の中に一匹だけで浮いてたの」


「そうか、一匹捕れたなら、それはそれでよかったじゃないか」


「でも、二人分には少ないかな」


「俺は遠慮しとくよ、せっかく捕ったんだから自分で食べなよ。そうだ、デジデリーが作ってくれた料理を持って帰って来た。これを食べよう」


「うん、ありがとう。やっぱり、私もあの人に何かできることがあれば、私は何にもしなくていいってデジデリーさんは言うけど、でもなんだか変だよね。私じゃなくてユウ君があの人の手伝いをするなんて」


「いや、変じゃないよ。むしろ、ありがたいぐらいだよ」


「そう、かな。そうだ、文字の方はどうだった、デジデリーさんちゃんとしてた?」


「ちゃんとか、まあ、大体かな」


 実際にはほとんどいなかったが、そのことを言っても仕方がない事だった。


「そうだよね。あの人、人に何かを教えるときはすごくうれしそうにしてるから」


「多分それはニーアだから、いやなんでもない。それより、そろそろ食べないか?」


「ああ、そうだったね。でも、ちょっと待って。捕れた魚を焼こうと思うの。一匹だけだけど」


「そうか、それなら何か手伝うことはない?」


「大丈夫だよ、それにもう火をつけて焼くだけだし」


 そう言うと、ニーアは部屋のかまどの方へと移動し。ユウもそれに続いた。

 ユウは気になったのだ、ユウの暮らしていた現代では周囲の明かりは電気であったし、料理ですら今は電磁調理器も一般的なのだ。この部屋には勿論そんなものはない。

 アウトドアの経験が無いユウが思い浮かぶのは、火打石か、それとも木を擦って火をつけるかだけだった。

 ユウが気になって見ていると、ニーアが取り出したのはこの前ユウに貸していたあのナイフであった。


「え」


「どうしたの、ユウ君」


「いや、火をつけるんじゃなかったのかと思って、それで起こせるのか、火」 


「もう、ユウ君まで変な冗談言って。ひょっとしてデジデリーさんの所為なの。ナイフじゃなくて、火をつけるのはこっちの石だよ」


 そう言うと、ニーアはかまどの中から小さな黒い石を掴み上げた。


「これは、石炭か何かか。いや、火をつけるなら火打石か」


「もう、何言ってるの。これは魔火石(まかせき)だよ。ひょっとして、ユウ君の元居た場所には無かったの?」


「あ~多分無かったかな。少なくとも使ったことはない」


「そうなんだ、これとナイフがあるだけで簡単に火が起こせて便利なのに」


 そう言ってニーアは慣れた手つきで、その石と手に持ったナイフを擦り合わせた。

 石から火花が散り、小さく燃えだした。それをかまどの中に戻し、あとは落ち葉と薪を順番に入れ、息を吹きかけただけで、火は十分な大きさになった。


「こりゃすごいな、こんな簡単に火が点くなんて」


「家のは古いけど火をつけるのは簡単だよ、でも火加減は難しいんだよ。魚、上手く焼けるといいけど」


 ニーアは木の枝を刺した魚を火にかけた。


「ねえ、ユウ君。この魚なんで罠にかかってたんだろう、あの罠、穴開いてたのに」


「さあ、多分逃げる力が無かったんじゃないか」


「そう、なのかな。この魚ってね、普通は群れで暮らしてるの。多分この子は群れからはぐれたんだと思う、寂しかっただろうな」


「魚相手でも、優しいんだな」


 この時ユウは気づいていなかった。いや、気づいてはいけなかった。

 その少女が何を望んでいるのかも、自分が本当に何を望むべきなのかも。




「それじゃあ、今日もお願いします。デジデリーさん」


 それから一夜明け、言っていた通り、今日も早朝からユウとニーアは教会に来ていた。


「ああ、引き受けたよ、ニーア。それと今日から私の手伝いもやってもらうからな、ユウ」


「しょうもない事だったら起こりますからね。それと、そんなに急いでどこに行くんだ、ニーア?」


「今日は、ちょっと昨日のリベンジをしようと思って。今度こそたくさん魚とって来るから、期待しててね」


「わかった。けど、気を付けて、川に落ちたりしたら大変だからな」


「さすが経験者は違うな」


「誰のせいだ」 


「フフフ。あ、ごめんなさい。二人が話してるのを見てるとなんだか面白くて。もう行くよ」


 ニーアが手を振って教会を足早に去って行った。


「なあ、ユウ。家ではニーアはさっきみたいに笑うのか?」


「え、いや。どうでしょう。普通に笑うと思いますけど」


「そうか。いや、別に何でもないからな。とにかく行くぞユウ、お前は今や私の下僕、手伝いをするんだからな」


「今下僕って言ったよな。まあ、俺も気になってたんだが、何をすればいいんだ?」


「安心しろ、すぐに話す。それよりまずは朝食だ」


 デジデリーに連れられて、二人は朝食をとった。昨日と同じ料理を同じ量、同じ味付け、ユウはデジデリーに毎日同じものを食べて飽きないのかと尋ねようかとも思ったが、どうやらデジデリーもユウと同じく料理の味に頓着しないタイプのようだ。


「それで、手伝いって何をすればいいんですか?覗きの手伝いとかはしませんからね」


「そんなわけないだろ。まあ、正直それもいいかもしれないが。なあ、ユウ、あの子の事どう思う?」


「どうって、どういう意味ですか。それと、そんなこと聞いてるんじゃないんですけど」


「ああ、そうだったな。何かやることだったな、でも割と暇だからな」


「じゃあなんでこんな提案したんですか」


「なんでって、そりゃあ、あの子のためだよ。私の行動にそれ以外の理由があると思うか」


「いや、話が読めません。俺が何もすることも無いのにここの手伝いをすることがどうしてニーアのためになるっていうんですか」


「わからないか、それも無理はない。君はあの子と会ってまだ数日だものな」


「あの家に俺が居ないほうが良いってことですか、言われなくても恩を返せばすぐにでも出て行きますよ」


「違うな、むしろ逆だ。あの子は君にずっと居てほしいとさえ思っているだろう」


「なんで、そんな。でもそれがなんだっていうんですか」


「君はあの子に言っていただろう、恩を返す方法を教えてほしいと。恩を返して出て行くために」


「そうです、聞きましたよ。それで、ここの手伝いをすることが恩返しの代わりだと」


「そうだ、お前は恩を返せば居無くなる。そうなってほしくないとあの子は望んでいるんだ。お前にあの子が最初に頼んだこと、覚えてるな」


 ニーアがユウに頼んだことは森でキノコを探すこと。しかし、ユウには結局一つも見つけられなかった。


「でも、もしそうなら俺に直接そう言えばよかったじゃないですか」


「そうだな、もし私ならそう言ったかもしれないな。でもあの子は違う、あの子は守らなきゃならないんだ自分の”大切なもの”を」


「過去の思い出を守るために言えなかったってことですか」 


「そうだ、その”大切なもの”のために、あの子は恐らく死ぬまであの狭い世界で一人待つんだろう。そして待つ間はそれ以外の幸せを望めないんだ、それはあの子にとって家族への裏切りにも等しい事だから。呪いだよ、孤独の呪い」


 デジデリーの言葉には諦めが込められていた。

 長く見てきたはずだった。

 目の前の少女が孤独の世界に囚われていく過程を、そしてそれを本当の意味で助けることができなかった自分を。

 どれだけ大切に思おうと、他人には呪いを解くことはできないのだから。


「それを俺に話してどうしろって言うんですか。俺は偶然会っただけです、俺はニーアの家族じゃない、俺にはどうすることもできないですよ」


「そうだな、私もなぜお前にこんな話をしているのか正直わからない。だから、この話は忘れてくれていい。しゃべりすぎた。さあ、昨日の続きをしよう、文字の読み書きの練習だ」


 こうして二人の話は終わった。

 結局、他人でしかない二人にはどうすることもできない議題なのだ。




「じゃあ、今日もこれぐらいで終わっておくか。お疲れ、ユウ」


「はい、それじゃあ、帰ります」  


「ああ、気を着けてな。ん、どうした?」


「いや、ただ俺の服がどうなったのかなって。もう乾いてますよね?」


「え、ああ、あれか。そうだったな」


「ひょっとして、忘れてました」


「いや忘れてないぞ。別に全くそんなことは断じてない」


「じゃあ、返してもらっていいですか」


「いや、それはちょっと待って欲しい。そ、それよりもう帰ったらどうだ、今日はあの子もたくさん魚を捕って待ってるかもしれないぞ」


「まあ、仕方ないですね、でもちゃんと返してくださいよ、別にあの服に思い入れがあるわけじゃないですけど、他人の服だと落ち着かないんですよ」


「そうか、わかった。安心しろ。さあ、帰れ帰れ」


 デジデリーに急かされてユウは教会をあとにした、空はすっかり赤く染まっていて、眼下の村ではまばらながら明かりが灯り始めていた。

 人目を気にしながらも、ニーアの家を目指して坂を上った。

 今更だが、村は秋の収穫時期のようで、村人は皆忙しそうにしているようだった。それこそ、この村の外れに突然やって来たユウという異邦人に全く気がつかないほどに。

 そして気が付かれていないのはユウだけじゃなかった。

 この村の住民は村の隅で暮らすニーアにまるで気づいていないかのようであった。

 その原因はこの村の住民が冷たいからということではなかった。これまでにニーアと他の村に住人との間に多少なりとも交流はあったはずだ、けれどもそれが長く続くことはなかったのだ。


「多分、ニーアの方から交流を断って行ったんだ。だから、あの村外れの家を次第に村人たちは気にしなくなったんだ」


 ユウは昨晩の事を思い出していた、群れからはぐれた魚。それを焼いている彼女の顔はどこか自分の境遇を重ねているように悲しげだった。

 けれどもその悲しみを癒せるのは自分にはできないことだとユウは知っていた。

 もし、家族を再び見つけることがユウにできたら、それは最高の恩返しになるはずだった。

 しかし、それは不可能なのだ。ユウには居なくなった家族を見つけることも、そしてもちろん既に死んだ人間ともう一度合わせることもできはしないのだ。

 ユウは未だにわからなかった。

 なぜ、それなのにニーアが自分をその家に住まわせているのか。

 考えても答えが出るはずはなかった。いや、答えが出る前に先にニーアの家に到着していた。

 村人から隠れるように森のすぐそばに建てられたその家は屋根がいつ崩れてもおかしくないほどであった。

 そして、待つ家が崩れたとしても、待つ相手がすでに死んでいるとしても、少女は待つのだろう。  

 ユウも、いずれ他の村の住民のように、他人として。この家から排除されるのだろう。

 それはユウ自身がそう言ったからだけでなく、孤独の(セカイ)に穴が開いていても抜け出すことのできない、その呪いによるのだろう。


「それでも、俺には何もできない。結局言っていた通り、恩を返して出て行くだけだ。いや、恩を返すまではここに居る、か」


 望まない人間はよく知っていた、その呪いを解くことはできないと、解く方法があるのなら自分自身が知りたいぐらいだと。




「ただいま」 


 その言葉がいつまで使えるのか、それすらもわからないまま、ユウはニーアの言葉を待った。

 しかし、その言葉を聞くことは無かった。


「まだ帰ってないのかな。ん、これは」


 部屋の机の上に、あるものを発見した。

 それは、ニーアが大切にしていたナイフだった。

 それはユウにある種の不安感を煽った。


「どうしてこれが」


 ユウは不安感に後押しされニーアを探した。

 家の中で、外で、何度も名前を呼んだ。しかし、その呼び声に返答があることは無かった。


「家の近くには居ないのか。川の方に居るにしても、わざわざ置いていく必要は無いはずだ。村の方に行ったとは思えないし、行くとしたら教会か?」


 それしか思い当たらなかった。

 ユウはすぐさま教会へと引き返した。

 普段ならユウは行き違いになることを考慮して、待つことを選んでいただろう。

 けれどもなぜだかこの時のユウにはそのようなことは考えなかった。

 勢いよく坂を駆け下り、教会の大きな扉を開けた。そこはいつも通り閑散としていたが燃えるような夕日をステンドグラスが取り込みその様相はより一層強まっていた。

 ここにはいないとことは簡単にわかった。ユウは勢いを殺さず、そのまま奥の小部屋の扉を開けた。


「デジデリー、居るか」


「うわっ、お前来るならノックぐらいしろよ」 


 そこには、机に座り。手に布切れを持って考え込んでいるデジデリーが居た。


「すいません、少し気になったことがあって。ところでその布、どうしたんですか?なんだか俺の着てた服に似てる気がするんですけど」


「いや、これは別に何でもないんだ。それよりそんなに急いでどうしたんだ?」

 

「ここにニーアが来ませんでしたか?」


「い、いや、来ていないが。何かあったのか?」


「何かあったのか、わからないんですよ。とにかく家に帰ったら、このナイフだけが置いてあったんです」


「これは。馬鹿野郎、探しに行くぞ」


 デジデリーがユウを叱咤し立ち上がった。

 その反応がその状況が如何に異常で、そのナイフを如何にニーアが大切にしていたのかが伝わった。

 二人はまず川の方へと向かった。道中、ニーアの名を何度も呼んだが返事は帰ってくることは無かった。

 川の周りを調べたが、やはりそこにニーアの姿は無かった。

 しかし二人は河原の隅にニーアが使っていた魚を捕るための罠の仕掛けが置かれているのを見つけることができた、しかしその罠は水に濡れておらず、使われた形跡が無かった。

 そのことがより二人を不安にさせた。二人は急いでニーアの家へと森を突っ切ったが、着いた時にはもう辺りは暗くなり始めていた。

 ユウが再び扉を開ける。しかし、やはりそこにはニーアの姿は無かった。


「なあ、デジデリー。ニーアが行きそうな場所って他にどこがある?」


「わからん、森に入るにしても、いつもはさっきの川までだ、川の先に行ったとしてもこんな時間にそんな遠くまで行くとは思えない」


「じゃあ、なんで居ないんだよ。まさか川に落ちて」


「いや、あの子がそんなミスをするとは思えない。それに、ならなぜナイフを置いて言った」


「じゃあ、じゃあ、どこに行ったって言うんですか。ニーアはここで、この家で待ってるんじゃないんですか?」


「私にはわからん、それよりお前はどこに行ったのか見当はつかないか?どこかに行くとか、手紙を貰ったとか」


「手紙、そういえば二日前に手紙を貰ったと言ってました」


「そうか、それは確かか?」


「はい、俺も見ました。何が書いてあるのかはわかりませんでしたが。それが何なんですか?」


「私も見ていたんだ、三日前この村に手紙の配達人が来ていた。こんな小さな村に来るなんて珍しいと思っていたんだ。これまであの子に手紙を送る人間なんていなかったから、まさかあの子宛だったとは思わなかったが」


「その、手紙に何が書いてたんでしょう」


「知らねえよ。だが、ある程度内容の予想は付く。多分、仕事の紹介だ」


「仕事の紹介って、そんなのがどうして」


「わからん。だがあの子がここに住んでることを知ってるやつが居たんだろう。不味いことになった」


「さっきから、何がそんなに不味いんですか。確かに、いきなり何も言わずに居なくなったのはおかしいけど仕事の紹介でしょう?」


「その内容が問題だ、最近、田舎の若者に良い仕事を紹介するって手紙を送って、町で働かせてるやつらが居るんだよ。もちろんまともな仕事もあるが、その中の一部は死人が出るような労働を強いられることもある」


「それでも、ニーアには行く理由なんてないじゃないですか。確かに、この家も家具もかなりボロボロですけど」


「だから、わからないんだよ。なぜ、あの子は私たちに何も告げずに居なくなったりしたんだ……私があの子の大切なものじゃないからか……とにかく、今日はもう遅い、まだ町に行ったと決まったわけでもない。明日探そう、わかったな?」


「はい、わかりました」


 デジデリーはそのままニーアの家を後にした。その後、一人残ったユウはもしかするとニーアが帰って来るかもしれないと、部屋の行方に向かって待った。

 そして、その夜は椅子の上で寝た。もちろん、帰りを待っている人が現れることは無かった。




 翌朝、ユウはニーアがまだ帰って来ていないことを確認すると、すぐさま教会へと向かった。

 肌寒い朝の空気が昨日と何も変わらないはずなのに、そこには何か一つが足りないような気がした。


「デジデリーさん、起きてますか」


 教会の扉を開け、ユウが声をかける。

 そこには頬に涙の跡を浮かばせたデジデリーが居た。

 その白い服は土で汚れていた。

 ユウと別れた後、デジデリーは森の中を探し回っていたのだ。


「居るよ、私は。昨日、行きそうなところを隈なく探したよ。でも、ダメだった。それで村の人間にも聞いて回って聞いた話だが、昨日の朝早くにニーアが村を出たのを見たという人が居た」


「そう、ですか」


 言葉に詰まった。ユウ自身も悲しんだり、気になったりしてもいいはずだった。しかし、付き合いの長いデジデリーが目の前で悲しんでいるのを見ていると、自分には悲しむ資格が無いような気がした。


「なあ、ユウ。前にも聞いたんだが、あの子の事どう思う?」


「こんな時に何ですか。俺にとってニーアはただの他人ですよ、彼女だってそう思ってるはずです。だから、彼女の判断に口出しする権利なんて俺には無いじゃないですか、そうでしょう」


「そうだ、そうだな」


「そ、それに。ニーアがどこに行ったのかわかるなら、俺じゃなくて、あなたが行けばいいじゃないですか」


「私は行くことができない」


「それなら、諦めて帰って来るのを待つしかないんじゃないですか、ニーアみたいに」


「お前みたいに誰もが好きな場所で生きてけるわけじゃないんだぞ」


「俺だって、好きで生きてるわけじゃない。俺は、何時だって望んで生きてるわけじゃない。今だってそうだ、今だって、これからだって、自分が何を望んでるのかさえ分からないんだ」


 二人の間に乾燥した沈黙が、永遠であるかのように続いた。

 ここから先の会話が、互いに何と言えばいいかがわからなかった。そこには一つの欠片が欠けていたのだ。


「なあ、ユウ。お前が望めないなら、私に望ませてくれないか。頼みがあるんだ、残念なことに私には君しか頼める相手が居ない」


「頼みですか」


 その頼みという言葉にユウは小さな違和感を覚えた。

 その頼みというのが町に行きニーアを追うことだということはユウにはわかっていた。


「私の代わりに、町に行ってほしい。町に行って、ニーアの様子を見てきてほしいんだ。それだけでいい、その様子を私に伝えてほしいんだ。それにかかる費用は全額私が負担する。だから、頼む」


「わかりました。ただし、条件があります」


 会って数日の他人、恩を受けようと、その世界(他人)の壁を超えることはできない。

 それならば、なぜ。ユウの中でその()()()()という言葉がこんなにも大きな違和感を生むのだろうか。

 その違和感にユウは名前を付けなかった。

 その違和感にユウは答えを望まなかった。

 しかし、その違和感はユウを動かすのには十分だった。


「掛かる費用は、半分俺に出させてください。といっても、俺は無一文なので、半分俺に貸してください」


 掛かる費用は責任の費用。責任を負うことにユウは躊躇わなかった。


「それは、嬉しいよ。お前もあの子を望んでくれるなんてな」


「望み、ですか」


 望み。その言葉はまだ、ユウにはわからなかった。

 だがその言葉がユウとデジデリーを対等な協力者にした。


「出発するにしても、準備が必要だ。来い、必要なものを取りに行くぞ」 


 デジデリーが奥の小部屋を指さして言い、自身も部屋へと入って行った。


「準備って、そんなに遠いところなんですか?」


「まあ、そうだな。ここからだと一日かからないぐらいだな」


「そういえば、俺の服ってどうなったんだ、そんなに時間が掛かるなら、預けたままにしておくわけにはいかないし」


 ユウの問いにデジデリーが答えるよりも先に、小部屋に入ってすぐに服がどうなったのかは分かった。

 服というよりは、もはや布切れに近くなっていたが。


「いや~これは、事故というか、思ったより裁縫が難しかったというか。それに、昨日君も気にしてない感じだったし、ね?」


「ね?じゃないですよ。ていうかなんでこんなバラバラにする必要があるんですか、嫌がらせですか?」


「違う、違うぞ。やめろ、協力者を疑いの目で見るのは。ただ、調べただけだ。お前が危険な人間でないかどうか」


「まあ、こうなってしまったらもう着れないのでいいですけど。それで、何かわかったんですか?」


「いや、隈なく切って調べたが、別に変なものは出てこなかった」


「誇らしそうにしないでください。まあ、今着ている服の方が目立たなくていいだろうから諦めます。それより、早く準備しましょう」


「ああそうだな、それで準備するものだが、替えの服と、日持ちする食糧、少し古いがこの地図も使えるだろう、鞄も在った方が良いな」


 デジデリーが物の多い部屋のいたるところから、目的の物を取って机に並べていった。


「それと、金だ。あと借りるなら、これも必要だな」


 デジデリーは部屋の片隅の小さな戸棚から丸められた古い紙幣の束と一枚の綺麗な装飾のついた紙を取り出した。


「この紙は?」


「それは、借用書だ。これでも教会特製で超貴重な物だからな。上と下にお互いに名前と金額を書いて上下で分けてそれぞれ持っておくんだ」


「貴重って、めっちゃくちゃ雑に置いてませんでした。それより、名前ですか」


「お前、そう言えばまだ書けないんだっけか。やっぱり、まだ教書も持って行か無きゃだな。私は書いた、代わりに書いてやろうか?」


 慣れた手つきでデジデリーが自分の名を記すと、ペンをユウに手渡した。


「いや、名前ぐらい書けますよ。名前ぐらいは」


 ユウは休息を挟みつつも二日間、文字の読み書きの練習をしてきた。

 最も、書きは名前ぐらいしか綺麗に書けなかったし、読みにはまだ不安もあったので、教書を持って行くべきではあった。


「それ書いたら、適当に鞄に詰めて準備しろよ、私はちょっくら交渉してくる」


「交渉って、誰とですか?」


「ああ、お前知らないんだったな。今の時期になるとこの村の収穫物を町へ卸すために荷馬車が行き来するんだよ。ついでに乗せてもらえないか交渉するってわけだ」


「なるほど、でも俺の事はどう説明するんだよ、あんまりトラブルには会いたくないんだが」


「まあ、気にするな私がうまく言っておくから。それより早く準備しろよ、馬車は待ってくれないからな。そうだ、あの子の大切にしてたナイフあるだろ、あれもお前が持って行け、きっと役に立つと思う」




 ユウはデジデリーに言われた通り、借用書に自分の名前を書き、鞄にデジデリーの用意した水と食料、替えの服に、古びた地図、そして、持ち歩いていた教書とニーアの残したナイフを入れ、最後に借用書の下半分を切り取って金と一緒に入れた。

 すると、借用書を入れるのとほぼ同時に、デジデリーが大慌てで、ユウの居る小部屋へと戻って来た。


「おい、何ぐつぐつしてんだよ、早く来い。馬車待たせてんだぞ」


「あ、ああ、すまない。すぐ行く」


 二人は急いで荷馬車の出る場所へと坂を下りて行った。

 このときが初めてユウが村の中心へと降りた時だった。

 そこで待っていたのは、髭を生やした中年の男だった。


「遅いよ、聖職者さん。もう、行くところだったよ。それで、その子がさっき言ってたユウって子だね」


「はい、そうです。すみません、お待たせてしまって。本当に感謝します」


「いいんですよ、聖職者さんの頼みなら。それに、荷台に乗せるだけですからね」


「重ね重ね感謝します。さあユウ、荷台に乗れ。安心しろ、このおっさんは歯と頭髪と指が幾つか無くなってるが、荷物を落としはしない」


「あの~、聖職者さん、思いっきりこっちまで聞こえてますけど」


「なあ、ユウ」


「なんですか」


「無茶なことはするなよ、くれぐれもそれだけは言っておく。べ、別にお前を心配してるわけじゃないぞ、お前が帰ってこなかったら、ニーアの話が聞けなくなるからだからな。お前が死んでも私は別に悲しんでやらないからな」 


「はいはい、わかってますよ。この命に代えても必ず見つけてきますよ」


 冗談めかして、ユウはデジデリーに言った。

 それは、本当は直接会いたい気持ちでいっぱいだったデジデリーを気遣っての事だった。


「馬鹿、だから、そういうのだぞ……ありがとな、ユウ、私の協力者」


 ぼそっと、呟くように言ったその声は荷馬車の出発した時の馬の嘶きと地面をする荷馬車の車輪の音にかき消されて消えて行った。




「それで、兄ちゃん。あんたも災難だったな」


 デジデリーと別れ、畑と森の代わり映えしない景色の道を進む中、御者の男が唐突にユウにそう言った。


「災難、ですか」


「ああ、あんたあの聖職者さんに一目惚れして、この村まで来たんだろう。いや~若いってのはいいもんだね、こんな村まで来ちまうなんてさ。ただ、相手が悪かったな、聖職者相手じゃあな。まあ、気を落とすなよ、失恋なんて生きてりゃ誰でも経験するもんだ。世界は広い、これから行く町だってあの村に比べたら断然広い、きっとお前が気になる女だって見つかるはずだぜ、って聞いてるか?」


「はい、聞いてますよ。ただ、あの村に帰った時にやることが一つできたと思いまして」


 デジデリーは確かに御者の男にうまく言っていた様だ。

ここまでが第一部の前半。

第一部というのは特に意味はないのですが、一様の区切りとしてそれぞれに固有のテーマを持って書いていきます。

また、個別のテーマと別に作品全体のテーマもあります。(一貫した物語ですので)

キーワードもあります。それは各部ごとに一つ或いは二つぐらいの構想です。

第一部のキーワード及びテーマは最後の後書きで書こうかなと思います。

あまり読んでいる人は多くないでしょうが。最後まで見ていただければ幸いです。

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