第六話:収束/出発
ユウの望みを見つける物語は一つの終点に達した。
――これから始まるのはユウ達の物語。
伝えられないもどかしさを、ニーアの世界の壁を越えて、ユウがニーアの病室を出た時にはもうかなり時間が経っていて。外は暗くなっていた。
ランプで照らされた診療所の廊下にはユウ以外は誰も居なかった。
ユウは廊下を歩きながらこれからの事を考えた。
一番の心配は金だった。デジデリーから借りていた金はもうそこを尽きていた。
宿もすでに最初に払った宿泊費の分は過ぎている。
必要なのはユウの宿泊費に食事代、それにニーアは今は診療所に居れているが、何時までそれが続けられるのか、もしここを追い出されることに成ったら――
「とにかく金が必要か、何とかして稼がないとな。とりあえずデジデリーさんにも相談しないとだな」
ユウ達の未来への道は明るくはなかった。だがユウもニーアも決して暗くなることは無かった。どうなろうとも決して未来から目を逸らさない。
ユウはもし、ニーアがこの先どうなろうと逃げはしない。そしてニーアも掴んだユウの手をもう離しはしない。
「直す手段は無い、か」
ユウはニーアがどうなったとしてもそれを受け入れるつもりだった。ただもし、それが治せたならどれだけ良いだろうか。
ユウはこの世界のことは何も知らない。ただそれが逆に自分には何か特別な解決策を見つけられる。そのような荒唐無稽な希望を心のどこかで抱いていた。
当然そううまくいくわけがない事もユウはわかっていた。
「諦めるしかない。せめて最後まで俺がそばに居て、ニーアに孤独じゃないって伝えないと」
ほんの少しでもユウには可能性があるかもしれない。
「何を悩んでいるのかな、ユウ君」
廊下を歩いていたユウに背後から聞きなれた声が聞こえた。
聞きなれた、というよりもう二度と聞きたくもない声、此処には居ないはずの声。
「ヒエラル。どうしてここに」
ユウが身を翻して背後を見た。ヒエラルは今、警察に捕まっているはずだった。この場にいるはずはない。
しかしそれは紛れもなくヒエラルだった。
状況は突飛であったが、何はともあれヒエラルがユウの敵であることに間違いない。ユウとヒエラルとの距離は近い。すぐさま離れようとユウはしたが――
「待て。落ち着け、私は今は仕事で来たわけじゃないんだ」
警戒し距離を取ろうとしたユウにヒエラルが予想外の言葉を投げかけた。
「は?」
「私は君と話をしに来ただけだよ。信じないのも仕方はないが」
ユウはあっけに取られてしまった。しかし、ヒエラルの様子を見ると、武器を取っているわけでも取ろうとしているわけでもなかった。
「……信じるよ。考えてみたら、お前がまた俺を殺しに来たなら声をかける前にもう死んでるもんな」
「物分かりが良いじゃないか」
「それで、何しに来たんだよ、というかなんでここにいるんだよ?捕まってるんじゃなかったのか」
「質問が多いな、まあいい。ところでニーア・トリーアの病状は如何かな?」
「ニーアの、なんで?」
「彼女の病いについてどれぐらい知っている?」
「カプツィナ病だったか。治す方法が見つかってないことと、そう長く生きられないことぐらいは」
「大方はその通りだ。」
「大方?どういう意味だ。まさか治す方法があるのか?」
「いや、治す方法はない、今はな」
「今は?」
「そう。今はまだない。だが近い未来でなら不可能ではないと言っているんだ――我々はこの国で一番の名医と謳われる人物と伝手があってね」
「まさか……治せるのか、その名医ならニーアの病気を治せるのか?」
「さあな、だがその名医なら同じ病に罹った人間を調べれば原因は掴めるかもしれないとのことだ」
「そうか。もし原因を掴めればそれを解決すれば……まて、でもなんでそんなこと知ってるんだ?」
「……お前は面倒な奴だな。こちらにはこちらの事情というものがあるということだ。それよりお前にはあるのか?腕の良い医者とのコネや、カプツィナ病の患者の当てが」
「……それは」
「念のため言っておくが患者を調べるというのはその腹を開いて隅々まで調べるということだ」
「だ、だがそんなことを言ってあんたに何の得があるんだよ?まさか親切で言ってるわけじゃないんだろ?」
ユウにとってニーアの病が治ることはこの上ない事だったのは言うまでもない事だ。しかしその方法があると教えてヒエラルに何の得があるのかというのは当然の疑問だった。
「当然だ。私が親切な人間に見えるか――我々はお前のような人間を探しているのだ。我々の元で働くきはないか?もちろんそれなりの報酬は用意しよう。報酬として治療や患者の捜索をするというのでもいい。どうだ?」
ヒエラルがユウに言った。それはこれからの生活費すら危うく、稼ぐ手段を探していたユウにとっては都合がよすぎるような誘いだった。
それでも断ると、ユウはそう言いたかった。なぜなら相手はユウ達を殺そうとしたのだ、そんな人間の手を安易に掴むのはユウには気が引けたのだ。それに稼ぐ手段であればこれしかないというわけではないはずだ、少なくとも即決する理由はない。
「……俺は――」
「おっと、聞き方が悪かったかな。残念ながら君には拒否するという選択肢は用意されていない」
「どういうことだ」
「わからないか。なぜ捕まった私がこれだけ早く外に出ているのか」
「まさか、何か警察に――」
「少し高くついたが、そういうことだ――ところでこの診療所、模様替えをしようか迷っているんだ。病床の数を減らそうかとね」
「……卑怯だ」
詳しい話は分からない。しかしヒエラルが警察を賄賂で野放しになっていて、この診療所がもともとヒエラル達の所有しているものであるなら。
この診療所に居るニーアをどうすることもできるということだった。
「それではこれで話は終わりだ。私の部下としてしっかりと働いてもらうから、準備しておけ」
「俺に何をさせるつもりだ」
「それについてはまた後日話す。じゃあなこれから私は予定がある」
ヒエラルがユウを置いて診療所の廊下の先へと向かう。
「ま、待て」
立ち去ろうとするヒエラルをユウは引き留めようとした。しかしそんなことはお構いなしにヒエラルは廊下を進み、階段を下りて行った。
ユウは後を追った。
「お、おい。待ってくれ。どうして俺なんだ。どうして俺なんかにそんな提案をする」
ユウが後を追い、問いかけるが。階段を下るヒエラルの足は止まらないかった。
「何故、俺を殺そうとしていたのにこんなことを提案するんだ。それとモルグは、モルグは無事なのか」
いくらユウが言っても、ヒエラルはうっとうしそうにしながらも足を止めなかった。
「ニーアはどうなるんだ。時間が無いんだ。俺が働くならそっちの方も進めてくれるんじゃなきゃ――」
ユウに後を追われながら。ヒエラルは診療所の裏口の扉の前まで到着していた。
ここまで何もユウの話に返答しなかったヒエラルだったが、ユウのしつこさに折れたのか、それとも単に面倒だったのか。
扉の前で振り返り、ユウの方を向いた。
「モルグなんていう奴は知らん。お前を利用するのは殺すよりも都合が良いからだ。それと――受け取れ。これがニーア・トリーアについての問いの返答だ」
ヒエラルはユウの居る方に小さな袋を投げた。
「お、おい」
ユウは後を追おうとしたが、ヒエラルの苛立った表情がそれを躊躇わせた。
「一つ言っておこう。毒とは時として薬になることもある」
ユウが追うのを遮るようにヒエラルが裏口の扉を勢いよく閉めた。
それによってユウは診療所の中に残された。
ふと傍の床を見ると、小さな袋があった。ヒエラルがユウに立ち去る際に渡したものだった。
その袋はユウがジーグの家で見たものと同じだった。つまり、麻薬。ヒエラル達がちょうどユウが今いるこの診療所の地下で作っていた、違法薬物。
ユウがモルグから聞いた話ではもう地下に製造拠点は無いらしいが、どうしてヒエラルがこれをユウに渡したのかユウにはわからなかった。
ユウは裏口の扉にもたれ掛かるように座って考えていた。
ヒエラルがユウの前から立ち去ってからしばらく時間が立っていた。
ユウはそろそろヒエラルが戻って来るのではないかということを思い出した。
急いで、ユウは立ち上がりその場を後にしようとした。その時だった。
上から声が聞こえた。叫ぶような呻くような声がユウの居る一階まで確かに。
ユウはすぐさまその声の場所へと向かった。
階段を駆け上がり、廊下を進み、声のする部屋の扉の前まで来た。
その部屋は間違いなくニーアが居る部屋だった。
ユウは扉を開け、ニーアの元へと駆け寄った。
「ニーア。大丈夫か。いったい何が……」
ニーアにはその声も届かないというのに心配のあまりユウは声を出していた。
しかしその声はそこに居たニーアの様子を見て収まってしまった。
「……ユウ……く……ん……」
ニーアが声も出すのがやっとという様子で、ユウの名を呼んだ。
ユウがさっき聞いた声はニーアの物で間違いなかった。苦しみ藻掻き咄嗟に叫んでしまうほどの痛みが今のニーアを襲っているのがユウにはわかった。
「ニ、ニーア。大丈夫か。俺はここだ、手を」
ユウはニーアに手を伸ばす。ニーアはその手を痛いぐらいに固く握った。
「これもカプツィナ病の症状の一種なのか。これほどまで苦しいものなのか」
ユウはあまりの状態に驚愕した。
そして、その時ふとヒエラルに渡された薬の袋を持っていることに気づいた。
「……毒は時として薬になる」
ヒエラルが言っていた言葉をユウは思い出した。
毒、つまりはこの麻薬が薬になる。
「そうか、そういうことだったのか、この痛みがあるから、それで」
ユウはヒエラルが言いたかったことを今になって理解した。
つまり、根本的な病の解決策が見つかるまではこの薬で痛みをかき消せと。
しばらく経って、日が昇り始めたころにユウは診療所を後にした。それまでヒエラルが帰って来ることは無かった。
いつまでニーアは生きていられるかわからない。
毎日のように彼女は命のくじを引く。最悪の当たりを引けばそれで死という終わりを迎える。しかし本当の最悪は当たりを引くことじゃない。
本当の最悪は当たりを引くまでそのくじを引き続けなければならないことだ。当たりを引くその時まで彼女の受ける苦しみはどれほどだろう。
それだけでも取り除けるならどれほどいいだろう。
「俺はニーアの苦しむ姿を見たくはない」
ヒエラルがユウに何をしろというのかも分からない。しかしそれが人に誇れるようなことではないだろうということはユウにはわかっていた。それは勿論ニーアにも。
だがユウは思うのだ。それで受けるユウの苦しみなどニーアの受けるそれに比べれば些細なことだと。
「拒否するという選択肢はない、か。上等じゃねえか、俺はどうなったって、二人の未来を望んでやる」
カプツィナの街に朝日が昇る。それはユウがこの町に来てから初めて見た澄み切った、美しい空だった。
その朝日を今のユウが望んだもの。
ナイフとは自己という存在の決められた在り方;世界に穴をあける物。それを手にしたことでユウは自身の、そして愛した人の世界を革命した。
テーマは自己。そして世界。鍵はナイフ。
次回は――




