EPISODE 8
奥多摩では星野が休んでいるあいだにも対策が練られていた。
すぐにできることは単独行動の禁止だ。調査、補修、採集、回収の業務は低階層であっても例外なく複数人で行わねばならない。この管理規則は主務大臣の決定を冒険社が実施するという手続きになっているのだが、実際には冒険社側ですぐ使える省令案を用意している。アバウトに複数人とだけ書かれているので現場の裁量が大きい。
次に補助者の入域制限。これまでは誰でも名前を書くだけで冒険者に同行してダンジョンに立ち入ることができた。今後は冒険社に一定の寄付を行ったものだけが補助者として入域できる。まともな手順なら、やはり省令で立入りの条件として入域料を定めて、冒険社が実務を委託されるという形になるはずだ。でもそこまではせずにお願いをするだけ。やんわりと根拠のない強制力が感じられる。
受付の伊藤さんは、はっきり入域料と呼んでいた。寄付なのに冒険社本体でなく鉱業社が手続きを引き受けているということは、つまり商売の性格があるということだ。入域料の一部はパトロールの費用に充てられた。
ところで金貨はどうなったのだろうか。峰さんに聞いたら肩をすくめながら顛末を教えてくれた。
「星野さんが休んでるあいだに金貨も木箱もロボットも回収されてますよ。だけど報奨金でちょっと揉めました」
「どんなふうに揉めたの」
「金鉱石やたまに宝石を拾ったときとくらべて、大量の金貨を運んで20ポイントじゃ少ないって」
金貨は自分で発見したわけではなく回収するだけだ。襲われる危険はあっても対処は難しくない。
「少ないかな。妥当だと思うけど」
「どうせならたくさん欲しいでしょう。私も事故の当事者でなければ参加しましたよ」
「そうは言っても報奨金は冒険社の社内規則で決めてるからな。会長か副会長が大臣に話せばすぐ変えられる。文句を言う隙もない」
わかりきったことなので峰さんもそれ以上は擁護しない。ダンジョンでは邪魔になりそうな長い髪を束ねながら彼女は苦笑していた。
「うまくできてますよねえ。あ、星野さんも貰えるんでしょう」
「俺は救助活動の30ポイントで満足してる。金貨の発見者は小林さんになると思う」
「そうだとしても遭難者本人は受け取らないでしょう。これって国の儲けですよ」
そのあと木村さんにも話を聞いてみた。木村さんは研究者の顔も持っているので情報を得るルートが公式発表と別にある。
「何が真実かはわかりません。わかっているのは何がわからないかです」
「ここはそういう話の多いところですね」
金貨の肖像は何かの動物の顔で額面の数字も読めない。それなりに純度の高い金だが、そんなあやしげなものを売り払うわけにはいかないのでお金に換算することは難しい。価値の分だけ報奨金をよこせという要求はナンセンスなのだ。
「それからゴブリンの正体もわかりませんでした。遺伝子的には齧歯類に近いようです。ハムスターだって二本足で歩いたり餌を手で持ったりします。ありそうな話でしょう。でも顎の形が齧歯類の特徴から外れます」
「つまりわからないと」
「そうです。ついでに鈍器の正体は動物の大腿骨と推測されています。おそらくは鳥類です。ダチョウみたいな。これも近いうちに発表されるはずです」
星野は井の頭公園で見たリスを思い出した。それは何の参考にもならない。対策はもっと基本的なところからやるしかないのだろう。
中期の行動も本社の安全対策委員会という組織が方針を決定している。組織としては安全確保を優先したいようだ。
まず5階層ごとの中継地点を基地化することになった。2x4の木材を運び込んで2m^3のシェルターを作る。地上で加工した材料を現地で組み立てたら箱になる。電力と電話線は床を這わせたり、地面に穴を開けたり、階層ごとに工夫して通す。武器や保存食も備蓄しておきたい。インターネットも引けたら便利だし毛布もあれば快適だ。夢はいくらでも広がるがまだ木材の加工中。
それからゴブリンが闇に潜む脅威なら明るくしてしまえという案。曲がり角や広い場所にモーションセンサー付きの照明を設置したい。すべての通路に設置するのは費用がかさむので最短ルートにだけ置く方向で話が進んでいる。しかし警備面から異論も出ている。迷宮の答えを不法侵入者に教えてしまうことにならないか。それも今後の課題だ。
遭難事件以降は富裕層の暇つぶしの入域は減った。代わりに増えたのがメディアの取材だ。彼らはカメラや豪華な弁当を持って遭難場所に行きたがる。しかし未踏破領域には立ち入らせない。強引に降りようとしたら現行犯逮捕もありえると警告されている。
地質や動植物の調査なんて、のどかな仕事はなくなってしまった。あるのは運搬と工事とメディアの引率だけ。いや、もうひとつダンジョン内の清掃があった。記者やテレビマンがお菓子の袋や排泄物を持ち帰らずに捨ててしまう。それらを巡回して片付けるのも冒険者の仕事だ。人手がいくらあっても足りないとはこのことだ。
星野がゴブリンと戦ったことはまだばれていない。だから彼は外から来た人間たちとの接触を避けて木材の運搬ばかりするようになっていた。最小限の工事が終わるのは来年の春の見込みだ。その頃には新しい免許持ちが生まれる。
「冒険社としては対策にお金がかかるっていう話にしたいんだよ。寄付金や助成金が増えて、それで安全対策すると言われたら俺も関係者として反対しにくい。だけど、どこまで情報を出せるかな」
ゴブリンが注目されすぎて世論が熱くなっては困る。だが忘れられてしまっても、危険を名目に進めている施策に影響があるかも知れない。そのような思惑から冒険社は写真を小出しにしていた。ロボットの画像を見やすく修正しました、冒険者がたまたま撮影していましたという具合に。刺激が強いから様子を見て出すつもりだった、情報の核心は返り討ちにしたゴブリンそのもの。いまさらそんなものを出せるはずがない。
「なんで私には教えてくれたの」
「誰にも言わないと思ったから。王様の耳はロバの耳というやつ」
「それじゃあ、私も秘密を話すね。うちの会社はね、新しい株を発行して取引先のオオミヤさんっていう問屋さんに買ってもらうんだって」
「お金がいるのか。前に言ってた新工場に使うんだろう」
「社長が全部を持ってるのは良くないって社長の奥さんが主張したからだよ。あの人も役員になるの」
妻は茶碗と箸を置いて右手を差し出してきた。そして小指を立てながら笑った。
「指切りしよう。おたがいに秘密は守ります」
「そうしよう」
だが状況は悪くなる。冒険社の世論操作が加減を間違ったのだ。フラッシュを浴びて驚愕したゴブリンの胸に突きつけられたボウガンの先端。事実としてそれは先頭のゴブリンを射抜く場面だ。写真が掲載された日の午後からダンジョン前の広場に集まる男女の姿が見られた。その数は毎日増えたり減ったりした。
「残虐行為はんたーい」
「ゴブリンを殺すなー」
星野が支部のプレハブから抗議者を眺めていると橋下さんが近付いてきて挨拶をした。とっくに終わった事件でこの人たちは何を騒いでいるんだという顔だ。
「じゃあ、どうすれば良かったんでしょうね」
「最善だったと信じたいですね」
胸を撃ったからいけなかったのか。死なないように手足を狙っていたら抗議されなかったのか。それが無理だったことは経験したものにしかわからない。
「大臣が責められるかも知れない」
「そうなれば会長も参考人で呼ばれると思います。でもきっとそうはならない。この運動はもうすぐ終わりますよ」
すぐに海難事故の件で国会は手一杯になる。野党はゴブリンなんかに関わる余裕はないはずだ。橋下さんのその予想を理解しながらも星野は釈然としなかった。
「運が良いのか悪いのか。犠牲者にとっては悪かったに決まってるが」




