EPISODE 3
生きているうちに二階級特進とはどんな死地か。覚悟を決めて門をくぐってみれば、そこはただの厳しい学校だった。
冒険者学校は日本赤十字社、自衛隊、海保、警察、学者、ハンター、ジャーナリストらの寄せ集め。星野のように元の地位を保ったままのものもいたが、おおよそはすべてを投げ捨てて飛び込んできた者たちだ。星野は聞かれたときにだけ自衛官と名乗った。そして必ず相手にも聞き返した。その情報は報告書にも書かれた。上司となった辻はあらゆる情報を欲していた。
初代校長に就任した退役陸将補、いつか市ヶ谷で出会った厳格な面持ちの初老の男の指導の下、レンジャー並みの訓練のほか、救急医療、防災知識、パソコン講習なども受けさせられた。他に山岳、洞窟、消防、測量、誘導、ロープ、地図、動植物、鉱物、無線、救助、危険物、集団行動、長期地下生活。最後に実地のダンジョン踏破。3年間を通して行われる戦闘訓練では棒切れを持っての集団戦闘を想定していた。
政府は過去の遭難事件の目撃情報にある未知の生物に関して、証言はすべて真実と考えていた。鈍器を持って集団で攻撃してくる小型生物は存在する。その危険に備えなければならない。そして別の噂の真実も教えられた。坑内で金鉱石や金塊、そしてダイヤモンドや他の宝石が見つかることは事実である。さらにそれらは地質学的にはそこにはありえない。いったい何の冗談だ。
免許を取ったからと言って、すぐに未踏破地域に向かわねばならないわけではない。有資格者のダンジョン内での行動はまったくの自由。だが浅い層でも何が起こるかはわからない。宇宙人や幽霊の噂は絶えない。危険があるならそれを避けられる知識を身に付けよ、それが学校の教えだった。
日本冒険社は法律に基づいて設立された特殊法人である。名誉総裁として皇族を奉戴することからも、ただの民間団体とは格が違う。冒険者免許は担当大臣の認定のもと冒険社会長が交付する、きわめて変則的な国家資格だ。そのための適性試験及び講習を行う機関が冒険者学校。
冒険社は営利目的の事業を行なってはならないことになっている。手数料を徴収することや物品を売買することは認められるが利益を目的としてはいけない。そしてその判断の難しさや分配の複雑さを回避するため、子会社として冒険鉱業社という営利企業を設立している。インフラとしての冒険社とその上で業務を行う子会社を分離している構造だ。ずいぶんと胡乱な話だ。
元海保の小林さんが話しかけてきた。定年退職後にあの厳しい訓練をくぐり抜けて卒業まで残った猛者だった。
「星野さんどうも。今日はどちらへ」
「どうも。今日はひとりで2Fの木枠の点検です」
「あいかわらず人のやりたがらない作業ばかり引き受けていて偉いですね」
自分は残業や徹夜をしなくていい仕事を拾ってやっているだけなのだ。自衛隊の俸給を受けているので、ここで遊んでいても生活は成り立つ。
「小林さんはどうするんですか」
「峰さんと待ち合わせて、それからテレビクルーが来ます。レポーターとカメラマンのふたり。それを引率して最深部の下までちょっと行ってきます」
「下の階に素人を入れるんですか。それにしては人数が少ないんじゃ」
テレビや雑誌の取材はだいたい浅い階層で騒ぐだけなのに最下層とはやるものだ。峰さんは自分を試したいという曖昧な理由で冒険者になった若い女性。最年長と最年少の組み合わせとはおもしろい。
「前回は地底湖までご案内したんです。俳優の川本さんが探検隊の隊長という設定です。まあ動きを見た限りただの素人ではないですよ」
「そうですか。くれぐれもお気を付けて」
ダンジョンを歩いて坑道の木枠を点検する。カビ、ひび割れ、たわみ、ゆがみを見つけたら赤チョークで丸印を付けていく。貸与された木製のハンマーで空洞がないかを叩いて調べる。建築の専門家ではないので検査が完璧とは言わない。問題のあった場所は地図にも印を付けておいて、冒険社はこれを補修計画の参考にする。
孤独で単調な仕事は嫌いではない。誰かがやる必要があるのだと思えば投げやりにもならない。それでもふと気が緩んでいろいろな考え事をしてしまうことがある。良くないことだとわかっている。
学校を卒業して冒険者免許を取得したら、任務を完了して隊に戻るのだと思っていた。しかし防衛庁の目的は、将来、競合または協働する可能性のある組織の内部の知見を得ること。いざという時の連絡役。特定危険領域という不可解な場所でなんでもこなせる駒。そのような人材を確保することだったのだ。
そのまま自由な冒険者のようにダンジョンで活動せよ、そして定期的に報告を行えという命令。自衛官としての俸給はこれまでと同じく支払われる。また冒険社からの依頼も好きに受けて良い。いつかこの冒険者任務を終えたなら、その時は佐官待遇で本社勤務とする。そこまで言われてしまったら仕方がない。この捨てられたような気持ちを胸の奥に仕舞い込んで生きるしかないのだ。
おかげで新人で新婚ながらも生活は苦しくない。しかしながら、あまりにも珍しい境遇なので最初の確定申告には手間取ってしまった。税理士に相談したところ、冒険社のポイントは換金したときに所得になるので、ポイントのまま溜め込んでおけば申告せずにすむと教えてくれた。それなら家の頭金が貯まるまで換金しないのも手だ。
星野の考え事は家のことに移ろっていく。復職後の仕事は基本的に前と同じと妻は言った。しかしよく聞いてみれば、パソコンもインターネット環境も新しくなり、手作業だった業務があちこち自動化されていた。彼女はその手順を後輩から学ばねばならなかった。浦島太郎は仕事を覚え直さないといけないのだと笑う彼女は傷付いていた。
斉藤家の品川の家にはもう誰も住んでいない。いずれ処分したら名前しか残らない。義姉の智子さんが姓にこだわる理由もそこにあるのだ。その智子さんは先月、係長に昇進した。美智子の上司の木下さんや同僚の近藤さんも同時に課長になった。仕事そのものは追い付けてもキャリアへの影響は残る。自分も妻も孤独だ。そして大地は…
「星野さん、お待たせしました」
受付で冒険者タグのQRコードをスキャンしてもらって調査報告書を渡す。散漫な態度であったが仕事はちゃんとしたつもりだ。伊藤さんは PRONOTE FG をかたかたと叩いた。
「何かあったんですか。ずいぶんと騒がしいですね」
「ええ、事故です。崩落らしいです」
小林さんと峰さんが引率するテレビチームが20Fを進んでいたとき目の前の天井が崩れた。一般人の安全を最優先に離脱した峰さんは小林さんを見失った。現場の詳細な状況もわかっていない。俳優とカメラマンは事情を聞かれている。ベータカムも別室で再生され、事務所に居合わせた冒険者が地形などを確認している。
事故が起こってから4時間。それなのにもう地上に出ているのは普通では考えられないことだ。これは途中で出会った冒険者たちが一般人のテレビクルーを背負ってダンジョンを駆け上がってくれたから可能だったのだ。
背後から話しかけてきたのは木村さんだった。
「あんな下まで降りるなんて。これは招集がかかるかも知れませんよ。冒険者は特権と引き換えに救助義務を負います」
「もちろんわかっています。人命救助は嫌いな仕事じゃありません」
11Fから先は自然の地形とされている。洞窟が細くなったり太くなったり長く続く。そして突き当たりには、まるで階段のような段々の岩がある。自然の洞窟が階層構造になるものだろうか。そんな疑問を飲み込んで進み続ければ、15Fで大空洞と地底湖に行き当たる。ここが最深部と以前は思われていた。湖の向こうの黒い穴からまだ先があることがわかったのはほんの5年前。冒険者制度が作られる直前の時期だ。
「それにしても16〜20Fはまるで人工物だ。自然にまっすぐな通路や部屋ができる可能性はあるでしょうか」
「そうなる可能性はゼロではありません。だいたい人工物だとしたら、なおさら謎です」
わからないことはわからないままにしておくしかない。そうしなければここでは身動きが取れなくなってしまう。




