EPISODE 29
20F基地の外で固化した排泄物を収納していた星野を菅原さんが呼んだ。
「星野さん、樋口・永井組がゴブリンと遭遇しました。樋口が左腕を噛まれました」
「ゴブリンはどうしました」
「永井がナイフで牽制したら逃げ出しました。こっちに来ませんでしたか」
ここには来ていない。そうすると途中から西に向かって21F階段の方角。
「樋口・永井組は戻ってきますか。それと野口さんは」
「樋口はまだ現地にいます。野口もそこにいます。これから治療のため樋口と永井を上げます」
星野は思わず舌打ちをしそうになる。
「私は支部に報告します。菅原さんは単独で動くべきではありませんでした。もうここから動かないでください」
「私も会社に連絡して指示を仰ぎます」
星野は電話で、菅原さんは ThinkPad X23 でそれぞれ連絡を行なった。支部が3コールで電話に出ない。即座に切って TOUGHBOOK M34 からメールを打つ。誰かいるなら掛け直してくるはずだ。
「私も何かお手伝いできますか」
「新井さん、川崎さんの側にいてください。ゴブリンが出ました。下に行ったと思いますが遭遇しても戦わずに立てこもってください」
遠くから銃声が聞こえた。下の階だ。
冒険測量社は撤退の指示を出すだろう。それを待って行動を決める。また散弾銃の発射音が聞える。撃っているのが向井さんか真田さんだとしたら敵が多いのかも知れない。橋下さんなら単に当たってなくて連発している。どっちだ。
> You've got mail.
```
Subject: [Adventure-News:670] 緊急連絡
冒険者各位
複数階層にゴブリンが出現している。
確認されたのは次の階層である。
4F、5F、10F、15F、18F、20F、21F
また24Fに多数のゴブリンが集結している。
仮に階段の封鎖が解かれれば23Fに流入してくる危険がある。
冒険者法第十五条及び第十六条に従い行動すること。
1. 自己の生命を守り脱出すること。
2. 遭難者の救助に努めること。
3. 上記目的のために必要な措置を講ずること。
2F射撃練習場武器庫と5Fコンビニ武器庫を解錠した。
自己の判断で使用することを認める。
各基地の備蓄武器、食料他の使用も認める。
冒険社奥多摩支部支部長 奥田浩介
```
「新井さん、ドラゴンモニターを見てください。どうなっていますか」
そわそわしていた新人が共用の NEC MA12T/EZ を重層的な和音とともに起動してIEを開く。
「メールの通りです。すごい数です。ドラゴンは、奥で寝ています」
「役に立たないドラゴンだ」
なんだこの数は。オークもいる。24Fでオークを見たのは初めてだ。
「ところで川崎さんはどこに行きましたか」
「えっ。今までいたんですが」
「なんで見てないんですか。勝手に帰ったはずはありませんよね。彼はここのルールはよく知ってるから」
新井さんが土下座しようとするのを手で押しとどめる。遊んでる場合じゃない。
「すみません。探してきます」
「謝るなら川崎さんに謝ってください。それとどこに探しに行くんですか。当てがないなら待機でしょう」
本当にどこに行ったんだ。組み立て中のO3を外に出しっぱなしで。
「星野さん、測量社から撤退指示です。ThinkPad X23 を持ち帰るように言われました」
「わかりました。合流して帰還しましょう」
樋口・永井組の現場まで往復30分。登り階段まで15分。装備はジュラルミン棒2本と9mm拳銃。マガジンはポケットとカバンにひとつずつ。カバンからは出しておく。それから食料と医療キットと乾電池。
「菅原さん、ここに戻るかどうかわかりません。忘れ物のないように」
「はい」
ひとりになった新井さんは膝を抱えて川崎さんを待っていた。散発的に聞える銃声が恐ろしい。やがて扉が開いて、川崎さんが戻ってきたのだと思った。
「こんなところにいないで逃げたほうがいいぞ」
「橋下さんっ」
入ってきたのは手にショットガン、腰の皮袋にヌンチャクを指した冒険者だった。彼は備蓄の水を勝手に飲んで息を吐いた。
「23Fの封鎖を強化して来たら、21Fに大量に出現して通行止めされた。なんとか突破してここまで来たけど逃げないとまずい。オークが来たら破られると思う」
「ひとりだったんですか」
「あと3人上がってくる。もうひとりいたんだが戻れなかった。お前もここにいたらそうなる」
「ぼくも連れて行ってください。ひとりじゃ逃げられません」
「いいよ」
新井さんは川崎さんが無事に逃げていることを信じる。
測量社の3人とは途中で出会った。樋口さんは噛まれただけでなく足をくじいていた。だからすぐ戻れなかった。まずはメールを見せて状況を理解してもらう。それからジュラルミン棒を渡す。
「これを使ってください」
「ありがとうございます。でも私は武器の経験はありません」
「杖です。肩を借りるより杖のほうが疲れませんよ」
次に永井さんは一体型測量機をふたつ持ったままだ。
「それ持ってたら動けないんじゃないですか。10kgくらいあるんでしょう」
「これ高いんですよ」
くわしい価格は知らない。自動車より高いとは聞いている。どうするか。
「じゃあ基地に置いておいたらどうでしょう。ロッカーを使えます」
「私が持ちますよ」
「菅原さん、あなたはパソコンも持ってます。重すぎませんか」
「大丈夫です。体力も筋力もあります」
戦える永井さんの手が空くならそれでもかまわない。15Fまで行けたら保管場所はなんとかなると思う。
「それならパソコンも測量機も菅原さんにおまかせします。もしも運べなくなりそうなら相談してください。安全に隠せる場所を考えます」
「よろしくお願いします」
野口さんはグロック17、永井さんはナイフを腰に持っている。
「おふたりともゴブリンと戦闘になっても無理はしないでください。生還することが大切です」
「行きましょう」
20F基地を経由して階段に足を向ける。基地には誰もいなかった。探査ロボットが捨てられたように見えた。
「小林さんが鉄砲を持ってるのは初めて見ましたよ」
鷲巣さんがしげしげと小林さんの手元の H&K USP を見た。
「これは前職で訓練に使ったことがあったんです。借り物でなくて自分で購入したんですよ」
「会社から借りればただなのに。それにダンジョンの外には持っていけないんでしょう」
自分で武器を購入する場合、冒険者免許があれば公安委員会の所持許可は確実に出る。講習や試験はすべて免除される。冒険社を保管場所として登録すれば警察の検査も受けなくてすむ。だからゲートで預けるのが普通で小林さんもそうしている。
もし外に持って出たら詮索されるのは避けられない。もちろん使用することはできないし、保管場所を自宅にでもしたら警察の検査は厳重なものになるだろう。
「鷲巣さんは木刀だけなんですね」
「十徳ナイフも持ってるよ。スイス製でバイカーズモデルってやつ」
「ところでそこにゴブリンがいますよ」
鷲巣さんは面倒そうな顔をする。
「わかってる。小林さんが対処すると思ってた」
「予備のマガジンがないので節約したいんです。弾切れのない人がやってくれたらありがたいです」
「そうか」
壁際を近付いて来た小さなゴブリンが冒険ライトの点灯に驚いて隠れようとした。その瞬間、それは距離を無視したように突き出された鷲巣さんの木刀に喉を破かれて絶命した。
「17Fはもう無人になってると思います。メールチェックができたら良いのですが」
「電気が止まってないんだからネットもあるだろう」




