EPISODE 1
「それでは星野さんには3F12地区をお願いします。報酬は2人で54ポイントです」
坑道と自然洞窟の入り混じった地下通路は複雑だ。それでも長くいれば地形と道は自然に覚える。現地までの往復が4時間で活動時間が4〜6時間というのは、今日と明日で終わらせる仕事だ。問題はパートナーに誰を選ぶか。
報酬はポイント制で冒険通帳に記録され、いつでも日本円に交換することができる。現在の交換比率は1ポイントが4,000円。冒険社が申請して大臣が許可するとレートが上がることがある。交換手数料で1,000円取られるので、まとめて交換するものが多い。どうしてこんな制度になっているのかはわからない。依頼に失敗しても半分のポイントが貰える。だが次は同じカテゴリーの仕事は一回休みで受けられなくなる。
「星野さん、私とやろうか」
「おひさしぶりです、木村さん」
植物学者で博士号持ちの木村さんは痩せていて力仕事はあまりやらない。それでもあの訓練を乗り越えられた有資格者なので一般人から見たら超人のようなもの。心配はいらない。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
木材を敷き詰めた歩きやすい緩やかな坂道を下っていく。2Fは坑道そのままの風景で汚れた電球が等間隔でぶら下がっている。
「地下に植物はないのに、木村さんはどうして冒険者になったんですか」
星野もそうだが経歴を深く聞かれたくないものは多い。木村さんは自分で吹聴していた口だったから遠慮なく聞いてみる。
「植物はいっぱいあるじゃないですか。地底湖の中は藻類だらけですし、壁面にもいるでしょう。私の論文をお見せしましょうか」
「すみません。専門的なものはちょっと」
平坦な石の道に入ると電球の数が少なくなる。慣れた道でも油断せずヘッドランプを点灯して階段を降りる。
「私はいつも出入口から始めるんですが、それでいいですか」
「わかりました。星野さんが巻き尺とハンマー、私が記録と回収ですね」
巻き尺の一端を持って広い空間のひとつの隅まで歩く。コンパスとクリノメーターを持った木村さんが記録する。本格的な三角測量ではなく、方角と距離を順番に調べて多角形を描く簡易測量だ。
「ポイント1、方位240度、傾斜プラス15度、距離8.2メートル」
「サンプリングします」
星野は壁面にタガネを当ててハンマーを振りかぶる。ガチンと石の欠片が落ちたのを拾ってビニール袋に入れる。追いついた木村さんがビニール袋を受け取ってマジックで1と書いてバッグに入れる。
「次に行きます。休憩は正午でいいですか」
「結構です。続けましょう」
それからふたりは黙々と作業を続ける。ガチンと岩を叩く音が暗い空間に反響する。
「ポイント12、方位200度、傾斜0、距離6メートル。そろそろ昼にしましょう」
汗だくになった星野がその場に腰を下ろして水筒を取り出した。
「予定より早いペースです。14時には半分まで終わらせて戻れます。それとも夜までやって終わらせてしまいますか」
「いやあ、私は帰りたいです。いっぺんに終わらせて稼ぐより、いつも通りに帰って妻に会いたいです」
「そんなに堂々と言われるとこちらが照れてしまいますね」
木村さんは苦笑しながらビスケットを頬張った。星野も同じビスケットとジャーキーを食べている。ザックの底の陸自のレーションはあまり人に見せたくなかった。
「それじゃあ明日は私が前をやりましょう」
岩石のサンプルを確認して半分ずつ持つことにする。このサンプルは冒険鉱業社の研究室で調べられるそうだ。
帰り道で木村さんは壁にライトを当てたり足元を照らして調べたりしている。
「植物の観察ですか」
「金がないかと思いまして」
「ああ」
不思議なことに、このダンジョンには金鉱石や宝石が落ちていることがある。それを拾って持っていけば規定の報奨金がポイントで貰える。鉱業社は金鉱脈が見つかればすぐにでも大規模採掘をしたいのだが、どうしても鉱脈の場所がわからないのだ。
「どこかにはあるんでしょう」
「だからこうやって調査をしてるんですね。でも壁からは鉄とマンガンしか出てこない」
「誰かが金を持ってきて道にばらまいてるって噂もあるんですよ」
そんな馬鹿なことがあるはずない。思わず苦笑した星野に釣られて木村さんも笑った。
ダンジョンのすぐ外のプレハブは混み合っていた。ここには冒険社と冒険鉱業社の奥多摩支部が同居している。せっかく駅前に立派なビルを建てたのに、遠くて不便だとこちらに引っ越してきたのだ。市役所の隣のビルは改装されてホテルになった。
「中では見かけなかったのにこんなにいたんだ」
「個人的な調査で来てる人は多いです。私も生活に余裕のあるときは仕事抜きで地底湖まで降りることがあります。藻類を調べるためにね」
「そうですね」
「今日は取材や観光ガイドの人が多いようです。深部探索の冒険者は見当たりませんね」
有資格者はひとりの補助者を同伴してダンジョンに入ることができる。補助者は資格がなくてもかまわない。その代わり有資格者は安全に責任を持たねばならない。それを利用してダンジョンに連れていくことを仕事にするものがいるのだ。彼らは入退域で記名するためにプレハブに集まる。
「お待たせしました」
受付で冒険者タグのQRコードをスキャンしてもらって、岩石のサンプルと調査途中報告書を渡す。受付の伊藤さんは受け取った書類をぽいっと横の箱に入れる。それから PRONOTE FG をかたかたと叩いて、結構ですと言った。
「次のかたどうぞ」
星野は木村さんと別れて駐車場に向かう。カーキ色の2代目ジムニーに乗り込んで、時計を確認してから F502i HYPER で妻にメールを送信した。エンジンをかけてゆっくりと発進させ、4車線の新青梅街道を東に向かった。奥多摩駅前のきらびやかな繁華街が遠目にもまぶしかった。新築の奥多摩市庁舎と冒険者ホテルが双子のように並んでいるのがバックミラーから見える。これから府中の実家へ息子を迎えに行くつもりだ。
子供の性別はどちらでも良かったので、生まれるまで医師に聞かないことに決めていた。名前は両方を考えた。男なら大地、女なら海。大地の誕生を実家の両親はおおいに喜んだ。認可保育園の空きが見つからないで困っていたら毎月5万円で昼間に預かってくれることになった。
「よく寝てるからそっと帰ってね。それからこれ」
マツキヨのレシートには、おしりふき3個パック418円と印刷されている。経費は即精算するルールなので小銭入れを取り出して数える。
「また明日よろしく。おやすみ」
冒険者学校の寮暮らしの自分に子供ができたと聞いて、両親は失礼なことに相手の貞操を疑ったそうだ。それからも、こうなったら結婚は仕方がないだの、身重の結婚式は恥ずかしいだのと、古風なことを臆面もなく言ったのには閉口させられた。
それも孫が男の子だったことと自分の昇進とで帳消しになったのだろうか、表面上の人当たりはくるりと優しくなった。妻は早くに両親を亡くして実の姉に育てられていた。だから頼れる実家はこちらにしかない。そんな事情もあの失礼な態度の理由のひとつだったのだと思う。わだかまりのようなものは自分にも妻にも残っている。たぶん両親のほうにも。
アパートに戻ると、着替えもせず台所に立つ妻がいた。彼女は育児休暇を早めに切り上げて4月から復職していた。
「おかえり。私もさっき帰ったの」
フライパンと鍋が火にかけられている。昨日作ったハンバーグとお豆腐の味噌汁だ。
「サラダでも作ろうか。材料は何があったっけ」
「レタスしかないかな。ごまドレッシングは買ってきたよ」
そういうわけなので協力して夕食を仕上げてしまう。大地はベビーベッドの中で大人しい。
「大地がまた口をもごもご動かしてる。そろそろしゃべりそうな気がする」
「もうそんな頃合いか。早くパパと呼ばれたい」
最初はママに決まってるでしょうと妻の表情が言っていた。
「会社の人たちは赤ちゃんを連れてきてもいいよって言うんだけど。でも満員電車が怖いし仕事中に面倒を見るのも難しいと思うんだ」
「だったら会社まで車で送るよ。お義姉さんも同じ会社にいるんだろ」
国分寺のアパートから神田の会社へ。妻は頭の中で負担と時間を計算して難しいと考えたようだ。奥多摩への道路は近年、整備されているから移動は苦でない。星野としては本当にかまわない気持ちだった。
「お義母さんがいいなら今のままでいいよ。3歳になれば預け先が増えるって市役所で聞いたよ」
「無理はしないで。困ったら相談してよ」
「うん」
翌朝も実家に子供を預ける。そしてまたダンジョンへ。木村さんと待ち合わせて調査の続きをする。




