姉さんの指輪
「ただいま帰りました」
「あれおかえりはるちゃん? 早かったね」
向こうで一泊するんじゃなかったの? と聞かれたので、そのほうがよかったですか? と問い返す。瞬間、義兄の顔がぐしゃっと歪んだ。
「そんなわけないじゃぁぁん! 一人でご飯食べるの寂しかったんだからね!」
「はいはい、早く帰れたこともあるし、もう一品作りますよ」
「やったね!」
手を洗って、それからふと和室を見る。そこには、姉の遺影と仏壇がある。
「なんかいいことあった?」
リビングから顔を出した義兄が問いかけてくる。なぜそんなことを言われたのかわからず、僕は首を傾げた。
「別に何もないですけど」
「そう? なんかはるちゃん、ちょっと穏やか~な顔してる」
「そうですか?」
自分ではそんな自覚はないけれど、義兄が言うならそうなのかもしれない。
キッチンに入り、総菜を少し多めに作った後、箸と小皿を3セット用意。のぞき込んだ義兄の顔が怪訝そうにしかめられる。
「はるちゃん。お皿と箸2セットでよくない?」
「あれ、僕2セットで用意してません?」
「見てみなよこれ、3セットある」
「あ、本当だ。なんでだろう」
ぼんやりしすぎているのだろうか。首をかしげながら箸と皿を1セット棚に戻す。
「はるちゃんお疲れ? 今日は早く休みなよ」
「いや、大丈夫です」
「そう? でも無理はしないようにね」
「無理なんてしてないですよ」
席について、食事を始める。
「で、今日は何を調べてきたの?」
野菜炒めを白米の上にワンバウンドさせて行儀悪く食べながら、義兄は問いかけてきた。
思わず顔をしかめて苦言を呈する。
「義兄さん、やめましょうよその食べ方……」
「だってこの食べ方した方が美味しいんだもん。はるちゃんのおかずが白米に合いすぎるのが悪い」
「そう何度も僕が注意できるわけじゃないんですし、それに義兄さん僕より年上ですよね……?」
「いいのいいの。よそで食べるならちゃんとお行儀よく食べるから」
「そういうことならまあ、いいんですけど……」
こうしてくどくど言えるのも数えるほどだろう。僕は気を取り直して義兄に今日あったことを話した。
「笑いながら自殺する人に、石がきしむような音、ねえ……」
難しい顔をして、義兄はお茶を一口。漬物を口に放り込んで、更に続ける。
「その小学校だっけ、今廃校になっている学校。なんか『いわく』でもあったの?」
「とくには。なんか6人くらい行方不明の子がいるみたいですけど、それも開校から廃校までの50年近くの間に、ですから。そんなに大騒ぎにはなってないみたいです」
「で、献花に来たお嬢さんが言うには、その場所には男の人のブロンズ像があった、と」
らしいですよ、とうなずいて、僕もお茶を一口含んだ。
「変わってるねえその学校」
ぼそっと義兄がつぶやく。
「なんでですか?」
「だって、学校のブロンズ像の定番と言えばあれでしょ、二宮金次郎が薪背負って本読んでるやつ」
「……それはいまもう古いらしいですよ」
「えっそうなの? いやだなぁジェネレーションギャップって」
義兄は心底落ち込んだようにうなだれる。だが次の瞬間には顔を上げ、力説し始めた。
「いやいや、廃校になったのがいつかは知らないけど、開校は少なくとも50年以上前でしょ、じゃあニノキンが定番だよ。間違いない」
「その変な略し方やめてください」
「いいじゃんニノキン」
まあそれはともかく、確かに。僕の母校も二宮金次郎が飾ってあった気がする。僕のところは銅像っていうか石像だったけど。
「今は撤去されているんですけど、もともと何の像が飾ってあったんでしょうね?」
「男性像と言えば、ミケランジェロのダビデ像とか」
「小学校にしては刺激強くないですか、男性の全裸像とか」
「じゃあ、初代校長だ」
「市立ですよ、考えにくいと思います」
「地元の偉人の像?」
「だとしたら、資料に詳しく残ってると思いますけど……」
わからん! と早々にさじを投げた義兄が箸を小皿に置いた。
僕はお茶を飲み干して考える。学校の資料なら駅前の図書館にたぶんあるだろう。あのあたりを撮影した写真、あるいはもっと具体的に、設置時の除幕式の記事。義兄が言うように他校にはなかなか見られない像なら、記事になっている可能性は高い。
「じゃあ、僕は皿を洗っておきますから、義兄さんはお風呂入ってきてください」
「うんありがと。ごちそうさまでした!」
手を合わせて立ち上がる義兄を見送って、皿を重ねてキッチンへ。いつものように洗剤をつけてスポンジでこすれば、ついたばかりの汚れはすぐに落ちる。
そういえば、と思い出した。手を洗っていた時、ふと和室の仏壇が気になったことを。
手をすすいで泡を落とし、皿はシンクのわきに重ねて、手を拭きながら僕は和室に入った。
ぱちんと電気をつけると、仏壇の前に座り、ろうそくをともし、線香をあげる。
目の前には、姉の遺影があった。
2年前、姉は事故で逝った。葬式後、義兄はこの遺影を抱きしめ、しばらくの間ぼうっと虚空を見つめていたものだ。
食事もとらず、眠りもせず。憔悴という言葉では表しきれないほど、涙を流す力すら失っているように見えた。
「姉さんが逝ってから、本当、大変だったんだよ」
義兄に聞こえないように、小さな声でささやく。
でも、その義兄も今ではずいぶん元気になった。
「もう、大丈夫だね、義兄さんは」
遺影の中の姉さんは微笑んでうなずいたように見えた。
「はるちゃん、ドライヤーどこだっけ?」
風呂場から声がする。本当に、あの人は「烏の行水」という言葉がよく似合う。
僕は一声かけたてから風呂場の戸を開け、棚の奥に押しやられていたドライヤーを引っ張り出して渡す。
「いつものことながら、速いですね」
「めんどくさいことはさっさと終わらせるに限る」
胸を張って言うことじゃない。
と、漂う線香の香りに気づいたのか、義兄が首を傾げた。
「あれ、お線香あげたの、仏壇に」
「あ……はい。なんとなく」
ふうん、と何の気もなさそうな相槌を聞きながら、そうだ、と思いついた言葉を口にした。
「そうだ義兄さん、姉さんの指輪なんですけど」
「えっ」
「姉さんが結婚祝いに母さんからもらった鏡台、あれの引き出しの中にあるんですって」
義兄の顔色が変わった。
僕は何かおかしなことを言ったのだろうか。
首をかしげていると、僕にドライヤーを押し付けて濡れた髪のまま義兄は風呂場を飛び出す。
「あ、義兄さん髪!」
追いかけて声をかけたが、全く聞こえていない様子で階段を駆け上がると、少しして、ゆっくりした足取りで戻ってきた。
いや……ゆっくり、というか、ふらふらと、という感じで。
「あの……さ、はるちゃん」
震える声、震える指で、差し出された指輪は2つ。1つは義兄の指にもはまっているのとよく似たデザイン。
「これ、れーなちゃ……いや、れおなさんに俺があげた、結婚指輪と、婚約指輪なのね」
「……そう、だったんですか」
それは知らなかった。姉の指輪が大事な結婚指輪と婚約指輪だったなんて。
「れおなさんが事故にあったとき、あの人何を思ったのか、この指輪外して出かけたみたいなんだわ」
「え、ああはい、そう聞きました」
「……だれから?」
思考が一瞬止まる。
誰からだったっけ。
でも確かに聞いたような気がする。
「……義兄さんじゃないんですか?」
「俺……義母さんにもはるちゃんにも、今まで婚約指輪と結婚指輪が見つからなかったこと、れおなさんが事故ったとき指輪着けてなかったこと、言ってないよ。言えるわけないじゃん。そんな余裕、今だってないのに」
固い声。
まるで、知らない人の声のように、義兄の声が響く。
「ええと……じゃあ、誰からだろう」
「…………」
「あ、でもよかったです。ちゃんと伝えられて」
黙り込んでしまった義兄を見ながら、取り繕うように言った。
本当に良かった。だって知ってほしかったようだから。義兄は僕が言わなければ、姉の鏡台の引き出しなんて覗きもしなかっただろうし。
心配事が一つ減った。それはとてもいいことだと思った。
義兄は指輪をじっと見つめ、それから僕を見つめた。
いつものへらへらした顔じゃない、まるで別人のように厳しい顔で。
「……はるちゃん」
低い声で、義兄が僕を見つめて唸る。
「俺も手伝う。今君が追ってる『笑い自殺事件』、できるだけ早く真相を突き止めよう」
珍しい。義兄は基本、怖いことは「見ない・聞かない・知ろうとしない」が鉄則だと口を酸っぱくして言ってくるタイプなのに。
「え……っと、どういう意味ですか?」
さすがに僕も困った顔をするしかなくて首をひねっていると、義兄は大まじめに、そしてこの世の終わりと言わんばかりの深刻な声で、つづけた。
「正体はわからない。だけど、もう君、影響を受け始めてるよ」




