男のブロンズ像
夕暮れ時の廃校の影は黒々としていて、まるで巨大な墓石だ。
……そんな詩的な気分も情緒もないくらい、誰も立ち入らなくなった校舎とグラウンドは閑散としていた。夏場の肝試しで学校を使わせてもらったことは何度かあるけれど、大人になるとその時感じた不気味さすら忘れてしまうものなんだろうか。
昼食と夕食の作り置きをして、まだ駄々をこねるさかえ義兄さんをなだめすかして、僕は隣の県にある廃校にやってきていた。駅前の図書館で簡単に調べ物をして、この学校が何年に廃校になったかくらいのことはわかったものの、それでもこの学校にいわゆる「いわく」のようなものは見つからない。
ただ、古い新聞を廃校時から開校時までさかのぼってみると、気になる記事が複数見つかった。
『K市立U小学校、児童行方不明』
廃校になるまでに、全部で6人ほど。この学校に通っていた小学生だったというだけで、年齢や住んでいる場所、いなくなった日時など、それ以外にはほとんど共通点がない。
地元に古くから住んでいる住民も、「学校があったころは時折、帰ってこなくなる子がいた」と語ってくれた。
「神隠しのあった学校と、笑い自殺事件、か……」
呟きながら、動画で投稿者が「音がした」と言っていた場所を探す。変化があったとすれば、あの音だ。画角を頼りに校庭を歩き回っていると、校舎の裏に位置する場所に、身の丈ほどもあるコンクリートの台座があった。
「そういえば、この台座動画にも映ってたな……」
そう思ってカメラを構えると、ちょうど影から花束を持った若い女性が台座に向かって進んでくるところだった。
とっさにシャッターを切ってしまい、その音に女性が反応する。慌ててカメラを下ろし、頭を下げた。
「すみません、ちょっとこの辺りを取材してて」
「ああ……『笑い自殺事件』でしたっけ」
「ご存じなんですか?」
女性は応えず、憔悴した面持ちで花束を台座の下に置く。静かに手を合わせて、それから囁いた。
「弟も……」
「……?」
「……笑いながら、電車に」
「そ……それは、その」
何も言えなくなりうつむくと、苦笑した女性は僕に向かってほほ笑んだ。
「いいんです。気にしないで。あの子本当に、最後までそんなこと、考えもしてなかったはずなのに」
「弟さん……その、本当に残念です」
ありがとう、と女性は静かに返してくれた。
「そんなこと考えもしてなかった、って」
「ええ。明るさだけが取り柄って感じの子でしたから。でも……今にして思えば、いろいろ私に伝えたいことがあったのかしら」
どういうことですか、と僕が首をかしげると、思い出すのもつらいのか、女性はハンカチで口元を押さえながら言葉を選ぶようにしてぽつぽつと語りだす。
「突然自分の部屋の本を処分したり。大好きで集めていたコレクションの類も全部」
「弟さんは……なんて」
「わからないわ。もう自分には必要ないからとしか言わなくて」
何か悩みがあるなら言って、という彼女にも、弟は何も言わなかった。いや、正確には、「悩みはない」と言い切ったという。
本当に、何も憂うものはないとでも言いたげに。朗らかに。
「……ごめんなさい、変なこと言って」
「い、いえ。こちらこそ、失礼なことを聞いてしまって」
歩き去ろうとする女性を慌てて呼び止めた。
「あの、どうしてこのコンクリートの台座のところでお花を?」
「ああ……亡くなる数日前に、あの子ここで友だちと花火をしたの。帰ってきてから、ちょっと変わったことをするようになって、だから……」
「そう、ですか。あの……もともとこの台座、なんだったんですか」
「さあ……私はここの卒業生じゃないから。でも地元の人に聞いたわ。なんていったかしら……男性のブロンズ像が立ってたって」
「わかりました。すみません、呼び止めてしまって」
今度こそ歩き去る女性を見送って、台座を振り返る。
男性のブロンズ像。廃校になったときに取り外されたのだろう。
なぜ、彼女にそんな質問をしたのかわからない。とっさに思い付いた質問だったけれど、なぜか気になったのだ。
——ゴ……
ふと、何かの音が響いた気がした。
とっさに耳を澄ます。そういえば、あの動画投稿者も「ゴリゴリという音がする」と言っていたような。
——……ゴゴ……
何の音だろう。地響き……とも違う。そう、まるで岩がきしむような。擦れるような、そんな音。
——……ゴゴゴゴ……
それはどんどん大きくなる。けれど、不思議と恐怖は感じない。台座を見つめながらじっとそれに耳をすます。
わからない。わからないけれど、聞き逃してはならない、そんな気がする。
——……ゴゴゴゴリゴリゴリゴリ……
向こう側から声がする。
なんと言っているのかわからない。
台座を見上げて、ただその声を聞き逃さないように耳をそばだてる。
なんだろう。怖くない。むしろ歓迎されているような。
ふわふわと、安らぎに近いものを感じながら、なぜだか無性に楽しくなっていた。
聞こえてくる言葉を、反芻する。
いや、反芻しようとして、意味は分かるのに、言葉は出てこない。
でも——穏やかで、あたたかい。
——ふと、我に返った。
あたりはすっかり暗くなり、コンクリートの台座も黒々と影を落としている。
しまった。ぼうっとしすぎていたらしい。
今からネットカフェに入って一泊できるだろうか。いや、このまま帰った方がいいか。
『やだやだ。はるちゃんのご飯がいい』
そんな風に駄々をこねていた義兄を思い出す。今の時間なら電車がまだ走っている。帰って総菜をもう一品作るくらいはできるかもしれない。
もしかしたら、もう数えるほどもご飯を作れないかもしれないし。




