笑い自殺事件
「笑い自殺事件?」
僕は聞きなれないその言葉に思わず身を乗り出した。
ええそうなんです、とネットでつながったフォロワーさんが答える。
「ハルさん知りません? 笑い自殺事件。つい最近ネットで話題になりましたよ」
ハンドルネームで呼ばれて考え込む。そういえば、SNSで一時期、「微笑みを浮かべて自殺した人」の話題があったような。
「動画サイトで廃墟突撃系投稿者も一人亡くなってるそうなんです。それが……」
「ああ、それで僕の方も見覚えがあったのか」
「だと思います」
フォロワーのナオさんが、でも、と難しい顔で言う。
この人はよく、僕の記事を読んで応援してくれる人なのだ。
「ハルさんにいろいろ情報提供させてもらってますけど、自殺の話題ってちょっとやばいですかね」
「いや……それは僕もいろいろ調べますし、何かあってもナオさんのせいじゃないですよ」
「気を付けてくださいね。でも、ハルさんなら何かわかるかもって!」
手放しの賞賛はありがたいけれど、少しこそばゆい。
その後僕たちは、最近売り出されたホラー小説の出来やSF小説のコンクールのことなどを話し合ってから、チャットを終了した。
その時はまだ、全く気付いていなかった。
……いや、僕は今回、最後まで気づかなかった。
——僕が、僕自身が、地獄のほうへ一歩を踏み込んでいた、ということに。
◆ ◆ ◆
『……え、何の音?』
『聞こえない? ごりごりごり、って。石がきしむみたいな音』
『おっかしいな。でもまあ、音以外は何にもないな』
『ちょっとちょっとぉ。取れ高全然ないじゃん。せっかく来たのにさぁ』
数日後。僕は動画投稿サイトで問題の投稿主が投稿した廃墟突撃動画を確認していた。
動画だけでなく、いくつか掲示板などを巡った結果、投稿主が最後に突撃した廃墟の場所は特定済みだ。
隣県の、かつては市立の小学校が立っていた場所。学生の減少により、他校と統合されたことで、今は廃校になっている。とはいえ、掲示板でもそれ以上のことはわからなかった。というか、「オカルトにつながるような何か」はない場所、というべきなのか。
「昔処刑場だったとか、墓地だったとか、そんなありがちなオチはなさそうだもんな……学校だし……」
動画を確認しながら、頬杖とため息を同時につく。
『……はい、というわけで、ろくチャンネルでした。またねー』
明らかに落胆した声で動画が終わる。『またね』。その言葉に、締めのセリフだとしても、この人がこの瞬間までは自殺を考えていなかったのだろうことがなんとなく伝わってきた。
「……でも、死んじゃったんだよなぁ」
再生回数を見る。僕と同じように自殺したと話題になったことで注目した野次馬も多いのだろう、彼のチャンネルの中で群を抜いて多い再生数を見せていた。
「あっ、はるちゃん、またそんな不穏な動画見て」
背後からごちんと脳天にマグカップを落とされる。とっさに頭を抱えて、それから不満を隠すことなく振り返った。
「……さかえ義兄さん、痛いです」
「そりゃそーでしょ、マグカップを脳天にごちん。ってしたんだから」
胡乱げな顔をしているこの人は僕の姉の夫。そして僕が居候をしているこの家の家主である。名前は烏丸さかえさん。
自分では作家だと名乗っているけれど、残念だが僕はこの人の作品を呼んだことはない。
でもなぜか、あらゆる出版社に異常に大きなコネがある。それだけでもかなり不思議な人だ。
僕は姉が亡くなった2年前から、この家にお世話になっている。
と言っても、義兄は家事をやろうとすればできるのに、自分では一切やろうとしないというとても面倒くさい人なので、僕は住を約束してもらう代わり衣食を世話するという、住み込みの世話焼き魔みたいになっているのが正直なところだ。
「マグカップの中身こぼしますよ」
「もう空っぽだもーん。はるちゃんコーヒー淹れて」
「はいはい」
席を立ち、受け取ったマグカップにコーヒーメーカーからコーヒーを注ぎ入れる。
「砂糖とミルクは?」
「いっぱい入れてー」
とんでもない甘党の義兄は「いっぱい」というが、僕の「いっぱい」と義兄の「いっぱい」が同じくらいの分量ではないのは明らかなので、振り返って腰に手をやる。
「それじゃわかりません。何本ですか」
「じゃあ3本」
入れすぎではなかろうか。そう思いはしたが、ひょろっと長いやせ型体形の義兄はその腹が出っ張ったところを見た事がない。以前浴衣を着てもらったけれど、帯が上に上がってくるとぼやいて指で押さえていたのが今でも腹立たしい。
それはともかく。
「義兄さん、僕明日隣の県まで取材でちょっと出てきますね。夜の取材なので、近くのネカフェで一泊する予定です」
「えっ、はるちゃん俺ごはんどうすればいいの……?」
コーヒーを渡しながらの報告に返ってきたのは、まるで雨に濡れてキュンキュン泣いている子犬みたいな潤んだ目と、モラハラかなっていうレベルでわがままな言葉だった。
「……一日くらい自炊しましょうよ……」
「やだやだ。はるちゃんのご飯がいい。はるちゃんのご飯じゃないと食べた気しないもん」
なぜだ。何がこの人をここまで甘やかした。
「……わかりました。作り置きしていきますから、温めて食べてください」
「わぁい」
子どもみたいな喝采を聞いて、ため息をつく。
結局、僕もこの人を甘やかしてる張本人なんだろうな、と。




