第2話
会議室に女性2人の姿があった。彼女がボイスレコーダーを取り出すと、頷き合う。録音開始ボタンが押された。
「電話対応について教育係である柏木先輩に注意をいただきました。人事部の先輩に、練習にお付き合いいただきます」
ボイスレコーダーに向かって言うと、そっと机に置く。
「あとから聞き直すために録音させていただきます」
「はい。了承します」
「ではご指導よろしくお願いします」
10分ほど練習を続け、不意にといった様子で語り出す。
「先輩、優しいんですね。柏木先輩は正直厳しい面があって…。少し心が折れかけているんです」
「…もっと正直に言って良いと思う。私、柏木さんの荒木さんへの態度はおかしいと思う」
「あはは…、でも後が色々怖いですし…」
「私も怖い。だから匿名なんて卑怯なやり方だけど、それでも出来るだけ協力させてほしい。ううん、解決するまで逃げない」
この先輩とは大した打ち合わせをしていない。それでこの台詞。反吐が出る。
「いつターゲットにされるか怯えて柏木さんの顔色を窺うようなこと、もうしたくない。黙って見てるのも、苦しい」
なんでアンタが泣くんだよ。マジキモい。善い子ちゃんぶって、何様だよ。くそうぜぇ。こういうヤツが一番嫌い。
ってかもうすぐ柏木先輩が来るんだよね。変な誤解されると面倒だし、泣き止んでくれないかな。
「荒木!仕事サボってなにしてんのよ!」
勢い良くドアが開く音と共に怒号が飛ぶ。
「先日電話対応について柏木先輩に注意をいただきましたので、練習に付き合ってもらっています」
「そういえば注意したわね」
覚えてねぇのかよ。しかも泣いている先輩に目もくれない。どうやったらこんな風になれるんだ。ある意味羨ましい。
「でもそれは業務時間外にやって」
「ですが…」
「なに、スキル向上は仕事の一環だから業務時間内にって?」
大きくため息を吐く。やれやれ、とでも言うように掌を上に向けて出す。
「これだから最近の若い子は」
はい、パワハラ!こんな明らかなパワハラワード、今時言う人いるんだ。希少価値あるんじゃね?良い意味じゃねぇけどな。晒し首にされろ、カス。
「私が“人事部に配属となった意味のある仕事”は、まだなにひとつ教えていただいていません。仕事をサボるなと言うのなら、仕事をください」
「生意気言ってんじゃないわよ!」
***
「そして、この後1時間に及ぶ説教が続きます」
「しかし一社員の主観だ。それにひとつの証拠で処分をするわけにも…。君の口ぶりからして、全く指導がないわけでもないのだろう?」
「証拠が複数あれば良いんですか?」
彼女の微笑みに、上司は言葉を詰まらせる。
「それと誤解のないように言っておきたいのですが、私はお茶汲みや電話対応を軽視しているわけではありません」
前に勤めていたときは電話や来客の対応も主な仕事のひとつだった。それについての重要性を、彼女は十分に理解していた。
「ではもう少し様子見をだね…」
「“人事部に配属となった意味のある仕事”をさせてほしいとお願いしているんです。それで何故、私は1時間もの間説教されたのですか」
上司は大きく息を吸って首を捻り俯くと、大きく息を吐いた。この上司が本気で悩んでいるときの癖である。
「女性特有の日にイライラしてしまうことはあります。ここまでは流石に共感しかねますが、理解を示すことは不可能ではありません」
「では…」
ぱっと安堵したように顔を上げた上司に、にたりと笑う。上司が嫌な予感、という言葉を思い浮かべるのも無理はない。
「しかし、3日毎に違う先輩に指導していただきまして。全て冒頭に、録音許可があります。合計10名です。人事部が私を含め12名なのはご存じですね?」
ポケットというポケットから次々にボイスレコーダーが出てくる。それを見て、上司は再び視線を下げた。
「全て同じようなやりとりが録音されています。柏木先輩は、一体いつからいつまで生理なんでしょう」
一旦擁護するような姿勢を見せ、その上でそれに関する疑問を投げかける。
これが彼女の昔からのやり方だった。疑問への答えは、遠回しにその問題への答えとなることがある。疑問を無視して続ければ、それもまた答えだ。
「…多くの者が、柏木さんの君への態度がおかしいと言っているのは分かった。あとで録音された音声も聞かせてもらう」
「ちなみに、当然ながらバックアップがありますので、証拠隠滅は不可能です」
上司が腕を組み、しっかりと彼女を見る。
腕組みは自分を守ろうという心理の現れである。態度に出してしまう上司を、彼女は心の中で小さく笑った。
「無神経だとは思うが、これも仕事だ。広い心で聞いてくれるかい」
「はい」
これ、嫌だって言う人いる?自分を守るのも大概にしてほしいな。
警戒しているんだろうけど、録音なんてしてないよ。ドアの向こうに何人の先輩がいると思ってんの。録音より効果的だよ。
呼んだわけじゃない。今日この時間に行くって言ったら心配して来てくれた。まぁ今聞いてもらった声の主は当然いないけどね。
彼女は当然なにを言われるか分かっている。それに対する文句もある。だが、なにも言わず微笑んで頷く。
「君は随分我が強いように思える。そんな君の態度が柏木さんの闘争心のようなものに火を付けてしまった、ということはないのかい」
「初対面の時点で嫌がらせは始まっていました」
流石の上司も息を呑む。
これだけの証拠を用意しているのだから、調査が開始されれば証言したことは全て調査されることになるだろう。小さな嘘なら兎も角、大きな嘘は吐けない。
「悪化させるようなことをした覚えはありませんが、知らぬ内にしてしまったこともあるかもしれません。しかし」
なにか言おうとする上司の言葉を強く遮る。
「嫌がらせは配属の挨拶のときからありました。その時点では、私は全くなにもしていません。出来ません」
「…心当たりはないのだね」
「いいえ、あります」
不思議そうな顔をする上司に、にやりと笑う。
「会計部門部長の宇治さんは、女性社員からの人気が高い様子ですね」
「私もそう思う。しかし、それがなにか関係あるのかい」
「研修期間中に少しお話ししたんです。聞けば、柏木先輩は宇治部長の熱心なファンだそうですよ」
誰かを蹴落とせば自分が上に行けるなんて、んなわけねぇんだよな。そういうことするヤツはいつまで経ってもなにも手に出来ない。
恋人と別れたところ慰めたらチャンスあるかも、くらいだったら理解を示すことは不可能ではない。しかし私はただの知り合いだ。八つ当たりにもほどがある。
くそめんどくせぇ。
そう心の中でぼやきながら、上司を笑顔で見つめる。
「なるほど…。証拠もあるようだし、もう庇いきれないな」
大した仕事もしていなさそうに見えるのに、会社に大きな顔をして居続けられるにはそれなりの理由がある。
ただしこの上司が言うように、大小関係なく表立った問題が起きれば庇いきれない程度の立場だ。だから平をしているのだ。
「私が責任を持ってどうにかする」
「具体的にお願いします」
「柏木さんから荒木さんへの嫌がらせの実態。その他に嫌がらせを受けている社員がいないか。それらを明らかにし、処分を上に要求する」
「よろしくお願いします」
その一週間後、柏木という先輩社員は後ろ指を指されて歩いていた。辞めるのも時間の問題だろう。
彼女は“電話対応の練習に付き合ってくれた”先輩たちと笑顔で“人事部に配属となった意味のある仕事”をしている。
「入社早々お疲れ」
彼女が休憩室でお弁当を食べていると、向かいにかつての教育係が座る。
「良いんですか、私なんかとお昼を食べて」
「別に。噂はほとんどデマと思ってる」
「ほとんど、ですか。なにか信じていることがあるんですか?」
小さく頷くと、彼女の目を見る。これは過去しなかったことである。
「気弱そうな言動と可愛い顔に騙されてはいけない。あの子は大胆で我が強い」
「そんなこと思っていたんですか」
「本当に気弱な人は、あんな言葉遣いしない」
誤魔化すように笑うと、勢い良くお茶を飲む。
「嘘だろ、心の声が漏れていたことがあったのか」
あー、零しちゃった。
「今も多分、逆」
「え?……ああ!えっと、違います!」
「なにが」
掌を見せて胸の前で手を振る彼女を、ジト目で見る。
「だって心の中でも敬語とか丁寧語とかで話す人っています?いないですよね。なので…なので…違います…!」
「はいはい」
ため息を吐くと、お弁当の蓋を開けた。




