第3話
人事部には彼女が抗議をした翌々日から調査が入った。彼女へ嫌がらせをしていた社員の過去の行いも暴かれることとなる。
付く尾ひれがないほどのネタを持っていた。その社員が、会社のどこへ行っても後ろ指を指されるようになるには時間がかからなかった。
3日で疲弊し、早退が増え、休みがちになった。そして2週間後、退職届を提出。
それから2ヶ月半。彼女が入社してから5ヶ月が経った。
今日も彼女ら2人は、休憩室にいる社員たちの視線をちらちらと集めている。
「それにしても、異常な人気ですね。バツイチ子持ちのぶっきらぼうでもイケメンなら良いんですかね」
たまにデレるのが良いんだよね、分かる。しかも少し照れるんだよね。可愛いよね、分かる。
でも観賞用じゃない?
まぁ人の価値観なんてそれぞれか。過去結婚した人がいたってことは、人生を共に歩もうとした人がいるってことだもんな。
「なんで知ってる」
「そりゃ結婚していたことを知っていて、職場にも指輪をして来ることを知っていて、今指輪をしていないからですよ」
彼女は向かいに座って弁当を食べる彼の左手を見る。装飾品は付けていない。
「そこまでは分かる。なんで子持ち」
「キーホルダーです。チューリップは付いたままですけど、蝶は付いてないじゃないですか」
ポケットからキーホルダーが沢山付いた鍵を出す。チューリップは付いているが、蝶は付いていない。
持ち主なのだから確かめなくても事実は分かっているはずだが、意味が分からないのだろう。首を傾げる。
「私は宇治さんって、思い出は傷付かないように宝箱に入れる派だと思っているんですよ。つまり上の子は育てているから思い出じゃない」
「…隠してないけど、言いふらさないように」
「はーい」
彼女の隣に有名なブランドのバッグが置かれる。
「ここ、良いかな」
休憩室をぐるりと見渡す。
「…他に沢山ありますけど」
「荒木さんと話してみたいんでしょ」
めんどくさ…
そう心の中でため息を吐くが、笑顔で着席を促す。
「ほとんど初めましてだよね。私、会計部の榎並」
「初めまして」
「最終面接にいたんだけど、覚えてないか」
「圧迫面接かと思うほど人が多かったのは、事務系の部署の方たちがひとりずついたからですか」
女性は笑顔で頷いたが、すぐにため息も吐く。彼女も笑顔ではあるが、心の中でため息を吐いた。
「気が強いっていう噂は信じたくなる」
「覚悟をすると気が大きくなるだけで、普段は小心者です。服屋の店員にビビりまくりですから」
「それってただのコミュ障じゃ…」
さっきから失礼なヤツだ。そのとき目立っている社員と交流を持って周囲からの興味を引こうという魂胆だろうか。めんどくせぇ。
「それは良いや。荒木さんってお洒落だよね。店員さんにビビりまくって、買い物どうやってするの?ネット?」
「まず、放置しておいてくれる店員を覚えます。次に、その人がいるときにしか入店しません。レジも極力その人が近くにいるときに行きます」
「拗らせてる…」
この服可愛いですよね、うふふふ。と言ってくる店員はなにがしたいんですか。なにか面白いことありました?可愛くない服が店頭にあるんですか?
そう言いたいのを我慢し、にこにこと笑った。
「榎並さん、午後からの会議の準備もあるしもう行こう」
「あ、はい。じゃあ荒木さん、また」
「はい」
行ってしまった。気分を害してしまっただろうか。でもどうしたら良かったんだろう。だって、私別にお洒落じゃないし。
「ああ…、上手く話せなかった…」
後悔してばかりで前を向けないのが、彼女の最たる弱点である。
道は歩いて来たところにしかない。自己啓発本等でよく目にする文だが、彼女は前にしかない。常にバックで歩いているからだ。
***
週末、彼女はひとりでショッピングモールを訪れようとしていた。秋服を入手するためだ。
「よし、行くぞ」
決意を口にした彼女は歩き出し2つ目の自動ドアをくぐる。しかし外から見ているだけで店に入りそうな気配はない。
「きょ…今日は皆さんお休みかな…」
立ち止まると、後ろからなにかが衝突する。振り返ると、小学3,4年程度の少年がひとりでいる。
「急に立ち止まって悪い。怪我はないか」
「はい」
「親はいないのか」
「はぐれました」
ふっと笑うと、頭を撫でる。
「過ちを素直に認めるとは偉いぞ。迷子センターまで送ろう」
「でも…」
「なんだ、親に怒られるのか」
迷子センターを恥ずかしがる。そういった発想が真っ先に出て来ないのが、彼女の性である。
俯いてなにも答えない少年を見て、ポンと手を叩く。
「わざと置いて行かれたとでも思っているのか」
少年が小さく頷く。
「そうか。しかし少なくとも迎えに来るつもりはあるはずだ。理由は閉店時間があるからだ」
閉店時間の21時になっても店内にいると、当然保護されることになる。
現在時刻は11時。親が迷子センターへ行き探すことも可能。しかし、そうしなかったとなると問題になる。
この年頃なら、探すのはこの中だけで良いだろう。つまり20時過ぎには迎えが来ると思って良い。
本気で捨てようというのなら、昼間でも保護される可能性のある場所へは連れて来ない。
「それまで私の買い物に付き合ってくれないか」
「え…?」
「子供ひとりでいても面白いことなどないだろ。私もひとりで店に入れない」
後半部分もただの事実だったが、少年は彼女の気遣いだと受け取った。
「はい」
「ではあの店だ」
しかし彼女は本気で少年を連れ回すつもりだ。
「少年、どっちの色が良いど思う」
「赤が良いと思います」
「では赤にしよう。行くぞ」
「どこにですか」
少年の質問に、彼女は首を傾げる。
「レジに決まっているだろ。万引きでもするつもりか?」
「いいえ…。あの、僕はそこのイスで待ってます」
「ひ、ひとりにするな…!店員がいるんだぞ。私はこれから店員と会話しなくてはいけないんだぞ」
ぽかんとする少年の手を引いてレジまで行く。呆気に取られている少年は、されるがままである。
「少年のおかげで良い買い物が出来た。昼食にするか」
「でも僕、お金は…」
「そんなもの、親に請求する。食べさせてやるほどお人好しではないが、金のない少年を前に自分だけ食事をするようなヤツにはなれん」
笑顔で頷いた少年の手を取って、通り沿いの店に入る。親が通るのが見えるかもしれないからだ。
「親から食べてはいけないと言われているものはないか」
「はい」
「本当だな。教育方針ならまだ良いが、アレルギーなら困る」
「ないです」
微笑む少年に大きく頷き、メニュー表を広げる。
この微笑み、誰かに似ている気が…。気のせいか。
「ナポリタンがいいです」
「…服を汚すなよ」
「はい」
ベルを押すと、やがて店員がやって来る。
「しまった、まだ心の準備が」
「ナポリタンを」
「ふ、2つ。あ、あと、ランチセット、でお願い、します」
店員が去ると、きらきらした笑顔を少年に向ける。
「ちゃんと店員に言えたぞ」
「……はい」
「なにか不満か」
小さく首を振る少年の前に、水を入れたコップを置く。少年はお礼を言うと、一口飲んで机の端に置く。
「…なぁ少年。君は本当に、親に置いて行かれたと思っているのか」
「本当はあんまり思ってないです。でも、初めは少し思いました」
「そうか。少年、珈琲は飲むか」
唐突な質問に驚きながらも、首を振りながら飲まないことを述べる。
「珈琲とビールが苦いことは知っているか」
「はい。えっと…?」
「大人はこの2つが好きなイメージがないか?」
視線を右上にやって少しすると、そのイメージがあることを述べる。
「大人は苦いものが好きだ。つまり苦行を好む。そして大人は、それを美味しいと言う。実際、美味しいんだろう。苦いけど美味しい。それと同じように、辛いけど楽しい。そんなこともある」
首を傾げる少年に、彼女は小さく笑う。
「子供を育てるのは大変だ。私は育てたことがないが、その私でも知っている。だがな、楽しいこともあるはずだ。笑顔が全て、偽物だったと思うか?」
「思わないです」
「だったら信じてやれ」
そっと少年の頭を撫でる。
「きっと君は愛されている」




