第97話 たまたま聞こえた声
「今日は壊されてしまった校舎の応急処置やら、今後の方針を交えた話し合いも行われる。そのため、実際に現地に向かうのは明日になるだろう」
俺の保留要請に対して、松川さんが軽く答えた。
想定外のタイミングで戦闘が始まったわけだが、今日が終わるまではまだ少しある。
とはいえ、夕方も間近に控えた今の時間は外へ探索に行くには遅いだろう。
夜は俺にとっては、ゾンビの視覚が潰れて動きやすい時間に他ならないのだが、それが万人に適用されるわけではない。
電気のなくなった東京の夜は、本当に暗いのだ。
「今日はじっくり考えてもらって、明日答えをもらうというのはどうだろうか?」
「問題ないです」
そんなわけで、同行するにせよしないにせよ、返事は明日という話になった。
俺も一度、端末くんにじっくり話を聞きたかったので、一日帰れるのは都合がいい。
「では明日。君への報酬を渡す準備も整えて待っている」
「わかりました。明日の何時頃に伺えば良いですか?」
「お昼前であれば、早朝でも構わない。人を待たせておくよ」
つまりは、お昼頃にはホームセンターへの遠征を行う予定ということか。
ダメ元で、軽く尋ねてみる。
「その偵察を、少し、遅らせるのはどうなんですか? 何かあった時のために、少し時間をかけて強くなってからの方が」
「耳が痛いな。もちろん、そういう考え方もある」
俺がいなければホームセンターの怪物を倒せなかった、という思いは二人にだってあるだろう。
せめて、彼らだけでも倒せると思えるようになってからにしては、と提案してみたが、帰ってきたのは苦笑いだった。
「だが、そうじゃない可能性もある。偵察はそれを見極めるために行うものだ、本当なら」
「……そうですね」
本来、偵察に出た人間が残らず帰らぬ人になるような世界がおかしいのだ。
それだけ怪物が規格外だったという話なのだが、基本的に偵察とは敵の状況や戦力を見極めるためにある。
それをしないまま、怪物の陰に怯えてひたすら戦力強化に励むというのも、本末転倒だろう。
「それじゃ、俺たちはそろそろダンジョンを出るよ。可能なら上杉くんも一緒に出て欲しいんだが」
「まぁ、まだ体裁が悪いですよね。俺が残ってちゃ」
「はは、面目ない……」
一応、俺がダンジョンに入ったのはゾンビ化の判別のためであり、本来ならまだその報酬を受け取る前の段階だ。
明日、武器を代わりに買った分のEPと、ダンジョンに自由に入る権利が一緒に手に入るはず。
「とりあえず、武器の差分については決まるまではウサギ肉の貯蓄から出そう。個数を管理しておくので、決まった時はその肉の分を差し引く形で」
「了解です」
ウサギの元のEPは知らないが、ウサギ肉一個だとEPは1か2程度だろうな。
それだけでしばらくお肉受け取り放題なわけだし、俺がわざわざ自分で狩りを行う必要がなくなる。
労力を考えたらお得だから、特に文句はない。
「では改めて、君の協力に、本当に感謝している。南小のコミュニティを代表して礼を言うよ。ありがとう。上杉くん」
「ありがとう。君のおかげで我々は今日を生き延びられた」
そのまま、揃ってゲートの近くまで行った後で、外に出る前に二人が改めて頭を下げた。
「いえ、自分にとっても必要なことでしたから」
二人に俺は少し遠慮がちにそう返す。
結局、俺一人であの怪物を倒せと言われても無理だった。
クミンと二人で組んで、罠を十全にしかけた上で、全てが上手く行ったら倒せるかもしれないが、そんな仮定は現実的じゃない。
だから、俺としても彼らと協力できたのはいいことだった。
「それでは、また明日会おう」
「いい返事が聞けたら嬉しい」
「……では、また明日」
そして二人と別れた俺は、そのまま一度自宅へと戻ることにした。
本当は、無事なことを他の探索班のメンバー、それこそ今日は一度も会わなかった桐原とか榎木とかにも直接伝えたい気持ちもあったが、無理にその予定を入れる必要もない。
明日、落ち着いたころにまた改めて挨拶をすればいいだろう。
「それじゃクミン、帰ろうか」
『……はい』
というわけで、いつものように裏門近くの木の上から適当に外に出た俺たち。
ゾンビの気配は、ルートを確認するために出ていた頃よりは若干増えている気がする。
あれだけ派手な戦闘をしていたので、付近のゾンビが少し集まっているのかもしれない。
(また、声は出さないで行こう)
(……了解です)
というわけで念話に切り替えたのだが、クミンの元気がちょっとなかった。
……まあうん。
せっかくウサギ肉狩り放題のダンジョンに入ったと思ったらすぐ出ることになったわけだからな。
念願のおもちゃ屋にようやく来られた子供が、おもちゃ一つ選んだら即店を出ることになった時、みたいなしょんぼり具合なんだろう。
一応、お土産のウサギ肉はそれなりに貰ったのだが、やっぱり動いている新鮮な肉が好みなんだろうか……。
(明日、少し早めに南小に向かって、狩りの時間を取れないか交渉してみよう)
(! はい!)
ということで、少し気の毒に思った俺がフォローを入れると、クミンは声に元気を取り戻した。
これからは契約通り、クミンに一日一個ウサギ肉をあげる約束だし、ストレージの一つはクミン専用ウサギ肉用として運用するのが良さそうだなと思った。
(そういえば上杉さん。実はウチ、伝えるか迷っていたことが)
(なんだ?)
ちょっと気配が増えたとはいえ、気配遮断した一人と一匹に気づけるゾンビはそうそう居ない。
適度な緊張感で帰路に就いていたところで、クミンがおもむろに切り出した。
(ウチが単独行動で、いろんな派閥の情報を集めていた時があったじゃないですか。その時、たまたま聞こえた声がありまして)
(誰の?)
(松川さんと杉井さんの話している声です)
(…………)
というと、俺がいないところで二人が何かを話していたということか。
気になるが、ちょっと聞きたくない気持ちもある。
俺に対してしっかり礼を尽くしてくれていた二人が、陰で悪口言ってたら、やるせない。
だけど、クミンが今切り出したということは、聞いておいた方が良いことなのだろう。
(二人は、なんて?)
少し深呼吸して、ウチのダンジョンほどではないがやや腐敗臭のする外の空気が肺に入ってきたところで、クミンは言った。
(『なぁ杉井。仕方ない仕方ないと言い訳していても、心にくるものはあるな。俺たち良い大人が、まだ成人したばかりの上杉くんに頼りきりなこの状況。俺は自分が情けなくて仕方ない』)
(『わかっているさ。だが、今の我々では、それでもそうすることしかできない。だから私たちだけは、彼に精一杯の礼を尽くそう。彼を決して裏切らないようにしよう。何があっても彼の力になれるよう、必ず作戦を成功させよう』)
(『……いつか、彼の妹を助けるために、俺たちが力を貸せる未来がくれば良いな』)
(以上です)
クミンは、そう言って盗み聞いた言葉を切った。
俺は思わず、ほっとしてしまった。
そして、クミンが聞いた言葉を考えれば、先ほどのダンジョンでの提案が本当に心苦しかったことも、最後の礼が本心からだったことも、しっかりとわかってしまった。
(……クミンさ、偶然じゃなくて、二人の偵察も行ってた?)
(……はい。もしあの二人が上杉さんを利用しようとしているだけの存在なら、それを伝えるのも役目かと思いまして)
クミンは、ちょっとだけバツが悪そうにしながら正直に言った。
彼らが出て行ってから戻ってきた時間を考えれば、クミンは真っ先に二人の会話を聞きに行ったと考えないと、なかなか辻褄が合わないからな。
クミンとしては、もし二人がダメな相手だったらそれを即座に伝えて、俺たち自身の行動を最優先にするよう提案するつもりだったのだろう。
だが、結果としてはあの二人が余計にマトモだったことを知ってしまっただけだ。
(……茉莉ちゃんのことが解決したら、ちゃんと協力してあげたいな)
(……そうですね)
少しだけ、俺はこの世界で真っ当な人間らしさを取り戻せたような気がした。
「ただいま。茉莉ちゃん」
「ううぅうぅう……ううううぅうう」
相変わらず、窓から入ってきた俺に対して茉莉ちゃんは唸るだけである。
ひどい時は、俺の家に入り浸りすぎて俺が帰って来る前に家の前に待機していた彼女。
そんな彼女に言われた「おかえり」という言葉が、こんなに聞きたくなる日が来るとは以前の俺は思ってもいなかった。
それでも、彼女が怪物に襲われることなく無事であったことを、俺は心の底から嬉しく思う。
地下足袋だけを脱いで部屋に入った後、散乱したものを避けながら水の貯蓄を確認した。
現時点で貯蓄できている水は多くない。
風呂桶に貯めた分と、空いていた鍋やペットボトルに貯めた分。
飲み水としては怪しい分を考慮して、持ち運べる限界までストレージに入れても、ダンジョンに籠っていられる時間は最長20日というところか?
ダンジョン内での水の消費は激しい。
食料もウサギ肉ばかりでは栄養が偏りすぎて問題だ。
「単純に考えても、ホームセンターで物資の補給をするメリットはあるな」
ホームセンターがもし無事なら、あそこには非常用の水や食料。
それに運が良ければサプリメントや栄養ブロック、野菜ジュースなんかもあるかもしれない。
体のステータスが上がって体が丈夫になっているとはいえ、バランス無視の生活を二週間も続けていては心配にはなる。
「…………ああ。こうやって俺は、彼らに同行する理由を探してしまっている」
計算をしたのは無意識だったが、その計算が始まった理由はなんとなく思い至った。
絆されている。このまま、なし崩し的に行動を共にすることを望んでしまっている。
だけど。
「うぁああうううおおぉおあ。ぁあうあうう」
俺がそっと目をやれば、見られていると知った茉莉ちゃんが体を必死に揺すりながら呻く。
彼女に残された時間は分からない。いつまでも、南小のコミュニティと一緒にいるわけにはいかない。
「とりあえず、一度ダンジョンに入ろうか」
『はい』
この部屋にいてもできることは少ない。
というか、水が止まった以上、本当にやれることがない。
せいぜいメタルラック三代目を調達できるくらいだが、今は鍾馗があるので要らないしな。
俺はさっき脱いだばかりの地下足袋を履き直して、ダンジョンへと潜ることにした。
「端末くん。それで聞かせてくれないか。俺の状態が『暫定グリーン』ってのはどういうことだ?」
もはや聞き慣れたダンジョン入場の挨拶もそこそこに、俺は通い慣れた石の通路の中で端末へと問いかけた。
教えてくれない可能性も考えたが、端末くんは、それでは俺が納得しないと思ったのか、静かに言った。
『端的に言いますと。上杉様の体内には、基準値を超えた量のウイルスが存在しています。しかしそれらのウイルスが全て不活化しているため、暫定グリーンという判定がなされました』




