第96話 その次は
『お肉が、お肉がですね……』
「うん、うん」
『口に入れる直前で……消えたんです……』
「そうだね」
愕然としているクミンに向かって、俺は優しい顔で頷いていた。
場所は先ほどと同じ、ダンジョンとは思えぬ爽やかな草原の只中。
そして時刻は、クミンがウサギに襲い掛かったほんの少し後である。
「……と、説明が前後してしまったが。このようにアイテムを一部ドロップする設定にしていると、モンスターは倒れたと同時にそのほとんどがEPの粒子と化し、一部だけがアイテムとして残るんだ」
クミンの凶行をなかったことにした松川さんが、なんとなく俺の反応でクミンがぷるぷる震えている理由を察しながら言った。
というわけで、俺はモンスターから食材となるアイテムがドロップするシーンを初めて見たのだった。
今まで、モンスターからドロップするものといえば、錆びたナイフだの腐った心臓だの頭蓋骨だのとロクな印象がなかったのだが、ことウサギ肉となってはそれらとは一線を画している。
まず、浮いてる。
俺のダンジョンでは、アイテムはポンと落ちては地面に転がっているものだったが、ウサギ肉は地面に触れることなく宙に浮いている。
何事? って思ったけど、ダンジョン側がちょっと衛生面に配慮してくれた結果のようだ。
このウサギの正規ドロップアイテムはウサギの角だそうで、こちらは今までの俺のイメージと同様に地面に直接転がるらしい。
お肉が浮いていると『ほら、はやく取れよ』というダンジョンさんの意思が見えるようだ。
率直な感想として、浮遊しているウサギのどこかの生肉を見ると、ちょっとあれだ。
アクションゲームとかでたまに敵が落とす、回復アイテムみたいな感じに見える。
「えっと、このお肉、クミンにあげても良いですか? 実は彼女との約束でお肉食べさせてあげることになってまして」
「もちろん構わないよ。倒したのも彼女だ」
松川さんの了承を得たところで、俺は宙に浮いている生肉に手を伸ばす。
俺がそれに触れ、にゅっとした肉の感触を感じたところで浮遊の効果が消えたのか確かな重力を感じるようになった。
多分300gくらい? 正確にはわからない。
それをそのままスライドさせるようにクミンの口元まで持っていき、言う。
「今まで保留にしててごめん。たんとお食べ」
『わーい!』
クミンは俺の手から顎のハサミを使って器用にウサギ肉を受け取り、モショモショと食べ始めた。
アリさんの食事シーンに関してはまぁ、特筆するようなことはしない。
嬉しそうにピョコピョコと触角が動いているので、ゴキゲンなのは分かった。
じっと見ているのはレディに失礼だと思ったので、俺は視線を外してちょっと微笑ましい感じで見ている二人に尋ねた。
「ええと、それで説明が途中でしたよね」
「そうだね。さて、仕切り直しで軽く説明しようか」
そして、クミンの暴走はあったが、俺はこの南小ダンジョンの一階層についての説明を詳しく聞くことにした。
このダンジョンは、基本的にフィールド型であり、一階層は主に草原で構成されている。
草原の広さはまだ定かではないらしく、軽く数キロは続いているのは間違いないとか。
大部分の草原は、たまにウサギが一匹で現れるだけの平和なフィールド。このウサギはどうやらゴブリンと違って、近づいたり騒いだりしなければ積極的に襲ってくることはないという。
ただ、子供の泣き声には結構敏感に反応するそうなので、そこまで安全なモンスターというわけでもないとか。
なお、このウサギの動きは基本的にトロくて、じっと溜めた後に角で突くように飛び込んでくる攻撃にだけ気をつければ、対処は容易いとか。
回り込むように戦っていれば、まず負けることはないらしい。
それでお肉を落とした残りのEPが2あるそうなので、ゴブリンはもっと見習って欲しい。
さて、大部分の草原は平和的だと言ったが、同時にこの草原には何箇所か特殊なスポットがある。
通称『ウサギの巣』と呼んでいるらしい、ちょっとした小山だったり林だったりがフィールドに点在していて、一箇所に多くて二十匹くらいのウサギが潜んでいるのだとか。
こちらも基本的に近づかなければ無害であるが、近づくと野良のウサギ以上に好戦的に襲い掛かってくる。
そして、この『ウサギの巣』には、ボスとなるちょっとでかいウサギも存在しており、このでかいウサギがドロップアイテムを比較的よく落とすのだと。
……多分、運が低いだけのちょっとレベルが上がったウサギなんだと思う。
で、このウサギの巣はフィールドにいくつもあると言ったが、その中でも一際大きい巣の中に、第二階層への入り口が隠されていたらしい。
「我々としては、食料調達の最中に見つけたものだから、最初は第二階層へ向かうものだと気付いてもいなかったがね」
と、松川さんは苦笑いした。
完全に迷路みたいになっているウチの場合は、マッピングが終わってしまえばあとは降りるだけだった。
だが、松川さんたちが食料調達を主な任務としていたのなら、巣の中に謎の階段があっても怪しいと思うだけで、その調査の優先順位は下がるだろう。
「さらにこの草原の調査も目処がついて、いよいよといったところで、諸々の事件が起きてね、第二階層は満足に調査が進んでいない現状だ」
色々、と言えば小学校内での感染者発生とか、それに伴うコミュニティ分裂とか、ホームセンターの怪物のテリトリー拡大とか、そういう色々だろう。
そう思えば、ソロとは言えダンジョンのことだけ考えていられた俺とは随分と、かけられる時間が違ったことだろう。
例えるなら、一日にいつでも好きなだけゲームをしてよかった俺と、一日一時間までと制限された松川さんたち、みたいな。
「……聞いても良いですか?」
ダンジョンの一階層の説明を受けたあと、さて、この後どうしようかという沈黙が流れた。
二階層の説明をするにも、草原の比較的安全な場所で拠点を作って匿っている子供達の元へ案内するのも、どうしたものかという沈黙だ。
その沈黙を破るように、俺は尋ねた。
「松川さんたちは、今後、どのように動くつもりですか?」
「どのように、か」
どう答えたものか、と考えるように松川さんは黙り込む。
直近の目標であった、ホームセンターの怪物の打倒は成った。
奴の存在こそ、俺と南小が共同戦線を組むに至った最たる理由であり、それがなくなった今、俺たちの互いの目標は別れていく。
「自分は、物資を集め、準備を整えたら再びダンジョンに潜るつもりです」
「妹さんのため、だったか」
「はい。次のダンジョンアタックで、最低でも五層は攻略したい……いえ、します」
これは俺の決意だ。
目的地はもう見えている。
第五層にいるという『吸血鬼ラベンダー』を打倒し、呪腐魔病の治療薬を手に入れる。
憂いがなくなった以上は、あとは時間との戦いだ。
茉莉ちゃんの症状が悪くなる前に、なんとしてでもそれを手に入れる。
俺の決意を聞いた後に、松川さんはちらりと杉井さんへと目配せする。
杉井さんは言葉を引き継がずに視線を投げ返した。
二人の中で方針は固まっているらしい。
「俺たちは、ホームセンターで物資を集めたあとは、この南小の拠点化を進めるつもりだ。外の探索よりも、農作業による食糧生産や、ダンジョンでの食料調達を優先する。同時に、子供たちのうち意思があるものを中心に、教育を施していきたい。ノービスでレベルアップをする有用性は、上杉くんが十分に示してくれたからね」
松川さんたちの当面の方針は、そのようらしい。
おそらく、ダンジョンの攻略よりも、安定した物資の調達が優先。
子供たちの教育──つまりは、時間をかけながら矢面に立って戦える人材を増やすのは、長い目で見た将来のためだろう。
だが、そうやって将来を見据えているにしては、松川さんの表情は苦いものだった。
「もっとも、ホームセンターでの物資の補充が、何事もなく終わるという保証はないんだがね」
「……そういう風に思いますか。やはり」
その意見には、俺も思わず頷いてしまう。
ホームセンターの怪物──簡易鑑定によるとその正体は『なれはてたものたち』という名前だった。
あれが何を目的に動いていたのかは、よくわかっていない。
現時点でわかっていることは、あれが人やゾンビ、死体をホームセンターに持ち帰っていたということだけ。
杉井さんがそこで、すっと言いにくい事柄を口にした。
「希望的観測を言えば、持ち帰っていたゾンビたちをホームセンターで捕食し、それによって能力を向上させていたという可能性がある」
「最悪は、どうなんですか?」
「持ち帰ったゾンビやら何やらで、何か、よりおぞましいことをしており──それがまだ生きている可能性、だな」
俺も、二人も思っていることは一緒だ。
あの怪物の正体がわからないということは。
あれが一体だけとは限らないということ。
そして、ホームセンターに持ち帰られた人々の詳細がわからない以上、そこには何かが存在している可能性があること。
「戦勝ムードの中で言うのも憚られることだが、探索班は全員思っているさ。これで終わりであれば、どれほど幸せかと」
杉井さんはその静かな目をじっと俺に向けて、言った。
「無理を承知で言おう。この後のホームセンターへの偵察、上杉くんも同行してくれないだろうか?」
そう来るだろうな、とは思っていた。
最悪を想定すれば、当然そうなる。
ホームセンターに、あの怪物の『おかわり』がいないとは限らないのだから。
現状、あの化け物へのダメージを一番稼いだのは、罠に落としてからの集中砲火だろうが、次点で言えばきっと俺だ。
単独で奴から時間を稼いだ実績もある。
逃げに走った奴を追い詰めた実績もある。
功績でもってダンジョン入りを認めさせるというのは、功績を見せつけてしまうということでもある。
「もちろん、無理にとは言わない。最初はただ偵察をするだけだし、危険が本当にあるのかも定かじゃない。君の予定に強引に割り込むのは本意じゃない」
杉井さんはそう言う。
確かに偵察であれば危険は大きくはない。
だが、もし怪物がまた現れた時、その偵察で何人か死ぬかもしれない。
実際に言葉を交わした竜胆さんや柳さん、桐原や榎木の顔が浮かぶ。
同時に、茉莉ちゃんの姿がちらついた。
直近の危険は解消された。
だけど、彼女がいつまで無事なのか、俺には分からない。
俺に残された時間がわからない以上、寄り道をしている暇は、ない。
ないはずなのだ。
「……少し、考えさせてください」
それでも、即答はできなかった。
俺の言葉を聞いて、松川さんも杉井さんも、説得には入らなかった。




