第94話 南小のダンジョン
手を拘束されたまま肩を貸されるという、かなり窮屈な姿勢で教室を出て少ししたあと。
小学校の冷たさを感じる廊下(そういえば土足で上がってしまったな……)で杉井さんはボソッと言った。
「そろそろいいか」
何が?
と聞き返す前に、彼は俺の手の拘束を解いた。
途端に、自由になった手を俺は持て余す。
「え?」
「一応は人の目があったから拘束して見せたが、正直言えばこんなもの大した意味もないだろう。君は魔法も使えるしステータスも高いからな。何より運びづらいったらない」
そう言って悪そうな笑みを浮かべる杉井さんは、さっきまで人を殺さんばかりの顔をしていた人と同一人物とは信じがたい。
「い、いやいや。そんなに意味はないと言っても、ゾンビになる可能性がある以上は多少の拘束はあったほうが──」
「大丈夫さ上杉くん。さっき教室ではああ言ったが、君が感染している可能性はほとんどない」
と、もう片方の肩を貸してくれていた松川さんが、柔らかな声で言った。
俺はその答えに、目を丸くする。
「杉井が就いた僧侶というジョブには、相手の怪我や病気の状態を確認する『観察眼』というスキルがある。このスキルは既にウイルスの治療が手遅れになった人間に使うと『治療不可』であることを教えてくれるらしい」
そこで少しだけその『観察眼』というスキルの詳細を聞いた。
もともとは、メンバーの怪我の状態や受けている状態異常の種類などを観察するためのスキルであり、ゾンビ化に対して有用なスキルとは思われていなかったとか。
だが、少し前に噛まれたのを黙って帰還した男性の騒ぎがあって、その課程でこのスキルが『治療不可』の判別に使えることがわかった。
ついでに、その判別結果の正しさは、ダンジョンの入り口を通れるかどうかで検証したらしい。
「……まぁそういうことだ。上杉くんが戦っていた時間や浴びた血液の量から考えても、現時点で問題がないなら、この先もほぼ問題はない。もちろん時間差の可能性はあるから急ぎはするが、そこまで覚悟を決めなくても大丈夫だ」
「……なるほどぉ?」
言われて、俺はふっと体の力が抜けるのを感じた。
思っていた以上に、自分の生死が関わる状態で緊張していたらしい。
まぁ、緊張していなくても今は全く体に力が入らないので、あまり変わりないかもしれないが。
「というか、だったらさっきの教室のやりとりはなんなんですか」
「必要なことをやったまでだ。それに俺が僧侶であることは伝えてあるんだ。もし奴らが真剣にジョブの職能を勉強していたら、そして共有された情報をしっかり確認していれば、すぐに思い当たる程度の話だ」
「それが出てこなかった時点で、ジョブについての勉強すら疎かだったことになるからね」
ふん、っと杉井さんは鼻息を荒くこぼし、松川さんもちょっと冷たく言い放つ。
やっぱりというか、さっきの鬼気迫る脅しには、幾分か彼ら自身の日頃貯めたストレスが関わっていたらしいな。
「というわけで、俺たちは上杉くんをどうこうするつもりはない。なので、それをクミンさんにも伝えてくれないか?」
「え?」
「さっきから、姿は見えないし気配も感じないが、どこかからずっと殺気を向けられているのが分かるんだよ……」
そういえば、クミンは今どうしているのか、と思った。
俺の足場を作ってくれたのだから、俺がどこにいるのかは知っていたはずだし、壁や天井を歩けるのだから、俺以上に外から二階に上がるのも容易だったはずだ。
そのクミンが松川さんや杉井さんよりも、教室に到着するのが遅かったとは思えない。
そして少し気配察知に集中してみれば、クミンが俺たちのすぐ頭上、いつでも奇襲をかけられる位置で待機していることに気づいた。
「クミン。ひとまず大丈夫そうだから、隠密奇襲態勢を解いてもらっていいかな」
『わかりました』
俺が言うと、彼女はパッと天井から俺たちの目の前に降ってくる。
急に現れたアリさんに、松川さんと杉井さんは一瞬ギョッとした。
「ず、ずっと居たのかい?」
松川さんが思わず尋ねていた。
クミンの言葉は通じないという前提の上で、クミンは静かに答える。
『はい。でも、あの部屋で姿を現したら余計な騒ぎになりそうだったので、我慢できる範囲で隠れてました。お二人が何かするつもりなのは見えていましたし』
「なんでも、余計な騒ぎを起こしたくなかったから隠れて居たそうです。二人の行動を邪魔しないためにも、と」
さすがは空気が読めるアリさんだ。
実際、俺がゾンビになりそう、みたいな空気の中でモンスター100%であるクミンが出てきたら、それこそ人狼狩りみたいな空気になりかねなかっただろう。
そう思えば、隠れて居てくれたことには感謝しかない。
『万が一、上杉さんが殺されそうになったら、抱えて帰るつもりでしたよ』
ちょっと訂正しよう。
クミンはいざとなったら皆殺しも辞さない覚悟だったかもしれない。
そう言う意味でも、やっぱり空気が読める、と言っておくべきか……。
『もしゾンビになったとしても、最後は茉莉さんと一緒がいいと思いますし』
(一応、気遣いありがとうね)
実際、俺がゾンビになる未来はあった。
杉井さんから多分大丈夫という答えをいただいているが、それでも可能性はある。
この世界に生きる以上、この先その可能性はどんどんと増えていく。
俺がもしゾンビになったとしたら。
その時は、自室で茉莉ちゃんと二人きりでいられたら、少しだけ素敵かもしれない。
なんてことを思った。
「到着だ」
ややあって、俺は二人に連れられて南小の保有しているダンジョンの入り口へとやってきた。
ついた頃には体も少しは動くようになっていたので、礼を言って借りていた肩を返した。
「ここが……?」
今まで、功績もなく仲間でもないために秘されていた場所に案内されたことに、少しの達成感はある。
そして、入り口がここにあるからこそ、先ほど避難が間に合わなかった人々が教室にとどまって居たことにも、納得がいく。
南小のダンジョンは、実は南小の校舎の中には無かったのだ。
俺が案内されたのは、校舎から出て校庭を横切ってしばらく行った場所。
俗に言う『体育倉庫』の中に、俺の部屋にあるのと同じような、渦巻くダンジョンへのゲートが鎮座していた。
「今までずっと、校舎の二階の先にあるものだとばかり思っていました」
「そう思われるようにしていたからね」
俺の感想に、杉井さんがちょっとだけ得意げに答えた。
多分、そういう誘導をしていたのも杉井さんだからだろう。
俺に限らず、外からの来訪者があった場合、来訪者は門から校舎へと案内されつつ、校舎の二階以降への立ち入りは禁止されるのだろう。
そうすると無意識に、人は立ち入りを禁止されたエリアに、何か隠したいものがあると思い込む。
そう思わせた時点で既に作戦勝ちなのだ。
実際の入り口は、特に見張りも立っていない体育倉庫の中──いや、見張りはいる。
この体育倉庫は、正門前にある櫓からばっちり監視できる位置にある。
いざとなれば、弓や魔法で狙える位置だ。
あの櫓は、正門を見張るだけでなく、このダンジョンの入り口そのものを守る目的で建てられていたのだと気づいた。
「さっきの教室の彼らではないが、俺たちとしてもダンジョンの入り口はできれば秘しておきたいことだ。この中には、子供達も大勢いるのだから」
「そんな場所に、得体の知れない外部の人間を、あまり近づけさせたくはない、ですよね」
「勘違いしないでくれよ。もう、俺たちは上杉くんを信用している。信用せざるを得ないとも言えるがね」
少しの苦笑いで松川さんが言う。
まぁ、松川さんはもしかしたら、杉井さんから俺の事情の『裏』の部分を知らされていてもおかしくはない。
病弱な妹という設定の少女が、実は呪腐魔病に犯された少女であると。
そんな『嘘』を吐いている俺を、手放しで信用するとは言えないだろう。
それでも、怪物戦のあれこれで俺を信用すると決めてくれたのだ。
「自分も、信用を裏切るような真似はしないですよ。お肉は、欲しいですし」
「はは。ああ、信じているさ。ただ、君はその格好だからね。子供達に群がられても恨まないでくれよ?」
松川さんに言われて、俺は自分の格好を見直す。
うん。見事なまでに不審な忍者装束である。
もしかして、教室の人たちの態度がアレだったのも、俺が不審な忍者コスプレ野郎に見えたから……?
でも、この装束一式の方が、普段着の上から金属みたいなのを急所を守るために当てただけの松川さんたちより、防御力高いと思うんだ。多分。
ただ、そういうDIY的な装備の作成が進んでいるのは、コミュニティの人数の力をちょっと感じてしまう。
「まぁ、いざとなれば逃げて隠れますよ。忍者らしく」
子供達の反応とやらは想定できないが、俺がその気になればステータスに差がある小学生を撒くことくらい容易かろう。
「じゃあ、俺たちに続いてダンジョンに入ってみてくれ。呪腐魔病が進行していなければ、問題なく入れるはずだ」
「……はい」
軽いおしゃべりもほどほどに、俺はゲートを見つめる。
多分大丈夫と言われても、怖いものは怖い。
もし、本当はとうに呪腐魔病は治らないところまで来ていて、今の俺の意識は末期の夢のようなものだったとしたら……。
今更ながら、麻痺していた恐怖が蘇って、わずかに足を震わせる。
でも。
「大丈夫だ。行こう」
松川さんは、そんな俺の迷いを吹き飛ばすように笑ってくれた。
そして、あとは振り返らずゲートへと入っていく。
温かな笑顔に引かれるように、俺もそのゲートをくぐった。
『ダンジョン77429番へようこそ。登録情報を確認します。しばらくそのままでお待ちください…………確認完了。ウイルスの進行状況に特記事項を確認──暫定グリーンと判断されました。ようこそ上杉志摩様。あなたの挑戦を歓迎いたします』
少しだけ、不穏な言葉が聞こえはしたが、俺はダンジョンのゲートに弾かれることはなかった。
そのまま、足を踏み出せば、すぐに俺の足は柔らかな草を踏みしめる感触を返してきた。
「……太陽だ」
日差しを感じて俺は天を仰ぐ。
爽やかな風が吹き抜け、さらさらと生い茂った若草色の植物が静かに揺れている。
我が家の──薄暗いような明るいような、よくわからない陰気な空間である我が家のダンジョンとはまるで違う。
開放的で、爽やかで、ここにいるだけで心を落ち着かせてくれるような、ひらけた草原が目の前には広がっていた。
「ようこそ上杉くん。ここが南小のダンジョンの第一階層。通称はウサギ平原だ」
松川さんがちょっと得意げに答える。
そのはるか先の草むらから、一匹のツノの生えたウサギがピョコンと飛び出すのが、俺の視界の端に映るのだった。




