第92話 とでも思っていたのか?
しん、と静まり返る小学校の教室。
先ほどまでの悲鳴に満ちた教室は、一転して声を上げてはいけない空間のように感じられる。
あるいはそれは、俺の集中力が外の音を拾って来ていないゆえの話かもしれない。
トンと、胴から切り離された怪物の首が床に落ちると同時に、耳に爆発めいた歓声が響いた。
どさりと怪物の体が崩れ落ち、切り裂かれた首から血が噴き出している。あまり、浴びてはいけない血だ。
その血を這って避けるようにしている女性は、先ほどまさしくこの怪物に襲われかけていた人だ。
彼女は、目の前の怪物が倒されたことに、驚きと安堵を混ぜたような顔で俺を見て、それから言う。
「た、助かりました」
その言葉には万感の思いが込められていた。
命を助けられた感謝が残っていた。
そんな彼女の涙が浮かぶ瞳に、俺もようやく、この形容しがたい化け物との戦闘が終わったことを感じ、体の緊張を解く──
「とでも思っていたのか?」
俺は、そんな女性の笑顔には目もくれず、彼女の隣に落ちていた怪物の頭に鍾馗を突き刺した。
女性は『ひっ』と、俺の行動に怯えるような様子を見せるが知ったことじゃない。
俺は、一瞬たりとも、ヤツから目をそらさなかった。
だから、気づけた。
女性のすぐ隣には、今まさしく最後の力を振り絞って、俺の息の根を止めようとしていた、怪物の頭と触手があったのだから。
「油断するわけ、ないだろう。見逃すわけ、ないだろう。あれだけのことをしでかしたお前が、完全に死んだと確認できるまで、目を離すわけがないだろうが」
当たり前だ。
あの程度でお前が死んだと確信してたまるものか。
あの豪炎の中生き残ったお前が、他に何か生きるすべを持っていないとどうして思える。
「……うぅ、うるるうぅ……」
怪物は今度こそ、驚愕と恐れをにじませたような鳴き声をあげている。
そんな怪物の頭を、念入りにぐりぐりと抉るように、俺は鍾馗の刃を突きたてたまま動かした。
ゾンビとダンジョンにまみれたこんな世界で、俺が信じているものの一つは『目星』先生の結果だ。
今まで、目星の答えを信じて間違ったことがなかった。
そんなスキルが確かに示していたのだ。
弱点は、頭と首だ、と。
であるならば、律儀に『頭』と『首』の両方を破壊するのが、俺のすべき行動だろう。
現に、奴は首だけになってもまだ反撃を狙っていた。油断しなくて本当に良かった。
そうでなければ、危機一髪の大逆転をされていたのはこちらの方だっただろう。
「……ぅ……rぅ……」
やがて、ついに怪物はその声を上げるのをやめ、ぎょろぎょろと動かしていた目玉もその動きをゆっくり止める。
胴体はとっくに動かなくなっていたが、これでようやく、本体の中枢部分もトドメをさせたといったところだろう。
それでも不安で、俺は念のため簡易鑑定を使い、状態を確かめておく。
表示はようやく、こうなった。
──────
何かの死体
状態:呪腐魔病(悪性変異)
──────
表記には、まだ一考の価値がありそうだったが。
少なくとも、奴がようやっと死んだことだけは確かだった。
「……あ、あのぉ……」
「ん? ああ。もう大丈夫ですよ」
そこでようやく、俺は怪物の横で震えていた女性に意識をやる。
若い女性、と言っても俺よりはいくらか年上に見える。
彼女は、先ほどよりいくばくか怯えを含んだ目線で俺を見ている気がした。
仕方ないか。必要だったとはいえ、彼女の目の前で刀を思いきり振り切ったのだから。
「その、あなたは?」
女性に尋ねられて、しばし考える。
「ああ。探索班の協力者です。今は、それ以上ではないですが」
怪物を追ってここまで躍り出てしまったが、今の俺の立場はなんとも説明が難しいところがあった。
少なくとも、このコミュニティの明確な参加者ではない。
ないが、限りなく仲良くしたいと思っている隣人ではある。
うん。あからさまに怪しい。
まだ、ゾンビから逃れて来た通りすがりの忍者といった方が納得してもらえる気がする。
心なしか、助けた女性も、教室から逃げ遅れてた他の人も、俺への警戒を強めたような顔でこちらを見ていた。
「き、気になることはあるでしょうが。まずはこの怪物の処理からはじめましょう。多分もう動かないとは思いますが、何があるかわからないのでしっかり手足──はない気もするけど、とりあえず何があっても動き出さないように」
そんな視線から逃げるように俺は言った。
だが、当然ながらそんな怪しい人物からの一方的な指示に二つ返事で了承してくれるわけもない。
いたたまれなくなった俺は、自分から率先して作業を進めることにした。
のだが。
「あれ……?」
唐突に、体がその制御を失った。
ふらりと倒れた俺は、誰に止められるわけでもなく床へと倒れ込む。
身体中のあらゆる場所に、力が入らない。
指一本動かすのも億劫で、口から空気を吸うのが俺の仕事のように思えた。
「これ、は……」
先ほどまでの、戦闘の疲れが一気に噴き出したのだろう。
限界を超えて酷使された身体は、もはやマトモな機能を有さず、俺を地面へと縫い付けている。
そんな俺の姿は、ここにいる人々にとても奇妙に見えた様子だった。
率先して話しかけて来たのは、やはり怪物に襲われかけていた女性。
「だ、大丈夫ですか?」
「た、ぶん。体が、疲れただけ、ですから」
限界を超えたことが今までないので、その辺りはあまり自信はない。
だが、確かなことはある。
今の状態では、俺はなんの仕事もできない役立たずだということだ。
「すみません、松川さん、や、杉井さん、を呼んでもらえます、か」
なんにせよ、今の状況はまずい。
あそこまで完膚なきまでに殺した怪物が復活するとは、あまり思えないが、万が一復活したときのために死体の拘束作業は進めるべきだ。
であるならば、その重要性を知っている人に直接引き継いでもらったほうがいい。
彼らに丸投げするのは、少し以上に不安だ。
「わ、わかりました!」
俺に助けられた女性は、それだけ言うと一目散に俺から離れていく。
どうにも、合法的に俺から離れられる機会を探っていたようで、少し思うところはある。
とりあえず今は、体が動かない以上、人に頼るしかない。
「上杉くん!」
「無事か!」
ややあって、松川さんと杉井さんが一緒に教室に踏み込んで来た。
松川さんはともかく、さっきの戦いで杉井さんが何をやっていたかといえば、味方への補助の魔術を延々とかけ続けていたらしい。
僧侶にはそういうバフがあるのかと思うと、興味は湧くが、現状何か俺にできることもないだろう。
「これが、怪物の死体か。ずいぶんと、派手にやったようだ。特に頭はぐちゃぐちゃだ」
「頭だけは、壊さないと、でした、から」
「責めはしないさ。むしろ、我々が守るべきメンバーを助けてくれて本当に感謝している」
松川さんと杉井さんがそろって俺に頭を下げた。
だが、俺はその途中、彼らの視線が教室にいる他のメンバーへと飛んでいることにも気づく。
彼らは一様に目を背けたり、沈み込んだりしているが、誰もが迫り来る危機を前に恐怖と危機感を覚えたように見えた。
特に、怪物が直接突入したこの教室にいた人間は、当初の予定以上に外の世界の恐ろしさを十分に思い知ったことだろう。
「さて、長々と話してしまったが、実は君に一点言わなければいけないことがあるんだ」
「なん、ですか」
そう切り出したのは杉井さんのほうだった。
彼は、俺がやろうとしていた化け物の緊縛作業を代わりに引き受けてくれながら、なんでもないことのように言った。
「上杉くん。君は、感染していないか?」




