第90話 プランA
カウントスキルを使用してから120秒。
だが、そこからスケルトンマジシャンが暗闇の魔術を行使するまでには、少しだけラグがあった。
この闇が晴れるまでのほんの数秒。
その間に少しだけでも距離を取る。
呻き声をあげる怪物やゾンビを避けながら、小学校までのルートをなぞる。
やがて闇が世界に溶けていき、初春の靄がかかった太陽がぼんやりと俺たちを照らす。
暗闇の中心に近い位置にいた怪物と、ゾンビの群れ。
ゾンビの密度はすでに、少し通り過ぎるのも難儀なほどに高まっていて、これ以上時間が経てば、まともに戦うスペースもなくなって居ただろうとゾッとする。
集中力的にも、体力的にも、もう限界だ。
ほとんど存在を忘れていた呼吸が今になって息を吹き返して来たし、体の節々が無茶をした代償を求めるかのような痛みとダルさを訴えている。
だけど、ここからが最後の大仕事。
「決着をつけようぜ化け物」
「うるぅうるうるっっるう!!」
通じるかどうか分からないが、手をちょいちょいと挑発するように動かす。
俺が声を出したことで、怪物と、ついでに周りにいたゾンビが一斉に俺に気づく。
ホームセンターの怪物は、怒りに任せるようにこちらへ突っ込んできた。
不思議と、頭の腕を回復させるために捕食行動を取る様子はなかった。
(それじゃ……撤退だぁあああああああ!)
そして俺は一目散に逃げた。
ここで仕留めるなんて無理はしない。
それができると自惚れもしない。
俺はここからプランAへと乗せる。
あいつを引きつけ、罠にかけることが本命の作戦である。
それができていると信じて、俺は南小へと駆ける。
「うるるるううううう! うううるるっるうううう!」
「ううぉおおううう」
「うああうううぁあああうお」
怪物が俺を追いかけてくる。走るゾンビのおまけ付きで。
想定していた最高速より、明らかに速い。
(やっぱり成長している!)
戦闘中の時点で、頭の中で思い描いていた一週間前のスペックと比べて、明らかに差異がある気がしていた。
スピードもパワーも、上がっている。
もしかしたら、タフネスや知能、特殊能力なんかも新たに習得しているのかもしれない。
奴の捕食行動からは、そんな気配を感じた。
(ならばこそ、可能な限りここで仕留めなければ)
それでも、今は俺の方が速い。
障害物やゾンビが道に立ちふさがっていることを考慮しても、速ステータスだけならば俺が上だ。
奴が道中のゾンビや車を気にしないにしても、それで多少速度が落ちるのは同じはずだ。
俺は、その事実を認識し、怪物に傾けていた集中力の何割かを解放する。
そうすると、すぐにこんな言葉が聞こえて来た。
(上杉さん! 120秒経ちましたよ! 無事ですか!?)
先に小学校に向かってもらったクミンから、俺の状態を探る言葉が響く。
後ろから迫る轟音を気にしつつ、奴が投擲の体勢に入ったら即座に回避することを念頭に置きながら俺は返事をした。
(クミン。こっちはなんとか無事だ。もう限界だから向かってる。あと20秒ほどで着く。首尾は?)
こちらの現状をマシンガンのように叩きつけた。
ちらりと怪物の様子を伺うと、思いっ切り投擲の構え、散弾のような石つぶてが向けられており、俺は道に放置されている車を壁にしてなんとかやり過ごす。
(上杉さんの言葉を信じて、後衛が配置につくのは間に合いました。校庭に落とし穴は設置済み。目印もあります。集中攻撃の準備もギリギリですが間に合わせます)
(それは良かった!)
正直言って、切羽詰まった状況で書いた伝言だけで俺の意図がしっかり伝わるかは不安だった。
必要なのは火力だ。後衛の配置と落とし穴の罠の存在が、今一番重要だった。
そう安堵しつつ、必死で逃げる俺にクミンが追加の情報を伝えてくる。
(問題1。突然の事態による混乱で避難が全くできてません。問題2。正門のバリケードの解除が間に合いません。こっちで道を作るので引き付けながら突っ切ってください)
(了解)
避難が間に合わないのは少し怖い。
もともと、避難は子供を優先して、他の派閥にはある程度怪物の怖さを見せつける算段だったはずだが、クミンがこう言うってことはその計画通りに行ってはいないのだろう。
それで問題が起きなければいいが不安だ。
そして正門の件は、全くわからない。
正門のバリケードが破壊されたら、それはもう大変なことになるだろうが、それを避けるための道を作るというなら、俺は信じるしかない。
「へっへ! 鬼さんこちら! 俺の後ろにしっかりついてこいよぉ!」
「るううううううううううううっるううるううるううううう!!」
怪物のヘイトが完全に俺に向いているのが嫌でもわかる。
初めて、奴から妄執のごとき感情を向けられている。
言っている間に、学校の正門が見えて来た。
一週間前はあんなに群がっていたゾンビはその数を減らし、連なっていた車も気持ち退けられている。
だが、聞いていた通りに正門はバリケードごとぴっちり閉じているし、それが開く気配もない。
「上杉くん! 構わず走れぇ!」
遠くから、大声スキルを使ったらしい松川さんの声が響いて来た。
すでに櫓の上に陣取っている何人かも、腕をぐるぐる回して俺に直進を指示している。
と同時に、目の前に変化が現れた。
ずずずと、地面がせり上がってくる。
いや、違う。
地面から少しつづ傾斜をつけるように、土石魔術で今まさに道が作られ始めているのだ。
本当にギリギリ、俺が到着するのに間に合うかというタイミング。
それでも少しずつ、バリケードを超えるための片道通行のルートが出来上がっていく。
「おら! こっちだ!」
俺が後ろを振り向けば、怪物は想定よりもずっと近くまで迫っていた。
念話で会話したり、攻撃を避けたり、後ろを何度も振り返ったりで、少し差を縮められたか。
だが、それでも俺の方が速い。
俺は、逃げ切れる。
「信じるからなぁああああああああ!」
目の前でようやく変化をやめた土色の道に足を踏み込む。
足を踏み入れた瞬間に崩れるようなこともなく、踏みしめられた土のような固さが地下足袋の下から返ってくる。
正門に取り付いていたゾンビたちは、このスロープを登るという発想はないようで、邪魔もいない。
そして俺は、急な坂道のようになっているスロープを登り切って、飛んだ。
正門の先は校庭につながっており、一方通行ゆえに着地は自分でなんとかする。
勢いがつきすぎて転げそうになるところを、勢いを殺さぬように必死で足を動かした。
「うるるるうううううるうるうううう!」
背後からは、しっかりと怪物が奇声をあげながらついて来ている。
ちらっと振り返れば、肉塊が空を飛ぶ世にもおぞましい光景が広がっていた。
春のうららかな陽気にこの世界で最も似合わないものじゃないだろうか。
「目印はっ!?」
気を取り直して前を向く。
校庭のどこに落とし穴が作られているのか、俺はまだ把握できてない。
前を向けば、ご丁寧に校庭にバツ印の白線が引いてあった。
間違いなく、あそこが落とし穴だろう。
「こっちだ上杉くん!」
「もう少し頑張れぇ!」
その近くに前衛らしい装備を固めた六人の人影が見える。松川さんや竜胆さんの姿はそこだ。
計画と数が合わないのは、避難を諦めたゆえに増えた人数が現場判断でこちらに回ったか。
クミンもそちらに並んでおり、俺を心配するように触角を揺らしていた。
「いやあああああああああ!」
「ば、化け物ダァああああ!?」
「ゾンビもくるぞおおぉおおおお!?」
と、俺の耳に、いくらか悲鳴が飛び込んできた。
視線をちらりと向ければ、校舎の二階三階からこちらを覗き込んでいる多数の顔が見えた。
弓や杖を構えている様子はない。
というか、構えている人たちは、校舎のベランダに出たり、謎の出っ張り部分に足をかけたりと危ない感じになっている。
つまり、ダンジョンへの避難が間に合わなかったため、放置された人たちか。
子供の姿は見えない。少しでも避難させたか、あるいは戦いを見せぬように配慮したかのどちらかか。
「うるるううううううるうう!」
怪物がその声に釣られないかと一瞬不安になるが、奴は律儀に俺を狙ったままだ。
頭の腕を一本切り飛ばしたのが、よっぽど気に入らなかったのだろう。
「悔しかったら捕まえてみろよノロマぁあああああ!」
俺は汽車に石炭を焚べるように、届いているかもわからない挑発を重ねてやる。
間も無く、校庭の真ん中、やや櫓寄りに作られたバツ印までたどり着き、俺はその近くで印を踏まぬように跳んだ。
(ここで変な知恵を絞るなよ、化け物!)
一緒に飛んだらどうするか。ふと不安がよぎった。
だが。
俺を追ってきている怪物は、そんなことはせずドスドスと足音を響かせながら向かってくる。
そして、怪物がそのバツ印の上に差し掛かったとき。
「るううぅうるる!?」
ズンと音が響きそうなほど、その体が沈み込んだ。
その直後──
「撃てぇえええええええええええええ!!!!!」
「やれぇえええええええええええええええ!!」
櫓と校舎の遠距離組の怒声が響くと同時に、落とし穴から炎が吹き出す。
一週間前に桐原と雑談したとき、俺がそれとなく便利だと伝えたマインを、彼らは見事に真似していた。
この学校に何人の魔法使いがいるのか正確には分からないが、込められたCPの総量は俺の全力である50をゆうに上回るだろう。
それと同時に、周囲からは俺が融通したり、短時間で少しでも増産したらしい石の矢がこれでもかと降り注ぐ。
「うるるるううぅうううううぅぅぅうぅ……」
業火に焼かれ、矢を射かけられた怪物の声は、次第に弱まる。
無限のようにも感じられたほんの数秒。
込められたCPを使い果たした渾身の爆炎落とし穴が落ち着きを見せ、ようやくその火に飲まれた怪物の姿が現れる。
その姿は、見るからに黒焦げになっており、その体には無数の矢が突き刺さっていた。
おそらく、誰がどう見ても、これ以上動くとは思わないほど立派な焼死体であった。
「や、やったか?」
そうして、前衛の誰かがそう呟くと同時。
「………………ぅるぅうううう」
俺の耳は、そんな言葉を拾ってしまった。




