第88話 与えた傷
一方的に約束した2分──120秒までおよそ100秒ほど。
だが、体感ではもう何分も戦っているような気さえする。
極度の集中が、俺の体感時間を引き延ばしているのだろう。
あと100秒がどれほどの長さに感じるのか見当もつかない。
(とりあえず、回復を、どこかで)
現在の俺の最大CPはおよそ120。
今消費したCPを大雑把に計算する。
スケルトンマジシャンの召喚に20。
暗黒魔術におよそ40。
武具を召喚するのに5。
目星を二回で4。
この時点で既に70くらいの消費。
残りCPは50程度。
たった20秒の攻防でCPは半分以上も消し飛んでいる。
「うぅうるうるるううう……」
怪物が再び消えた俺を探しながら、低いうなり声を上げている。
闇はまだまだ晴れない。
奴が自発的に俺を見つけることはできない、はず。
俺は迷うことなくストレージからCP回復薬を一つ取り出した。
上品に飲み口を開けることすらせず、指で栓を弾き飛ばしたあと、水のように呷った。
がぶ飲みしていた安物に比べて味がちょっとだけ良くなった気がするのだが、今は何の味もしない。
それでも、体内に広がった感覚がCPの充足を感じさせる。
「うるぅう!!」
直後、怪物が唐突にこちらを向いた。
黒い敵意の波を受けて、背筋が凍る。
(バレた!?)
とっさに、息を詰まらせ横っ飛びで逃げようと思った。
だが、それをすぐに思いとどまる。
危機感の位置がずれている。
奴の攻撃は、俺を狙ってはいない。
俺が息をひそめていると、怪物の死を呼ぶ腕は、俺の横1メートルほどの地面を砕いた。
破片が散るが、構いはしない。
俺はじっと目を見開いて、奴の攻撃の先に何があったのかを見る。
そこにあったのは俺が弾いて捨てた回復薬の栓──コルクのようなもの──だった。
奴は、この暗闇の中、かすかに鳴ったコルクが落ちる音めがけて、正確に攻撃を叩き込んできたのだ。
(足音一つが、本当に命取りだな!)
スキルがなければ、とうに詰んでいた。
この暗闇の中、称号とスキルの効果があってギリギリ俺は奴から隠れていられる。それをはっきりと認識した。
だが、予想外に時間が経つ。これでカウントは28。
(ってことは、この空き瓶にも反応するか?)
俺は今まで何度も使ってきた投擲技術でもって、小学校から離れるような位置に空き瓶を落としてみる。
カチャン、とガラス(?)が割れる音が響き、怪物は一瞬そちらを向く。
だが、音に向かっていくことはない。
代わりに、奴は近くの家の塀を無造作に掴んで砕く。
そして、手の中に握ったそれを音が鳴った方面へと無造作に投擲した。
轟とした音が響き、空き瓶もろとも塀の残骸は粉々に砕け散る。
もう、ただの音に対しての対処法を構築し始めている。
(っ! 慣れられる前に、詰めなければ! 鍾馗!)
怪物は俺の目の前にいる。
攻撃をした瞬間には、再び命がけのかくれんぼが始まる。
それを認識してなお、俺は手の中へと喚んだ刀を振るった。
先ほどは足を軽く切り裂いた。
それでは奴の動きにはほとんど変化がなかった。
ならば、次は足の指だ。
爪もないブヨブヨの指を、上がった速ステータスが可能にした器用さで丁寧に狙う。
地面スレスレ、しかし地面にはぶつからない絶妙のコントロールで、俺の一撃が奴の左足の指五本をまとめて切り払った。
手の中に奇妙な感触が残るも、それが何か考察している余裕はない。
「うぅううううるるるるるうううう!!」
怪物に俺は認識される。
奴の動きは早い。
足の指を切断されたにも関わらず、痛みを感じる素ぶりもなければ、怯む様子も全くない。
無事な方の右足で一歩踏み込み、頭の腕を展開する。
(それでも、左のほうが少し甘い)
右への踏み込みは、まだ良い。
だが、左の踏ん張りが足りていない。
そのわずかな重心のズレは、奴の頭の動きをかすかに乱す。
攻撃の呼吸が乱れた三連撃は、先ほどよりも幾分も躱しやすい。
突き刺す一手、それをカバーする二手、三手。
俺はそれを、体の動きと足さばきだけで回避する。
後退はしない。奴を小学校に近づけさせない。
(送還)
手の中の鍾馗をストレージへと戻せば、怪物は再び俺を見失う。
カウントは42。
ようやく、三分の一が過ぎた。
(これなら、もう一本の足も)
全く余裕があるわけではないが、足の指を落とせば随分と避けやすくなった。
ならばもう一本もと考えるのが当たり前。
当たり前だが、奴は怪物であった。
「うぅううあああうううあああ」
俺が時間稼ぎを初めてすでに40秒。
ここまで音を立てていれば、周囲にいるゾンビの何体かはこの辺りまでたどり着いてしまう。
俺の危機感から見ると、ゾンビは赤。
いや、奴らの口周りはしっかりと黒に染まっている。
ゾンビも怪物と同じく、隠密中の俺を見つけられていないようだが、一度隠密が解ければ、怪物と一緒に俺を襲ってくるだろう。
だがそれでも、脅威としては怪物から何段も下がる。
丁寧に、位置を把握して避けていれば問題ないだろう。
そう思っていたときだった。
「うるるるううる」
「うぅあぉううああ!?」
怪物は、頭の腕を近づいてきていたゾンビに伸ばした。
中年男性らしいそのゾンビは、怪物の腕に首を掴まれじたばたともがく。
(え?)
突然の行動に俺は困惑する。
怪物は、ゾンビより生者を狙う。その筈だ。
それなのに、なぜ俺を無視してゾンビを狙った?
いや、今俺が隠密しているから、ゾンビを襲ったのか?
頭の中の疑問が止まらぬうちに、怪物は次の行動に移った。
「うるるううううう!!」
「うあああ! あうあうあぁおおおお!」
奴の、頭の腕の付け根あたりについている口が大きく開いた。
人間が可能な面積よりも何倍も大きく見えたそれに、幾重にも重なった歯が見える。
そして怪物は、その大口でゾンビにかぶり付いた。
じたばたともがくゾンビの様子を気にすることなく、怪物はそのはらわたを食いちぎり、溢れる血を気にもせず、もぐりごぐりと咀嚼して飲み込んで行く。
そうしてゾンビが、ゾンビだったものに──びくりびくりと反応する死体に戻ったところで、怪物はゾンビを投げ捨てた。
「うるるううる」
思わぬ光景にドン引きしている俺をよそに、奴は指のなくなった足先を見て唸る。
直後、ぶよぶよの肉塊がおぞましくうごめいたかと思うと、左足がブゴンと膨らむ。
その状態になっていたのもつかの間。膨らみはすぐに落ち着いて──。
(……くそ、指を生やしやがった)
当然の権利のように、先ほどはね飛ばした筈の左足の指が復活していた。
よくよく見れば、最初に斬りかかった際の切り傷もついでとばかりに治っている。
(いくらこの世界にステータスがあるからって、それはないんじゃねえのか!)
この世界にステータスがあって、職業の僧侶があるのだから、きっとどこかに欠損を治す回復魔法とか治癒魔法はあるんじゃないかと思っていた。
だが、それに最も近いものを、倒すべき化け物が使って来るのは違うんじゃないのかよ。
「うるるるううるうっるう!!」
怪物は、ご機嫌に吠えて俺を探す。
カウントはようやく62を迎えたところ。
周囲には、ゾンビが集まってきている。
奴へ与えたダメージはいくらでも回復される可能性がある。
それでも、俺は足止めのために攻撃しなければいけない。
あの捕食行動を引き起こすことができれば、随分と時間が稼げることは分かった。分かってしまった。
それが、間接的にゾンビとなった人間を殺す行動につながるとしても、だ。
(ああ、くそ! どうしてこんな化け物がここにいるんだよ!)
その答えを誰かが教えてくれることはない。
俺はただ、あと60秒近く、必死に生き延びることしかできないのだ。




