第87話 時間稼ぎ
お世辞にも広いとは言えない、小学校までの道。
ダンジョンで言えば一階層や二階層程度の横幅しかないそこに、大柄な怪物が鎮座している。
「うるるるうううううう!」
奴が奇妙な咆哮を上げたのと、俺が『カウント』のスキルを起動したのがほぼ同じタイミング。
そして、奴の頭部から生えている腕の一本が、先ほどまで俺が立っていた場所に突き刺さったのと、赤を超える危機感に従って俺が右に即座に一歩避けたのが、カウント1での出来事だった。
(全く遊びがねえ!)
戦いの緊張の中であっても、おもわず冷や汗が垂れそうになる。
地上に戻り這い出してきた恐怖心が、体の動きを止めそうになる。
だが、その恐怖が同時に体を動かし、俺を暴風のような攻撃から守る。
頭の腕が一本、突き刺すように真っ直ぐ飛び込んできたのが一手目、即座に二本目の腕が薙ぎ払うように弧を描く二手目、それをしゃがんで避けた俺を上から押し潰すように三本目の腕が迫ってくる三手目。
ここまでほとんど一呼吸で攻撃してきて、それらすべてを見もせずに危機感の黒い気配だけを信じて先読みで躱し切り、後ろに一歩後退したところでようやく一呼吸。
(距離を取らないと何もできない!)
避けた俺の代わりに、地面を覆ったアスファルトが砕け、破片が俺の頬を掠って散っていく。
HPがなければ、抉られた頬が今頃外気に触れていたことだろう。
これまでのモンスターだったら、だいたい、対峙した直後はお互いに様子を伺うフェイズが存在した。
その間に相手の出方を予想し、対処法を構築し、そして実際に動いて見て齟齬を埋めながらお互いの手札を探り合う。
そういう、戦闘の呼吸のようなものは、ゴブリンからスケルトンまで存在していた。ゴーレムはちょっと分からない。
その時間が長いか短いかの違いはあれど、自分が殺されたくないという思いがあるからこそ、モンスターであっても慎重に考える時間は存在する。
お互いを認識した次の瞬間にぶち殺されそうになったのは、この怪物が初めてだ。
カウントはようやく2を数えた。
「サモン:スケルトンマジシャン!」
怪物が頭の腕を使いきり、一度その腕を引き戻す僅かな時間で、俺はCPを絞ってサモンを強行。
喚び出したのは、本来の作戦では使う予定のなかったスケルトンマジシャン。
場所の指定すらせずに粗雑に召喚したが、俺の焦りに従うように召喚は即座に行われ、影のように黒い骨の体をした、杖を持った骸骨が背後に現れた。
「暗闇を張れ! 120秒!」
「るるうう! うるるう!」
その指示を飛ばしたところで、怪物はすでに次の攻撃の姿勢に入っている。
俺の目に映るわけではない第六感のような危機感が、まるで脳に直接訴えかけるように黒い領域を教えてくる。
緑は安全、黄色は注意、赤は危険とくれば、きっとこの黒は『死』に違いない。
つまり、敵の攻撃が来るまでにこの黒い空間から抜け出せなければ、俺は死ぬのだ。
普通であれば、黒い危機感を感じた時点で、足から力が抜けて動けなくなりそうだ。
それでも、称号の効果かスキルの効果か、恐怖によって冷やされた思考に僅かに灯った熱が、俺の体を動かす。
(足! 腕! 足!)
先ほどの胴体や頭を狙った攻撃から一転、怪物の攻撃は俺の機動力を潰すように、足元や肩口を執拗に狙ってきた。
奴の攻撃は、一度に三連続攻撃なので、意識して空中に逃げるのだけは選ばない。
宙に跳んだが最後。空中で機動力を失った俺を奴はたやすく仕留めて、悠々と小学校に向かうだろう。
足への突き刺しは、横に一歩動いて回避。
腕をめがけた振り下ろしは、体を半身の構えにしてギリギリで見切る。
そして地面ごとすくい上げるような豪快ななぎ払いを、バックステップで回避する。
ここまででようやくカウント5。
この短時間で、俺はすでに三歩は後退させられている。
それはつまり、奴が三歩分、小学校に近づいているということだ。
「カチカチカチカチ」
スケルトンマジシャンの方へとごっそりCPが流れていく感覚があった。体感で40は吸われただろうか。
ようやく、マジシャンの闇の魔術が形になるらしい。
サモンとテイムの利便性の話はある程度しているが、サモンにのみ存在する明確なデメリットが一つ。
それは、サモンしたモンスターが使うCPは、全て俺が賄わなければならないということだ。
サモンした個体は俺のCPから作られた体をしているらしく、そんな彼ら自身が持っているCPとはつまり、俺がサモンするのに使った分に他ならない。
つまり、彼らは『現在CP:0』なのである。
そんな彼らに魔法を使わせたければCPはどこかから持って来るしかない。
すなわち、サモンした俺から引き落とされるということだ。
この仕様ゆえに、スケルトンマジシャンはちょっと扱いにくい。
俺が覚えていない『暗黒魔術』を使えるのはいいが、そのレパートリーも生前使えたものしかない。
だが、今。このタイミングにおいては、そのスケルトンマジシャンが突き刺さる。
「ううぅううああああう」
「おおぉおおうううおお」
俺と怪物の戦闘音に惹かれて集まってきた、ゾンビのうめき声が遠くから聞こえて来る。
目の前の怪物は、そんなゾンビに目もくれず──そして、影の骨であるスケルトンマジシャンにも目をくれずに、ひたむきに俺に狙いを定めている。
カウントはやっと6。
詠唱を開始してほんの数秒。
きっと対人戦であれば、魔術を使い始めたスケルトンマジシャンを狙って簡単に妨害されたであろう。
だが、この怪物の狙いは生者である俺から逸れることはなかった。
だから、ほんの数秒──『たっぷり時間』を使ってマジシャンは魔術を行使した。
「カチカチカチカチ!」
即座に、ブワッとした暗闇が辺り一面を覆う。
それは、俺も、怪物も、そして集まり始めていたゾンビをも包み込んであたり一面を『夜』へと変えた。
「うるるるううううるるううう!」
怪物が、闇に構わず突っ込んで来る。
目が付いてない、という外見の印象に違わず、奴は俺の姿を目で追っているわけではないらしい。
そして、遠距離からの『腕』の攻撃では埒があかないと、突進で距離を詰めつつの、抱擁攻撃に切り替えた。
暗闇の中にあっても、なおどす黒い危機感のイメージ。
だが、暗視が捉えた視界には、明確な逃げ道がある。
俺は、恐怖で頭がおかしくなりそうなのに、全く混乱しないという不思議な体験をしながら、奴の突進を前に躱した。
飛び込み前転のように綺麗に回転し、アスファルトに手をついて即座に体を起こす。
俺がさっきまで居た位置の近くには、魔術を発動し終えたスケルトンが立って居た。彼は一仕事終えたように怪物に抱擁されて粉々に砕け散った。
だが問題ない。暗闇は晴れない。
そして、暗闇の中に、俺は意識を、溶かす。
ここは闇の中だ。
ここは死の淵だ。
世界は混沌に満ち。
魔術で作られた夜の世界で、俺は一人。
この世界で、誰が俺を見つけられる?
「うるる? るるるうう?」
俺の目の前で、怪物がきょろきょろと周囲を伺う。
暗闇の中に消えた人間を、必死に探すように。
(目星)
俺は目だけを世界に映し、怪物の弱点を探す。
だが、怪物から明確な弱点は見つからなかった。
(頭の腕はあくまで腕であり、頭ではない? そして付け根は首ではない?)
弱点がない、奇妙な化け物。
だが、落胆する時間すら惜しい。もとより仕留められる気はしていない。
(目星)
弱点ではなく、俺の攻撃で刃が通る箇所を探す。
今度は、全身だ。
全身くまなく、奴の体には攻撃が通る。
あのぶよぶよの肉塊は、等しく同じ硬さなのだろうか。
(ますます不気味な化け物だ。だが、攻撃が通るなら──)
俺が目星で奴の情報を探っている中。
怪物はもう次の行動へと移ろうとしていた。
「…………るるう」
カウントはまだ14。
怪物は、見つからなかった俺を即座に諦めたようだ。
その足を再び小学校へ向けて、のそりのそりと歩き出そうとする。
このまま隠れていては、奴の足止めもままならない。
だから、ここからが、本当の時間稼ぎだ。
(武具召喚:護刀・鍾馗)
俺は右手に忍者刀を握る。
そして、足音もなく怪物に忍び寄ると、奴のぶよぶよした足に一太刀入れた。
「るううううううぅうう!?」
すっと、想像よりも抵抗なく刃が通り、肉塊に一筋の赤が走った。
血は、吹き出さない。
生き物ではない。やはり、得体の知れない化け物だ。
「るうぅうう!!!」
そして、攻撃をしたことで俺の隠密が薄れ、怪物は俺を捉える。
そのまま、怒りに任せるように薙ぎ払いに走った腕を、俺は這うような姿勢で躱しながら心で唱える。
二撃目をこの体勢で避けられるかは分からない。
危機感の黒から逃げるにはこうするしかなかった。
ここが正念場だ。
(送還)
手の中の鍾馗が消える。
行き先はストレージの中だ。
こうして俺は再び武器を持たなくなり、スキル『神出鬼没』の隠密判定が入った。
もし相手が暗闇の中を見る暗視で俺を認識していたなら、目の前にいる俺を見失うことは流石になかっただろう。
だが、この怪物は目で獲物を認識しているわけじゃない。
気配のようなものか、人間という存在の放つ分からない何かか、俺は答えを知らないが、少なくとも目ではない。
だから、この存在すら溶かすような闇の中で、俺が武装を解除すれば──
「るるうう????」
──奴は再び俺を見失う。
カウントは21。
あと、100秒近く時間を稼がないといけない。
(頼むから、最後まで踊ってくれよ。ホームセンターの怪物)
じわり、と汗がにじむのを感じながら、俺は震えそうな手を強く握った。




