第79話 地上の変化
クミンをアパートに残し、俺はまた窓から外に出た。
時刻は午前10時過ぎ。天気は曇り。
地面の様子を見ると、少しだけ湿って見える。
昨日あたりは雨が降っていたのかもしれない。
気配察知のスキルは一週間前よりも成長している。
少なくとも、アパートの前にいきなりゾンビがうじゃうじゃいるという事態がないことはわかった。
(少しだけ臭いが変わった、か?)
外に出て最初に思ったのはそこだ。
一週間前は、外の臭いが気になった覚えはない。
だが、今は少しだけ鼻につく、嫌な臭いがある。
より春が近づいて、花粉が気になるようになったというわけではないだろう。
わずかだが、その臭いは嗅ぎ覚えがあるものだ。
(生ゴミや、肉が腐ったような腐敗臭か?)
少し考えて答えに行き当たった。
アパートの前に併設されているゴミステーションには、回収されずに残ったゴミ袋が詰まっている。
ここが直近の臭いの元だが、各家庭にも、スーパーにも、そして道端にも……腐ったものは増えている。増えていく。
そしてそれが片付けられることは恐らくない。
誰かが、火葬でもしてやらなければ。
(悪いが。今の俺にその余裕はない。CPは有限なんだ)
俺は自分に言い聞かせるようにそう念じた。
地上が、どんどんと死者の世界に変わって行っている。
たった二週間弱で、世界は死に支配され始めている。
その事実だけを、奥歯で噛み締めた。
「ううぅうううああああうう」
「おぉおおううぉおああああ」
車の陰に隠れた俺の前を、投石の音につられたゾンビが通り過ぎて行く。
その様子を横目に見つつ、俺はそそくさと交差点を通り抜けた。
道中は、驚くほどスムーズだった。
理由は二つ。
一つは、俺の索敵能力や身体能力が、一週間前とは比べものにならないほど上昇していること。
ゆっくりと慎重に歩き、ゾンビの気配を地道に探り、見つからないように進む。
それは、一週間前には神経をすり減らす作業だった。
だが、今の俺は、ゾンビの知覚範囲の外から彼らを察知できている。
また、隠密能力の向上により、見つかる危険性そのものも減じた。
なにより、向上した身体能力が、以前は選べなかった道、例えば車を超えるだとか、壁を蹴って前に進むだとか、そういった行動を可能にした。
だから、移動が楽になったのが理由の一つ。
もう一つは、純粋な理由だ。
(明らかに、外を出歩いているゾンビの数が少なくなっている)
体感でよければ、一週間前と比べて三割はゾンビの数が減っている。
投石を使って移動させなければ通れない、といった状況がほとんどなくなっている程度には。
理由はなんだろうか。
例えば、南小のコミュニティが、探索のついでに数を減らしていったのか。
あるいは。
(……破壊された家屋か)
以前も言ったように、この街は坂道が多い。
そして、坂道を下って行くような場所は見晴らしもよく、少し遠く──ホームセンターに近い方の家屋の様子が目に入った。
何者かに、強引に家を破壊されたような痕跡が、ポツポツと、しかし確実に存在している。
どうやら、ホームセンターの怪物に対しては、家に籠るという行動は正解ではないらしい。
それがはっきり分かった。
俺は視線を戻し、南小への歩みを再開した。
南小まで15分──尾行を気にしながらだったらもっと掛かっていた時間が、恐らく10分程度には短縮できていた。
(そして南小に着いたわけだが……)
ようやくたどり着いた南小だが、俺は少し悩んでいた。
前回の接触時に俺は松川さんたちと話はしてある。
一週間後の今日、南小に入るにはどうすればいいか。
可能なら忍び込んでしまうのが俺としては手っ取り早かったのだが、できるから、とそんなことをしては問題も起きようというもの。
というわけで、一応約束はこうだ。
『君の到着時間は10時から14時の間ということなら、その時間は裏門に人を待機させよう。そこで裏門の人と接触してくれ』
まぁ、待ち合わせ時間に裏門で集合という話だ。
時間に幅があるのは、俺がその時どこまで潜れるか分からず、帰りにどれくらい時間がかかるのか読めなかったから。
現時点ではまだ11時前なので、そこそこ優良な時間に到着したと言っていいだろう。
問題は。
(どうして、誰も待機してないんだ?)
その裏門のところに、約束の人員が配置されていないということだ。
誰もいないというのは、裏門に張り付いているゾンビの姿がないことからも間違いないだろう。
考えたくもない推測がいくつか浮かぶ。
一つ、俺との約束を忘れている。
これなら人としてはどうかと思うが、大きな問題はない。
また正門に回って合図をすればいい。
二つ、約束の件より優先するべき問題が発生している。
少し問題だ。俺には南小へと踏み込むかどうかを判断する情報が不足している。
最悪、忍び込むか、一時撤退するかを決める必要がある。
そして三つ、これが最悪の可能性。
(南小のコミュニティが崩壊した)
考えうる最悪のパターンだ。
一見バリケードが破られた様子はないが、呪腐魔病は空気感染だってする。
何者かが抗体の更新を怠れば、バリケード内でパンデミックが発生してしまう可能性は残っている。
(だが、どうするか)
いずれにしても情報が足りなかった。
俺は、実験も兼ねてテイマーの念話を試してみる。
(クミン。聞こえるか)
(上杉さん? 随分早い連絡ですが緊急事態ですか?)
地上でも、念話が使えることがわかってしまった。
まぁ、地上でも問題なくスキルが使えたり、ステータスが発現していたりするので多分大丈夫だろうとは思っていたが。
(実は少し問題があってな。ちょっと話を聞いてほしい)
というわけで、俺は現状起きていることをクミンに説明してみせた。
クミンは人間界のことをよく知っているわけではないだろうが、相談相手になるくらいには思慮深いアリさんである。
俺の話を聞いて、うーむと考えたあと、結論を出した。
(現状では何も言えませんが、内部の状態がわからない以上迂闊に踏み込むのは危険だと思います。正門を含めて何か情報が得られないか見て周ったあとに、何もなければ14時までは待機。14時になっても動きがなければ改めて考えるというのが丸いのではないでしょうか?)
(うん。俺も同じ意見だ)
俺もクミンと同様の行動を考えていた。
もし内部で何か起こっていて、それに対して俺が即座に踏み込むのが最適だったのだとしても、それは南小にとっての最適であり、俺の危険を考慮した話ではない。
何もわからない以上は、俺は常に最悪を想定して行動する。
つまり、南小コミュニティは崩壊し、内部にはゾンビが詰まっているという可能性を、考えるべきだ。
(……もしそうだったら、とても気が重いんだけどな)
(上杉さんが気にすることじゃありませんよ)
(だとしてもだよ。クミン)
もし、俺が関知しないところで問題が起こっていて、俺の責任は一切なかったとしても。
知っている生存者のコミュニティが崩壊しているとなったら、俺はきっとダメージを受けるだろう。
それもまた、人間というものだ。
遠くの他人より、近くの知人なんだ。どうあがいても。
ひとまず、正門にまで回って見たが、こっちも同様だった。
こちらには、生前の執着からか門に張り付いているゾンビはたくさん居たのであれだが、櫓の上で見張りをしている人物も見当たらない。
ここでまた火柱を上げても、ゾンビに見つかるリスクを負うだけだろう。
(少なくとも、何かが起こったのは確定と見るべきか)
心の中で、南小への警戒を一段上げた。
見える範囲で何か起きているのか、確認しよう。
正門の奥の物見櫓は、少しだけ立派になっている。
また、校庭は以前よりも耕されている。農具は少ないながら、小学校の実習用だかが存在しているのだろう。
つまり、南小としても拠点の強化は順調に行われていたというわけだ。
また、目の届く範囲に、死体などは見当たらない。
大人も、子供もだ。
仮に、中でパンデミックや殺戮が発生していたら、恐らくそういったものがもっと転がっているはずだろう。
転がるのが、人間かゾンビかは、分からないが。
(少なくとも、大規模な戦闘の跡はない)
それは胸を撫で下ろせる話だが、一つだけ懸念はある。
ダンジョンだ。
もし、何らかのトラブルでコミュニティが崩壊し、戦闘がダンジョンの内部で行われたとしたら、外からでは知る由がない。
そして、ダンジョンにはゾンビが入れないことから、そうだった場合は人間同士の争いがあったということになる。
(ゾンビもののお約束とは思うが、まだ人間同士で争うのは早すぎるだろ……)
ひとまず、可能性で留めておく。
もう少し、周囲を探ってみよう。
それから、校舎を一周してみたが目ぼしい発見はなかった。
そもそも、校舎がしっかりと塀に囲われているからゾンビの侵入を防げていたわけで、外からわかる情報が乏しいのも仕方ない。
ただ、聞き耳でじっと耳をすませてわかったことがある。
少なくとも、人間の声や足音のようなものは聞こえる。
うめき声ではなく、話し声だ。
全員ゾンビ感染中という最悪の事態は免れたと考えて良さそうだ。
(じゃあ、あとはこっちが待機する番か)
諸々の考察を終えて、俺は裏門へと戻ってきた。
結局、14時まではここで人間が現れるのを待つのが丸い。
内部がゾンビに包まれているわけではないとわかったので、14時を過ぎたら忍び込むのもありだろう。
(個人的には、時間を無駄にさせられるのは嫌なんだけどな)
そんな思いを、心配とともに飲み込んで待つ。
そうしてゾンビから隠れるように息を殺し待つこと1時間ほど。
時刻にして12時を前にしたあたりで、ようやく変化があった。
(あれは、松川さんと杉井さんか)
裏門に向かって焦った様子で走ってくる二人の姿が見えた。
どうやら、二人はちゃんと生存しているようだ。少しだけ胸をなでおろす。
「遅くなってすまない! 上杉くんはいるか!?」
松川さんが大きな声を上げた。
ゾンビが寄ってくるからちょっと遠慮して欲しかったが、まぁ、門を超えればいいだけなので良いか。
「上杉います! 今からそちらに向かうので離れていてください!」
「わかった!」
松川さんの声を聞いて、俺は静かに門へと近づく。
以前は、助走をつけてジャンプしなければ超えられなかった門だ。
だが、今は違う。
「よっと」
助走などなくてもいい。
一番門に近い車の屋根に一足で飛び乗ると、そのまま軽い気持ちでジャンプした。
それだけでも、以前よりも大分余裕を持って門を超え、南小の敷地へと足を踏み入れる。
車に乗る必要も無かったかもしれないな。
「どうもお久しぶりです」
「……あ、ああ。すごくなったな上杉くん」
俺がぺこりと頭を下げると、成長した俺の身体能力に二人が目を剥いていた。
それから、ふぅーっと落ち着くように深呼吸したあとこう言った。
「それで、悪いお知らせと悪いお知らせと、あと悪いお知らせがあるんだ……先ずは話をしようじゃないか」
「……わーい」
やっぱり、南小では何かがあったらしい。
心踊らないお誘いを受け、俺は二人に連れられて校舎へと向かうのだった。




