第76話 合理的な選択
俺が、茉莉ちゃんをテイムする……?
一瞬、クミンが何を言っているのか分からなかった。
人間をテイムする?
いやいや、何を、突然。
「クミン? テイムスキルっていうのは、モンスターをテイムするためのスキルだろう?」
記憶の中にあるスキルの説明には、はっきりこう書かれていたはずだ。
──────
テイム:
モンスターに契約を持ちかけ、それに応じたものを使役状態にする。
モンスターの使役状態を維持するためには、対象に応じたコストCPを支払う必要がある。
消費CP:(使役対象のモンスターによる)
──────
そう、間違いない。
このスキルはモンスターに使うためのスキルだ。
「だから、人間である茉莉ちゃんに使うものでは」
『でも、呪腐魔病に犯されている人間が、人間扱いかモンスター扱いかは分からないんですよね?』
それは、当然人間扱いだろう。
そう答えようと思った俺の脳裏に、端末くんのある言葉が過った。
それは、俺がゾンビキラーというスキルを取ろうかどうか考えていたとき、何気なく端末にした質問だ。
──────
「端末くん。このゾンビキラーって外のゾンビにも有効なのかな?」
『外のゾンビ、の情報が不足しているためお答えできません』
「知ってた」
──────
あの時は、いつもの攻略情報不足だから答えてくれないという話かと思っていた。
だが、もし、本当にわからないのだとしたら?
外のゾンビに、ゾンビキラーが効く可能性が存在しているのだとしたら?
ダンジョンは、呪腐魔病に犯された人間を、モンスターとみなしている可能性がある?
「……まさか」
頭の中でたどり着いた仮定に、思わず口を抑える。
もちろん、俺の認識として、呪腐魔病に犯されている人は、ただの病気の人間だ。
だから、モンスターを使役するためのスキルは利用できない、はずだ。
だが、俺の考えと、ダンジョンのシステムの考えがイコールなどという保証はどこにもない。
「いや、いやいや。仮にだ、仮に呪腐魔病患者にテイムが使えるのだとしても、それが使う理由にはならないだろう?」
自分の仮定を否定するように、俺は口に出す。
そんな俺に、クミンは不思議そうに問いかける。
『何故です?』
「何故ってそりゃ。倫理的に考えて、治る手段が見つかってないだけの人間を、スキルの力でテイムするなんて、よくない、ことだ」
そう。よくないことなのだ。
仮にシステムがゾンビになった人間たちをモンスターだと判断したとしても、だったらテイムした方が良いとはならない。
さっきも言ったように、俺の考えでは、あくまで彼ら彼女らは人間なのだ。
人間が人間をスキルで隷属させようというのは──。
『上杉さん。私はモンスターだから分からないだけかもしれないですけれど。この状況で倫理というのはそこまで大事なことなんですか?』
「……それは、そうだろう」
クミンの追及に、俺は乾いた声で反論した。
「この状況だからこそだ。だからこそなんだクミン。この危機的状況だから、俺たちは人間の正しい心を自覚的に守らなければならない。生き残るために必要な、どうしても譲れないラインがたやすく引き下がっているからこそ、そうでないところで己を律しなければならない。そうしなければ」
『そうしなければ?』
「俺たちは、どこまでもたやすく、堕ちてしまえる」
俺が恐れているのは、きっとそういうことだ。
この状況だ。
街中にはゾンビが溢れ、ライフラインは分断され、インフラは壊滅し、治安などあってないようなもの。
その中で、それでも己を人間たらしめるのは、己を律する心だけだ。
それを失ったとき、俺たちは、システムに認識されない魔物となるだろう。
ゾンビになった人間を、可能だからテイムしようと考えるのは、この状況ではあまりにも危うい。
『でも、上杉さん。最初は想定していなかっただけかもしれませんけど、ウチが口に出したことで、もう気づいてしまっていますよね?』
「…………」
だけど、俺は分かってしまっている。
なぜ、クミンがこんな提案をしてきたのかの意味を。
クミンが提案していることは、決して、ただの思いつきなどではない。
『もし茉莉さんをテイムできたら、それがどれだけ合理的な利益をもたらすのか』
わかっている。
わかっているさ。
クミンに言われた時に、俺の正しい心はそのメリットを即座に検証してしまったよ。
『もし茉莉さんにテイムができるのなら、貴重な『意思疎通』ができることになります。加えて、人を襲わないように指示を出すことができるのなら、この家に閉じ込めておく必要もなくなります。ダンジョンのゾンビと違って見た目は人間なのですから、最悪、事情を説明して南小のコミュニティに避難させることもできるでしょう』
呪腐魔病に犯されたゾンビと、人間の違いは基本的にその一点。
意思疎通ができず、人を襲うという点だけだ。
重症であれば、その肉体が死体であるなどの差異もあるが、茉莉ちゃんは幸運なことに軽症である。
それにもし、茉莉ちゃんと意思疎通ができたとしたら。
たとえ恨み言を言われたとしてもいい。
たとえ拒絶されたとしても構わない。
彼女が再び、自分の意思で喋れたとすれば、こんなに、心が救われることはない。
『さらに、ダンジョンにも入れるのならステータスを確保することもできるかもしれません。私たちが求めている前衛をこなせるかもしれません。何より、目の届かないところに置いておく、という不安を解消できるのは、上杉さんとしても安心できますよね?』
もちろん、その点に関しても考えた。
テイムされたゾンビはダンジョンに入れるのかは分からないが、仮に入れるのだとしたら、この部屋に茉莉ちゃんを置き去りにしているという不安から解消される。
最悪、冒険に危険はつきものと部屋で待ってもらうにしても、主従間の念話が通じるのなら、危険が迫ったときに緊急回避的に口寄せすることもできる。
考えるまでもなく、大きな利点だ。
『なにより、茉莉さんが上杉さんにテイムされていたとしても、それを外側から判断する術は今の所ありません。もしどうしてもと言うなら、呪腐魔病の治療ができた時にテイムを解除すればいい。それだけですよね?』
そう。それだけだ。
茉莉ちゃんを連れ歩いて唯一問題があるとすれば、簡易鑑定を使われて茉莉ちゃんが呪腐魔病患者だと気づかれることくらい。
そしてまだ見ぬ鑑定スキルの上位版に、テイム関係を見破る何かがあるかも、という程度。
基本的に、端末の前でなければステータスの確認を行う術のない俺たち人間は、誰かのテイム関係すら満足に知ることはできない。
『上杉さんは、これらのメリットを、ただ人間的倫理観という一点だけで捨てられるんですか? 自身の矜持のために、茉莉さんの安全にすら関わるメリットを?』
「…………頼む、少しだけ待ってくれ」
クミンの静かな声に、俺は少しだけ時間をもらった。
言ったように、頭ではわかってしまっているのだ。
そもそも、テイムが通じるかどうかすら未知数で、こんな考えこそが杞憂で、ただただ「やっぱりダメだったよ」となる可能性は高い。
だけど、もしテイムが可能だったとしたら、茉莉ちゃんに同意を得た上でそれができるなら、茉莉ちゃんを救うという目的が、ほんの少しだけ前進するかもしれない。
これだけのメリットを提示されて、それを拒む理由は『俺の罪悪感や倫理観』くらいなのだ。
合理的に考えれば、結論などとうに出ている。
やらない理由はない。
『上杉さん。だから、ウチが提案したんですよ』
俺の葛藤する姿を見て、さっきまでの淡々とした口調とは違う、優しげな声でクミンが言う。
『上杉さんの心情はわかります。それでも、ウチはモンスターですから。ただ合理的に、メリットのある行動を取らないのが理解できない。だから上杉さんはこう思えば良いんです。『本当は嫌だったけど、クミンがそこまで言うなら仕方なく』って。それじゃ、ダメです?』
俺は、思わず拳を握りしめる。
言わせてしまった。そう思った。
クミンの言葉通り、彼女はただ合理的な提案をしただけかもしれない。
ただ、同時に彼女が俺の心を慮って、そういう逃げ道を用意してくれたことがわからないほどバカにはなれない。
だからこそ、俺は歯を食いしばって、笑って見せた。
「ありがとうクミン。だけど、大丈夫、覚悟はできたよ」
クミンの頭を撫でる代わりに、触角をふよふよと摩る。
クミンの優しさはありがたいが、ここは逃げる場面ではない。
「だからクミン。俺はあえて言うよ。これは俺が俺の意思で取った選択だ」
『上杉さん……』
俺が、俺の意思で背負うべき罪の意識だ。
俺が自分で選択しなければならないことだ。
「試してみよう。ダメならダメでいいんだ」
呟いて、覚悟を決める。
ダメでもともと。
むしろダメであってほしいと心のいろんなところが悲鳴を上げている。
試すという行為そのものからもダメージを受ける。
それでも、俺は茉莉ちゃんを救う未来に一歩でも近づけるなら、それをしてやる。
怪物との戦いの前に、心残りは一つでも少ない方がいい。
「ごめんよ茉莉ちゃん。俺は君を、今一度だけゾンビとみなす」
「……うぅうう? あぁあああううあああ」
これまで、俺は心の中でずっと茉莉ちゃんを、あくまで人間だと考えて行動してきた。
人間だから治せるのだと、心に刻んで生きてきた。
その認識を、一度だけ外す。
彼女がモンスターかもしれないという、恐ろしい仮定を元に、これを試す。
「テイム」
テイムと唱えることで、モンスターとテイマーをつなぐ意識の線のようなものが、伸びる。
その線は、目に見えないまままっすぐと、茉莉ちゃんへと伸びていって。
繋がった。
繋がってしまった。
「……うっ?!」
途端に、心理的な負担からか、唐突な吐き気が俺を襲う。
システムが、彼女をモンスターだと認識した事実に、心がちぎれそうになる。
だけど、まだダメだ。
ここで繋がりを断ち切ったら、俺はもう立てないかもしれない。
震えそうになる足を懸命に支えて、俺は茉莉ちゃんに声をかける。
「茉莉ちゃん? 聞こえる?」
『──────────』
茉莉ちゃんは、無言だった。
さっきまで呻いていたのが嘘のように、じっと俺を見つめながら何も言わない。
「何か、何か言ってくれないか?」
頭の中でいくつもの仮定が浮かぶ。
やはり、人間のテイムはシステムの対象外なのではないか。
いいや、呪腐魔病患者にはこれに答えるだけの自我がないのではないか。
そうじゃなくて、茉莉ちゃんは突然の声に戸惑っているだけではないか。
「頼むよ。何か、何か一言でも、答えて、くれ」
心を飲み込みそうになる不安の波が幾重にも襲いかかり、吐き気が最高潮に達しそうなとき。
確かに、聞こえた。
『────な……に』
「茉莉ちゃん!? 言葉が!?」
確かに帰ってきた返事。
俺は思わず、彼女に近づき、泣きそうになる。
確かに、答えてくれた。
言葉少なに、だけど、返事をしてくれた。
今までうめき声しかあげられなかった茉莉ちゃんの意思を感じて。
なのに、それなのにどうしてだか。
感じている吐き気が、強くなっていた。
茉莉ちゃんが、目をかっと見開いた。
『なに、なになになになになになになになに?』
「茉莉ちゃん?」
『なに……だれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれ????????』
壊れた機械のように、茉莉ちゃんが繰り返す。
ぞっとするような悪寒が、どんどんと強くなってくる。
テイムでつないだラインから、俺を探るような気配が逆流している。
体の震えは、止まらない。
そして、目を丸く開いた茉莉ちゃんが、唐突に言った。
『人間? 人間からの接触? あは。あははははははははははは!!!』
『上杉さん! 切って!!』
クミンの叫びで俺は我に帰る。
咄嗟に、つないでいたラインを強引に断ち切る。
ぶつん。
直後。
俺を襲っていた言いようのない吐き気がピタリと止む。
同時に、さっきまで目を見開いていた茉莉ちゃんは、その目を閉じる。
「……うぅうううぁああううああああ」
次の瞬間には、さっきまでのやりとりなどなかったかのように、ただいつものようなうめき声をあげる茉莉ちゃんがそこにはいた。




