第39話 ホームセンターの偵察
「ただいま、茉莉ちゃん」
「うぅううあぁ」
相変わらずのくぐもったうめき声に応えられて、俺は泣きそうになる。
コンビニからまた十分ちょっとかけて、俺は自室のアパートへと戻って来た。
少し考える時間が欲しかった。
コンビニで物資はそれなりに集まった。
相手側に少し残したとはいえ、カロリーを摂取するための保存食は結構持って来たし、自然解凍が進みすぎた冷凍食品なんかも、念のため回収しておいた。焼けば食えるだろう。
もともと残っていた食料と合わせれば一週間は保つ。三階層の先、四階層に進むことも現実的に見えてくる。
となれば、今から早速ダンジョンに戻ってしまっても構わない。
四階層で念願の食料確保ができるようになれば、ほとんど外の世界に出てくる必要もなくなる。
茉莉ちゃんの治療を第一に考えるなら、それが一番だ。
だが。
「生存者か……」
生存者のコミュニティの存在も知ってしまった。
南小。確か通常の災害時でも避難場所に指定されている小学校。
先ほど遭遇──いや、俺は姿を見せてないから違うか──発見した四人組が所属する集まり。
彼らの残したメモはこうだ。
【生存者へ。南小に避難所あり。ダンジョンあり。情報交換求む。特に『ホームセンターの怪物』について、何か情報があれば求む】
南小に避難所がある、ダンジョンがある。ここまでは会話内容から想定通り。
情報交換を求めているというのは、俺にとってもありがたい。もっとも俺が出せる情報となると──ダンジョンについて多少くらいか。
話を聞いている限りでは、倫理的にやばそうな思考を持っているようには思えなかったから、応じるのはやぶさかではない。
もしこじれたとしても、俺は身軽な立場だから、このアパートに逃げ帰ってくることくらいはできるだろう。
この時点で、彼らと接触することは選択肢としてはアリ。
特に、呪腐魔病について何か知っていることがあるなら、こちらから頭を下げてお願いしたいくらいだ。
なので、問題なければ接触は前向きに検討したいところ。
ただ、全く分からないものが一つ。
「『ホームセンターの怪物』ってなんだ?」
当たり前だが、このゾンビ騒ぎが起きるまでに、ホームセンターに怪物がいる、などという話は聞いたことがない。
現に俺は何の問題もなく買い物をしていたし、今のメイン楽器(武器ではない)となっている庭石はそこで買ったものだ。
となると、その『怪物』が現れたのは、ゾンビ騒ぎが起こった後ということになる。
「ゾンビじゃなくて怪物?」
また分からないことが増えた。
ダンジョンの中のことも分からないことだらけだが、ゾンビについても分からないことだらけだ。
呪腐魔病の重症とはなんなのか。死体が動いている原因はなんなのか。
なぜ戦闘でゾンビの頭を潰していたのか。ホームセンターの怪物とはなんなのか。
予想が付くこともあるが、予想はあくまで予想だ。
俺は未だに、外のゾンビと一度も戦ったことはない。
あまりにも分からないことが多すぎて、それらを放置したままダンジョンに向かうことが躊躇われる。
最悪、何も知らないまま悪手を打って、帰って来たら茉莉ちゃんが重症化した死体になってましたでは、死んでも償いきれない。
もちろん相手も何も知らないかもしれない。
でも何か知っているかもしれない。
そう考えたら、ここは接触した方がいい気がする。
「はぁーぁああ。なんかもう色々と疲れるなぁ」
頭で色々考えていたら大きなため息が漏れ出してくる。
正直、食料調達さえできればよかった筈なのに、外に出て来たせいで色々と悩みの種を拾いまくってしまった。
生存者と接触するにしても、こちらが求めるものや相手が求めるものを事前に考えて、ある程度の対応は決めておいた方がいいだろう。
そういうのを、考えなければいけないのが、少し面倒くさい。
ダンジョンに帰りたい。取得EPの効率を考え、スキル習得とレベルアップに必要なEPと睨めっこしながら、ゾンビを狩り回った生活が恋しい。
……相当俺の頭もおかしなことになってるな。二度とダンジョンなんか潜るかと決意したのは三日前なのに。
それくらい、現状は俺のキャパシティを超えているということだろうか。
「決めた。何も分からないなら、せめて一つくらい分かってから行動してみよう」
現状、分からないことだらけだが、一つだけ、俺がこの足で見てくることができるものがある。
それは『ホームセンターの怪物』だ。
これだけは、俺がふらっと出て行って、確認して帰ってこれる。
それで情報を取得できたら、相手側に大きな恩を売れるかもしれない。
出来なかったとしても、時間以上の損はない。
交渉を有利に進められる手札は、多い方がいい。
もちろん、ダンジョン同様絶対に無茶はしないつもりだ。
危機感と気配察知は全力で使って、それでも近づくことすら危険だと判断したら、見ることすら諦めて帰ってこよう。
もしそんな状況だったら、純粋に力不足だ。ダンジョンで力を付けるほかあるまい。
それはそれで、諸手を振ってダンジョンに潜るだけだ。
「よし、一度決めたら、行ってみるだけだ」
コンビニへの探索で、ゾンビの習性についてはそこそこ理解した。
呪腐魔病(重)の死体にだけ気をつければ、そうそう捕まることはあるまい。
「……しかし、怪物か」
俺の中では、怪物の正体については三通りの予想が出ている。
一つは、呪腐魔病の重症の先を行く感染状態の人間。
もう一つは、ダンジョンからなんらかの方法で連れ出された純粋な怪物。
あるいは、そのハイブリットのいずれか。
どれが良いとは一概には言えないが、可能であれば、怪物とは名ばかりのスペックであることを祈りたい。
そうであってくれた方が、人間の未来に希望が持てる。
「武器は、何か持っていくか?」
食料調達と違って、今回は偵察だ。
身軽であることも重要だが、危険度も高い。
何かあった時のために、護身用の武器が必要だろうか?
「いや、見つからないことが第一。見つかった時は、可能なら逃走。無理なら魔法で対処の方針のまま行く」
俺が一番恐れているのは、ゾンビの攻撃がHPを貫通することだ。
こればかりは理屈じゃない。スキルとは違う俺本来の危機感が、ずっとその危険を訴えている。
やつらの攻撃は、一度でも食らったらいけない、と。
だから俺は、外に出る時は動きを阻害しない程度に厚着をする。
ゾンビには極力近づかない。この方針は変えない。
近づかれても応戦ではなく、逃走を選択する。
最後の手段が魔法だ。最悪、自分を多少焼いても良い。
自分の魔法には、HPだって仕事をする。少しは。
「よし、行こう」
そうやって方針を固めて、俺は『ホームセンターの怪物』の偵察を行うことにした。
方角は北。普段は十分ほどの距離だったので、三十分はかけて慎重に行こう。
俺が住んでいるアパートは、この近辺では『坂下』と呼ばれる地帯である。
ここから北に向かうと、少しずつゆるやかな下り坂になっていて、その坂の終点に小さな川が流れている。
その川を境にして、今度は上り坂になっており、その坂を登り切ったあたりにホームセンターがあるのだ。
その坂の上の方が『坂上』と呼ばれている。
地域住民的には、上と下で微妙ないがみ合いがあるようなのだが、地方から出て来た俺は全く関係ないことだ。
俺は坂下の方が家賃が一万円くらい安かったからこっちのアパートに決めた。
大学に向かう度に坂を登ることになるのはうんざりだったが、その坂を登る度に500円貰っている換算だと思えば我慢できた。
それが何の話かと言えば、坂下から坂上にあるホームセンターを目指すには、まず川を渡るための橋に向かう必要があるということ。
なので、まっすぐ北ではなく、いくつかある橋のうち、ホームセンターに最も近い橋に向かって俺は進んでいった。
コンビニ方面に比べて、気持ちゾンビが少ない、というのが感想だ。
環状線での車の渋滞を思えば、こちらでゾンビになった人間は少なめだったのだろうか。
乗り捨てられた車も同様にやや少ない。そのため、必要があれば、庭に不法にお邪魔してやり過ごさせてもらうこともあった。
塀のあるお家しかない場合は、石を投げるなりして気を逸らした。
二度目の外出では、少し周囲を見る余裕もある。
家々はほとんどが無人。
たまに、住民の気配があるが、まぁ、そういうことだろう。
逃げろと言われても、どこに逃げれば良いのか分からなければ、そういう選択を取る人もいる。
そして、このウイルスは、逃げ遅れた相手にも容赦なく襲いかかるのだ。
誰が敵になるか分からない最初の混乱は、想像するだけでも恐ろしい。
それでも、想像より荒れた様子のない街並みは、まるで人間だけがごっそりと消えてしまった世界のように思えた。
そんなことを思いながら、俺は川を渡るための橋が見える位置にまでたどり着く。
そして、ホームセンターにたどり着く前に、橋の上に陣取っている『それ』を見てしまった。
(なんだ、あれは?)
それは、ぶよぶよの裸身を晒す、謎の人型だった。
身の丈は二メートル近いが、素直に身長と呼べるかと言われるとやや困る。
多分、足と、手と、そういった四肢にあたる部位は、一応ある。
だが、性別を分けるような、あるべきものがまず、ない。
そして、本来頭が在るべき場所に、口のついた大きな腕が一本。
いや、本当に腕か?
イソギンチャクのように、頭の上で一本の腕が途中で3本に別れている、謎の異形。
目はあるのか。鼻はあるのか。分からない。
こちらから見えない位置がどうなっているのか予想ができない。
それから目を離すことなく、俺は見つからないように潜伏しながらそっと簡易鑑定を掛けた。
隠密でも隠しきれるか分からないほど、心臓の鼓動が速くなって来ている。
相手に気取られる可能性が頭をよぎったが、それ以上に混乱する認識が、少しでも理解を求めた。
鑑定結果は、こうだった。
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なれはてたものたち
状態:呪腐魔病(悪性変異)
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理解は、少しも進まなかった。




