第35話 久しぶりの我が家
三階層の端末でレベルアップをしたあと、結局俺はスケルトン狩りをすることなく地上に向かうことにした。
理由は、よほどの幸運に恵まれないとジョブ習得の400EPに届きそうにないと思ったから。
寝て起きて回復したCP分で、スケルトン討伐にチャレンジできる回数は二回。
ただ、今後を考えるともしものためのCPを空にするのは嫌なので、せいぜい一回。
そして今まで見た最大の群れでスケルトンは6体。
ゾンビのドロップ率と大きく変わらないとすれば、スケルトンも10体に一つくらいドロップを落とすだろう。
で、その6体で一発ツモすれば、24*6に240を足してEP384。
帰りにゾンビを狩って帰れば400に届くというライン。
当然、ドロップがなければおしまい。
適当なスキルを習得してお茶を濁すことになる。
無理とは言わないが、そのためにスケルトン6体の群れをいきなり狙うのは怖い。
できれば3体、4体の群れで何度も慣れてから大物を狙いたい。
と、俺の安全志向が発動したので、結局チャレンジせずに大人しく地上に戻ることにしたのだ。
帰り道のゾンビを相手に、ゾンビから隠れながら動く訓練は行ってきた。
ゾンビ用の技も一つや二つ、編み出してある。
事実、俺は帰り道で一度もゾンビと戦闘することなく切り抜けることに成功した。
もちろん、悪臭抜きでだ。
ゴブリンについては省略しよう。
レベルが上がったせいか、複合スキルのせいか、彼らの後ろをぴったり歩いても全く気づかれる様子がなかった。
もしかしたら、前を歩いていても少しくらいなら気づかれないかもしれない。
そういうわけで、俺は三階層から入り口までの道のりを、ほぼ最速ペースで駆け上がってきたのである。
……流石に吹かした、せいぜい早歩きくらいのスピードだった。
それくらいだと疲れたと実感することもなくなったのは、ステータスの恩恵だけでなく、俺が運動に慣れてきたせいもあるのだろう。
「帰ってきたなあ」
入り口にある、謎の時空ゲートを見ると、ダンジョン探索から帰ってきたという実感が湧いてくる。
ここを超えれば懐かしの我が家……というには、このまえ色々と分解したりバリケード作ったり水溜めたりしてたから、模様替えしすぎであるが。
とにかく、俺の地上での拠点が待っている。
ダンジョンの拠点である二階層は、臭いがちょっとね。
『現在上杉様はEPを3所持しています。ダンジョンから出るとEPはEP結晶に変換されます。よろしいですか?』
俺が出口に向かうと、久しぶりに聞いたゲートの声が脳内に響く。
そういえば、いつの間にかこの声も端末も、俺を上杉様と呼ぶようになったなとふと思った。
「よろしいですよ」
『帰還の意思を確認しました。EPの結晶化を行います。お疲れ様でした。上杉様。外の世界でもどうぞお気をつけて』
そうして、謎の声に送られて、俺は久々に自分の家へと戻った。
「明るい、な」
自宅のアパートで最初に思った感想はそれだった。
ダンジョンには空も太陽もないが、明るくも暗くもない不思議な光度が保たれている。
影を見ればどこに光源があるかわかると思っても、影は真下にあって真上には光源が無いという謎空間だ。
それが一転、外に出れば太陽という強烈な光源が全世界を照らしているのだ。
カーテンを閉め切っていたにも関わらず、その存在感は俺に人の生きる世界の明るさを思い出させた。
……まぁ、今の俺は《闇と死の徒》になってしまったんだが。
「……ただいま。茉莉ちゃん」
「……ぅぅ……ぅぁ……」
今までなら、ダンジョンから戻った瞬間にベッドに飛び込みたい衝動に駆られたが、これからはそういうわけにはいかない。
俺のベッドは、現在病気の少女に貸切状態だ。
ダンジョンではあまり使っていなかった簡易鑑定で、状態に変化がないかを確かめる。
──────
人間・女
状態:呪腐魔病(軽)
──────
相変わらずの表示に、胸が苦しくなる。
とりあえず、この呪腐魔病とやらの症状が進んでいないらしいことが、唯一の喜びポイントか。
「一応、拘束が緩んでないかだけ確かめておこう」
仮に茉莉ちゃんの拘束が外れてしまったとしても、彼女がこの部屋から出るのは困難だろう。
バリケードもそうだし、玄関の扉には鍵もかかっている。
危険なのは、ダンジョンから帰ってきたタイミングの俺だけだ。
「拘束は異常なし。ってことは、俺が居ない間は無闇に暴れることもなかったってことなのか」
彼女の拘束は思った以上に綺麗なままだった。
つまり、襲う人間がいなければ、彼女はむやみに動くことすらないのだろう。
ますます、この呪腐魔病という、ゾンビウイルスを不気味に思う。
「……しかも、手の傷や腫れもそのままなのか」
俺は彼女のぼろぼろになった手を見て、歯がゆく思う。
どうやら、この状態の人間は手の傷が治るような新陳代謝もないらしい。
そもそも、魔力で体を動かしているという話だし、もしかしたら体自体はずっとコールドスリープしているみたいな感じなのかもしれない。
そんな茉莉ちゃんは、眠っているとはとても思えぬほど目を見開いて俺を見ている。
今の茉莉ちゃんは、俺をゾンビの仲間に引き入れようと、必死に拘束を解くためにもがいているのだ。
「そういえば悪臭を試そうかと思っていたんだった。茉莉ちゃんには申し訳ないけど、実験させてもらおうか」
この状態の茉莉ちゃんの前に、悪臭で飛び出せばすぐにわかるだろう。
そのためだけに一度ダンジョンに戻って、自室で悪臭を撒き散らすのが、ちょっとだけ嫌だった。
なお、呪腐魔病にゾンビ臭は効果がないようだった。
「無駄に部屋を臭くしただけだったが、実りはあったと思おう」
とりあえず、悪臭を撒き散らしながら外を出歩く必要はなくなったようだ。
安全対策の一つが潰れたわけだが、少しだけホッとした俺もいる。
その状態で仮に生存者に出会ったとしたら、第一印象は最悪だろうからな。
「……生存者か」
言ってから、考える。
どれくらい居るのだろか。
今はゾンビパニックが起きてからおそらく三日目。
もし食料がない状態だったとしても、まだ餓死者が続出するには早いだろう。
「問題は、どれくらいの生存者が抗体を入手できる環境にいるか。つまり、どれくらいがダンジョンに逃げ込めたのか」
ただ、このゾンビパニックの悪質なところは、感染者に噛まれなくても空気感染して発症するというところだ。
仮に避難所に逃げ込めたとしても、そこにダンジョンが無ければ待っている未来は変わらない。
正解はダンジョンに逃げ込むことだったが、果たしてどれだけの人がその選択を選べたのか。
そもそも、ダンジョンはそれほど日本中にあったわけではないはずだし。
「まぁ、救済を口にするくらいだから、各避難所に一つずつダンジョン作るくらいのサービスはしていても……いや期待はできないな」
ダンジョンを作った連中の考えは全く読めない。
ただ、むやみに人間を害そうと思っているわけではない、らしい、ことくらいはわかる。
現に、俺には何かを期待して複合スキルをくれたようだし。
「とにかく、地上に戻ったからには、目的を決めよう」
第一に、茉莉ちゃんを救うためには、もっとダンジョンの深くに潜る必要がある。
だが、それだけでは茉莉ちゃんが治った時に問題があるのは確認した通りだ。
せっかく地上に出たのなら、メイン目標とサブ目標を設定しておこう。
メイン目標:再度のダンジョンアタックのための食料の確保。
最低でも、ダンジョン内で食料になるモンスターが出現する階層を発見できるまで保つくらいの食料を仕入れたい。
今回は勢いで潜ってしまったが、できれば一、いや二週間くらいは余裕を持たせたいな。
サブ目標:情報収集。生存者のコミュニティの確認。
地上の状況を確認するのは、今後のため。
ゾンビの状況や、生存者のコミュニティの情報。あとは、何かしらダンジョンやステータスに関わる俺の知らない情報もできれば欲しい。
特に、ジョブ関係の情報なら、救済措置でジョブを手に入れた人達が俺の前を走っているはずだし。詳しい話を聞いてみたい。
「あとは、それぞれの対処方法を検討しておくか」
ゾンビ、生存者、それぞれと遭遇した時に、どういう行動をとるのかは今のうちに決めておいた方がいい。
どんな状況が発生しうるか、ここで目一杯悩むのは良い。
実際にその状況に対面したとき、決断は一瞬でするのが望ましいから。
ゾンビは基本的に、殺したくない。
彼らはまだ、呪腐魔病に犯されている人間の立場だ。
治療薬さえあれば、治る可能性が残されている。
いくら正気でなくとも、それを一方的に殺すのは抵抗がある。
だけど、もしそうしなければ俺が病に犯される状況。
あるいは、そうしなければ生存者が危険に晒される状況であったなら。
……殺そう。その覚悟で攻撃する。
将来救える可能性のあるゾンビと、目の前の人を救うことを天秤にかけたら、そうなる。
「…………」
願わくば、そうなる前に解決できるようにしよう。
きっと俺は、その選択を忘れることはできなくなるから。
「あとは、生存者が敵対的な場合」
生存者が友好的であれば、穏便に情報交換すればいい。
俺は茉莉ちゃんのこと以外なら、正直に話して困ることもあまりない。
コミュニティへの合流を求められたら、きっぱり断るだけだ。
だが、生存者が敵対的であったら。
食料や情報を一方的に求められても応える気はさらさらない。
可能なら、逃げよう。
この状況で、逃げる人間一人を追いかける余裕はないはずだ。
だが、もしも俺の家まで突き止められたとしたら。
それは、茉莉ちゃんの存在が危険に晒されるということになる。
その時は──。
「…………本当に寝られなくなるから、へまだけはするなよ俺」
俺はひっそりと、覚悟を決めた。
この状況、まだ三日目であるなら、そこまで変貌してしまっている日本人はそう居ないと思っている。
だが、もしその時が来たら、俺は茉莉ちゃんを守るために、この手を汚す覚悟をしておこう。
絶対に、吐くだろうけど。
何日も、寝られなくなるだろうけど。
他にも、生存者同士が争っていた場合など、いくつかのパターンを想定して、俺は自分の行動方針を固めて行った。
最悪のシナリオばかり考えていたので、想像だけでだいぶ気が滅入った。
大半は、こんな状況で争うことの愚かさを呪う結果になったので、本当にそんな状況に出くわさないことを切に願うしかない。
普通の大学生には、あまりにも荷が重い。




