第218話 魔術板
隠密状態で動いていると、頭の中では一つの戦いが思い出される。
今は俺の頼れる切り札、もとい相棒みたいなポジションになっているT君。
──かつて『なれはてたものたち』という名前で、俺を絶望の淵に叩き込んでくれた悪性変異体との戦いだ。
あの時、あの怪物は闇の中の俺を見てはいなかった。
にも関わらず、こちらの動きに即時反応して、手痛い反撃を放ってくれた。
それでも、時間を稼ぐためには攻撃を続けなければならず。
俺は自分の命を対価に、たった2分を死ぬ気で稼いだ。
その時と比べて、今はどうだろうか。
闇の中にあっても相手の目は見えるはずなのに、人狼は俺の姿を追えていない。
夜のカーテンは世界を覆い、本物の夜を侵食して闇を広げている。
その中の俺は、気配も、足音も、匂いすらも消し去った、一つの闇と化している。
あの時よりも、成長している。
一撃。
たった一撃なら、確実に人狼に有効打を叩き込める。
それが俺が隠密できている現状の成果であり、同時に今の俺の限界だ。
その一撃で、最大の結果を生むためにはどうするべきか。
絶対に必要なのは、銀を体に打ち込むことだろう。
だが不明なのは、銀をぶち込んだ結果どうなるのかが分からないこと。
心臓に風穴を開けてそこに突っ込めば流石に死ぬだろう。
だが、例えば今も抑えている首の傷を銀でえぐったらどうなる?
腕の傷にねじ込んだらどうなる?
どれくらいで奴が致命的なダメージを受けるのかが分からない。
分からない以上、一か八かで試すべきじゃない。
確実な効果が見込める、最大の成果を目指すべきだ。
「GOoooooooGYAAaaaaooounnnnnnnn!!」
「いちいちうるさいっっ!!」
人狼とクミンが切り結んでいる。
だが、終わりが近い。
再生能力のある人狼の爪は、なんどやりあっても壊れることがなく。
反対に、クミンの甲殻ブレードは、少しずつ削れひび割れていく。
覚悟を決めろ。
しくじったら死ぬ。
恐怖を踏み越えて、一歩を踏み出せ。
ふと、頭の中に『今からでも逃げたら良いのでは?』という弱気が現れる。
さっきなら確実に逃げられた。
今でもまだ逃げられる。
クミンに殿を任せて、四階層にでも逃げてしまえば追ってこれないんじゃないのか?
そんな考えが、左足の痛みを押し付けた思考から漂ってくる。
強引に闇を埋め立ててぎこちなく動く部位から、泣き言が響いてくる。
うるせー黙れ。
そんなこと、最初からずっと考えてんだよ。
それでも、今挑戦するのは。
時間がないから、だけじゃない。
クミンに頼まれたから、だけじゃない。
死にかけた状況から逃げるのは、グールとの戦いだけで十分だからだ。
あの二階層で無様にダンジョンから逃げようとした俺を思い出すからだ。
茉莉ちゃんを助けるって決めた俺が、あの日と同じ弱気に飲まれたら、助けられるものも助けられない。
どうしようもなく、そんな気がするから。だから。
「やられっぱなしじゃ、終われねーんだよ!!」
「GRO!!??」
クミンと人狼が切り結ぶ、その真っ只中。
人狼の背後で鍾馗を喚びだした俺は、奴の左足のひざ関節目掛けて、思い切り鍾馗を振り抜いた。
首筋を裂いた時よりもなお強い抵抗がある。
だが、あの時とは状況が違う。
踏みしめる地面がある。力が十全に刃を伝っていく。
不意打ちスキルや強打スキルの補正も載せて、一番脆い箇所を叩く。
鈍い抵抗がぷつんと切れて、次の瞬間には、人狼の左足は胴体とお別れしていた。
俺の左足を抉ってくれた、お返しだ。
「GROOROOOOOROOOOO!!!!!!???」
人狼の悲鳴が響く。余裕のない声に、手応えを感じる。
次の瞬間には、奴は激しい怒りでもって、俺に爪を叩き込んでくるだろう。
事実、人狼は首筋を抑えていた手も使って、俺に反撃を叩き込まんとしてくる。
首からは血が出ない。
すでに傷はふさがっていた。
やっぱりこいつ、すでに治っている傷を隠してやがった。
そういう小賢しい手を使うのは、もう学習した。
この先に出てくるモンスターには、もう二度と油断しない。奴らは必ず、知能を持って俺たちを騙そうとしてくる。それを肝に銘じる。
そして、そう考えている合間にも、片足で繰り出された鋭い爪の突きが即座に迫って来ている。
それに紙一重で回避を合わせられるほど、左足のダメージは軽くない。今の状態でパフォーマンスを期待されても困るのだ。
……二本の腕から繰り出される打撃に俺はきっと耐えられない。
なにせ、俺は今防御を捨てている。
背水スキルがそれを後押ししている。
一撃をもらったら、確実に死ぬ。
そんな状況でも、俺は余裕で笑ってみせた。
「ゴーレム! やれ!」
人狼は今、俺に夢中だ。
だからゴーレムからの投擲を避けられない、そう踏んだ。
なにより、確かに俺は一撃をくらったら死ぬだろう。
本当に、一撃を食らうのなら。
「馬鹿!!」
思った瞬間には、俺とクミンの位置が入れ替わっていた。
身代わりスキルが発動し、一撃死確定の俺に代わってクミンが人狼の攻撃を受ける。
スキルの補正と、アリ種の甲殻、そして食いしばりの保険まで入ったクミンは悠然とその攻撃を受けた。
そしてそのまま、衝撃を受け流すようにその場を跳び離れる。
ゴーレムが投げようとしているものが何か、知っているから。
『──────!』
それらの攻防の最中に、ゴーレムは俺の渡した鉄の箱を投擲した。
それはレーザー光線のような直線の軌道で、人狼の一本残っている足めがけて突き進んでくる。
人狼は今片足で、クミンへ攻撃をした直後。
避けられない。誰もが、そう思うだろう。
「Graaaa!!」
だが、人狼は避けた。
先ほど、俺が人狼の突進を避けたのと同じ要領で。
わざと倒れるように体を傾け、地に手をついて爪を突き立て、強引に体を浮き上がらせる。
切断された左足から血を迸らせながら、それでもそんなものは大した怪我でもないと言うように。
人狼はその強靭な肉体でもって、俺たちの『秘密兵器』を回避してみせた。
足元を狙っていた秘密兵器が、人狼に当たることなく地面に直撃し、不発したようにバラバラに砕けて散った。
その様子を見て人狼が、確かにほくそ笑んだように口を開ける。
「それが狙いだよ」
攻撃の成功を確信し、土石魔術を行使する。
秘密兵器を避けるために無理な動きをした人狼は、すぐには動けない。
それを見越して、俺は人狼を足止めするように、土を操り奴を絡め取る。
ほんの数秒でいい。奴を完全にその場に縫い止めるために。
そして秘密兵器──鉄の箱の中に入っていた『半分に切断されたゴーレムのコア』が地面にぶち当たったところで、それはいつものように、箱状の部屋を形成した。
それは吸血蝶狩りで散々使っていた、吸血蝶処刑ルームと似たような箱の部屋。
だが、細部が違う。
人狼が入った箱の中には、その住居記憶コアを囲んでいた『鉄板』が上下左右の壁に設置されている。
その鉄板こそが、本当の秘密兵器。
名付けて『魔術板』だ。
もともとは、俺がクソダンジョンで地面に魔法陣的なものを書いて、それを後で発動できるようにしたところからの発想。
そして、マインの使い勝手を向上させるアイデアを考えていたところからの、複合アイデア。
本来、マインは地面や床に直接設置しないと、暴発してしまう性質があった。
それがなぜかというと難しいのだが、簡単に言えば『魔術を保持しておける土台としての大きな器』というものが、設置場所に必要だったのだ。
だから、ゴブリンに直接書き込んで自爆特攻させるみたいな使い方ができなかった。
それを一気に解決したのが、鉄という素材であり、そして魔法陣技術だった。
マインを手動発動から条件発動に切り替え、CPを注げば即座に魔術が起動可能になる魔法陣という仕掛けを開発、そしてそれをCPをどか食いして作った鉄板に刻む。
短時間なら、鉄板はマインの土台として働くとわかったのだ。
進んだ魔術の知識と、鉄板という『魔術に耐えうる小型の土台』、そして急成長した魔のステータスが作り上げた、俺たちの最高火力。
今完成したのは、出口のない部屋と6枚の魔術板で作られたキルゾーン。
人狼を包み込む、逃げ場のない火葬場だ。
「燃え尽きろ」
呟いた直後、密閉された石の部屋の中に火の花が咲いた。
出口のない部屋のなかで、魔術の火が中の空気を奪い合うように燃え上がる。
6発同時に起動する、火力だけを突き詰めたマインが地獄を作る。
人狼の悲鳴すらもかき消す爆音が、ズンと響き、やがてその場には静寂が満ちた。
「クミン」
『はい』
最後に外に露出しているコアを取り除けば、箱型だった部屋は崩れ去り、中には消し炭のようになっていた人狼の姿があった。
だが、それを見た直後に俺たちは確かに聞いた。
「gro……oooo……ッ」
その状態でなお蠢く人狼の心臓の鼓動。
燃え尽きた喉が再生を始め、弱々しくも敵意を失わない声を上げる。
もはや顔の原型も怪しいにも関わらず、その狼の牙が、確かに俺を噛み殺さんと研ぎ澄まされる。
まだ生きている。
まだ死んでいない。
敵意と殺意は、決して燃え尽きない。
CP300をつぎ込んだマインの爆発であっても、人狼を殺しきることはできていない。
俺はその強靭さに、怒りを忘れて敬意を抱いた。
絶対に相容れぬ敵であるが故に、最後まで敵として立っている姿に、畏れを抱いた。
……だが、人狼が見せたのは意志だけだ。
切断した左足はもとより、全身がまともに動いていない。
近づく俺を警戒はできても、その牙を噛み合わせることすらできない。
俺は、ストレージから一欠片の銀を取り出し、それを手に持つ。
「さよならだ」
一撃。反応もできない人狼の心臓を鍾馗で貫き。
二撃。その空いた穴に、銀のかけらを突き込んだ。
「roo……」
その直後、黒焦げになりながらも再生を始めていた人狼の体が、ボロボロと崩れ去っていく。
それらは、キャンプファイヤーの燃えかすのように積もり、次の瞬間には光の粒子となって俺の体に吸い込まれていった。
どれだけ強敵であったとしても、死ねばEPとなって消える。
その法則に当てはまらなかったのは、あのクソダンジョンの連中くらいだ。
最後に、ぽとりと銀の欠片が落ちる。
果たして、この銀を再利用していいものだろうか、悩む。
茉莉ちゃんがこの銀の逸話を聞いた時に何て言うだろうと、ちょっと明後日の考え事をしていると、もう一つ、金属製の何かがドロップした。
「これは、鍵?」
果たして、そこに残されていたのは、人狼のドロップアイテムとして考えるにはちょっと異質な、アンティークな雰囲気のある金属鍵だった。




