第155話 これでチャラにしてあげますよ
全身に力が入らない。
奥義【十歩必殺】のデメリットにより、これから30秒の行動不能に陥る。
仮にそれがなかったとしても、奥義の反動で酷使された体は、まともに歩くことすらままならないだろう。
「…………ぉぇ」
頭だけを回しているが、それですらひどい頭痛と吐き気がする。
気持ちいいくらいの空に、気持ち悪い感触の肉ベッド。
外的要因がプラスマイナスゼロだと、どうあがいても気持ち悪いが勝る。
だが、それでも気分は爽快だった。
切り抜けた。
その安堵感でいっぱいだ。
「上杉くん! 今そちらに救助を送る!」
松川さんの声が聞こえるが、あいにくと今の俺は腕の一本すら上げることができない。
あと30秒はこのままだが、幸いなことに俺が横たわっているレギオンの死体は、今の所、固体のままだ。
このまま沈み込んで窒息することはないだろう。
だから、あとは松川さんたちに全てを委ねて、重力に負けたがっている瞼をそのまま下ろしても──。
「おめでとう! あは! おめでとう人類の皆様! わたくし感動いたしましたわ!」
声が響いた。
俺に向けたものじゃない。
よく通る声が──この空間にいる全ての人たちへと向けた声が聞こえた。
『バカな!? コントロールは確実にこちらで!』
「ダンジョンはもう捨てましたわ。今のわたくしは、ただのわたくしですわ」
『っ!』
耳元で端末くんが叫ぶ。
俺に聞かせるつもりではなく、本当に咄嗟にでてしまったという叫び声。
閉じていくばかりだった瞼を懸命に開くと。
目の前に、女の顔があった。
肌も、髪も、その全てが真っ白で。
目だけが真っ赤な女の、背筋が凍るほど美しい顔があった。
「あはは。おめでとう上杉志摩。あなたの行動は、わたくしに多くの学びをもたらしました。ありがとう上杉志摩。わたくしは、あなたにとても感謝していますの。心からあなたの全てを讃えましょう!」
「……ぉ……ぇ……あ」
「動けないのね。喋れないのね。ああ。これは重畳。わたくしの本懐を果たせそうですわ」
女がにんまりと、口を歪めた。
「上杉くん!? くそっ! 救助を!」
レギオンを倒した直後のことで、その場の全員が咄嗟には動けなかった。
だが、おそらくこの──レギオンから生えてきたとしか思えない女が、味方であると思えた人間はいないだろう。
彼らは即座に、女に向けて攻撃を放った。
レギオンとの戦いで全てを絞り尽くしていても、そこからさらに限界を超えて絞り出す。
しかし、それが女に届くことはない。
「レギオンは核を失いましたけれど『わたくしたち』は死んでおりませんの。少し無理をすればこの通り」
とたん、俺のベッドと化していたレギオンの、死肉が蠢く。
腕を出したり、ヒトカタを出したりといった行動は取れない。
だが、肉を蠢かせ、攻撃の盾にすることくらいは、できたらしい。
悪性変異の果て、人類試練という性質を得たレギオンは、悪魔と化した。
それは、いわば一つの生命でもあった。
であれば。
その死体が、ゾンビにならないという保証はない。
「無粋なことはおやめになって。わたくしは本当に、お祝いをしにきたのです。わたくしの成果を台無しにされたのは悔しいですけれど。それでも、みなさまの健闘を讃え、わたくしなりの餞別をお贈りせねばと」
レギオンの死肉で鬱陶しそうに攻撃を防いでいた女は、そこで不意に俺を抱きしめた。
体の力が入らず、俺は抵抗もできぬまま彼女に抱きとめられる。
「っ! 攻撃やめ!」
俺を巻き込むことを避けるように、松川さんたちの攻撃が止む。
それを愉快そうに眺めて、女は俺をさらに強く抱きしめる。
俺が歯を食い縛るが、それすらも愛おしそうに、女が俺の頬を撫でた。
「あなたには、本当に驚かされましたわ。そして多くを学びました。人類は、どれだけ追い詰められようともそれに立ち向かう時、魂をあそこまで輝かせるのだと。ええ。故に、世界にはダンジョンが生まれた。人類には、まだ可能性が残されていることを示すように」
「……な……に……を」
「ですが、こうも思いましたの。ダンジョンにあなたをくれてやるのは、あまりにも惜しい。わたくしは、あなたが欲しい。肉片を粉々にしても、脳が活動を止めてもなお、輝き続けるだろうあなたの魂を、この身全てで受け止めてしまいたい」
女が何を言っているのか理解ができない。
ただ、このままだと、何かとてつもなくまずいことが起こる。
それだけは、スキルなんて使わずとも理解ができた。
「あは。あなたに教わったことですわね。たしかそう」
パチン、と指が鳴る。
そして、大きくそれが動いた。
今まで、死体として無理やり動かされていたレギオンが、ズズズと自らの力で蠢きだす。
いや、違う。
動いているのではない。
ただ、膨らんでいるのだ。
まるで、あの、肉風船のように──。
「あは──芸術は……爆発でしたわね? あは、あははははは! さぁ、皆様の健闘をお祝いする──素晴らしい花火をあげましょう!!」
生き物に本能的に備わっている危機感が、世界を染め上げる。
脳裏に浮かぶのは、あの人型の爆弾。
可燃性の毒ガスとウイルスをふんだんに込め、悪辣さで包んだような人間爆弾。
それと同じことを、こいつはレギオンで──この悍ましくも巨大な肉塊で行おうとしている。
『人類の皆様は急いで避難をしてください!』
今度のアナウンスは、俺の耳元からではなく、ダンジョンの全体に確かに響いていた。
すでに試練は終わった。この場で試されることは何もない。
だから、爆発に巻き込まれる前に避難する。それしかない。
そして、俺は、動けないままだ。
「上杉くんがまだ!」
「っ! しかし!」
松川さんの声は、相変わらずよく通る。
だが、この状況で俺を心配している場合じゃないだろう。
もう、迂闊にレギオンに攻撃を加えることもままならない。
まして俺は、謎の女に拘束されたまま。
もう、助からない。
まさしく、絶体絶命の状況だ。
「あは。どういたしますの? ようやく、諦めますの?」
だが、此の期に及んで、最後に諦めた顔をこいつに見せることだけは癪だった。
たとえ、もう助かる見込みがなかろうと。
最後まで、不敵な顔で睨みつけてやる。
「それでこそ、それでこそですわ! ダンジョンなどに取られてなりますか。あなたの輝きで、わたくしたちもようやく────」
そして、その続きを俺が聞くことはなかった。
なぜなら、次の瞬間、俺は松川さんに抱きかかえられ、ダンジョンのゲートに向かっているところだったから。
「!?」
突然の場面の転換に、混乱する。
しかし、俺が現れたことに松川さんは驚きつつも戸惑いはしない。
「なに、が?」
「…………くっ」
俺の問いかけに、松川さんは答えない。
ただ、ゲートに向かう道すがら、俺の顔だけを、ちらりとレギオンの死体の方へと向けた。
そこには。
「……クミ……ン」
さっきまで俺がいたはずの場所。
真っ白い女の腕の中。
そこに、俺の代わりに、一体のアリ型モンスターが収まっていた。
(身代わり。やっぱり必要だったじゃないですか)
頭の中に、クミンの声が響く。
俺の喉は満足に動かなくて、体の隅々がズタボロでスキルの発動もままならなくて。
それでも、脳の血管をブチブチと千切りながら、俺は念話を返す。
(バカな! クミン! お前、そんな!?)
それだけの無理をしても、まともな言葉が出てこない。
思考がまとまってくれない。
彼女が何をやったのかはわかっている。
クミンは、俺のカバーのために二種類のスキルを身につけていた。
一つは、相手の攻撃に対して俺の前に出ることでその攻撃を代わりに引き受ける『かばう』というスキル。
そしてもう一つは。
──────
身代わり
致命的な攻撃を受ける寸前の味方が存在する場合に、その対象と位置を入れ替え代わりに攻撃を受ける。
また、その際にダメージに0.5倍の補正をかける。
消費CP:20
──────
そう。身代わり。
これは、かばうとは違う特徴を持っている。
自分と対象の位置を入れ替えるという特性。
これもまた、緊急的な瞬間移動の特性を持ったスキルだった。
ただ、それはつまり、俺が致命的な攻撃を受ける寸前だったという話。
そして、それをクミンが代わりに受けるという話。
ダメージ半減の補正がついていたところで、あの質量の爆弾が爆発するダメージを、耐え切れるわけがない……。
(上杉さん。ウチ、まだ許してないって言いましたよね?)
(……お前を、あのとき送還したことを)
(はい。結果的に、それが巡り巡って、人類試練の突破につながったというのは、あると思うんですけど。それでも、心情的には許せなかったです。上杉さんが、自分を犠牲にしてウチを助けただけじゃないかって)
このダンジョンに飲み込まれそうになったとき、俺はクミンだけを脱出させた。
あのとき、危機感は真っ黒だったし、仮にクミンと一緒にダンジョンに飲まれていたら、どうなっていたかは分からない。
だから、あの瞬間はあれが最善だった。
だけど、クミンはそのことを、どうしても許せなかったらしくて。
だから。
(これでチャラにしてあげますよ。上杉さん)
(ばかやろう)
(上杉さんには、言われたくないですね)
そして、俺とクミンの会話はそこで終わった。
レギオンはもう、誰が見ても破裂寸前というくらいパンパンに膨らんでいる。
身代わりスキル発動のため、ギリギリまで俺に近づいてくれていた松川さんが、最後尾。
他の人はみな離脱済み。
そして松川さんに抱えられたまま、俺たちはゲートを抜ける。
俺は、歯を食いしばって、それでもと願いを込め。
準備していたスキルを、必死で。
「口寄──」
『テイムモンスター:クミンが死亡しました』
『テイム契約を解除しますか?』
端末くんとはまた違う、システムからの脳内に直接届く声が。
俺に、その事実を淡々と伝えていた。




