第154話 ダンジョンの空を灯す
目の前にそびえるのは、見上げるほどの高さをもつ化け物。
入った瞬間から、夜と夜明けの中間みたいだったダンジョンの空は、もう間も無く日の出を迎えそうな明るさだ。
事実、その通りなのだろう。
この世界に、太陽のような明るさが灯ったとき。
東京は終わる。
そう確信した。
カウントは588。
残り12秒。
クミンが作り出してくれた足場を踏みしめ、一歩進む。
そして気づく。
世界が変わった。
急激なステータスの変化に戸惑う身体を、加速した思考能力による身体制御で強引にねじ伏せる。
まるで加速アイテムを限界まで取ってしまった、シューティングゲームの自機のような体を、体感時間を引き延ばすことで強引に操作している。
それが苦じゃない。
言いようのない全能感が俺を包んでいる。
身体は悲鳴を上げている。特に足が酷い。もともと負傷はしていたが、今にも砕けそうなほど痛い。
背水で0になった体ステータスでは、どれだけ器用に動こうともダメージを受け止めきれていない。
顔にぶつかる空気すら、粘性のある壁のようだ。
風の抵抗、重力の軛、そういったものを、俺は生きてきて一番感じている。
俺はそれを、広がる闇で強引に塗りつぶす。
俺の動きを阻害する全てを食いつぶす。
この世界に存在する物理的な法則を、闇の中に葬り去った。
やろうと思ったら、出来た。
俺はいま、魔術の深淵を少しだけ覗いている。
慣れない身体の操作と、魔術による防護だけで1歩目は終わってしまう。
側から見れば、俺は高く飛び上がっただけだろう。
闇の中を見ることができていれば、の話だが。
590。
続く二歩目。
もう俺には分かっている。
この闇はすでに俺の支配下にある。
俺は、纏う闇を一部『固定』して、そこに足をかけた。
地を蹴るような感覚とは程遠い、地面に比べてひどく曖昧で不安定な足場。
それでも確かに、闇を踏む。
魔術の深淵に、また一歩近づいた。
俺がそこを離れてから、数瞬おくれて土石魔術の足場が届いた。
もう、クミンに足場を作らせるのは無理だろう。
体と運を除き、背水を合わせて9倍になったステータスは、別物すぎる。
今の俺のスピードに、おそらくクミンは付いてこれない。
「送還」
俺の背後にいたはずのクミンを、俺は送還で杉井さんたちの足場に合流させる。
ここからは、俺一人でやる。
やらなければならない。
【うぅうううぅうぅうぅうううう】
前を見た。
司令塔を失った肉塊が、反射的に近寄ってくる俺に気づく。
そして、俺を脅威と認定したらしい。
松川さんたちは、時間内にレギオンを殺せない。
俺は殺せる。
それが事実だ。
だからレギオンは、俺に全てを傾けた。
松川さんたちを狙っていた攻撃の全てが、俺へと向かってくる。
この空間を肉の海ごと薙ぎ払おうとした巨大な腕が、今はただ俺一人めがけて薙ぎ払われる。
592。
三歩目。
闇を踏んで、薙ぎ払われる大腕を回避する。
だが、案の定それでは終わらない。
腕が払われると同時、千々に腕から肉片がちぎれ飛んでいき、それらは不定系の人間──ヒトカタの腕や足となって俺に伸びてくる。
司令塔がいなくなって、個々が人の形を保てなくなっている。
雑多に混ざり合った『何か』が、さらに雑に蠢いている。
だが、無秩序ながら、確かにそれは俺の動きを阻害する脅威たりうる。
腕を払う。
足を切りとばす。
大口を開けた顔もどきを殴り飛ばす。
空中で力を込めるのは難しい。
そのために踏ん張ると、歩数を使ってしまう。
俺はまだ、レギオンの弱点に飛び込める場所にすら来ていない。
体捌きだけで、慣性だけで、前に進む。
だが、限界がくる。
これ以上は、進めない。
「ちっ!!」
594。
四歩目。
もう一度、闇を踏み込み加速する。
先ほど群がって来ていたヒトカタモドキを振り切り、レギオンの直上へと到達する。
心臓への道が見えた。
肉がごっそり抜け、落ち窪んだその穴の奥。
脈動する黒いコアが闇の中に浮き上がる。
だが、そこまでの道を阻むように、肉塊からサイズ感を無視した人間の形の肉が、何体も何体も、上半身を生やして現れる。
先ほどのパーツ人間とは明らかに違う。
明確な意思を持ったそれらが、レギオンの心臓へと至る道を塞ぐように立ちはだかる。
邪魔臭い!!
595。
選択肢は二つに一つ。
排除するか、すり抜けるか。
排除するには、足を止めるしかない。
すり抜けるには、足を使うしかない。
足を止め過ぎれば、俺は死ぬ。
足を使い過ぎても、俺は死ぬ。
どちらが、より早く心臓にたどり着けるか。
それすら分からない中で、声が聞こえた。
「目を覚ませ! 萩原! 石楠花! 韮崎!」
松川さんの大声だと気づいた。
だが、このタイミングでいったい何を。
そう思った瞬間、気づく。
レギオンから生えて来たヒトカタのうち、いくつかの動きが、鈍る。
それはまるで。
上位者の支配が弱まった『彼ら』が、生前の名前にうっかり反応したような。
596。
五歩。六歩、そして七歩。
闇を蹴り、姿勢を変え、立ちはだかる敵をすり抜ける。
最小限の障害だけを斬り伏せ、悲鳴をあげる足を強引に動かし。
ヒトカタの隙間を縫う。
当然、行き先には新たなヒトカタも現れ、それらが俺の行く手をまたも阻もうとするが。
「蓮也!」「アザミ!」「侘助!」「茅場!」「篠原!」
外から、人の声が響く。
「──!」「──!」「───!」「─!」「──!」
「──!」「──!」「─!」「───!」「──!」
「─!」「───!」「──!」「─!」「────!」
「──!」「──!」「─!」「───!」「──!」
「────!」「──!」「───!」「─!」「──!」
「──!」「─!」「─!」「───!」「──!」
「─!」「───!」「──!」「─!」「────!」
「──!」「──!」「─!」「───!」「──!」
「─!」「───!」「──!」「─!」「─!」
男性の声も、女性の声も、ごちゃごちゃになって聞き分けできないくらい、たくさん聞こえる。
手当たり次第に、仲間の、友の、家族の、知人の名前を叫んでいる。
ホームセンターの怪物に飲まれた、大切な人の名前を呼んでいる。
それによって少しだけ、ヒトカタは動きを止め、空いた隙間を俺は抜けた。
これは戦いだった。
俺のじゃない。
レギオンに飲み込まれた、彼らのだ。
まだ彼らが人の意識を残しているのか。
それとも心まで飲まれて消えてしまったのか。
今、その最後の戦いが始まっているのだ。
勝ってくれ。
少しでも、抗ってくれ。
俺を、前に進ませてくれ!
レギオンの心臓が近い。
鍾馗を握りしめる。
直進すればあと二歩もいらない。
そんな場所まで来ている。
598。
八歩目。
俺は闇を踏み込む。
まっすぐに、もう邪魔は気にしない。
鍾馗を構え、前を見据え、周囲から伸びてくる手も、足も、口も、全て思考の外に追いやる。
それらが支配に抗って、勝ってくれることを信じる。
俺の『暗澹たる死よ来たれ』で即死判定を出すには、攻撃が有効でなければならない。
相手は悪魔の心臓だとすれば、生半可な攻撃ではきっとだめだ。
有効な一撃をあの心臓に叩き込むには、全身全霊の一撃が必要だろう。
そんな一撃を加えるために、ただ前を見て、闇を道とし。
そして、両足を掴まれた。
肉塊から伸びているその長い腕は、ヒトカタのものですらない。
どこぞの、なれはてたものたちの。
例えば、二階層で屠った誰かのような。
そんな、頭から伸びているような腕が、いままさに踏み込もうとした俺の足を掴んでいた。
ああ、そうだろうな。
お前らみたいなやつは、とっくに飲み込まれて久しいだろうな。
誰かの足を引っ張ることすら楽しむような連中なら、抗うことも、名前を呼ばれることもないだろう。
だが、こんなところで足を止められてたまるか。
お前らごときに、止められてたまるか。
もし、欠けらでも、まだ自我が残っているのなら。
少しでも、取り込まれた意識があるのなら。
あと一度だけ自分を取り戻せるのなら。
俺が呼ぶ。
足元を見もせず。
名前を口にした。
「田無。葛城店長」
拘束が消えた。
さぁ、行こうか。
599。
九歩目。
踏み込んだ足が、今までよりもしっかりと闇を蹴る。
最高の踏み込み。その証拠に足がぶっ壊れた。
もはや痛みは気にしていないが、少し怖い。
そんな思考すらどこか遠くに感じながら、俺は鍾馗を突き出した。
早く、鋭く、人生で最高の一撃を。
ズブリ。
ほんの薄皮一枚のような、それでいてとてつもない金属を貫いたような。
そんな相反する抵抗を感じて。
鍾馗は確かに、模造人類試練の。
悪性変異集合体レギオンの。
その心の臓に突き刺さった。
傷口から、黒い力が漏れ出す。
それは今の俺の知覚ですら、瞬く間と感じるほどの速さで心臓を包み。
刈り取った。
そして十歩。
俺は最後の一歩で、心臓のくぼみから飛び上がり、空を見る。
同時に闇が晴れ、俺は自身を包んでいた全能感が消えていくのを感じた。
でも問題ない。
もう、俺の行動を阻むものはなにもない。
ずるりと、レギオンだったものに横たわる。
正確には、体に一切の力が入らないので、沈み込む。
ぐずぐずに崩れていくそれを背に感じながら、じっと空を見つめていた。
カウント600。
今、俺たちの終わりを告げるはずだった朝日のような何かが、ダンジョンの空を灯した。
『残り0.02秒。お見事です上杉様。あなた方は模造人類試練を突破しました。戦闘評価は、私情を込めてSとします』
ここまで読んでいただいてありがとうございます!
明日でクソダンジョン編はおしまいです。
すっきり眠れるようにどうか最後まで読んでくださいな。




