第127話 肉回廊
『不正な攻略によるペナルティが発生しました。詳細を説明しますか?』
俺が事務室から飛び出すと同時に、耳元からはそんな言葉が届いていた。
だが、今の俺は、その情報に疑問を持っている余裕もない。
「後にしてくれ!」
背後からは夥しいプレッシャー。
正面から一対一でやりあうならともかく、数の暴力で来られたら到底太刀打ちできない、なれはてたものたちの群れ。
その数は暫定4体。未だ増殖中。
だが、それ以上に俺の神経を焼いて来るのは、事務室の外に広がっていた一面の光景だった。
そこは、肉の中だった。
壁や天井が、赤黒い肉の塊に覆われて、蠢いている。
どくん、どくん、と血管のような何かが脈動する肉に、床を除いた全てが飲み込まれていた。
かろうじて、棚や段ボールがそのままなので、俺が通って来た道だと思える。
だが、そうでなければ知らない場所に転移させられたと疑っていただろう。
はっきり言って、こんな場所一歩たりとも足を踏み入れたくない。
それでも、そんな逡巡を許すほど事態は穏やかじゃない。
「うるぅうるうう!」
すでに追跡者は俺の背中を見据えている。
ここで迷っている時間だけ、背中が抉れる気分だ。
俺は即座に迷いを振り切って、化け物の内臓の中のような通路に躍り出た。
一度駆け出してしまえば、逃げること自体は難しくない。
レベルブースト前の時点で、やつらと俺の速力は俺の方がやや上だった。
であるならば、ここが相手の本拠地で多少の下駄を履いていたと仮定しても、スピードで俺が劣ることはまずない。
ただ、これは純粋な鬼ごっこではない。
俺の背後に構える鬼たちは、俺に追いつけないと見ると即座に次の手を取る。
『背後からの投擲攻撃を確認。2秒後、右に約50cmの回避を推奨します』
背後を振り向くまでもなく、状況を端末くんが教えてくれた。
俺は起動しっぱなしのカウントスキルと測量スキルを頼りに、2秒後に回避。
直後、俺が元いた場所を含むあらゆる場所に、種々様々な段ボールが、中身入りのまま投げ込まれてきた。
洗剤や食器、フライパン、電化製品、謎の金属パーツにガソリン缶など、殺意を煮詰めた彩りサラダみたいな凶器が、次々に背後から降って来る。
通路の横幅が狭いので、大きく回避するような行動が取れない。
さっきから、数センチ隣を死が通過していくのに、肝が冷える。
『回避率向上のため「闇のカーテン」の使用を提案します』
「俺も同じ気持ちだった! 『闇のカーテン』!」
距離は開いているはずなのに一向に止まない雨に嫌気が差し、端末くんの提案に合わせるよう、俺は暗闇の魔術を行使する。
走りながらだと座標指定もおざなりだし、細かい調整をするための集中が難しい。
だが、とりあえず余裕が稼げればいい。
何十秒もいらない。5秒もあれば十分だ。
とにかく発動速度を重視した暗闇が、俺を中心にぶわっと勢いよく広がり、世界を闇に沈める。
「うるぅう……」
「るぅううる……」
そして、ほんの数秒、連中の攻撃を止めた。
その数秒の間に、俺はさらに距離を取る。
もう、マトモな投擲の届かぬ場所まで。
きっかり五秒で暗闇が明ける。
その時には、すでに後ろからのプレッシャーはほとんど感じなくなっていた。
散発的な投擲攻撃をやり過ごし、連中の姿がだいぶ小さくなったころ。
「端末くん、さっきの説明頼める?」
俺は足を緩めずに端末くんへと尋ねた。
さっきの説明。すなわち、ペナルティがどうのという話だ。
『かしこまりました。改めてご説明しますと、先ほど、不正な攻略によるペナルティが発生しました』
ようやく話を聞く余裕ができたが、あまり気持ちのいい話ではなさそうである。
不正な攻略……まぁ、心当たりはある。
『現実のホームセンターに基づいた設定なのでしょう。事務室の小部屋に、正規の手順を用いずに侵入した場合、あらかじめ登録されていたモンスターが出現する設定となっていました』
ダンジョンになったというのに、警備会社が入っているとでも言うのだろうか。
いや、言われてみれば一階層も似たようなシステムではあったので、もう少し警戒して然るべきだったのか。
一階層で警備しているのは『店員』だったわけだが。
「てことは最初から、強引に入ったらあの、肉塊が出てくるのが決まっていた?」
『いいえ。本来は別のモンスターの予定でした。ただ、登録されていたモンスターがすでに【討伐済み】の判定だったため、システムはペナルティの再調整を試行。代替として悪性変異体レギオンの出現が選択されました』
「討伐済み……」
頭の隅に、あの三本腕の姿がよぎった。
一階層が一本腕だけだったので、二階層では登場するモンスターが強化されるのは普通のことだろう。
ただ、そいつはもう、居なくなっていただけで。
『また、難易度調整によりペナルティの解除条件が【該当モンスターの討伐】から【該当エリアからの脱出】に変更されています。状況の解決のために、このエリアからの脱出を目標に行動してください』
「…………了解」
ちょっと聞きたくなかった。
難易度調整ということは、ペナルティ解除の難易度を合わせたということだろう。
つまり、レベルブーストなしとはいえ、あの死ぬほどの思いをした三本腕の討伐と、このエリアからの脱出は『同じ難易度』ということ。
「…………」
当然、ひっかかるところがある。
現状では、もうあの怪物たちは俺に追いつけまい。
これで逃げ切っておしまいなら、とてもじゃないが難しいギミックだとは思えない。
となると、実際は事務室で囲まれて戦闘になるはずだった?
それを、俺がノータイムで逃げ出したから、イージーゲームになった?
もし、そうなら助かるのだが。
そう思っていた俺が、曲がり角を曲がったところで、だった。
「うるうるぅううううううう!」
「っ!?」
なんの気配も感じなかったというのに、俺の前に、新たな一本腕が待っていた。
走っている勢いを殺せず、俺は一本腕へと突進する形になる。
背後から追いつかれたはずがない。
であれば、前に突然現れたに違いない。
ふと天井を見やれば、何かの分のスペースがえぐれたように、削れているのが目についた。
つまりそういうことか。
「るぅ!!」
真正面からの、一本腕渾身の頭ストレートを紙一重で躱す。
同時、すれ違いざまに足首を裂いた。
バランスを崩したところで、背後に回り、ある一点を穿った。
散々口の中から弱点を突いて来た今なら、見える。
目星のガイドに従って、口の中から狙っていた場所を、反対側の首裏から丁寧に抉り取ったのだ。
「う、ぅるぅ……」
弱点を抉ったからか、即死が働いたからか。
なれはてたものたちが、塵になって消える。
だが、感傷に浸っている暇も、自画自賛している心の余裕もない。
そうしている間にも、先ほど引き離したなれはてたものたちの群れが、俺に追いついてくるかもしれないのだ。
「でも、気配察知に反応なんてなかったはず──いや、なんだ、この空間……?」
ここまで走って来て、俺はようやく、その事実に気づいた。
このエリアは、単純にグロテスクで気持ちが悪いだけじゃなかった。
この空間、気配察知が使えないのだ。
いや、使えないというのは語弊がある。
正確には、このあらゆるところに蔓延っている肉が、常に気配を発し続けている。
その反応が大きすぎて、個別の気配を読むことがとても困難なのである。
「この階層に入ってから、気配察知の弱点ばかり見つけてる気がする」
『スキルは万能ではありません。想定外の事態に対処するために、一つのスキルにこだわらず、様々な代替手段を取得することを推奨します』
「聞き耳にお世話になったのを思い出すよ。コストが無ければ、もっと単純なんだけど──なっ!」
言っている側から、段ボールの裏からゾンビが突然現れる。
俺はほとんど足を緩めず、すれ違うようにゾンビの首を落とす。
補充があるのは、なれはてたものたちだけでは無いようだ。
『上杉様。HPが半分を下回りました。HP 284/570です』
それでいて床だけは、相変わらずのガラス片仕様なのは、どうにかならないのだろうか。
あまり気にして走ってもいられないので、ゴリゴリとHPが削られている。
というかもう、地下足袋もズタズタになっているんじゃないだろうか。
これだけは、宝箱からゲットした一点物なのに。
「とはいえ、ガラス片のおかげで、ギミックが少しわかりやすいのはあるか」
俺はストレージから取り出した回復薬Ⅲを握りながら、前方を確認する。
行きにあったのと同じギミックだ。
ガラス片の偏りを利用してルートを選定し、段ボールの山にゾンビを隠す。
急いでいるからこそ、HPが減っているからこそ、どうしてもガラスが落ちていない所を通りたくなる。
だけど、本当に急ぐならむしろ逆だ。
俺は回復薬を呷って、あまり走りたくないルートを選び、段ボールから距離を取る。
そして俺が段ボールの脇を通ったタイミングである。
「うぅううぅおおおおおおお!」
「ぅああうぅううあああああ!」
想定通り、ゾンビが出現した。
俺はもう少し段ボールから離れるようにして、その二体のゾンビをやり過ごす。
どうせゾンビも、俺には追いつけない。
邪魔にならないなら、わざわざ排除する必要もない。
俺はゾンビ達に目をやりながら心で別れを告げ、そのまま走り去る。
『上杉様! 前を!』
……走り去ろうとした。
端末くんの声で、前を見る。
腕があった。
今まさに、壁から生えて来た腕が、勢いをつけて俺に向かって伸びていた。
なぜ、壁から腕が。
そうか。
寄っていた。
段ボールから離れるために、反対側の壁に寄っていた。
寄りすぎていた。
たとえ体がまだ無くとも、頭の腕だけで届く位置にまで。
俺の方から肉壁に近づいてしまっていた。
罠を利用した、罠だった。
腕が迫る。
回避。
間に合わない。
次の瞬間、恐ろしいほどの衝撃を伴って、俺はその腕に殴り飛ばされた。




