第110話 素晴らしいアート
「うるるるうううう」
「るうるるううううう」
命からがら、なんとか倒した怪物の補充として呼ばれた2体が、悍ましい声を上げている。
暗闇の中に隠れた俺は、吐き気さえ感じそうな気分の悪さをなんとか飲み込んで、思考を回す。
(さぁどうする?)
胸中で激しくキレたことで、なんとか思考を平静にまで戻すことができた。
……いや戻しきれていない、理不尽に対する絶望と怒りは全く治る気配はない。
それでも、現状を整理するくらいの余裕は戻って来た。
敵の状況はほぼ万全。
こちらの状況はCPと体力を削られている。
制限時間は、延長できたとしても残り200秒弱。
導き出される結論は。
(逃げるしか無い……)
逃走一択だった。
現状で出来る手は尽くして敵の排除を行なった。
その結果、殲滅に時間をかけすぎて敵の数が振り出しに戻ることになった。
……いや、それも可能性の一つだ。
最悪の場合、殲滅に成功したとして、当たり前のように補充される可能性はあるのだ。
(敵が補充されるとわかった以上、ここで付き合ってやる義理はない)
であるのならば、ここで戦うことが時間と体力と命の無駄だ。
今の俺にできることは、脇目も振らない逃走だけである。
(スケルトンマジシャン! 効果時間は1分で良い! とにかく広い範囲に暗闇を撒き散らせ!)
普段クミンにしているように、頭のなかで命令を念じてみる。
テイムとサモンの違いはあるが、スケルトンマジシャンはすぐに行動に移った。
「カチカチカチカチ!」
「うるぅ!」
「るぅ!」
そして、スケルトンマジシャンが行動すれば、それまで敵対していなかった怪物たちも、スケルトンマジシャンをターゲットにすることになる。
だから、それと同時に俺はこの暗闇の階段前から抜け出した。
あえて、怪物たちにその姿を晒すように。
「るっ!?」
「うるるぅう!?」
唐突に、ターゲットが二つに増えて怪物どもは混乱する。
さっきまでの優先攻撃対象だった俺と、現在魔術を行使しているスケルトンマジシャンで、どちらを優先するべきかのコンフリクトが生まれる。
だから、一手遅れる。
「うるぅうるうるっ!」
その一瞬の空隙を乗り越えて、最も出口に近い位置にいた怪物が、まずはスケルトンマジシャンにと、狙いを定めて飛びかかってくる。
だがしかし、そのタイミングを図ったような攻撃は、奇しくも俺にとって、願ったようなものだった。
「マイン!」
スケルトンマジシャンに襲いかかろうとする怪物をちょうど巻き込むように、俺は最初にしかけておいた保険のマインを発動させた。
「るるううううるううるるうっるううううう!?」
怪物が、わかりやすい悲鳴をあげた。
南小の時の一斉攻撃には及ばずとも、俺一人が持てる全力を尽くした火炎魔術だ。
弱体化されている怪物の一体くらいなら、最低限足止めできるくらいの威力はあった。
「るう!? うるうう!? うるるうっっるううううるう!!?」
結果として、炎に焼かれた一体は、体をぐわぐわと揺らしながら炎からなんとか逃れようと叫び声をあげていた。
そして奴らは同士討ちを行わない。
だから、目の前でダメージを食らっている怪物を無理やり押しのけて、スケルトンマジシャンに攻撃を加えようとする気概が足りていなかった。
「カチカチカチ!」
その足止めが功を奏し、スケルトンマジシャンの魔術は完成する。
今度の暗闇は、階段の踊り場を覆うものではなく、その先の通路をまるっと広範囲に埋めるもの。
1分という時間で、俺が逃げられる限界まで距離を稼ごうとする煙幕。
おそらく追って来るだろう、やつらの追跡から逃げ切れる程度の距離を稼ぎたい、という思惑から生まれたものだ。
その暗闇は正しく完成し、効果時間を短くした代わりに、感覚的にかなり広範囲まで暗闇に覆われたことはわかる。
だからあとは俺が逃げるだけだ。
そう思えていたのが、その瞬間までの俺だった。
(えっ?)
その異様に気づいたのは、炎に焼かれている怪物の様子を今一度確かめようと少し振り返った時だった。
炎に焼かれながらも前進してくる可能性は十分にある。だから後ろを振り向くのは当然の警戒だった。
だが、俺の予想に反して、炎にその身を焦がされていた怪物は、俺を追うそぶりを見せていなかった。
それどころか、炎に焼かれ、黒焦げになった体で、口だけがにやりと笑ってみせた。
その笑みの意味を俺が知る前に、奴らは行動を取っていた。
「うるるうぅうう!」
「るうるうううるうう!!」
「ううるるうううるうう!!!」
炎に焼かれた一体の体が、肉の塊に戻ったように溶けて通路を塞ぐ。
それに合わせて後ろに控えていた四体がその肉塊へと合流を果たしていく。
一体だけなら、まだ隙間のあったその肉壁が、2体、3体、4体と合わさっていくごとに、通路に空いていた隙間をこれでもかと埋めて行った。
やがて。
「…………うそだろ」
俺は逃げることも忘れて、その通路の先を見やる。
さっきまで通じていた階段への道は、今、五体のなれはてたものたちの肉体がぶよぶよに混ざり合った、肉壁で完全に塞がれていた。
それは、さっきまで確かにあった未来への出口が、完全に塞がれた様子を見ているようだった。
「っ! 鍾馗!」
俺は、危険を承知で鍾馗を喚び出すと、暗闇の中で一刀、肉壁へと切り込みを入れる。
それは、思ったよりは軽い手応えで肉壁を切り裂くが、直後にはその傷は肉壁同士が混ざり合うように修復されていた。
俺の鍾馗での一撃は、この肉塊の壁に穴を開けることすらできない。
反撃もない。生命としてあるべき反射が、この壁には存在しない。
「目星っ!」
目星先生を呼び、この肉壁の弱点を探る。
だが、そもそも現状は生物かすら怪しいただの壁だ。
目星で覗いたところで、その生命を削りきる弱点は、どこにも見つからない。
つまりは、今の俺の攻撃力で、この壁を殺しきる術はないということ。
「つまり……これは……」
最悪の想像が頭に浮かんだ。
俺は通行許可を持たないまま、この場所に訪れ、階段を封鎖された。
そして今、通行許可も何も関係なしに、階段へ向かう道すらも同時に塞がれた。
先ほどの階段のアレがギリギリ、ダンジョンのギミックだったとしても、目の前のこれは違う。
完膚なきまでに、モンスターが作り出してくれた、人工の『行き止まり』だ。
おそらく、通行許可証などを持っていたところで、道が開くことはない。
「……どう、するんだよ」
この肉壁を突破する方法がない。
俺の最大火力は火炎魔術による攻撃だが、そもそも、これはそのマインを飲み込むようにしてできた肉壁なのだ。
今残っているCP回復薬を全部使い切ったところで、突破できる保証はない。
どこでミスをした。
何で、ミスをした。
通行許可の存在を知らなかったのがミスか。
しかし、その存在を知るにはここまで来るしかなかったはずだ。
そしてこの場所から通行許可を探しに戻ろうとすれば、こうやって怪物たちが物理的に道を塞ぐ。
火炎魔術による攻撃を、トリガーと考えるより。
最初から、そういう仕掛けだったと思った方が腑に落ちる。
先の通路の中で、ヒントのない正解を見つけたものだけが、先に進むことができる。
そして間違ったものは、二度と先へは進めない。
そういう、タチの悪い仕掛けだったんじゃないか。
『あは、あはははははははは』
暗闇を撒いたことすら忘れて、俺が思考に沈んでいるところで、さっきまでのシステムボイス風のダンジョンの声とは違う、女性らしい声が脳裏に響く。
この声は、俺がこのダンジョンに飲み込まれる前に聞いた声と同じ声音だった。
『素晴らしいアートでしょ?』
アート、といったか。
俺の目の前で、かろうじてアートと呼べそうなものは、この肉塊の集合体しかない。
そして、これを──こんな悍ましいものをアートと呼ぶくらいなら、俺はまだ、なんの変哲も無い歯ブラシの方がアーティスティックだと言いたいところだ。
「なんの、つもりなんだ」
『あは。なんのつもりって?』
俺が声を上げると、天の声は俺に答える。
ただ、そこに会話をしようという意思は感じられない。
決まったことを、ただ決まったように話す、そういう上位者のような傲慢さで、その声は言った。
『これであなたは、袋の鼠ね?』
ぞっとする、声だった。
そして声は、それ以上の問答をすることもなく消え去った。
後に残されたのは、進む道を塞がれ、戻る道も元からなかった、俺一人である。
じわじわとした焦燥だけが募るも、この局面をどうすることもできない、そんなちっぽけな人間だけが、ここにいた。




