第108話 悪辣
俺がその場面に遭遇したのは、ホームセンターの通路の中でも中通路とかそういう感じの、少し広い通路に出るところだった。
10人近い反応があることを認識しつつ、手鏡で念のため確認を取ったところで、一人のヒトカタがもう一人の首元に食らいつく瞬間を映した。
(えっ)
と、戸惑いの声を上げる間も無く、首を噛みちぎられた女性が床に崩れ落ちる。
その一瞬を見た他のヒトカタは、理解が追いつかない様子で、声を上げながらじりじりと後退している。
そして、今まさに床に崩れ落ちて死んだ筈の女性が起き上がったところで、パニックになっていた。
(どうすれば、いいんだ)
目に飛び込んでくる鑑定情報は、呪腐魔病にかかったヒトカタが、正常なヒトカタに襲いかかっているという事実を淡々と伝えてくる。
だが、俺はまた理解が追いついていない。
この空間でヒトカタは呪腐魔病にはならないのではなかったのか。
それとも、噛みつかれたら別判定なのか。
困惑していたところで、逃げ惑うヒトカタの一人が俺に気づいて声をあげた。
「『店員さん』も逃げろ! なんかおかしいぞ!』
目だけは虚ろなまま、迫真の声で叫ぶ男性。
おかしいことなんて分かっている。
分かっているんだよ!
俺は状況が何もわからないまま、その場に飛び出した。
たとえ人間じゃないと分かっていても。
人のように話す存在が襲われているシーンで、無意識に動く体があった。
目の前に4人のゾンビがいる。
背後にはまだ無事な6人のヒトカタ。
この行為になんの意味がある?
自問自答しても答えが出ないまま、俺は歯を食いしばって前を向いた。
ゾンビのうち、軽症のものは動きが鈍い。
だから、はじめに一体だけ重症患者が飛び出してくる。
「うううぅううぅああああ!!」
危機感に目をこらす。
全体的には大した脅威ではない。スケルトンと同程度。
口元は、それでも黒い。
「っっっ!!」
俺は、一瞬だけ片目を閉じ、心で手を合わせる。
そのまま、飛び込んでくる女性ゾンビに動きを合わせ。
首を切り落とした。
重症者だった。もう助からないものだった。そもそも、人間じゃなかった。
色々と心の中で言い訳をした。
それでも、ぐちゃぐちゃの心とは対照的に、戦闘モードに切り替わった頭はごく当たり前のように、近づいてくる彼女の首を的確に撥ねた。
鈍い手応えだった。肉と、骨ではない。
砂と泥を混ぜたような、粘土を切ったような、そんな印象だった。
ダンジョンの二階層で散々切ったものとは、別物だった。
「ヒトカタ……」
否応なく、相手が人間でないことを思い知らされた。
切った首から血のようなものが吹き出ているが、温度がない。
赤い泥水が、ただ血液の真似事をするように辺りに散っている。
(……思いの外、ダメージはない)
初めて、自らの意思で呪腐魔病患者らしきものを斬った。
だが、心に溜まった澱は思ったほどではなかった。
ふと、召魔忍者を取った時について来たスキルを思い出す。
『正心』
正しい心を忘れないスキル。
今まで実感していなかったその効果が、これなのかもしれない。
どれだけ手を汚そうとも、心までは汚れない。
いや、きっと『汚してはならない』──そういうスキルだ。
「……すまない」
俺は、さらに歯を食いしばって前に出た。
人じゃないから、多分助からないから、そう必死に自分の行動に正しさを求めて。
そして俺は、自らの意思でさらに3人のヒトカタを屠った。
外のゾンビは、首が残っていれば重症者として復活する。
そう聞いていたので、首を切り落とした。
残った3人の首も、砂と泥だった。
「あ、あああ」
ふと、俺の背後から怯えたような声がする。
それは、最初に俺に『逃げろ』と声をかけた男性のヒトカタだった。
俺は、なるべく安心させるように柔らかな表情を意識して振り向いて──
「ひ、人殺し!」
「っ」
投げかけられた言葉に、息を詰まらせた。
ヒトカタの目には、感情の色はない。
だけど、その声音は作り物とは思えぬほど、恐怖に震えていた。
彼の背後にも、生き残った他のヒトカタたちが集まっていたが、彼ら彼女らも一様に俺のことを怯えた顔で見ている。
その色の無い目だけが、不気味に浮いていた。
「……俺は」
言われて、何かを言い返そうとして、何も言えなかった。
『俺は人殺しじゃない』
『ただゾンビを殺しただけだ』
『そもそもお前らは人じゃない』
全部が全部、今の俺の心にすら響かぬほど薄っぺらい言い訳だった。
そうだと言うのなら、なぜ俺の手は少し震えているのか。
だから、言葉を飲み込んで少しでも柔らかい表情を作ろうとして。
「…………消えた」
瞬きをした瞬間に、全ては幻のように消えていた。
助かったはずの人たちも、首を切り落としたゾンビ達も、撒き散らされた赤い泥水も全てが全て、消えていた。
残ったのは、震える手で鍾馗を握りしめている俺だけだ。
「……進もう」
答えは出ない。もう分かった。
助けに入っても意味がないということが分かったのだけが収穫だ。
進んでいくうちに、気づく。
なれはてたものたちと、ヒトカタたちの配置が恣意的だ。
可能な範囲でマップを埋めつつ進もうとすると、必ずどちらかと接触しなければならないようになっている。
そして今の俺には、積極的に怪物と戦う理由がない。
必要があるのなら暗殺も辞さないが、どう考えても消耗する。
最低でもCP50を使ったマインに嵌めた上で、命がけの死闘で奴の急所を貫く必要があるだろう。
勝率がどの程度かも分からない。
負けるつもりで戦う気は無いが、避けられるなら避けたい。
そうなると、必然的に俺はヒトカタ達と遭遇しなければならない。
「明日は公園でお弁当を食べような」
「ママも張り切って作るからね」
「うん!」
そう話をする、仲睦まじい親子のヒトカタを見た。
「パパ! ママ! やめてなんで! 誰かるーを助けっ──」
そう泣き叫びながら、両親に噛み付かれて終わりを迎える少女のヒトカタを見た。
「最近、雑草が生えて大変なんですよね」
「やっぱり除草剤じゃないですかねぇ」
「でも除草剤を撒いたら畑にできないからねぇ」
そう品物を物色しながら、庭の手入れについて話すママ友らしき二人を見た。
「うううぅぅああぁああう……ぉ……ぁ」
「わ、私は悪く無い! 私は悪く無い! なんで! なんでよ!」
そのうちの片方の頭を、手に持ったスコップで滅多打ちにしている女性の必死の形相を見た。
新生活に期待を膨らませ、生活用品を眺める男子大学生を見た。
田舎の両親に、つながらない電話を掛けながら息絶える男子大学生を見た。
サボテンのコーナーでどれにしようか悩んでいる老人を見た。
そのサボテンを口に突っ込まれるも、噛み砕いて人に襲いかかろうとする老人を見た。
女子小学生を、男子中高生を、老年の夫婦を、付き合いたてのカップルを。
新社会人を、バツイチのシングルマザーを、二世帯家族を、くたびれたサラリーマンを。
俺はその目で見た。
俺はその目で見送った。
時には、止むを得ずに首を切った。
何も得ることはなく、ただ赤い泥水を浴びた。
頭痛と吐き気が少しだけした。
だけど、これに身を委ねることだけはしなかった。
そして俺は少しずつ進んでいく。
なれはてたものたちを避けながら。
どうにか、ヒトカタに遭遇しないルートを模索しながら。
ゆっくりと進んでいく。
そして、たどり着いた。
「階段、か?」
ホームセンターの棚の途切れた場所。
よくある折り返しのついた階段のある広場が目の前にあった。
俺はいつものごとく、棚を背にして手鏡で中を覗き込む。
そこには何もいない。階段と、自動販売機と、ベンチ、それに男女共用のトイレの入り口があった。
手鏡をストレージにしまう。
空になった手を何度か握りしめる。
いつでも、鍾馗を呼ぶことはできる。
なれはてたものたちの反応は近くにない。
カウントが示す経過時間を意識する。
4893。
すでにこの階層で1時間20分ほど経過している。
まだ時間はあるが、余裕はない。
階段まで数秒もかからない。
急いで向かうべきだ。
今ならいける、そう理性は告げている。
「サモン:スケルトンマジシャン」
本能は、理性の訴えを却下した。
この階層で、ウイルスが何をしたかったのかを俺は知らない。
だが、少なくとも俺を大歓迎してくれていることはわかる。
そんな奴が、ご褒美みたいに設置した階段の前に、何もしかけていない筈がない。
これは、悪辣な歓迎会を開いてくれたウイルスへの、ある種の信頼だ。
「マイン」
出入り口にCP50で『マイン』を仕掛けておく。
CP回復薬をぐいっと飲む。残り6本。
そのまま、スケルトンマジシャンにも指示を出した。
「暗闇の魔術。範囲はこの踊り場一帯。時間は長ければ長い方がいい」
『カチカチカチ』
マジシャンは歯を鳴らして、俺の指示に従った。
階段前の空間が、闇に包まれる。俺の体に活力が満ちるのを感じる。
もう一度CP回復薬を飲んだ。残り5本。
ここには何もない。
そう感じながら、静かに歩いて進む。
階段まであと、20歩。15歩、10歩、5歩……
そして。
『通行許可を持たない者の接近を感知しました。これより階段の封鎖を行います。『店員』各位は処理を行ってください』
突然警報が鳴り響き、階段前の通路が閉鎖される。
飛び込めばギリギリ間に合うかという葛藤が生まれるが、考えている場合じゃない。
暗闇の中に、気配が生まれていた。
(五体はいるぞこれ)
暗闇で俺を把握できていないだろう、なれはてたものたち。
一本腕のそれらが、少なくとも5体、俺を取り囲んでいた。




