第107話 『店員さん』
ごめんなさい朝の予約入れ忘れてました
(なんだ、ここは)
目の前に広がっている光景を、飲み込みきれなかった。
照明に照らされた、ダンジョンとは思えぬ明るい空間。
通路は白くつやつやとした、あのよく分からない材質でできていて、道幅は人が三人通れるくらい。
そして、己の左右にあるダンジョンの壁は、壁ではなく棚だ。
棚を見てみれば、洗剤が並んでいたり、途中から除草剤のコーナーになったり、かと思えば鍋やフライパンが鎮座していたり、統一感がない。
反対側を見てみれば園芸用品だったり、家電製品だったり、いきなり何も入ってない空きスペースがあったり、これまた雑多だ。
その棚が隙間なく道を塞いでいるかと思えば、いきなり陳列が途切れて道をつないでいたりして、客の動線も何も考えていないようなぐちゃぐちゃの地形。
まるで迷路のようで──そしてダンジョンらしい、目的地も定かにならない、店舗としては異様な風景。
だが、それでも、あえて呼ぶとするならばここはホームセンターの中だった。
(気配察知の反応は、なんだこれ?)
パッシブで発動しているスキルが、俺にこのフロアの敵性存在を教えてくれる。
教えてくれるのだが。
(この遠くにあるおぞましい気配が、おそらくあの一本腕……)
その気配は、距離が遠くても分かる。
やはり三本腕よりはいくらか弱い感覚ではあるが、それでも一対一で相手にしたいとは到底思えない。
そして、少数なのはこちらだ。
しかし、それは今はいい。
問題は、それ以外の気配だ。
(一本腕よりも、はるかに多い気配がダンジョンの至る所にある。なんだこれは?)
俺の感知範囲で分かる一本腕の数は三体ほど。
だが、謎の気配は軽く二十はある。
大した強さではない。もしかしたらゴブリンよりも弱いかもしれない。
だが、そんな存在が『このダンジョン』にいることが不思議でならない。
(ダンジョンの攻略に、必要な情報だろうか?)
分からない。
ただ、一本腕と違って危険はそこまででもない。
なにより。
(この数だと、遭遇せずに抜けるのは難しそうか)
この階層がどの程度の広さなのかは分からない。
だが、反応を避けて通った道だけで出口にたどり着けるとは思えない。
ならば、覚悟を決めて接触するべきだろう。
(いざとなったら、棚の空きスペースに隠密もできるだろうしな)
俺はそう思って棚を見る。
危機感も虚偽感知も反応しない。
恐る恐る商品に手を伸ばしてみるも、普通に触れた。
手に取ったスコップの値段は342円。適当なのか分からない。
だが、いざとなれば使えるものは調達できそうだ。
そう思えば少し気が楽になった。
(まぁ、このダンジョンの中の食べ物を食べる勇気はないけどな)
少し行ったところには、棚に並んでいる非常食が目に入ったが、どんな寓話であろうと、ここで物を食べたやつはロクな目に遭うまい。
──すでに、ダンジョン産のウサギを食べていることには目を瞑った。
じりじりと周囲を警戒しながら歩いていく。
見た目こそ異常だが、作りとしてはオーソドックスな──俺の自宅のダンジョンと大きな違いはない。
店をイメージしているせいか、こちらの方が枝分かれと言っていいのか、商品棚へ向かうルートがいくつも用意されているような感じか。
ぐちゃぐちゃでも、目的地へ誘おうという気持ちがあるのかもしれない。
そうこうしているうちに、俺は数だけ多いがそれほど危険のない反応の近くにまで来ていた。
反応は二つ並んでいて、一メートルくらいの感覚を開けている。あまり戦術的な利点のありそうな配置ではない。
なにより、相手はこちらの接近にまるで気づいている素ぶりがない。
のんびりと歩き、時々立ち止まったりしながら、俺から離れていっている。
足音を立てないように、相手のいる通路までたどり着いた俺は、ネジや金具が並んでいる棚を背にしながら、手鏡でそっと様子を伺った。
(…………ばかな)
そして言葉を失った。
だってそこにいたのは。
人間だった。
どう見ても中年くらいの男女が、棚の商品を手に取りながら、のんびりと談笑している。
その様子は、まるで休日に模様替えかDIYかをするため、のんびりと買い物デートに来た熟年夫婦のようだった。
だが、ありえない。
ここはダンジョンだ。
それも、ダンジョン管理者が関わっていないと思しき、呪腐魔病ウイルスに支配されたダンジョンなのだ。
人間がいるはずもない。そして、もっとおかしいことがある。
仮に尋常な人間であれば、正常で居られるはずがない。
今でもこの空間は、俺を呪腐魔病に犯そうと攻撃をしかけてきている。
そんな場所で、人間がのんびりと歩いて居られるわけがない。
だから、あれは『人間』じゃない。
ないはずなのだ。
(……鑑定する、か)
知ることで何を決断したかったのか。
人間でないと分かれば、ためらいなく殺すことができると思ったのか。
自分でも行動の意味を考えぬまま、俺は棚から少しだけ顔を出し、簡易鑑定を行なっていた。
──────
ヒトカタ・男
状態:正常
──────
──────
ヒトカタ・女
状態:正常
──────
種族は──ヒトカタだった。
人間ではない。だが、なんだこの種族は。
断言するが、まだネットが生きていたダンジョン出現一週間以内に、こんな種族の出現情報は存在しなかった。
居たら、大騒ぎになっている。
ダンジョンの中で、地球人とは異なる人間種族と遭遇した、みたいな。
(……それで、どうするんだ? 俺は?)
相手が人間でないことは分かった。
であれば、行動は二つに一つ。
避けるか、倒すか。
倒す?
あの、どうみても人間にしか見えない二人を?
じっと見つめていると、声が聞こえて来た。
「あらお父さん、これなんかどうかしら?」
「ピンクじゃないか。やめてくれよ、俺には恥ずかしいよ」
「ええ、良いじゃない? あなた本当は可愛いものすきでしょう?」
「それを子供達に知られるのが恥ずかしいんだよ」
思わず、口を押さえた。
何か知らないが、おぞましいものを感じた。
異常だった。
明らかに異常なこの空間で、明らかに異常な店内の商品を見ながら、まるで日常生活の延長のような会話をしている二人がいた。
これは、なんなんだ。
この空間は、なんのための空間なんだ。
分からない。
何も。
ウイルスは、ここで何をしているんだ……?
「あら」
(っ!?)
そう思っていたところで、夫人がこちらを向いた。
本当に偶然、ただこっちに目がいっただけ。
ただ、動揺していた俺が、隠れるのが一瞬遅かっただけ。
「そこのお兄さん。あなたちょっと」
夫人は、そう俺に声をかけた。
その目を、ヒトカタの目を俺は初めてじっと見た。
黒い目が俺を見つめている。
だが、その目に光を感じない。
まるで作り物のような目だけが、ひたすら不気味に俺を見ている。
「お兄さんはどう思います? この人にピンク、似合うと思いませんか?」
「おい、やめろって『店員さん』に」
そう言った夫人は、ピンクのマグカップを持って俺に近づく。
男性の方はそんな夫人を恥ずかしそうに引き止めている。
その表情は豊かなのに、やはり目だけが作り物めいて見える。
「良いじゃない。これもお客さんの質問よ。ねえお兄さん?」
夫人はなおも朗らかに語りかける。
俺は、反応に迷った。
斬るか、会話するか、逃げるか。
ここがダンジョンの中だと考えれば躊躇することなく斬るべきか、あるいは逃げるべきだった。
だが、俺は思わず答えていた。
「……男でピンクは、やっぱりちょっと恥ずかしいんじゃ」
言われた夫人はピタッと止まり、男性が言った。
「ほら言っただろう。すみませんねお兄さん。ほら行くぞ」
「ええ……良いと思うんだけどねぇ。ありがとうねお兄さん」
そう言って、彼らは、警戒する俺の横を、通り過ぎて行く。
そのまま反対方向へ向かったと思うと角を曲がり、見えなくなった。
それと同時に、気配察知が異常を告げる。
(……二つの反応が、消えた)
さっきまで確かにそこにあった反応が、急に消えてなくなった。
まるで、さっきまで俺が接していたのは、幽霊か何かだったかのように。
(なんなんだここは。なんなんだこのダンジョンは)
訳がわからない。
なぜさっきのヒトカタは俺を『店員さん』と呼んだのか。
──俺の中に存在する不活化ウイルスのせいなのか?
自分の立ち位置があやふやになりそうなところで、俺は足を踏ん張り直す。
(関係ない。敵対しないのなら、無視して進むだけで良い)
疑問は置いて行くと決めた。
今俺がやるべきことは、この階層を突破することだけだ。
そのために、今は少しでもマッピングを進め、怪物との遭遇を避けながらダンジョンの構造を把握するしかない。
時間は待ってくれない。
そう決意した俺は、正体不明の反応を無害なものと判断し、進むことにした。
まずは、この反応が多い方に向かってみよう。
正体がなんなのかはわからなくとも、ダンジョンの存在が集まっているところには何かがあるかもしれない。
すぐに後悔した。
「うぅううおおおおおぁあああああ」
「ぎゃあああああああだああああ!」
「助けてくれぇええええええだあ!!」
「うああぁあおおぉおぉおおああうう」
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ヒトカタ・男
状態:呪腐魔病(軽)
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ヒトカタ・女
状態:呪腐魔病(軽)
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ヒトカタ・男
状態:正常
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ヒトカタだったもの・女
状態:呪腐魔病(重)
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次に遭遇したヒトカタは、ゾンビになって周囲のヒトカタを襲っていた。




