第103話 黒い小部屋
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『あは、あははははは。ようこそ、ようこそ上杉志摩。ようこそ、わたくしのダンジョンに』
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その声は、はっきりと耳に届いていた。
目の前が真っ暗になり、このまま無抵抗に自分が死んでいくという未来だけをぼんやり思いながら、意識がふっと遠くなる瞬間、俺の耳に滑り込んで来た声。
忘れたくても忘れがたい、今日聞いたばかりの声。
それは、俺が茉莉ちゃんをテイムしたときに聞こえた、女性らしい声だ。
(わたくしの、ダンジョン……?)
疑問に思ったのも束の間。
俺の意識はそのまま闇に飲まれた。
そして、気づけば俺はそこに立っていた。
「っ!?」
それまでの自分が何をしていたのか、一瞬思い出せない。
意識の連続性が途切れていて、本当に、寝て起きて目が覚めた瞬間には立っていたかのような強烈な違和感。
いきなりのことに、思わず転びそうになる体をどうにか支えて、俺は静かに息を吐いた。
自分の体調を軽くチェックする。
体に傷はなさそうだ。どこにも目立つ痛みはない。
引きつるような感じも、何かに憑かれて居るような不思議な感覚もない。
五体も全て繋がっている。
ただ、一点、ぼんやりとした頭痛と吐き気が俺を襲っていた。
まるで、何かに酔ったかのような、そんな酩酊にも似た感覚。
だが、その気持ち悪さにかまけて観察を怠るわけにはいかない。
「ここは、どこだ?」
思わず、警戒も忘れて口から言葉が漏れていた。
俺がいるのは、真っ暗な小部屋だった。
広さは六畳くらい、だいたい俺の一人暮らしのアパートの一室と同じ程度。
ただ、そこには生活感のようなものはカケラもない。
打ちっ放しのコンクリートの方がまだ温度を感じられそうな、黒い床に黒い壁、そして黒い天井。
真っ暗と評したのは、明かりが何も照らされていないから。
もしここで、光源が本当に一つもなければ、俺の目が真っ暗だと認識することもできないだろう闇の小部屋。
ただし、この場所にはそんな真っ暗を構成する以外の要素が二つあった。
一つは、扉だ。
大きな両開きの扉──たしかスイングドアと言うのだったか。
前にも後ろにも開くようになっているドアが、小部屋の壁の一つに接していて、その隙間から白い光が漏れ出している。
ドアの向こう側には、何らかの光源があるらしい。
そしてもう一つ。
その存在が、どうしようもなく俺を困惑させ、そしてまた、その存在がどうしようもなく、俺を絶望させた。
(……端末がある)
なんの端末か、という話はしない。
つい最近の俺が端末と呼ぶものは基本的に一つしかない。
それはすなわち、ダンジョンにのみ存在している、あのどこに本体があるのかも定かではない端末だ。
(つまり、ここはダンジョン、の中のはず)
頭の中に、意識が途切れる前に聞いた声が蘇ってくる。
『ようこそ、わたくしのダンジョンに』
声は、そう告げていた。
それが俺の今の状況を説明するのに、最適なのはわかる。
俺は今、ダンジョンにいる。
それも、得体の知れない、正体不明のダンジョンの中に。
なぜそんなことができた、とか。
なぜウイルス側のダンジョンが生まれた、とか。
人類試練とはいったいなんだったのか、とか。
そういう、立ち止まったら延々と湧き出して来そうな疑問に一度蓋をした。
頭の中で疑問に思いはしても、今の状況を変える一手にはならない。
「…………」
そして俺は端末を見つめる。
もしこれが、俺の知っている端末であるのならば、すぐに声をかけて事情を確認したいところ。
だが、これが俺の知っている端末と同じものとは思えない。
普段の端末くんなら、こんな緊急事態であればあちらから声をかけてくる。
だが、この端末は、俺が目を覚ましてからここまで、一言もかけることなく、じっと俺を観察している気配がある。
つまり、この端末は俺の知っているそれとは別物の可能性が高い。
(だが、決めつけるのも、早いか?)
そう頭では考えても、判断する材料がない。
もしこの端末が、今まで通りの存在であれば、この状況の説明を何かしら行ってくれるだろう。
だから俺は、抱いた警戒心を隠すことなく、ビクビクしながら尋ねた。
「端末くん? 君かな?」
果たして、端末は俺の言葉にこう返した。
『オはよウござイます。上杉志摩様』
「…………」
『ごよウがアれば、なンなりとお申し付けくださイ』
これは違う。
返って来た言葉だけで確信する。
普段端末くんのことを事務的だのなんだのと言っていた俺だが、それでも端末くんの中にはある種の自我のようなものを感じていた。
淡々とした言葉の中に、端末くんなりの『顔』を見ていた。
だが、この端末は逆だ。事務的ではなく、フレンドリーな声音を演出しているが、その中に自我のようなものをまるで感じない。
適当に捕まえてきた機械に、ろくに業務を教えないまま笑顔だけで受付を任せているような、普段とは真逆の印象があった。
「……今の所、用はないよ」
『かしこまりました』
俺は端末への警戒度を一段階上げた。
もし、何も手がかりがなかったら縋らなければいけないが、現時点で積極的に接触するのは不安に思えた。
「……不安、不安か……」
思ってから、俺は自嘲気味に心の中で思った。
そもそも、助からないと確信した状況から命が助かっただけで、本来は儲けもの──そうだ!
(クミン! クミン! 繋がるか!?)
死ぬと思った直前に、せめてもと送還した相棒のことを思い出す。
もしかしたら、彼女とコンタクトが取れるかもしれない。
状況は全くの不明だが、俺が生きていることを知らせられたら、それだけでも意味はある。
(聞こえないか? クミン?)
俺は慌ててクミンに向かって何度も何度も念話でメッセージを送ってみる。
だが、彼女へと繋がる気配は全くない。
かろうじてテイム関係が維持されている感覚はある。だが、そこから何らかのアクションを起こすことができない。
「召喚:クミン」
藁にも縋る思いで呼び出してみたが、反応はなかった。
「──この場所は、外との繋がりを遮断されている?」
テイムの繋がりを感じるにもかかわらず、スキルが発動しないということは。
少なくとも、このダンジョンの中と外では何か勝手が違うのだろう。
原因はさっぱり分からない。わかることは、ここに援軍を改めて呼ぶことは難しそうだということだ。
(まぁ、それ以外のスキルは使えるようだが)
もしやと思って、俺は武装召喚スキルで手の中に土石魔術製の棒手裏剣を呼び出してみる。
こちらの方は問題なく使える。ストレージは俺個人に紐づいて居るからだろう。
おそらく、他のスキルやサモンの方も問題なく使えるだろう。
一旦情報を整理しよう。
現在地は不明だ。おそらくダンジョンの中ってくらい。
外との繋がりは絶たれており、俺一人だけという絶望的な状況。
それ以外は、端末に触るか、スイングドアを開けてみるまで分からない。
(……最初は、外の様子を見るか。端末が正解だろうと罠だろうと、必ずドアをくぐる必要はある)
つまり分のいい賭けだ。
どうしてもやらなければいけない状況なら、やらなければいけないことから試して見る。
(行くか)
そして、俺は小部屋から外に出るためのスイングドアを少しだけ押してみる。
隙間から漏れ出していた光が、思い切り小部屋に流れ込んで来て。
そこで、激しい吐き気に襲われた。
(あぁああ!?!?!? なん、だ? なんだこれ!?)
唐突な頭痛と吐き気。
俺はとっさに開きかけたドアをしっかりと塞ぐ。
と同時に、俺に突如襲いかかった激しい吐き気や頭痛は鳴りを潜めた。
(つまり、最初に外に出ようとするのは不正解? まず端末に話を聞く必要がある? いや違う。そういうのじゃない、これは最初から──外に出さないのを目的としている気がする)
そういう、恐ろしい発想が過った。
推測が正しければ、ここは呪腐魔病のウイルスが何らかの形で構築したダンジョン。
であるならば、最初からクリアできない設定でもおかしくない。
端末くん側のダンジョンは、これでも人間が攻略できるような配慮をされてきた印象がある。
だが、それを取っ払って、誰もクリアできないダンジョンを作ることだってできるはずだ。
それをしないのは、何らかの目的があってダンジョンを攻略させる人を集めているから。
であれば、そんな思惑のない呪腐魔病ウイルスであれば、ハナからゴールできないダンジョンを作ってもおかしくない。
「ただ、あの感覚には、覚えがある」
と、そこまで考えたところで、俺は一つ仮説を立てた。
頭痛と吐き気、俺がこれをひどく感じたことが一度だけある。
それは、呪腐魔病ウイルスに誤ってテイムをかけたとき。
あの時、ウイルスに侵食されたのと同じ感覚を、先ほど覚えた。
つまり、この光の中は、人間を呪腐魔病に感染させるための領域が、これでもかと広がっている可能性がある。
「探索すら、まともにさせないってのか」
ダンジョンのフェア精神をどこかに投げ捨てたような作りに、俺は声を潜めて居るのもアホらしくなって吐き捨てていた。
「じゃあ、これからどうする?」
見た所、この部屋に急に何者かが襲いかかってくる様子はない。
であれば、ここは安全か?
当然、そんな保証はない。
もし俺だったら、こういう安全地帯には罠をしかける。
そう、例えば。
先ほど外に出ようとした時に感じた頭痛や吐き気こそブラフで、この部屋にいたとしても、気づかれないようにウイルスが侵食しようとしている、とか。
一定時間ここにとどまっていたら、強制的に追い出される仕組みがあるとか。
少なくとも、俺がウイルスだったら、この部屋にとどまることを正解にだけはしない。
だって、正解を作る意味がないから。
もちろん、ダンジョン作成の制約か何かで本当に安全な可能性もあるが、それをダンジョンについて何も知らない俺が語ること以上の滑稽があるか。
「…………となると、取れる選択肢は?」
選択肢は二つ。
一つは、あの強烈な頭痛と吐き気に耐えながら外を探索する。
もう一つは、このいかにも罠ですと主張している端末に触れる。
「……ろくな選択肢がないな」
やはり、あの頭痛と吐き気の中を探索する、というのが正解には思えなかった。
あの中が呪腐魔病の領域なら、ものの数分で俺も感染者の仲間入りかもしれない。
鍾馗が強化されたことである程度耐えられるようになったとは思うが、それもどれだけ保つか。
少し悩んで俺は端末に近づく。
端末は、俺の接近に気付いて、再び壊れた機械のような声をあげた。
『オはよウござイます。上杉志摩様』
端末は、俺に再び挨拶をしたあと、今度は先ほどとは違う言葉をかけてくる。
『上杉志摩様に。オしらせが40953件ござイます』
「は?」
と、俺が突っ込む前に、端末はその件名をずらずらずらずら、ずらずらと垂れ流す。
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『あなただけに特別なお知らせ』
『上杉志摩様には素敵なお知らせ』
『こちらのお知らせこそが本物です』
『ダンジョンにお困りのあなたへ』
『はやくはやくはやくはやく』
『あなたのことが知りたい』
『ダンジョン必勝攻略法を教えます』
『ひらいてひらいてひらいてひらいて』
『人類試練について聞きたい?』
『あなただけに特別なオ知らせ』
『素敵な素敵な、素敵なお知らせ』
『どうして無視する?』
『私からあなたに聞きたいことがあります』
『ねえねえねえねえ』
『気付いてないの?』
『はやくみて』
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「止めろ!」
思わず声をあげた。
端末はそんな俺の言葉に従って、ピタリとスクロールを止めると、こう尋ねる。
『どれを開封しますか?』




