第102話 夜の偵察
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夢を見ている。
おそらく、そうだと思う。
夢の中の自分は、どこかの店で働いている。
店は満員で、にっちもさっちもいかない大混雑なのだが、売っている商品がなんなのかはいまいち分からない。
そんな大忙しの店を手伝っていたら、店長に呼ばれた。
優しい店長だ。そんな気がする。
店長に、外から客を集めてくるように頼まれた。
こんなに混んでいるのに、まだ客を集めるのか。と思った。
でも、店長に頼まれたから行かないと。
この辺りの住民はみんなうちの店に来ている。
時には家を訪ねてまで、店に誘った。
それでもというなら、少し、遠くに行かないと。
そういえば、小学校があった。
このまえ誘ったけど逃げて行った人がそこに向かった。
あそこの人を集めれば、店長もきっと喜ぶだろう。
ただ学校に行くのなら、うん。
ちゃんと、正門から挨拶、しないと──
あれ、なんで、俺は人集めなんてしてるんだっけ。
なんで、あの人は、逃げたんだっけ。
そもそも、店はなんの店なんだっけ。
店長は、どんな、顔をして、いるんだっけ……。
何も、思い出せ、な。
おれは、おれたちは。
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『……さん。上杉さん』
「…………ん」
クミンの声で、俺は自分の意識がゆっくりと浮上していくのを感じる。
覚醒と半覚醒の間のまどろみの中で、ぼんやりと目を開ける。
『上杉さん。二時間経ちました』
「……二時間?」
俺のシフトは二時間制だったっけ?
仕事の途中で寝たら店長に怒られ──いや、何を考えているんだ俺は。
そもそも、俺はバイトなんてしてない。
二時間。ああ。
少しずつ意識がはっきりしていく。
自分がどこにいるのか、何をしていたのか。
「仮眠してたんだったか」
もはや使い慣れて来ていた土のベッドから体を起こし、うーんと伸びをする。
たった二時間だ。万全とは言えない。
だが、その二時間で驚くほど体の調子が上がっているのがわかった。
今にして思うと、寝る前の自分があの状態で動けていたことが不思議に思えるほどだ。
『気分はどうですか?』
「いい調子だ」
今ならもう一度あの怪物とだってやりあえる。
いや、まったくやりあいたいとは思わないけど。
「それじゃ、行こうか」
『はい』
クミンを伴って第三階層を後にする。
とはいえ、もうそろそろここで立ち止まっているつもりはない。
第四階層のゴーレム、そして第五階層の吸血鬼を倒し、治療薬を手に入れる。
それはもう、目の前まで来ている。
「だから、何もないでくれよ」
そう願って、俺は三階層を後にした。
『上杉様。一つよろしいでしょうか』
順調に二階層、そして一階層を駆け上がって来た俺たち。
最後に余っているEPを困った時のCP回復薬に変換し、ダンジョンから今まさに出ようというところで端末くんに呼び止められた。
「どうかした?」
『申請されていた称号に関する変更が一つ通りました。ご確認された方がよろしいかと』
「ありがとう」
どうやら、二時間寝ていたことで俺の称号に関する何らかの申請が通ったらしい。
システムのことは良く知らないけど、神々が力を与えてくれるのであれば俺は喜んで受け取ろう。名前のことは諦めた。
ただ、今回に関しては名前の変更はなく、効果の追加であった。
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『混沌と孤独の同胞』
混沌の神、孤独の神から目をかけられている証。
貴方が歩む先は混沌に満ち、故に貴方はいつも独りであるだろう。
恐れることはない。貴方は貴方が常に正しいことを知っている。
ステータス補正:『混乱』の状態異常を無効化。加えて『単独行動時、あるいは、四勢力以上の混戦時』は『あらゆる行動にプラス補正』『あらゆる状態異常に強い耐性』を得る。
この称号を持つものは混沌の性質を持つものに一目置かれるようになる。
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どうやら『混沌と孤独の同胞』について、ソロ戦闘以外にも強化される条件が追加されたらしい。
ただ、四勢力以上の混戦って、自分、敵、味方に加えてあと一個何かが追加されてないとダメな感じ?
合同戦線とかだとギリギリ満たせる感じなのだろうか。
少なくとも、今追加されても特に意味ない感じか。ちょっとだけしょんぼりだ。
「今さらだけど、この単独行動時ってどんな条件なんだろう」
『誰ともパーティを組んでいない状態が最低ラインであり、そこから孤立するごとに効果が上昇するようです』
「つまり、最悪何百人と一緒に行動してても、ソロパーティなら恩恵あるの?」
『はい』
どうやら、思ったよりは懐が広いのかもしれない。
まぁ、そんな状況で周り全部敵なら、そりゃ孤独をより感じるのも違いないが。
「とにかくありがとう。じゃあ外に出てくるよ」
『お気をつけて』
そして、今度こそ思い残しなく、謎の声に見送られながら俺は地上へと戻るのであった。
地上はすでに真っ暗だった。
暗視があるので周囲の様子は伺えるが、茉莉ちゃんはすでに、隠密が合わさると部屋にいても俺に気づけないレベルである。
声をかけて無理に気づいてもらうか悩んだけど、止めた。意味はない。
(音を立てずに出よう、クミン)
(了解です)
まるで寝ている茉莉ちゃんを起こさないように注意するがごとく、俺たちは窓から外へと出た。
(かなり、月が明るいな)
外に出た感想で、はじめにそれが来た。
月齢がどれくらいなのかの知識はないが、満月かそれに近いくらいにまで丸くなっているのではないだろうか。
(もっと月のない道の方が、ウチらは歩きやすいんですけどね)
(違いないな)
クミンのボソッと漏らした感想に俺は苦笑いを返した。
明るければ明るいほど、ゾンビの視界も通ってしまう。
であれば、暗ければ暗いほど、俺たちみたいなのは歩きやすいという。
およそ現代人らしからぬ感想であった。
(急ぎ足で向かおう。何か危機を感じたり、気になることがあったら小さなことでも共有してくれ)
(了解です。上杉さんもですよ)
(ああ)
そして、俺とクミンの二人はやや急ぎ足くらいで、北へと向かう。
クミンは道を知らないため自然と俺が先頭に出る形になるので、前方の警戒は主に俺の担当だ。
だが、昼よりやっぱりゾンビが大人しく、危機感を使うまでもなく歩ける道が広い。
このゾンビパニックが起こる以前と、さして変わらぬ時間でホームセンターには到着できそうだ。
(毎日、通ってた道なんだよな)
と言っている間に、目の前を通過するゾンビが現れてしまったので、俺とクミンは揃って放置自動車に隠れてやり過ごす。
ゾンビの通過待ちをしている間、ふと心中でこぼしていた。
(毎日ですか?)
(そう。こうなる前は俺は大学生でさ。学校は北の、坂の上の方にあったから毎日この道を通って向かってたんだよ。ちょっと行くと坂を登る道と階段があって、その坂を登りきったあたりにホームセンターがある。その脇を抜けてさらに北に行くと大学だ)
少しだけ、ノスタルジックな気持ちになっていた。
大学生時代だと、こんな時間に外を出歩くことなど──飲み会の帰りとかくらいしかないわけだが。
それでも、かつて歩いた道をこうして眺めていると、不意に思い出すことはある。
どうして世界はこんな風になってしまったのか。と。
(茉莉さんは一緒の学校に?)
(茉莉ちゃんはまだ高校生だから、もっと北に行った駅から電車に乗って、ちょっと遠くの学校に通ってたよ。まぁ、それは本人が目覚めたら本人に聞いてあげて)
俺は茉莉ちゃんの通っている学校に詳しくないので、聞かれても困る。
茉莉ちゃんはなんたら説明してくれたのだが、俺は制服が可愛いってことしか覚えてないのだ。
(まぁ、本人はウチの大学に通おうかなんて冗談交じりに言ってたけどさ)
(…………)
そうこうしているうちに、徘徊していたゾンビは俺たちを気取れぬほど遠くに行ったので、移動を再開する。
心なしか、クミンが少し物言いたげにしている気がした。
そして、前回、あの怪物と出くわした川を渡る。
周囲を見渡してみても、危険はない。
このゾンビパニックが起きて、初めて川の向こうに足を踏み入れた。
(川を渡ったらすぐにちょっとした林があって、そこに坂道がある。それを登れば)
(ホームセンターですね)
再三目的地を確認し、俺たちは警戒を高めて忍び足で歩いた。
忍び装束の俺も、迷彩効果が発動しているのか赤黒から黒に近い夜色になったクミンも、気配は空気に溶けている。
だが、こちら側の気配は、はっきり言って異常だ。
川の向こうではちらほら感じていたゾンビの気配が、一切ない。
(……嫌な予感がするな)
危機感でも直感でもない、なんとなく。
だけど、嫌な空気を肌で感じ取った。
クミンに目をやると、彼女は静かに俺から距離を取る。
俺たちは、少しだけ配置に距離を開けた。
俺が前、クミンが七から十歩ほど後ろ。
もし、俺が気づかない何かがあっても、後ろのクミンが気づく。
そういう距離だ。
そのまま、ゆっくりと進んで行くと、やがて林を突っ切るようにしてある坂道と、併設された階段が現れるのだが。
(……階段が、血と肉で薄汚れている)
通い慣れた道は、記憶と少し違っていた。
おそらくあの怪物が何度も使ったせいだろう。
犠牲者の血や肉が垂れて、階段を汚していったのだ。
俺は知らずに拳を握りしめていた。
怒りのような、悲しみのような、良くわからない感情だった。
だが、感情で行動は変わらない。
ゆっくりと階段を上って行く。
大学に通っていたときは、坂道を自転車を押しながら登ることもよくあって、その度に頂上付近では軽く息が乱れていたものだ。
それが、全く息切れの気配すらない。
変わってしまったのは自分も同じなのだ。
そして、階段を登りきったあたりで、ゾクリとした。
危険、じゃない。
危険じゃないが、嫌な予感が強くなっている。
(クミン、もう少し、離れて)
(しかし上杉さん、そうするとカバーが遅れます)
思わずクミンに言うが、クミンは難ありげに言い返す。
今の距離が、かばうのスキルで前に出られるギリギリくらいの距離らしい。
だが、それでも俺は首を振る。
(離れていた方がいい。頼む)
(…………わかりました)
不服そうにクミンは頷く。
それから、本当に慎重に。
10秒に何歩進むのかといったペースで、俺はゆっくりとホームセンターへと向かう。
この坂道から向かうと、ホームセンターの前にちょっとしたマンションがあり、そのマンションの向こう側がホームセンターという配置になる。
こっちは裏の方なので、ホームセンターについてもまず裏の駐車場に出る。
その駐車場を少し歩くと店の入り口にたどり着くような配置だ。
だから、様子を伺うにもマンション(今は荒れ果てて見る影もない。最初に訪問を受けたのだろう)を背にしながら、ゆっくりと駐車場に向かうことになり。
そして、俺は、駐車場の様子を見てギョッとした。
「うるるぅう」
「うううぅるうるっるう」
「るるっるうう」
駐車場に、あの怪物がひしめき合っている。
その数は5や10ではきかない。
少なく見積もっても、30は居る。
ただ、頭から生えている腕の数が、一本だけ。
もし、これが強さを表しているのなら、あの怪物よりはいくらか、弱い。
希望的観測だ。絶望しかない中での。
だって、俺がギョッとした理由は、その怪物どもじゃ、ない。
【ゥウウウ】
駐車場の中心に、何かがいた。
怪物とお揃いのぶよぶよの肉塊、なのだが、そのサイズがまるで違う。
怪物どもはだいたい二メートルくらいのサイズ感だが、この肉塊はゆうに五メートルを超えているように見える。
そんな肉塊が、音もなく浮いているのだ。
肉塊から無造作に飛び出しているものが、いやに目につく。
それは人の顔だ。
老若男女、様々な人の顔が、前から後ろから、おそらく肉塊のいたるところから浮き出るように突き出している。
例えは悪いが、胡麻団子のゴマが人の顔になったかのような、おぞましい肉塊だ。
しかも、顔のない空いている隙間からは、人の腕や足がこれまた無造作に突き出していて、もはや形容しがたい何かである。
そして。
【オオクル=スヌスイ】
肉塊が、呪文のような何かを唱えた。
次の瞬間、肉塊の顔が何かを避けるように隙間を開け、その中から腕が飛び出してくる。
その腕は、肉塊を支えにするようにずるずると、肉塊の中から抜け出して行って。
ドプンという形容詞が似合うような形で、生まれ落ちた。
「ううるるるうう」
頭の腕が一本の、ホームセンターの怪物が今、増えた。
俺の目の前で、怪物が生まれていた。
(クミン。すぐに、離れるぞ)
離れる。離れてどこに行く?
決まって居る。学校だ。
これはもう、倒すとか倒さないとかのレベルじゃない。
逃げなければならない。
学校を、ダンジョンを捨てて逃げる。それしかない。
あれは、勝てない。
仮に怪物が三本腕より弱かったとして、だからなんだ。
あの数の怪物相手に、対抗することを考えるのすら馬鹿らしい。
逃げることでしか、生き残る道がない。
(ちくしょう。茉莉ちゃんを救えるまで、もう少しだったのに)
ようやく手がかりが見えたのに、それを捨てなければいけない。
茉莉ちゃんの容体がどうなるのかも分からない。
どこに逃げる場所があるのかも定かではない。
くそ、どうにかならないのか?
この暗闇に紛れて一体一体を殺して行く、というのも頭を過ぎったが、それが成功するビジョンが見えない。
一体じゃないんだ。
あれだけいれば、暗闇に紛れていてもいずれ見つかる。
見つかったらなぶり殺しにされる。
その未来しかない。
なにより、あの肉塊が本当に殺せるのか全くわからない。
今の俺のスペックじゃ、どうあがいても無理だ。
(せめて、せめて情報だけでも)
それでも縋るように、俺は怪物と肉塊に簡易鑑定をかけた。
アライメント鑑定をかける気にはなれなかった。
怪物のほうは、特に変化はない。
なれはてたものたち、それが奴の名前だ。
そして、肉塊の方は。
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模造人類試練-TypeD-:『悪性変異体レギオン』
状態:呪腐魔病(悪性変異集合体)
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は?
なんだこの名前?
試練?
と、俺が疑問に思った瞬間に、頭の中に強烈なノイズが走った。
ダンジョンの外で、本当に稀に流れるあの声だと思った。
ただ。
『じ、じ、じ、人類、しれ、試練、ん、ん、が、発令、しました。してません。しました。模造。偽造。あは、あははは。人類は速やかに、人類試練、ん、ん、の、討伐、ばつ、ばつ、タイプ、D、あ、あ、悪魔、型、棄却、場所は、場所は、東狂とK死mえ腹。。すみや、か、に、に、ダンジョンが、発生、します』
今までの声とはまるで、違う、がちゃがちゃの声。
意味を拾うのが難しいそれが流れた直後。
【ウウ】
(え?)
肉塊と、目があった。
明らかに、俺の隠密を貫通し、奴がこちらを見ていた。
肉塊についている顔の目が、全て、俺を見ている。
「クミン! 逃げるぞ!」
念話をしている余裕もなかった。
即座に俺たちは、その場を一目散に離れる。
とにかく、1秒でも早く奴から離れろ。
さもないと。どうなるのかすら分からない。
なのに。
【ユークス=イル=サイムスツ】
肉塊が何かを唱えた。
次の瞬間に、全ては終わった。
(はは、なんだこれ)
それは黒い海だった。
俺の見える範囲、全てを埋め尽くす、危機感の黒が、世界を覆っていた。
逃げ切るなんてとんでもない。
あと何十秒待って貰えば、俺はここから離脱できるだろうか。
『上杉さん! こんなのどうすれば!?』
「クミン。ごめん。『送還』だ」
『なっ!?』
クミンの返事を待つことなく、俺はクミンを送り返した。
これでクミンは、無事に俺のアパートまで着いたことだろう。
何も持たせていないから、ちゃんと伝言もできない。
それどころか俺が死んだら契約をどうこうするかはクミンに選択権がある。
だけどクミンなら、ホームセンターから逃げるように伝えてくれると信じた。
そしてもしかしたら、茉莉ちゃんを最後まで面倒見てくれたり──それは、無理か。
ごめん、ごめんな茉莉ちゃん。
君を、救ってあげられなくて。
本当に、ごめん。
「ああ、くそっ、ここで、ゲームオーバーか」
と、俺が呟いたのを待っていたかのように、俺は何かに飲み込まれて意識を失った。
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『あは、あははははは。ようこそ、ようこそ上杉志摩。ようこそ、わたくしのダンジョンに』
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