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海を渡る風  作者: 風羽洸海
三章 レクスデイル
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19/24

追放


 期せずして帰郷の旅の路銀を稼ぐ者同士が出会い、共に興行するようになって数日。

 ナヒティは部族のしるしを隠していたが、特徴的な舞はやはり、見たことのある者には判ってしまうらしい。治安に厳しい街中とて嫌がらせを受けることはなかったが、見物客の後ろで舌打ちする者や、ムシュナ族だとささやく者が現れだし、みるみる収入は落ちていった。

 その日、いつものように広場でナヒティと落ち合ったアトゥリナは、彼女が何を言い出すつもりか一目で察すると、朗らかな挨拶でそれを阻止した。

「お早う、ナヒティ。今日はちょっと頼みがあるんだ、聞いてくれるかな」

「お……お早う。あのさ、あたい……」

「せっかく大きな町にいる間にね、色々探しておきたいものがあって。でも日中は稼がないといけないし、代わりにちょっと見てきてくれないかな?」

「で、でも」

「ハイラム、彼女の護衛を頼むよ。ここは安全だけど、念のためにね。おまえなら荷物持ちにも誂え向きだし」

 急な用事をい言いつけられてハイラムは妙な顔になったが、余計な口はきかずに一礼して承諾した。完全に出端を挫かれたナヒティは、まだ何か言いたそうな顔をしていたものの、諦めてアトゥリナに合わせた。

「……何を見てくればいいの? 言っとくけど、あたい、そんなに目利きじゃないよ」

「良かった、ありがとう。予備の弦を調達しておきたいんだ。君が舞い手なら、楽器のことも多少はわかるよね」

 言いながらアトゥリナは五弦琴を差し出して見せる。咄嗟に思いついた計画ではあったが、弦については前から考えていたことだった。

 ナヒティが屈みこんでじっくり弦を眺め、指先で慎重に触れる。

「羊か山羊の腸?」

「うん、羊。太さが同じものが手に入るとは思わないけど、似たような弦を売っている店を見つけておいて欲しいんだ。何軒かあると助かる」

「とりあえず目星をつけるだけでいいんだね」

「そうだね……もしここは特別良さそうだと思う店があったら、試しに一本買ってきて。ハイラムにお金を預けておくから」

 言いながらアトゥリナは財布を出し、ハイラムにほいとそのまま渡してしまう。

「ついでにどこかで美味しいものを食べておいでよ。それで、後でその店を教えてくれたら嬉しいな」

 にっこりと他意のない善良な笑顔で言った王子様に、ナヒティは逆らえる由もなく、曖昧な表情のままハイラムと連れ立って広場を離れた。

 商店街に向かう二人を見送り、ビードが小首を傾げる。

「ハイラムで良かったのですか?」

「君には私のそばに居てもらわないと」

 さり気なく従者殺しの台詞を吐いてから、アトゥリナは五弦琴の調律を始める。

「それに多分、ハイラムもたまには別の相手と行動した方が、少しほぐれるんじゃないかな。あの二人は、いわば罪人同士だしね。どちらも本当は罪なんてないけれど」

「殿下のご高配、まことに畏れ入ります。ハイラムも少しは恩義を感じていると願いたいものです」

 相変わらず手厳しいビードに、アトゥリナはおどけて首を竦めただけで何も言わず、指に馴染んだ旋律を爪弾き始めた。

 二曲ばかり歌ったところで、近くのテーブルに席を取って茶を飲みつつ耳を傾けていた男が一人、拍手しながら歩み寄ってきた。ちゃりんと小銭を木皿に入れつつ、彼は用心深く問うた。

「今日は一人なんだな。あの舞い手はどうしたんだ?」

「ありがとうございます。彼女は別の用事がありまして、本日に限りましてはいささか見劣りしますが歌い手一人でご容赦ください」

 アトゥリナは一礼してから丁寧に応じる。男は安堵したのかがっかりしたのか、どちらともつかない曖昧な表情で「そうか」とうなずいた。

「あの娘、ムシュナ族なんだろう? ……何か、助けが要るか?」

 周囲を窺いながらささやくように問いかけられ、アトゥリナは束の間、驚きに声を失った。次いですぐに、ああ違う、と察して落胆する。助けが要るかと問うたのは、ナヒティについてではない。彼女に迷惑しているのなら追い払う手助けをするぞ、という意味だ。

 しかしアトゥリナはあえて勘違いしたように振る舞って見せた。穏やかな微笑で内心をすっかり隠し、真情をこめて答える。

「ありがとうございます、彼女が戻ってきたら伝えておきましょう」

「……え、いや」

「彼女はずっと東の町で、囚われていた両親のもとで生まれたそうです。舞踊は習い覚えたけれど故郷は一度も見たことがないのだとか。解放された時にはもう両親は亡くなられていて、同じ町にいた部族のわずかな生き残りも長旅のかなわぬ老人ばかり。彼女は一人で、父や母から聞いた思い出話だけを頼りに、故郷を目指しているのだそうですよ」

 当惑する男を無視して、アトゥリナはしみじみと憐憫の吐息を漏らす。

「私も、故郷を遠く離れてさすらう身ですから、他人事とは思えなくて胸が痛みます」

 孤独と郷愁を凝縮した声で止めを刺してから、彼は数呼吸の間を置いて顔を上げ、健気に微笑んで見せた。

「ああ、すみません、湿っぽい話をしてしまいましたね。もし良ければ、ムシュナ族の町がどこにあったのか、どの道を辿れば一番早いかなど、ご存じのことを教えて頂ければとても助かります」

「あ、うん……その、……あんたは平気なのか?」

「私の方はどうすれば良いか、わかっていますから」

「そうじゃなくて、つまりだな、金とか……」

「ああ、ご親切に! 彼女が踊ってくれるようになって、懐は随分温かくなりましたよ。それに彼女は優しくて気が利くし、一緒にいると明るい気分になれます」

 にこにこ機嫌良く続けるアトゥリナに、男はどんどんややこしい表情になっていく。とうとう彼は疑わしげに唸った。

「騙されてるんじゃないか?」

「女の本性はわからないと言いますからね、確かに少しは騙されているかも。でもナヒティは悪い子ではありませんよ。色々と良くない噂もあるようですが」

 アトゥリナは屈託なく笑って応じ、さり気なく最後に一言添える。男はまだ納得のいかない顔をしていたが、それ以上口出しするのは諦め、頭を振り振り立ち去った。

 昼過ぎになって戻って来たナヒティとハイラムは、朝よりいくらか晴れやかな顔のように見えた。

「どうだった?」

 漠然と問いかけたアトゥリナに、ナヒティは朝に言い出しかけていたことなど忘れたような笑顔で、弦を差し出す。

「いい店があったよ。あんたのこと話したら、一度その楽器を見てみたい、って。これはそこで買ったんだけど、気に入らなかったらいくらでも交換するし調節もするってさ」

 店の場所と名前を教えてくれたナヒティに、アトゥリナは礼を言って弦をじっくり検分する。ナヒティはその間に木皿を覗き、ふうん、と曖昧な声を漏らした。

 入っている枚数は、ここ数日の稼ぎと大差ない。ナヒティがいなくなったからといって増えるでも減るでもなかった。それをどう考えたら良いのか、掴みかねているのだろう。実際にはアトゥリナがこっそり枚数を調節していたのだが、自分が騙される側になるとは思ってもみないらしく、彼女はただ首を傾げて黙っていた。

 アトゥリナはその様子に気付かないふりで、皿の中身を返ってきた財布に移し、場所を片付け始める。

「とりあえず、今日はこれで切り上げて……あれ?」

 絨毯をくるくる巻いて紐で括り、顔を上げたところで動きを止める。他の面々も、彼の視線を追って怪訝な顔をした。ハルタシュがやって来る。広場か宿で合流するのが常であるから、別段おかしなことではないのだが、その表情が不穏だ。しかも誰か連れがいる。

 腹痛を堪えているような顔のハルタシュが、アトゥリナを見つけて小走りになる。連れを置いて先に駆けつけると、ハルタシュは鋭くささやいた。

「おいナヒティ、どっか消えてろ。なんか厄介なことになったみたいだ、ムシュナ族が一緒となったら余計にややこしくなる」

 つっけんどんに言われてナヒティは顔をこわばらせたが、後からやって来る男にさっと目をやると、文句は言わずにくるりと踵を返して大股に歩み去った。

 入れ違いに一同のもとへ来たのは、ハルタシュと同じ模様織の帯をした男だった。

「よし、それじゃ兄貴」

 ハルタシュが咳払いして、紹介代わりに男に声をかけた。

「話ってなんだ? こいつらにも関係あるんだな?」

 挨拶も何もない。アトゥリナが緊張してハルタシュの兄を見つめると、相手も険しいまなざしを返し、三人のよそ者を一人ずつ射るように睨んでから、重々しく口を開いた。

「バハルが死んだ」

「――!?」

 予想外の知らせに空気が凍りつく。一呼吸の後、アトゥリナが喘ぐように言った。

「そんな、傷はふさいだのに!」

「お前達が村を去った後、二、三日して様子がおかしくなったらしい。俺が村に戻った時には、痙攣でのた打ち回って背骨が折れるぐらい反り返ってた。そのまま死んだよ」

「悪風が入っちまったのか」

 ハルタシュが呻き、指で魔除けのしるしを作る。男はうなずいた。

「ああいう死に方は、以前にもなかったわけじゃない。だがバハルの家族は、呪いをかけられたんだと騒いでる。異国のまじない師のしわざだと。村から逃げるために治したふりをしておいて、実際は呪いをかけた……そうなのか?」

 底冷えする声音で、男はアトゥリナに問うた。むろん返事は否であるのだが、アトゥリナは蒼白になり、声も言葉も失って立ち尽くしていた。

 この事態が意味することを悟ったからだ。己はそれをどうにもできない、とも。

 答えられずにいるアトゥリナの代わりに、ハイラムが進み出た。

「俺を連れて行ってくれ。彼らの気の済むように、八つ裂きでも石打ちでも」

 言った声は震えている。大柄な体躯が、今にも壊れて崩れ落ちそうに見えた。

「駄目だ、ハイラム!」

 アトゥリナが我に返って叫ぶのと、

「そんなことができるか」

 男が渋い顔で首を振るのが、同時だった。凶報をもたらした男は、しかめっ面のまま弟に向き直って唸った。

「こいつらを連れ戻って八つ裂きにしたところで、悪風の呪いは清められん。余計に村が穢れるだけだ。とにかくハルタシュ、おまえはしばらく村に戻るな。渡せるだけの金は用意してきた、一月か二月か、この町で大人しくしてろ。テペシュの知り合いには会わんようにしろよ。あと言うまでも無いが、こいつらとはさっさと別れろ」

「なっ……兄貴、そんな、……なんで俺が!」

 呆然としていたハルタシュは、兄に肩を叩かれた途端、我に返って叫んだ。慰め力づけようとする手を振り払い、食ってかかる。

「なんでだよ! 俺が案内しなくたって、こいつらはいずれ村に来てた、カウロンから南に向かうんならそれしか道はないんだから! それに俺だってタハラハ叔父に言われて案内したんだ、なんで俺だけ……っ! 畜生、そんな話あるかよ!」

 喚き抗議し、次いで彼はアトゥリナをきっと睨みつけた。その口が怒りの槍を吐き出すより早く、彼の足元にハイラムが両膝をついた。そのまま言葉もなく額を地につける。

 ハルタシュはぎりっと奥歯を噛みしめ、

「この、クソがッ!」

 罵声と共に、ハイラムの肩を蹴りつけた。思わずアトゥリナが前に出かけたのを、ビードが制する。その間にも、ハルタシュは口汚く罵りながら、めちゃくちゃに咎人を蹴り続ける。戦う訓練をしていない少年の攻撃であるから、多少の衰えがあるとはいえ軍人のハイラムにとって大した痛手ではない。倒れて腹を晒すこともなく、じっと耐えている。それでも、肉体よりも心が踏みにじられ蹴り潰されていくのが、目に見えるようだった。

 耐えかねたアトゥリナがビードを振り払うのと同時に、ハルタシュは息を切らせて蹴るのをやめた。

「ちっくしょおぉ!」

 最後に一声吠えて、彼は敷石を力いっぱい踏みつけ、拳を大きく振り抜いた。

 ハイラムの巨体越しに、ハルタシュの拳がアトゥリナの顔面をとらえる。咄嗟にビードが後ろへ引っ張ったので、まともに当たりはしなかったが、頬骨をかすめられてアトゥリナの視界が揺れた。

 堪える余裕もなく、アトゥリナは呻きを漏らす。生まれて初めて顔を殴られて、痛みよりも衝撃で眩暈がした。膝が萎えそうになったのを、ビードがしっかりと抱き止めてくれる。涙の滲む目を何度もしばたたかせ、数呼吸してやっと視界が安定した時には、ハルタシュはどこかへ走り去っていた。

 成り行きを見ていた男も、何も言わずに背を向ける。

 一度に世界のすべてから見放された気がして、アトゥリナはただ放心していた。



 これからどうするにしても、一度は宿に戻らなければならない。

 しばらくして自失から立ち直ると、アトゥリナはそう思い出して深いため息をついた。ハイラムを動かすのは一苦労だったが、置いて行くわけにもいかない。なだめすかし、脅しまでして、どうにか立ち上がらせる。三人は重い足取りで歩きだした。

 宿の前に自分達の荷物が放り出されていることも覚悟したが、幸いそこまでの仕打ちはされていなかった。まだ宿屋の主が知らせを受けていないだけかもしれないが。

「……とりあえず、荷造りしよう。ここにはもう泊めてもらえないだろうから」

 部屋に入ると、アトゥリナは暗い声でつぶやいた。だがすぐには取りかかれず、寝台に腰を下ろしてうなだれる。ビードが傍らに膝をつき、慰めた。

「アトゥリナ様、気落ちされるのはもっともですが、なってしまったものは仕方がありません。できるだけのことをなさったのです、治癒の術を施されるよりも前に悪風が入り込んでいたのなら、誰にも救えませんでした」

「あの時、何かが足りないと思ったんだ。何かもう少し、やらなければならないことがあると……なのに、それが何なのかわからなかった。いっそ何も手出ししなければ、のた打ち回って悲惨な死に方をするより楽だったろうに」

 床に向けてこぼされる詮ない繰り言に対し、ビードはすぐには答えなかった。短いが重い沈黙の後、彼女は低く呻くように絞り出す。

「たら、れば、と言うのなら、私が女でなければ一番良かったのです。あんなことで遅れさえしなければ、ハイラムが下らぬ事故を起こす前にテペシュに着いていたでしょう。どうせ同じく足手まといになるのなら、もう一日、せめて半日余分に足を遅らせ、ハイラムが八つ裂きにされた後で到着していれば良かったのです」

「――!」

 さすがにアトゥリナは息を飲み、顔を上げてビードを見つめる。彼女の瞳は激しい自責と痛恨に揺れていた。

「違う、そういうことじゃない」

 反射的にアトゥリナは否定し、ビードを胸にかき抱く。震えながら何度も、違うんだ、と繰り返すうちに、彼はぎくりとして立ち上がった。続き部屋に駆け込み、ハイラムの様子を確かめる。案の定、彼は底なしの淵を覗き込むような顔で、膝に己の剣を置いてじっと見つめていた。

「馬鹿なことはよすんだ、ハイラム」

 アトゥリナは強い口調で言い、素早く剣を奪い取った。ハイラムは石になったように動かない。アトゥリナは自分も泣き出したいのを堪え、ぎゅっと目を瞑る。ゆっくりひとつ深呼吸すると、彼は目を開けて頭を振った。

「ああもう、二人して勘弁しておくれよ! 私には落ち込む自由もないのかい?」

 思いがけない非難を受けて、ハイラムが途方に暮れた顔を上げる。ビードも主のもとへ歩み寄り、深く頭を下げた。

「申し訳ございません、殿下」

「謝らなくてもいいよ、ビード。誰の責任かを辿っていけば自分に行き着くのはわかっているのに、今さらまた、たら、ればの話をした私が愚かだった。もうやめよう、ハイラムも、自分を責めるのはよすんだ。あの人を死なせたのは直接にはおまえかもしれないけれど、私達全員に、もっと言うならおまえを無謀な転移魔術で放り出した『長衣の者』らにも、責任の一端がある。おまえが死なねば詫びにならぬと言うなら、私もビードも道連れだ。それはおまえの望みではないだろう?」

「殿下……」ハイラムが声を詰まらせる。

「その時々で最善か、せめて次善であると願いつつ行動するしかない。それはいつでも同じだ。それで駄目だったのだから、今度もやはり、できる限りの償いをするだけだ。さあハイラム、荷物をまとめるんだよ。ハルタシュと共用していたものは全部置いていこう。そんな程度で償いになるとは思えないけど……お金もいくらか渡すべきだね。宿の人に預けた方が安全かな」

 言いながら、アトゥリナは自分の部屋に戻って財布を探す。そこへ、

「ど阿呆、大事な金を迂闊に預けるな」

 不機嫌な声が廊下から飛んできた。ぎくりと竦んだアトゥリナの視線の先、部屋の戸口に、赤く目を腫らしたハルタシュが仏頂面で現れる。アトゥリナが硬直していると、ハルタシュの後ろから、ひょい、ともう一人の顔が覗いた。

「ナヒティ!」

 思わずアトゥリナは声を上げる。少女はハルタシュの背中を両手で押して、強引に敷居をまたがせた。

「厄介なことになったって言うから、近くの物陰から様子を見てたんだ。そしたら随分剣呑になったからさ、走ってきたこいつを捕まえて話を聞きだしたの。本当、こいつ馬鹿だよね。アトゥリナはもうしっかり償いだとか先のことを考えてるのにさ」

「うるさいな」

 ハルタシュが唸り、ナヒティを振り払った。そのままずかずか歩いてアトゥリナの横を通り過ぎ、自分の荷物のそばにしゃがみ込む。

「……ええと、ハル、その……」

「荷物まとめんのはいいけど、出発するのは明日か明後日だぞ」

「は?」

 ハルタシュはぶっきらぼうに言い放ったきり、何の説明もしない。アトゥリナは助けを求めてナヒティを見やった。少女は肩を竦め、苦笑いを作る。

「帰って来るなって言われたから、出て行くんだってさ。このまま南に行商するって」

 ぽかん、とアトゥリナは口を開け、ハルタシュの背中を見つめる。しばらくただそうしていると、沈黙に耐えられなくなったハルタシュが大声を上げた。

「ああもう、腹が立つ! 俺のせいじゃないってのに、村の連中どんだけ薄情なんだよ、くそっ! お許しが出るまでキルフェで大人しく縮こまってろとか、ふざけるな!」

 一人で宙に向かって悪態を吐き散らし、それから彼は荷物鞄を叩きつけた。

「吠え面かかせてやる。一月かかろうと二月かかろうと、南に行って大儲けしてやるからな、見てろよ」

 自暴自棄と闘志が相半ばする声で不吉に宣言し、拳を握り締める。そのこわばった背中に向かって、アトゥリナは恐る恐る問いかけた。

「それ、つまり……一緒に来てくれる、って」

 言いかけた途端、ぎろりと肩越しに睨まれる。アトゥリナは大袈裟に身を竦め、次いで堪えきれずに泣き笑いでハルタシュに抱きついた。

「ありがとう!」

「だあっ、やめろ気色悪い! 礼なんか言われる筋合いねえっての!」

 途端にハルタシュは真っ赤になって抵抗する。だが本気ではない証拠に、非力なアトゥリナの腕をふりほどけないまま、じきに自分も相手にしがみつく。

「……負けるもんかよ」

「うん」

 互いにつぶやいた声は少しだけ、湿っぽく揺らいでいた。



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