市場町キルフェ
短い草が織り成す緑の絨毯を、小さな花が白や黄色に彩っている。所々に露出している岩のほかは物らしい物がない丘陵に、黒い壁がひとすじの線を描いていた。
「うわぁ、もしかしてあれ、城壁かい? すごい、ちゃんとした町だ!」
「なんだそりゃ。壁がなきゃ町じゃないってのか」
故郷と少し似た景観を行く手に見つけ、アトゥリナが歓声を上げる。横でハルタシュが妙な顔をして聞き返したので、アトゥリナの方も面食らってしまった。時々こうした食い違いが生じるのも、異文化ゆえに致し方ないのだろう。
「えっ? あ、ごめん、そういう意味じゃなくて。驚いただけ」
「別に悪かないけどよ。キルフェは町ってぇより……そうだな、全体がでっかいひとつの宿、みたいなもんだからなぁ。あれを『ちゃんとした』町って言うもんなのかと」
「隊商宿、ってことかい」
「ああ、ここは昔からそういう場所だったんだ。どこの部族も移動して暮らしてた時代から、ここに集まって市場を開いたのが、こうして町になった、ってわけさ。水場が近くて便利だからな」
都合四人に増えた一行がキルフェまで辿り着いた時、楽しくおしゃべりしているのは少年二人だけだった。護衛を務めるビードとハイラムは、押し黙ったまま何も反応しない。ただ周囲の行き交う人々に油断なく目を配り、不埒を働く者がいないか警戒している。
従う二人の重苦しく剣呑な空気を、ハルタシュもアトゥリナも最初は気にしてばかりいたが、三日もする頃には諦めてしまった。こっちの神経がもたない。
「これだけ立派な構えってことは、やっぱり隊商を狙う盗賊が出るんだ?」
「まあな。さすがにこの町を襲撃する馬鹿はいないけど……元々俺らはあちこち移動するのもあって、そんなに物持ちじゃないだろ。自分達で作れるのも毛皮とか干し肉とか、毛織物とか、あんまり多くないし。だから交易ってのは大事で、旅人はもてなすならわしだし、盗みを働いた奴には容赦しない」
話しながら、ハルタシュは器用に人込みの間を縫って歩き続ける。アトゥリナは初めて見るあれこれの誘惑と懸命に戦いながら、どうにかその後について行った。
「なるほど、それで、腕」
「そういうこと。もっとえぐい刑罰もあるけど、聞きたいか?」
「遠慮する……」
ハルタシュは意地悪くにんまりし、それから前を向いておざなりに締めくくった。
「それだけやっても、楽して人から奪いたがる奴はいるってこった。おまえも、荷物にあの魔法をかけてあるだろうけど、余計な騒ぎにならないように気をつけろよ」
「う、うん」
言われてアトゥリナは鞄をぎゅっと抱きしめる。すぐ背後でビードが「ご心配なく」とささやいた。
ぐるりを壁に囲まれたキルフェの町は、ハルタシュが言う通り、巨大な宿屋のような造りになっていた。一番外側の壁は防御施設であるが、その足元には厩が連なり、庭を挟んで内側にまた方形の壁が続く。こちらは軒を連ねる宿や商店で、壁はつながっているものの区画ごとに経営者が違うらしい。
町を貫く大通りの両側には、軽食の屋台や胡散くさい両替屋、旅人の足を洗って小銭を稼ぐ子供達や、荷物運びに娼婦までが来訪者の懐狙いで垣を成している。
行き交う人々は大半がレクスデイル人らしく、様々な色合いの金髪と、それぞれの氏族を表す模様織の布がひしめいている。中にちらほらと北や南からの交易商らしき人影もあるが、ごく少数だ。自力で丘陵地帯を抜けるより、レクスデイル人の隊商に引き継ぐ方が一般的なのだろう。デニス人の三人は少しばかり人目を引いていたが、これは単にハイラムの長身が頭ひとつ飛び出しているからというだけで、じろじろ見られるほどではなかった。旅塵にまみれていては、異国の衣装も群衆に埋没する。
「この町、いったい何重になっているんだい?」
巨大な回廊をなす壁に開かれたアーチをくぐり、アトゥリナは街路の彼方に目をやって呆れ声を出した。まるで合わせ鏡だ。ハルタシュは明るい笑い声を上げた。
「でかいのが四重だよ。間にちまちま後から建てられた長屋とかもあるけど、そんなに気の遠くなるような規模じゃない。中心に近付くほど古い街になって、安全なんだけどな。その分宿代も高くなるから、俺はいつもこの辺に泊まってるんだ」
言いながらハルタシュは街路を左に折れる。高い壁と壁に挟まれた通路は、大きな荷車でもすれ違えるよう充分な幅をとってあるものの、やはりなんとなく閉塞感があった。
(うーん……ここで歌っても、入りは悪そうだなぁ)
アトゥリナは周囲を見渡し、そんな感想を抱く。通行人は皆、自分の用事に忙しそうだし、街路には喧騒がこもっていて歌声の通る余地などなさそうだ。実際、歌や楽器の演奏をしている芸人など一人も見かけない。
歌えなければ、稼げない。今の彼はビードとハイラムの二人を養わねばならないのだ、金の問題は切実だった。これだけの額が必要だと言えば、すぐに金貨銀貨が用意された王宮での暮らしが、今となっては夢まぼろしのようだ。安楽ではあったが、よくもあんな無感覚にどっぷり浸かっていられたものだと、かつての自分が空恐ろしくさえなる。
(中心部に行けば、大道芸に適した広場があるかな)
後でハルタシュに訊こうと決めて、アトゥリナは彼の後から宿屋に入った。軒先に、ハルタシュが着けているのと同じ模様織の布がひらりと揺れていた。
どうやら一族の定宿らしく、簡潔かつ和やかなやりとりだけで、一行は当面の部屋を確保することができた。一頭だけの馬から荷物を下ろし、手分けして客室まで運び込む。荷物運びの下男がいるような、高級な宿ではないのだ。
案内されたのは続き部屋になっている二室で、扉でなく色鮮やかな麻布の帳で隔てられていた。誰が言い出すともなく、護衛二人と少年二人の組み合わせに分かれて、それぞれの部屋で歩き疲れた足を休める。
「ふいー、やっと着いた!」
ハルタシュはどさりと寝台に身を投げ出し、うんと伸びをしてから、またすぐに起き上がった。
「南に向かう隊商で、おまえらを同行させてくれそうなのがないか、探してくれるように頼んどいたからな。もちろん俺達の方でも探すけど……条件が合うのが見付かるまで、ここに泊まるって話をつけといた」
「え、もう? 何から何まで、ありがとう」
アトゥリナは靴を脱ぐのに四苦八苦しながら答える。体の一部になってしまったような革靴から足を引っこ抜くと、やれやれと息をついて、軽く揉み始めた。テペシュで用意してもらった正体不明の香油をふくらはぎに擦り込むと、固まった筋肉がほぐれてゆく。
「あー、生き返る」
思わず気の抜けた声をもらしたアトゥリナに、ハルタシュが遠慮なく大笑いした。
「最初は半島なんて夢のまた夢だと思ったけど、おまえも結構、まともに歩けるようになってきたな。ま、相変わらずひょろひょろだけどよ」
「大きなお世話だよ」
アトゥリナは歯を剥いて唸ったが、腹を立ててはいなかった。自分でも短期間で随分逞しくなったと実感していたので、厭味も気にならないほど嬉しかったのだ。
元々があまり体を動かさないまま育ったので、どうしても体力は劣るが、それでもカウロンから発った初日のように、あっと言う間に音を上げるようなことはなくなった。足裏の皮も丈夫になり、少しずつではあるが、疲れにくくなっている。引き籠りの語り部とはいえ、若さと健康に恵まれた十代の少年なのだ。鍛えればそれなりの成果は出る。
「何も偉大なるエンリル帝のようになる必要はないんだし、なりたいとも考えていないからね。私はただ、デニスまでこの足がもてば充分だよ」
「そりゃ大層な野望だな」
ハルタシュはにやにやしながら意地の悪い言葉を返し、アトゥリナの渋面を無視して、足元にまとめてあった荷物を解きにかかった。旅に必要となる毛布や食糧だけでなく、出立前に家族がついでとばかり押し付けた商品もあるのだ。固く結わえた織物や、干し肉の束、色鮮やかな石をつないだ腕輪など。行くならついでに売ってこい、というわけだ。
「ったく、いいように使ってくれるよ、うちの連中ときたら」
ぶつくさぼやきながら、彼はひとつひとつ傷の有無や数を確かめていく。アトゥリナは興味津々とその手元を覗き込んだ。
「……ちょっと思ったんだけど、交易って、私にもできるかな」
「はァ!?」
素っ頓狂な声を上げられてしまい、アトゥリナはむっとする。己が昔も今も世間知らずだという自覚があるだけに、そこまで驚かれると羞恥よりも悔しさが先に立った。
眉間に皺を寄せたアトゥリナを、ハルタシュは冗談か本気か見定めようとしてまじまじ見つめた。ややあって本気だと察すると、困惑に顔をしかめて頭を掻く。
「ああそうか、半島まで行こうってのに、歌だけで稼ぐのは厳しいってことか。いや、びっくりした。おまえも一応、金のこと考えられるんだなぁ」
「いくら『王子様』でも、ここはデニスじゃなくてレクスデイルだからね」
いつぞやの会話から相手の台詞を取り、アトゥリナはむすっとしたまま五弦琴を取り上げて手入れを始めた。
「この五弦琴が万一壊れたり、私の声が出なくなったりしたら……何もできません、では先に進めないじゃないか。どうせ旅をするのなら、ついでに少しでも確実にお金になるものを運べば、路銀の足しになると思ったんだ。素人には難しいだろうってことぐらい、わかってるよ」
言って、彼はため息をついた。気候の違う土地を旅していると、思うように声が出ないこともしばしばだ。それに、声変わりも完全には終えていない。一番大きな山らしいものは既に越えたが、大人の声にすっかり落ち着くまで油断はできない。
厳しい目で駒の位置を確かめる彼に、ハルタシュもまた難しそうに唸った。
「うーん、そうだなぁ、運ぶだけならそりゃ、手堅い品物を選べば損はせずに済むだろうけど。でもおまえ、完全によそ者だろ。ここで何か仕入れて旅先へ持って行ったとして、それをまともな値段で買ってもらえるか、ってのが問題だな。おまえなら、自分ちにおまえみたいな奴が品物持ってきたからって、買うか?」
「……王宮にいた頃なら、珍しい物だったら買ったかも。でも、ありきたりな品物じゃ駄目だね。そんなものを身元不明の子供から買うぐらいなら、いつもの信用できる相手から仕入れるかな」
もっとも、彼自身は王宮で売買に携わったことは一度もないのだが、それはさておき。
どうせ南へ行くのだからとか、軽くて小さい物なら徒歩でも運べるだとか、自分の都合だけで見れば良い考えのように思えても、それを買う相手の身になってみれば、悲しいかな、とんだ妄想だ。
素性のわからない、胡散くさくて旅塵に薄汚れた、しかも明らかに半人前以下の若造。それが、客観的に見たアトゥリナの姿だろう。そんな輩が広げる商品など、どんな手段で仕入れたのか知れたものではない。ありふれた物なら盗品かも知れないし、珍奇な品であれば恐らく紛い物か詐欺。
「売れやしないよね……」
はあぁ、と胸が空になるまで息を吐いて、肩を落とす。しょげたアトゥリナに、ハルタシュは慰めるでもなく言った。
「まあ、何か上手い方法がないか、考えてみるさ。どうせすぐに南に行けるわけでもないんだし、せっかく人が多い町にいる間に、歌って稼いでおけよ」
彼の態度は決して優しくはなく、素っ気無いとさえ感じられることもしばしばだが、行動は何かと親切だ。今も、余計な励ましや楽観的な見込みは口にしないものの、考えてみると言ったからには実際にあれこれ検討してくれるだろう。
アトゥリナは気を取り直し、うん、とうなずいた。
「そうだね、ありがとう」
微笑んだ彼に対し、ハルタシュは変な顔をして目をそらし、わざとらしく脇腹をごりごり掻いた。痒い、と言いたいらしい。アトゥリナはにやっとしてから、はたと思い出して身を乗り出した。
「そうだ、訊こうと思ってたんだ。街に入ってからここまで、大道芸人らしいのは一人も見なかったけど、場所の規制があるのかい? 中心部に行けば歌える広場があるのかな」
「どうかな、そういうの気にしたことないからなぁ。後で女将さんに訊いてみるか。けど確かに、街路に芸人はいないな。通行の邪魔になるからか、通りを仕切ってる顔役に場所代を払わなきゃいけないのか、その辺はわからねえけど……中央広場なら芸やってるのがよくいるから、多分大丈夫だろ。今から行ってみるか?」
「君の都合が良いなら、是非」
喜び勇んでもう立ち上がったアトゥリナに、ハルタシュは苦笑をこぼし、せめて靴はちゃんと履けよ、とからかったのだった。




