学園編 97 「森の先」
「ソラ、森に入るの?」
「……」
二人が平和京を出発し数時間後、陽も落ちてきた頃に森に差し掛かった。ユークリウスが調べた限りでは、特に名前などは無いが、極東国ジーニンの西半分で一番危ない所とされていた。さらに、平和京を出発し危険な東側に向かうようにひたすら歩いてきた二人がそのまま東に向かおうとすると世界一危ない場所に突き当たることにもなる。
「ソラ、そろそろ休憩してご飯にしよう」
「……」
「でも、森に入る前に休んでおいた方が……わかったってば、付いて行くから置いていかないでよ」
止まらずに歩いていくソラにユークリウスは慌ててついて行く。
「そうだ、魔物除けがあったんだ。すぐ準備するからちょっと待ってよ」
そう言ってユークリウスは地面にカバンを置き立ち止まる。ソラは置いていくかのように少し歩いてから、立ち止まった。
ユークリウスは小さい袋を取り出すとそれを一度握りつぶし首にかける。程なくして、その袋から腐卵臭に近いものが臭いだし始めた。
「臭いけど、我慢してね」
ユークリウスはカバンを背負いなおすと小走りにソラの横へと向かう。ユークリウスが横まで来るとソラは無言で歩き出した。
「これね、実は鳥の卵が何種類か入っているんだ。買ったものを外の日の当たる場所で十日放置して、それをこうやって中の物が漏れない袋に入れて持っておく。カバンの中で潰れても嫌だから一つしか持っていないんだけどね」
ユークリウスは困ったような笑いをソラに向ける。
「でも、潰したこれを持っているだけで魔物が逃げていくんだから便利でしょ」
「……」
「ん?そうだね、五日か六日くらいかな。歩きだからもっと遅くなるかも」
「……」
「えー、僕そんなに歩けないよ」
クスクスとユークリウスが笑う。すると、ソラは一度立ち止まりユークリウスを抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこで。
「ソ、ソラ?まさか、これで歩くつもり?寝ろってこと?ま、まぁ、僕はいいけど」
ユークリウスはソラに少しでも負担がかからないようにと腕をソラの首に回した。
「空間魔法付きのカバンはこういう時便利だよねえ。いっぱい持ってても重くないしかさばらないから抱っこもしてもらえる」
「……」
「あっ、そうだ、パン食べる?少し持ってきてるよ」
ユークリウスはカバンからパンを一切れ取り出すとソラの口に押し込んだ。ソラはそれを数回噛んだ後に飲み込む。いつにも増してゆっくりとした動作だったが、ユークリウスにはそれさえも面白かった。飲み込んだのを確認してからもう一切れを入れる。また、ゆっくりと飲み込んだのを確認してからパンを千切って渡す。街の鳥に餌付けでもしているような感覚に夢中になってパンをあげていると、ついにソラは口を固く閉じパンを受け入れなくなった。
「もうお腹いっぱい?ごめんね、夢中になっちゃった。明日はちゃんと干し肉とか用意してあるから」
なんだかこのセリフが人相手のセリフではない気もしながら、ユークリウスはあまりにも近くにあるその唇に自分の唇を一瞬だけ重ねた。
なんと唐突な行動か。ソラも驚いているに違いない。嫌がっているかもしれない。まぁさっきからソラは僕を抱っこしながら呼吸一つも乱さないで歩き続けているのだけど。
ユークリウスの頭をいくつかの思考が行き交う。しかし、一度だけ深く呼吸をするとそれをかき消した。
「僕がぐちゃぐちゃになってちゃいけないよね」
「……」
「大丈夫だよ、気にしないで」
時々木の葉や枝に当たりながらも基本的にソラは東に一直線に向かっている。ユークリウスはその理由が自分にあると思っていた。
極東に来る前、極東への旅に誘われたことが嬉しかったユークリウスはソラの為に極東の情報を集めた。そして、その内の幾つかを事前にソラに話したのだ。極東は中央より東が旅人は一切入れてもらえないほど危険な地帯で東に行けば行くほど危険になっていき、さらに山脈を越えると武人たちの京があるという噂を。
そして、この先はソラは知らない。旅人が入れてもらえないのに何故そんな情報があるのか不思議に思ったユークリウスはさらに幾つかの文献を探った。その結果わかったことは、極東の東半分と西半分を分ける中央には二つの砦のどちらかを通らないといけないことだ。もちろん、旅人が合法的にその砦を越える方法は基本的にない。
しかし、大陸と同じ大きさの極東を二分するにはいくら大きな砦を作ったところで全てを覆うことは出来ない。では、なぜ旅人は東側に行かないのか。そして、何故東側は西側よりも危険とされるのか。
それは、巨大な縦長の湖に分断されているからだった。通称、全毒の海。この世の全ての毒が混ざってできたその海はどんな生物も通過することは出来ないのだ。
もし、ソラがこのままユークリウスを担いで進めば三日とかからずそこに到達するだろう。
大丈夫、そこでちゃんと話せばさすがにソラも海越えはしない。そう自分に言い聞かせながら、ユークリウスはいつの間にか眠りについていた。
平和京を離れソラとユークリウスが歩き出して三日目の昼過ぎ、ついに二人の目の前に全毒の海が立ちはだかった。黒く粘々としたそれはもはや液体というより粘性のある固体のようである。
「……」
これはなんだ、とでも言いたげにソラはユークリウスの顔を見る。一度頷くとユークリウスは全毒の海のことを説明した。
「ここを越えるのは、言葉通り自殺行為だよ。遠回りしてでも砦を通るべきだ」
「……」
ソラは海に数歩近づき手を伸ばす。それをユークリウスが慌てて止めた。
「ソラ、危ないって言ったでしょ……うん、砦に行っても通してもらえる保証は無いけど」
ユークリウスは少し下を向いて答える。それを聞いてソラはユークリウスの腕を掴み後ろへと押した。予想外の衝撃にユークリウスは数歩後ずさり尻もちを着く。
「な、何?どうしたの?」
驚いたユークリウスはソラを見る。対するソラは一度目を合わせるとすぐに視線を外し全毒の海に足を踏み入れた。
「待って、それはいくら君でも危険すぎる!」
ユークリウスは立ち上がりソラに戻るように言うが、ソラは聞く耳を持たず一歩また一歩と全毒の海を進みだした。
液体の毒が服に染み込み、体の中になだれ込む。次の瞬間、ソラは盛大に血を吐き出した。
「ソラ!戻って、危険すぎる!」
目尻に涙を浮かべる勢いでユークリウスは手を伸ばす。しかし、ソラは一度だけ振り返りすぐに歩き出した。ソラの体が少しずつ毒に沈んでいく。胸まで沈んだところでソラは立ち止まり振り返った。
ソラがユークリウスの目を見つめる。まるで、付いて来たいなら付いてくればいいとでも言うように。
「待っててくれるんだね。わかった、付いて行くよ。君の横にいたいから」
ユークリウスは目元を拭うと立ち上がる。それから、一つ深呼吸をすると毒に足を踏み入れた。




