学園編 84
「おい待て、まだ、い、痛って」
咄嗟に倒れたフィラデルを抱えたソラだったが、突如襲われた痛みに胸を押さえた。
そして、それと同時に周りが白から黒の世界に変わっていることに気付いた。
「おっと、お仲間はもうギブアップか」
少しばかりの嘲笑がこもった声を響かせる。ソラは虚空を睨みつけて舌打ちをかました。
「てめぇ、何のつもりだ?」
「ゲームだからと、命が天秤に乗っていないとでも?」
「ぶっ潰すぞ」
「それはしないことに決めたのではないのか?」
声はまたも嘲笑を響かせる。考えるのが苦手なソラはフィラデルをお姫様抱っこすると立ち上がった。
「なぁ、ユケだったか?」
「ん、やっと謎解きする気になったかね?」
すると、ユケはソラの前に姿を現した。
「ここは、異空間なんだな?」
「私の特異結界のようなものだ。私たちの世界とは違う空間扱いになるな」
「そうか、じゃあ、遊ぼうぜ」
ソラはニヤリと笑みを浮かべた。その様子を見てユケはわざとらしく首を傾げる。しかし、次の瞬間には顔は無いながらも驚いているのが伝わるほどには体で驚愕を示した。
「お前なんて、足だけで十分だ」
髪の全体を金色に変化させたソラは、まるでどこかの兄のように、冷静にユケを見つめると息を吐いた。
「ソラ・アース、それほどまでとは。どこが未熟か!直に追いつくぞ、追いつけるとも、さぁ、遊ぼう。この時を待ちに待っていた!」
ユケは吠えるとフードを取り払った。中からは爽やかな青年の顔が出てくる。ソラはその顔を蹴りつけると遥か彼方まで吹き飛ばした。
「いいぞ、楽しくなってきた!」
ソラの後ろから声が聞こえる。ソラが振り返ると今度はユケがソラの顔を蹴りつけた。花火でも打ち上げられたのではないかというほどの音が鳴り響きソラの視界に一瞬火花が散る。その火花が収まらぬうちに、ソラはフィラデルを一層強く抱き寄せると前蹴りでユケを吹き飛ばした。
「次だ」
見えないほど遠くに吹き飛ばすとユケは転移するようにソラの近くに現れる。気配でそれがわかっていたソラは振り返ることなく後方を蹴りつけた。
「うぐぁっ、げほっ、げほっ」
ユケはまともにソラの蹴りを喰らい腹を押さえて後ずさる。何故だか、今までの攻撃はソラの感触では入っていたように感じていても実は入っていないようだった。だが、そんなこと関係なくソラは能力に体を任せてユケを攻撃するだけ。元リクの能力、ソラにとっては世界で一番信頼のおけるものだった。
ここで、ソラは溜息を吐きながら振り返る。みぞおちにでも入ったのか腹部を押さえて苦しそうにするユケを見てさらに溜息を吐いた。
「お前は俺には勝てない」
「だが、ゲームがクリアできなければここから出ることも出来ないぞ」
ユケは嫌がらせのように笑って見せる。しかし、ソラは呆れから目を細めた。
「もう午後の授業が始まる。終わらせないとユークリウスに怒られる」
「何が言いたい?」
「もう、謎は解けたという事だ」
ユケは無言になる。それから、そうか、と呟くとフードを被りなおした。
「お前には本来、実体はない。それ故に、相手によって、プレイヤーによって姿を変えられる。庭で顔が無かったのに、俺一人になった時に顔を見せたのはそのせいだな?」
ユケは答えない。しかし、沈黙は肯定だ。
「お前の正体は人でありながら遊戯という概念と混ざり合った精神体だ。次に、このゲームには答えが複数存在する。一つは、この世界にない遊びを考えること。二つ目が、俺がやったように、お前と遊ぶこと。そして、最後が、おそらく、前回の人物、それも俺の兄貴がやったであろう、あらゆる精神的束縛から脱した存在になること。ゆけは、仏教用語だな。仏教がこの世界にどうやって翻訳されるかは知らねえが、俺の世界にもその言葉があった」
「いきなり、人が変わったようだな」
ユケはまたテンションの低いゆっくりとした話し方に戻っていた。
「兄貴は三つ目の方法でどれだけ時間がかかった?」
「三秒」
「あ?」
ありえない時間にソラは思わず聞き返す。もちろんユケは同じ言葉を繰り返した。
「三秒って、あいつは三秒でお前の正体見破って、自分の存在を作り変えて見せたのかよ?」
「そうだ、それからその後、仕返しのように私にゲームを叩きつけてきた。それを解くのに体感で半年、実時間で六秒しか経っていなかった。完全なる敗北を経験したさ」
弟から見ても、もはや人間をやめているとしか思えない。この世界には魔法という便利なものはあれど限界がある。我が兄はすでにその境地を優に過ぎ去っているわけだ。
入学して早四か月。新しい場所に身を置いたこともあり少しばかりゆっくりしては、いたかもしれない。だが、兄に追い付くには、追い越すには、それでは足りないどころか、マイナス値を叩きだしていた。おそらく、いや絶対に、このペースでは一万年掛かっても追いつけやしない。
「なぁ、ユケ」
「なんだ?」
「俺が無我の境地に挑戦したらそれくらいかかると思う?」
「はぁぁ、そうだな、百二十年といったところか」
生きてるうちには無理ではないか。
「ちょっと、本気出さねえといけねえな」
「私はもう遊び疲れてしまったから相手にはならないぞ?」
少し引いたようにユケは目を逸らす。ソラとてそこまで考えていたわけでは無かった。
「いいよ、帰してくれ。さっきも言ったが、授業に出ないとユークリウスに怒られる」
「お前ほどの者が他人に怒られることを怖がるとはな」
「世界にはお前が思ってる百万倍は不思議だろ」
「そうかもしれないな」
瞬きをすれば人の居なくなった学園の中庭に舞い戻る。懐中時計を確認して、ソラは慌ててフィラデルを抱えて走っていった。
「いや、確かにまだ未熟か?」
ソラ・アース、お前の兄は私に摩訶不思議な遊びを教え、私を打ち負かし、精神からの解脱をすべて含めて三秒でこなして見せたのだ。お前の思っているより、壁は高い。超えるには、はしごが必要かもしれないぞ。
「ユケ、終わったか?」
「もちろんだ」
背中から聞こえる声にユケは振り返らず答える。
「どうだった?」
「言われた通り、確かに未熟だったかもしれん。光るものを、いや光る髪を持っているようだがね」
「そうか」
「あんたの前では私の顔が一つに定まらない。この世界は私が思っている百万倍は不思議が溢れているらしいな」
ユケの軽口に答えることなく声の主は消え去った。
「化け物と呼ぶには、化け物がかわいそうだな」
そして、中庭には陽の光だけが残っていた。




