学園編 81
63話から始まる学園編以降は“”(引用符、クォーテーションマーク)に囲まれた技名や固有名詞が出てきます。
その読み方に不正解はありません。自由に読んでください。
屋敷を出たソラは通りを少しさまよった後適当な路地裏に入り腰を下ろした。
常に建物の陰になっているために四六時中暗くジメジメとした通路、週一のゴミ出しの日に向けて集められたゴミ袋の臭いがソラの鼻をついた。陽も落ちかけ路地裏は通りより一層暗い。陽が落ちたら来るだろう、とソラは腰掛けた場所から通りの方を睨んでいた。
やがて陽も落ち影が強くなる。ようやく、ソラの目当ての物は現れた。
「遅かったな」
相手はソラの声には答えない。黒色の服で統一されたその集団は感情無くただソラを見つめるだけだった。
「今の俺ならあんたたち全員いなくても倒せる。あんたたちがやりたいことは知ってるよ。来いよ、後で後悔しても知らねえからな」
言い終わるとソラはファイティングポーズを取る。
次の瞬間には、ソラはその場に倒れ伏していた。
「任務、完了いたしました」
顔を隠した黒い男はその男に告げる。対象の弱さに笑っているのか鎖帷子が擦れる音が微かに鳴った。
「……そいつはどこへやった?」
「地下牢です」
「明日になってから解放しろ、以上だ」
「はっ」
小さく頭を下げると男は黒い霧となって消えていった。
ログリス・ロイヴィスタッハは溜息を吐きながら懐中時計を机から拾い上げる。それについたほこりを手で拭うと胸ポケットにしまい込みその部屋を後にした。
「お嬢様、お綺麗です」
「ありがとう、ゼラ」
所変わって一区一の一、ヒンネラ・ロイヴィスタッハは真っ白なドレスに身を包み時間が経つのを待っていた。大貴族同士の婚儀、参列者は三桁は下らない。新婦用の更衣室からでも会場のざわめきを聞くことが出来た。
ヒンネラは用意された水に一口口を付ける。しかし、あまりの苦さに二口目を口に入れることは出来なかった。
「お嬢様……」
「何も言わないで。もう私もわがまま言わないから」
「……わかりました」
ヒンネラの言葉に頷くとゼラはイスに腰を下ろす。
「……ゼラ」
「何でしょうか?」
「分かっていたの、こういうことになることは」
コップを持つヒンネラにゼラは言葉を返さなかった。
「これ、飲んでみて」
ヒンネラに手渡され小さく首を傾げながらもゼラはコップの水を一口喉に通した。
「どう?」
どう、とは。ゼラにとって何の変哲もないただの水にしか思えない。そんなゼラの顔を見てヒンネラは顔を歪めた。
「私はそれがとても苦く感じるの。コーヒー豆を直接噛み砕いているくらい」
その言葉にゼラは目を見開いた。
「ここ数日は食べ物も飲み物も喉を通らないの。こんなこと初めてよ。熱が出た時だって甘いものは辛うじて食べられたわ。でも今はデザートも美味しくないの」
ヒンネラはゼラを見て目尻に涙を浮かべる。しかし、化粧を落としてはいけないとヒンネラはそれ以上は行かないように抑えていた。
「お嬢様、化粧が落ちてしまいます」
そう言って立ち上がるとゼラはハンカチを取り出しヒンネラの目尻を拭く。ヒンネラが途切れ途切れの長いため息を吐くのを見届けてからゼラは途切れ途切れの溜息を吐いた。
「お嬢様、そろそろお時間になります」
時間を待つヒンネラの更衣室にライラがやって来た。
「ありがとう、今出ます」
この部屋を出ればもう私はレールに乗る、巨大な機関車の歯車の一つとして。齢十六、七にしてこんなにも責任重大な一歩は果てしなく重かった。
「お嬢様、来賓の方々をお待たせしてはあまり心証もよくありません」
「わかっています」
勇気をちょうだい、いえ、よこしなさい、ソラ、私はあなたを信じるから。
重い足を無理やり前に進めるとヒンネラは更衣室を出ていった。
「ヒンネラお嬢様とフォイスト様のご登場です」
「それでは、まず初めにフォイスト様からのご挨拶です」
「この度は私の結婚式にお集まりいただき……」
「それでは、誓いの言葉に移ります」
「フォイスト様、あなたはヒンネラお嬢様を妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限りお嬢様を守ることを誓いますか?」
「はい、誓います」
「ヒンネラお嬢様、あなたはフォイスト様を夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限りフォイスト様を愛し続けることを誓いますか?」
「……」
「ヒンネラお嬢様?」
「……誓います」
「そんなん誓えんのかよ?」
突然に新婦側から上がる一つの声に会場の者は全員そちらに視線を向けた。
「この結婚には異議ありだ」
「お前は……」
新婦側から立ち上がった少年に驚きログリス・ロイヴィスタッハは慌てて腰を上げる。しかし、それ以上動くことは出来なかった。
赤髪に幾筋か金色を流したその少年はニヤリと笑うと誰も動けなくなったこの会場でゆったりとヒンネラの方へと歩くとその手を引っ張った。
「ようやく能力が反応してくれたぜ。待たせたな」
「遅すぎるのよ、ソラのバカ」
目尻に涙を浮かべてヒンネラはソラに抱きついた。それをソラはしっかりと受け止める。
「貴様、ロー家の結婚式を台無しにしてただで済むと思うなよ!」
動けないフォイストはソラに怒鳴る。今回の件で一番の被害者はこの青年なのかもしれない。しかし、ソラは引くことは出来なかった。
「迷惑かけた。これで終わりだ」
「何を言っている?」
「お前こそ、英雄家の女に手を出してただで済むと思うなよ?」
「なっ、ただの冒険者風情が」
フォイストはソラを睨もうとして失敗する。
「軍でも出してみろ、王都ごと吹っ飛ばしてやる」
ソラはそれを睨み返すと拳を握った。
「ソラ、それはやめて。私の屋敷まで吹き飛んでしまうわ」
「なら俺の屋敷に来い」
「なっ、そ、それは……告白と受け取っても良いのね?」
頬を赤くしながらもヒンネラはソラに聞く。ソラは頷いて返した。
「まぁ、結婚するにしても第二夫人なんだけどな」
「え?第……二?」
「あぁ、俺はもう結婚してるから」
「な、な、な、ソラのバカ―!」
ヒンネラの鉄拳制裁によってソラは窓を突き破り吹き飛んでいった。
ソラの結婚式殴り込み事件の後、再度結婚式を挙げるかと思いきやログリス・ロイヴィスタッハはソラとヒンネラの結婚を条件にロー家との婚約は破談となった。ヒンネラと結婚するはずだったフォイストも、事情を全て説明するとそっぽを向いて鼻を鳴らし帰っていった。ライラはヒンネラの護衛役から外されログリスから直接ソラがお世話役に任命された。
その事件から数日経ったヒンネラがしていることといえば、ソラの周りの情報収集であった。
「兄が学園のA、妻は元暗部、妹は私と同じQ。じゃあなんで本人はたったの2なのよ!」
「本人に聞いたところ、兄に能力を封印されているとか」
ヒンネラとゼラはもう鍵の掛けられなくなった階段上の部屋で山積みの資料と向かい合っていた。
「冒険者ランクは最低のF、目立った依頼は一切なし、スタンピードをほぼ一人で守り切った英雄。兵以外の死者は……0」
「兄の方のランクは最近Aに上がっています。塗りつぶされている部分が多いですが、見える部分はいずれも竜の討伐やロードモンスターレベルの討伐ばかりです」
「ロード、モンスター?」
ヒンネラは書類から一度目を離し始めて聞く言葉に首を傾げた。
「推定1000以上の魔物の群れの長を指します。恐らく、長を討伐したという事は群れを丸ごと相手に出来るレベルの実力者だという事でしょう」
「1000……」
想像を上回る答えにヒンネラは言葉を失う。しかし、ゼラは首を横に振った。
「それを言うのであれば、貴方の夫となるソラ様は数千の、それもスタンピードを凌いだのです」
「それほどの能力を封印されたって、兄の方は何を考えているの?」
「私にもそれは……ん?お嬢様、これを」
自らの言葉を遮ってゼラは資料をヒンネラに渡した。
「どこ?」
「一番下の、塗りつぶしの間から見えるそれを」
「どれ?賜名、アレス?アースじゃないの?」
「名字とは別に王から賜った名前、リク・アースは軍人の、それもかなり位の高い人物です」
「そう、そんなことどうでもいいのよ!今は私が第一夫人になる方法を探してるんだから!」
「……そうでしたね」
ゼラは優しい笑みでヒンネラを見ると資料に目を戻す。その前でヒンネラは超重要機密事項の漏れた紙を投げ捨てた。




