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第4話 救えなかった過去と、守りたい未来

第4話を読みに来ていただき、ありがとうございます!


今回はいよいよ、初のダンジョンボス戦です!


これまでとは違う強敵を前に、タツヤたちはどう立ち向かうのか。


少しでもハラハラ、ドキドキしながら楽しんでいただけたら嬉しいです!


それでは、第4話をお楽しみください!

 扉の向こうから聞こえていた音が、止まった。


「……開けるよ」

「うん」


 リンが氷話杖《フロスト・コーラー》を握り直す。

 俺も焔銃剣《イグニス・バヨネット》を構えた。


「こういう扉の向こうって、宝箱があるものじゃない?」

「さっきの音を聞いて、まだ期待できるんだ」

「希望くらい持たせてよ」


 重い扉を押し開けた。


 天井の高い地下広場。

 中央には干上がった噴水。左右にシャッターの下りた店舗が続き、四本の太い柱が天井を支えている。


 梅田の地下街を、誰かが悪趣味に作り替えたような場所だった。


 ガンッ!


 背後で扉が閉まる。

 振り返ると、取っ手も継ぎ目も消えていた。


「……帰り道がなくなったね」

「クリアするまで帰す気はないみたい」


 俺は広場の床を目で追った。

 噴水の周りは円形の通路。四本の柱は、その外側にほぼ等間隔で並んでいる。左右の店舗前なら走れそうだが、行き止まりへ追い込まれたら逃げ場はない。


 仕事の癖で、まず逃げ道を探してしまう。

 敵がどこから来ても、互いの姿を見失わない場所はどこか。二人で逃げ込める幅はあるか。


 ……とはいえ、どこから敵が出てくるかも分からないんだけど。


 リンが俺の顔を覗き込んだ。


「何を見てるの?」

「逃げ道。敵に囲まれるのは勘弁だからね」

「……意外と慎重なのね」

「そこ、意外って必要?」

「今までの行動を振り返ってみて」

「……返す言葉もございません」


 そのとき、天井の奥で金属が軋んだ。


 頭上を横切る巨大な空調ダクト。

 その一部が、内側からゆっくり膨らんでいく。


「リン、離れて!」


 金属板が裂けた。


 黒い巨体が、広場の中央へ落ちてくる。


 ドゴォンッ!


 床が跳ねた。

 飛び散るタイルを避け、リンと左右へ転がる。


 十メートルはあるだろうか。

 胴を覆う黒い装甲。刃物のような無数の脚。人の胴ほどもある二本の牙。

 そいつは噴水の縁を砕きながら、長い身体を持ち上げた。


《ダクトクロウラー》


「……これが初級?」

「難易度の設定、間違えてないかな」


 リンの声は震えていた。

 ……俺も、笑っている場合じゃない。


 頭の向き、脚の動き、周囲の柱。

 逃げ道はある。でも、あの胴で通路を塞がれたら簡単に追い込まれる。


「リン、右の柱へ! 頭だけじゃなく、胴にも気をつけて!」

「分かった!」


 二人で飛び退いた直後、牙が噴水の縁を砕いた。

 俺は柱の通路側、リンはその内側へ移動する。


 ムカデは噴水を巻くように身体を曲げた。

 長い胴が左の退路を塞ぐ。


 ……速い。

 頭を追うだけじゃ、いつか逃げ場を失う。


「リン、脚の関節を狙って! 俺は頭の向きを変える!」

「分かった!」


「氷針《アイスニードル》!」


 細い氷が右前脚の付け根を貫いた。

 ムカデが身体をよじり、頭がわずかに下がる。


 俺は割れた噴水の縁を蹴り、開いた牙の間へ銃口を向けた。


「炎弾《ファイアバレット》!」


 炎が口の奥で弾ける。

 耳障りな鳴き声が響いた。


 額の装甲には、傷ひとつついていない。

 でも、口内には確かに効いている。


 ただ、簡単な話じゃない。

 口が開くのは、噛みつこうと頭を突き出す瞬間だけ。その距離に入れば、少し遅れるだけで牙に挟まれる。


 俺は息を整えながら、噴水の縁にできた亀裂を見た。

 さっきの一撃で石が割れ、足場が斜めになっている。踏み込むなら、反対側の平らな場所を使う方がいい。


「リン、氷はどれくらいもつ?」

「さっきのは、三秒くらい。でもあの脚に力を入れられたら、もっと短いと思う」

「了解。じゃあ、無理には狙わない」

「本当?」

「今回は本当。……たぶん」

「最後が余計!」


 口ではそんなことを言いながら、俺は右手の感覚を確かめた。刃はまだ動く。炎も出せる。

 ただ、向こうの速さを甘く見たら、作戦を考える余裕さえ失うだろう。


 ――勝つなら、あそこだ。


「リン、もう一回――」

「タツヤ、後ろ!」


 凍った脚が氷を砕いた。

 長い尾が左から迫る。

 剣で受けるには遠すぎた。


「……っ!」


 鈍い衝撃が、脇腹へ走った。

 身体が宙を飛び、左の店舗のシャッターへ叩きつけられる。


 ガァンッ!


 肺の空気が、一気に抜けた。

 膝が折れ、立とうとしても脚が言うことを聞かない。


「タツヤ!」

「……大丈夫。そっちは見てて」


 声がひどく掠れた。


 リンは柱の内側にいた。

 その向こうで、ムカデの頭が持ち上がる。


「リン、右へ!」


 彼女は柱を回ってかわした。

 だが、ムカデの胴が反対側から回り込み、退路を塞ぐ。


 ……まずい。


 俺は柱の陰から駆け出した。

 リンの肩を押し、崩れた噴水の側へ逃がす。


 直後。


 ザシュッ。


 鎌状の脚が、俺の脇腹を深く裂いた。


「……っ、あ……!」


 熱い。

 次の瞬間、息が止まるほど痛かった。


 膝が床に落ちる。

 服の下で温かいものが広がる。押さえた手が赤く染まり、指の間から血がこぼれた。


 ……これ、本当に死ぬやつじゃないか。


 まだ残機がある。

 頭では分かっているのに、身体はそんな理屈を信じてくれなかった。


 ここで一度死ねば、安全区域で復活する。

 でも、リンをこの広場に一人残すことになる。


 それだけは、嫌だった。


「タツヤ!」

「……敵を見ろ。まだ、来る」


 牙が迫る。

 俺は床を転がり、噴水の残骸へ身を寄せた。

 さっきまでいた場所へ、牙が突き刺さる。


 砕けた石が背中に降った。


 ――立て。


 命じても、脚が震える。

 その震えが、別の記憶を連れてきた。


 六年前、サクヤと笑っていた夜のことが、ふっとよみがえった。


『もう一回だけ。今度こそ勝てるって』


 何度も聞いた、あいつの声。

 終電を気にしながらゲームを続けた、どうでもない夜。


 あの頃には、もう戻れない。

 そして、最後の頃のことだけは、今でも思い出すのが怖い。


 ……違う。今は、そこに逃げ込んでいる場合じゃない。

 リンは目の前で戦っている。過去を悔やんでいるだけじゃ、あの牙は止められない。


 ガリッ!


 金属が床を削る。

 反射的に身を伏せた。頭上をムカデの脚がかすめる。


「タツヤ、左!」


 リンの氷針が脚の一本へ突き刺さった。

 ほんの一瞬、攻撃が逸れる。


「……ありがとう」

「お礼はあと! 立てる?」


 立てる、と言いたかった。

 でも、その言葉さえうまく出なかった。


 俺は剣を支えにして、どうにか立ち上がる。


 血を踏んで靴が滑った。

 柱へ肩をぶつけ、倒れる寸前で踏みとどまる。


 怖い。

 死にたくない。


 それでも、今度こそ、誰かを置いて逃げたくはなかった。


「……リン。あいつの右前脚、まだ動きが鈍い」

「……うん」

「もう一度、そこを止められる?」

「できる。でも、タツヤの傷が……!」

「俺も分かってる。だから、無茶しない方法を考える」


 リンの目が、少しだけ見開かれた。


「……本当?」

「信用ないなあ」

「昨日からずっと、心配させてるからよ」


 怒った声だった。

 でも、泣きそうにも聞こえた。


 ムカデが頭を上げる。


 リンは柱の陰から前へ出て、氷針を二本放った。

 一本目が右前脚へ刺さる。二本目は装甲に弾かれた。


 巨体がこちらへ向き直った。


「タツヤ、下がって!」

「……でも」

「今度は私が守る番でしょ!」


 リンは俺の返事を待たなかった。

 柱の陰から半歩だけ身を出し、ムカデの向きを確かめる。杖の先で氷が散った。次の瞬間には、牙を避けて柱の反対側へ移っている。


 昨日、路地で襲われたときのリンは、杖を握ったまま動けなかった。

 でも今は、怖いと言いながら、自分で敵の正面に立っている。


 それは、俺が守ってやったからじゃない。

 リン自身が、怖さを抱えたまま前へ進むと決めたからだ。


 ……その覚悟を、俺の勝手な心配で踏みにじりたくない。


 守られることを、情けないと思っていた。

 俺が何とかしなきゃ。俺が助けなきゃ。

 ずっと、そんなことばかり考えていた。


 でも、リンはもう、俺の後ろに隠れているだけの人じゃない。


「……分かった。少し、頼らせて」

「最初からそうして!」


 リンが杖を振った。

 ムカデの顔の前に薄い氷の壁が現れる。


 バキンッ!


 一撃で砕けた。

 だが、牙の軌道がわずかに逸れる。


 俺はその隙に、噴水の陰へ退いた。

 ……壁を作る魔法まで使えるようになってる。


 ただし、リンの呼吸は荒かった。

 頬には汗が伝い、杖を握る指も震えている。


 続ければ、彼女まで倒れる。


 ――考えろ。


 ムカデは頭を持ち上げるたび、大きく口を開く。

 あの瞬間だけ、内側が見える。


 でも、そこへ踏み込むには、無数の脚を止めなければならない。


「……リン!」

「何!?」

「全部の脚は無理でも、前の脚だけなら凍らせられる?」

「……たぶん。でも、すぐ砕かれる!」

「一瞬でいい。その間に、俺が口を狙う」

「……そんな身体で?」


 返事に詰まる。

 嘘はつけない。


「正直、かなり厳しい」

「だったら――」

「でも、俺一人で突っ込むつもりはない。リンが止められなかったら、攻撃しない。無理なら、別の手を考える」


 彼女の青い瞳が、まっすぐこちらを捉えた。


「……約束できる?」

「できる」


 リンは唇を噛み、静かに頷いた。


 頭の中で位置を組み直す。

 俺は噴水の左へ回る。リンは右の柱の陰から氷を放つ。ムカデの頭がリンへ向いたら、俺は無理に飛び込まず、牙の動きを見極める。


 問題は、あいつの尾だ。

 頭に気を取られれば、さっきみたいに横から叩き飛ばされる。だからリンには、俺の背中も見ていてもらう。

 俺は口に出して順番を確かめた。


「脚を止める。俺が近づく。もし口が開かなかったら引く。これでどう?」

「……うん。私も、動けなくなりそうならすぐ言う」

「頼む。あとは、お互い勝手に死なないこと」

「当たり前でしょ!」


 今度は、その当たり前を守りたい。


 リンも杖を握り直した。

 握る指先は震えていたけれど、目はしっかりとムカデを捉えている。


「……行こう、タツヤ。今度は二人で」

「うん。二人で」


     ◇ ◇ ◇


 ムカデは噴水の外周を回り込み、柱を薙ぎ倒そうとしていた。


 ムカデが柱に胴を巻きつけた。

 石を砕く音が、広場いっぱいに響く。


「リン、右から来る!」

「見えてる!」


 リンは柱の陰を離れ、横へ滑るように踏み出した。

 追ってきた牙が、ほんの少し前まで彼女のいた床を抉る。


「――氷盾《アイスガード》!」


 足元から立ち上がった氷が牙の先を弾き、砕けた。

 リンは衝撃に押されながらも、倒れなかった。


 ……それでも、もう限界に近い。

 俺は銃剣を構え直した。痛みで視界が滲むが、リンに向いた牙の隙を狙い、炎弾を一発だけ撃つ。


 口元で火が散った。

 ムカデの頭が、俺へ向く。


「こっちだ。でかいだけじゃ、追いかけっこにもならないよ」


 挑発したくせに、脚が言うことを聞かない。

 俺は噴水の欠けた縁へ背中を預けた。


 そのときだった。


「……私」


 リンの声が聞こえた。

 戦闘中の掛け声にしては、妙に静かだった。


「私、ずっと……思い出さないようにしてた」


 氷話杖《フロスト・コーラー》の先端に、淡い光が灯る。

 青白い粒が一つ、また一つと集まり、冷たい霧になってリンの指先を包んだ。


 ムカデが尾を振り上げる。


「リン、危ない!」


 彼女は振り返らない。

 代わりに杖を振り、足元から薄い氷壁を立ち上げた。

 尾がぶつかり、壁はあっけなく砕ける。けれどリンは、その一瞬に身を引いていた。


 魔力の光は消えなかった。

 むしろ、杖の柄から彼女の手首へ、細い氷の線が絡むように伸びている。


「詩織と笑った日も、くだらないことで言い合った日も……本当は、全部覚えてる」


 リンは一歩、踏み出した。


「でも、思い出そうとすると、最後のことまで浮かんできて……」


 言葉が途切れる。

 杖を握る指が震えた。


 俺は知っている。

 さっきカフェで聞いた、リンの親友の名前。

 あの子と最後に話した日のことを、リンはまだ俺に全部話していない。


「リン、無理して話さなくていい!」


 叫ぶと、彼女はほんの一瞬だけ俺を見た。

 泣きそうな顔だった。

 だけど――目は逸らさなかった。


「……ううん。これは、私が言いたいの」


 氷話杖が、低く震えた。


 杖に集まる光が、ひと回り大きくなる。

 床に落ちた水滴が凍り、割れたタイルの隙間に白い線が走り始めた。


「私、あのとき……違う言葉を選んだ」


 そこで、リンは口を閉ざした。

 何を言ったのか。それが誰に向けた言葉だったのか。

 聞きたいとは思った。でも、今ここで聞くべきことじゃない。


 巨体が唸り、前脚を持ち上げる。

 俺は噴水の縁から銃剣を突き出し、牙の脇へ炎を放った。


「――炎弾《ファイアバレット》!」


 爆ぜた火が、ムカデの頭をわずかに逸らす。

 その間にリンは柱の内側へ移動した。


 逃げるためじゃない。

 前脚を正面から狙える場所へ、自分で移ったんだ。


「後悔してる。今でも、胸が痛くなるくらい」


 リンが杖を両手で握り直す。


「だから、あの頃のことを全部忘れたら、楽になれるのかもしれないって……思ってた」


 氷の線が、噴水の外周へ伸びた。

 柱の根元から白い霧が立ち上がり、広場の空気が一気に冷える。


 ムカデの脚が、霜の降りた石畳を引っかいた。


 ……これは、いつもの氷針じゃない。

 まだ魔法の名前も呼んでいないのに、広場そのものが杖へ呼応している。


「でも、違うのよ」


 リンは顔を上げた。


「楽しかったことまで、消していいわけじゃない。あの子が笑ってくれた時間は、確かにあったんだから!」


 杖の先に集まった魔力が、青く輝きを増す。


 ムカデが大きく頭を振った。

 凍りかけた床を砕き、リンへ突進する。


「リン!」


 俺が動こうとした瞬間、彼女の声が響いた。


「私は――!」


 氷話杖の先が、床を打った。


 キィィンッ――!


 澄んだ音とともに、噴水の亀裂から無数の光が伸びる。

 それらはムカデの前脚を囲むように広がり、まだ閉じない氷の輪を描いた。


「悲しかったことも、自分が選んだ言葉も……忘れたふりなんて、もうしない!」


 牙が、彼女の目の前まで迫る。


 リンは引かなかった。


「私は、あのときの過去を――なかったことになんかしない!」


 まっすぐに突き出された氷話杖が、眩しいほどの光を放った。


「――氷界封域《フロスト・ドミニオン》!!」


 轟音。


 噴水を中心に、放射状の氷が一気に噴き上がった。

 途中まで描かれていた氷の輪が閉じ、ムカデの前脚を四方から凍りつかせる。


 牙が、リンの目の前で止まった。


 床を這う氷は柱の根元へ絡み、噴水の縁を厚く覆っていく。

 巨体が前へ出ようとするたび、氷の層が軋んだ。


 ……すごい。


 さっきまで片脚を三秒止めるので精一杯だったのに。

 今、あの化け物の前半身が、完全に止まっている。


 だが、リンも無傷じゃない。

 杖を握る腕は小刻みに震え、額には汗が浮かんでいた。

 青い光が強まるたび、彼女の膝が少しずつ沈んでいく。


 これは、長く続けられる魔法じゃない。

 過去を振り払ったから強くなったんじゃない。

 過去を抱えたまま、それでも前を向いたリンが、今ここで絞り出している力だ。


「タツヤ!」


 リンが顔を上げた。

 俺をまっすぐに見て、叫ぶ。


「今なら、口を狙える!」


 俺は銃剣を支えに立ち上がろうとした。

 膝が折れる。


 身体が、もう動くなと叫んでいた。


 六年前、サクヤを失った。

 あの頃の自分を思い出すと、今も胸の奥が冷える。


 三年前、おやっさんを助けようと必死に動いた。

 周りにも助けを求めた。それでも、救えなかった。

 俺が何もしなかったわけじゃない。そう分かっていても、助けたかったという気持ちは消えない。


 後悔の形は、同じじゃない。

 どちらも、なかったことにはできない。


 ――じゃあ、今は?


 過去をやり直せるわけじゃない。

 誰かを必ず救えるとも思わない。


 でも今、リンは俺を信じて、あの化け物を止めている。


 俺のために、一人で立っている。


 ……だったら、俺も立たないと。


 手の中の銃剣が、熱を帯びた。

 使い慣れた工具の感触が、重なる。


 おやっさんの、節くれだった指。

 何度も笑いながら言ってくれた言葉。


『自分のやりたいことを、本気で頑張れ』


 ……分かったよ、おやっさん。


 俺は、誰かを守れる人間になりたい。

 誰かが差し伸べてくれた手を、今度はちゃんと握り返したい。


 銃剣を支えに、もう一度立った。


 ――熱い。


 刀身に、火が灯っていた。

 さっきまでなら炎を維持するだけで苦しかったのに、今は赤い光が刃の奥からあふれてくる。


 傷は治らない。

 息をするだけで痛い。血も止まっていない。


 それでも、今までで一番強い炎が、手の中にあった。


「……リン!」

「何!?」

「ありがとう。あと少しだけ、頼む!」

「……お礼は帰ってから言って!」

「……了解!」


 さっきまで広場を満たしていた脚音がやみ、氷のきしむ音だけが残った。


 前脚は凍った。でも長い尾は止まらない。後方の胴がシャッターを叩き、金属板がへこんだ。

 リンが作ったのは、ほんの数秒の隙だ。


 ……十分だ。


 氷に亀裂が走った。


 一歩。


 左の柱を回る。


 二歩。


 噴水の割れた縁へ足を掛ける。


 ムカデが大顎を開いた。

 その奥に、赤黒い喉が見える。


 ――今だ。


 俺は最後の力で踏み込んだ。

 牙の間へ、焔銃剣の刃を突き立てる。


 ギィィィィッ!


 刃が、装甲のない喉の奥に食い込む。

 ムカデが暴れ、前脚を包んだ氷が次々と砕けていく。


 リンの拘束が切れる前に。

 今、ここで。


 血に濡れた両手を柄に重ねた。


「焔銃爆裂《イグニス・バースト》ッ!」


 炎が、刀身から口の奥へ流れ込んだ。


 赤い光が喉を走る。

 胸を抜け、胴の奥へ広がっていく。


 次の瞬間、黒い装甲の継ぎ目に無数の亀裂が生まれた。


 ドンッ!


 内部から炎が噴き上がる。

 ムカデが頭を振る。牙が俺の肩をかすめた。


 それでも、もう止まらなかった。


 最後の脚が、俺の目の前で静止する。


 巨大な身体が、青白い光の粒になって崩れた。


 銃剣から、手応えが消える。


「……リン」


 呼びかけた瞬間、膝が折れた。


     ◇ ◇ ◇


 電子音が響いた。


《ダクトクロウラーを撃破しました》

《ダンジョンをクリアしました》

《ドロップアイテムを所持品に自動収納しました》

《帰還用ゲートが開放されました》


「タツヤ! しっかりして!」


 リンが駆け寄ってくる。

 俺の肩を抱く手が、震えていた。


「……勝った?」

「勝ったよ。だから、お願い……目を閉じないで」


 冷たいものが、頬に落ちた。


 リンが泣いていた。


「……ごめん。心配かけた」

「本当に、心配したんだから……!」


 どうにか目を開ける。

 リンの顔が、すぐ近くにあった。泣き顔を見せまいとしているのか、視線を俺の傷へ向けたままだ。


「……ごめん。こんなに重いとは思わなかった」

「そんなこと、今はどうでもいい」

「一応、二十八年分の人生が詰まってるので」

「ふざける元気があるなら歩けるでしょ」

「……ごもっとも」


 笑わせたかったのに、声が震えてしまった。

 リンは唇を噛み、俺の腕を自分の肩へ回した。

 俺も残った力で、彼女の動きに合わせた。


「帰るよ。絶対、置いていかない」


 光のゲートは広場の端に開いていた。

 あそこまで、たった数十歩。

 でも、俺たちにとっては、信じられないほど遠い。


 リンも限界のはずだ。

 杖を支えにしながら、それでも俺の身体を離さなかった。


 一歩。


 もう一歩。


 そして、光へ踏み込んだ。


     ◇ ◇ ◇


 泉の広場の、柔らかな明かりが目に入った。


 境界を越えた瞬間、脇腹の傷が完全にふさがった。

 血に濡れた手の下には、裂け目一つない皮膚が戻っている。


 ……治った。


 なのに、力が入らない。

 疲労も、怖さも、何一つ消えていなかった。


「……攻略して戻ってきたぞ!」


 どこかで誰かが声を上げる。

 俺たちは泉の縁へ座り込んだ。


 リンは、しばらく黙っていた。

 やがて、静かに口を開く。


「……タツヤ。さっきのこと、覚えてる?」

「ムカデに食べられそうになったことなら、忘れたくても忘れられない」

「……違う」


 彼女は、少しだけ視線を落とした。


「私、あの子のことを、いつかちゃんと話す。あの子に何があって……私が、あのとき何を選んだのかも」

「うん。聞くよ」

「タツヤも、話してくれる?」


 サクヤのこと。

 おやっさんのこと。

 後悔も、悔しさも。まだ話せていないことも。


「……うん。俺も、ちゃんと話す」


 リンは小さく頷いた。


「もう一つ」

「何?」

「今日、最後に一人で何とかしようとしたでしょ」

「……見てた?」

「見てたわよ。何度も」

「反省しています」

「本当に?」


 俺は少し考えた。


「……正直、また同じことをしそうで怖い」


 リンが、意外そうな顔をする。


「誰かが傷つきそうになったら、先に身体が動くと思う。考えるより前に」

「……うん」

「でも、それでリンまで危険にするのは嫌だ」


 噴水の影で、俺が何度も「大丈夫」と言いかけたことを思い出す。

 あのとき、もしリンが信じて引き下がっていたら、俺はここに戻ってこられただろうか。


 守りたい相手がいると、怖さも痛みも隠してしまう。

 それでは、隣にいるリンから判断するための情報まで奪ってしまう。


 ……まだ、簡単には直せそうにないけれど。


 俺は、彼女を見る。


「だから、次はちゃんと相談する。怖さも、判断も、一人で抱え込まない」


 リンはしばらく俺を見つめた。


「……約束できる?」

「うん。二人で乗り越えよう」

「……私も約束する。タツヤが無茶しそうになったら、ちゃんと止める」

「ずいぶん厳しい役目だね」

「タツヤ相手なら、必要でしょ」

「否定できないな」


 彼女が手を差し出した。

 昨日、俺を信じると言ってくれたときと同じ手。


 俺は、その手を握った。


 ひんやりとしていて、でも、確かに温かかった。


「……今日は、ありがとう」

「助けられたのは俺の方だよ」

「そういうの、今は素直に受け取って」

「じゃあ、お互い様ってことで」


 彼女は握った手をすぐには離さなかった。


「……ねえ。私が無茶しそうになったら、タツヤも止めてね」

「もちろん。今朝から採点係を引き継ぐつもりだったから」

「何の採点よ」

「相棒の安全運転について」

「……タツヤ自身が赤点でしょ」

「厳しいなあ。補習はありますか?」

「まずは休みなさい」


 リンが小さく笑う。

 その表情を見て、やっと少しだけ息が落ち着いた。


 あのダンジョンで、彼女の氷が一度でも遅れていたら、俺はここにいなかったかもしれない。


 守ろうとした相手に、何度も守られた。

 それが、不思議と悔しくなかった。


 おやっさん。


 俺、まだ頑張れてますよ。


 手元にあるのは、あの人が遺してくれた工具から生まれた銃剣。

 重さだけは、いつもと変わらない。


「……そういえば、タツヤ」

「ん?」

「今の約束、破ったらどうする?」

「……次のカフェで、ケーキをおごります」

「安すぎるでしょ」

「じゃあ、特別に二個」

「そういう問題じゃないの!」


 リンが笑う。

 俺も笑った。


 さっきまで、死ぬほど怖かった。

 今も、あの巨大な牙を思い出すだけで震えそうになる。


 でも、隣にリンがいる。

 笑える相手が、ここにいる。


 過去は変えられない。

 けれど、これからの道を一人で決める必要はない。


 そう約束したことを、今度こそ忘れたくなかった。


――第4話 完――

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


初めてのダンジョンボス戦、いかがでしたでしょうか?


今回の第4話では、タツヤとリンが力を合わせて強敵に立ち向かう姿を描きました。


一人では乗り越えられない壁も、誰かと支え合うことで乗り越えられる。


そして二人は、それぞれの過去から逃げず、少しずつ前へ進むことを決意しました。


しかし、過去と向き合うことは、決して簡単なことではありません。


これから二人がどのような未来を歩んでいくのか、見守っていただけると嬉しいです!


次回、第5話は11月1日(日)公開予定です!


面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価、感想などで応援していただけると執筆の大きな励みになります!


引き続き『REALITY LOGOUT』をよろしくお願いいたします!

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