ep.91 もう一つの届け先
その一週間、優也と真琴にとって、特別なことは何も起きなかった。
運転席のモニターへ『共有――』と途中まで表示された日から、優也は仕事帰りに何度かガレージへ寄っているが、同じ文字がもう一度出ることはなかった。真琴と短時間ACROSSへ乗った日も同じで、スマートフォンへ《鑑定》結果を共有すれば従来どおり表示されるものの、運転席のモニターは車両情報を映すだけだった。
二人は、それを失敗とは呼ばなかった。
一度しか起きていないものを、新しい機能として数えない。再現しないからといって、見間違いだったことにもしない。起きたことは記録して残し、次に同じことが起きるまで普段どおり使う。それが最近の二人のやり方になっていた。
以前の優也なら、もう少し粘ったかもしれない。
同じ場所へ座り、真琴を助手席へ呼び、スマートフォンを遠ざけたり近づけたりしながら、何とかもう一度『共有――』を出そうとしたはずだ。けれど、空間拡張が起き始めた頃に何度も試して何も変わらなかった経験がある。ACROSSは、こちらが期待した順番で都合よく変わるものではない。
だから日曜の朝、真琴がガレージへ来たときも、優也は実験の準備ではなく、運転席で地図を眺めていた。
「今日はどこですか?」
玄関から上がってきた真琴が、助手席の背もたれへ手を掛けながら聞く。
「まだ決めてへん。昼くらいまで走って、混んでへんとこ見つけたら停める。海側でも山側でもええかなって」
「かなり適当ですね」
「前回、何も起きん日も悪くないって分かったからな。今日はさらに適当にいこうかと」
「それは意味が違う気もしますけど、予定を詰めないのは賛成です」
真琴は笑いながら助手席へ座り、シートベルトを締めた。
優也は出発前の確認を終え、スマートフォンをいつもの場所へ置こうとして、残量表示に気付いた。
「うわ、二十三パーしかない。昨日充電すんの忘れたわ」
「珍しいですね。車内で充電しておけばいいんじゃないですか? 今日は急ぎの連絡もないでしょう?」
「せやな。道は車側で見られるし」
優也はスマートフォンを運転席脇の充電場所へ置き、ケーブルをつないだ。普段ならすぐ手に取れる位置へ置いているが、今日は触る用事もないので、そのままにする。
真琴も特に何も言わなかった。
スマートフォンは充電場所に置かれたまま、真琴もそれを手に取らない。二人にとってはただそれだけのことだったので、いつもと違う条件を作ったという意識さえなかった。
◇
ACROSSは市街地を抜け、ゆっくり郊外へ向かった。
道幅に余裕のある経路を選び、細い抜け道には入らない。途中のコンビニで飲み物を買い、さらに一時間ほど走ったところで、川沿いに広い駐車場を持つ公園を見つけた。
大型車でも入れることを確認してから、優也は端の区画へACROSSを停める。
天気は薄曇りで、風も弱い。
「ここなら歩けそうやな」
「いいですね。人もそんなに多くないですし」
二人は車内で簡単に昼食を取ってから外へ出た。
川沿いの遊歩道は平坦で、途中に小さな広場とベンチがいくつかある。真琴は景色を何枚か撮り、優也は橋の向こうに見える山を眺めながら、今度あの方面へ行くなら道を先に調べておこうと話した。
「最近、無理して入らなくなりましたね」
「最初から無理してへんつもりやったけどな」
「前より、です。以前なら『行けるかな』を先に考えてたのが、今は『無理なら別の方法でいいか』になってます」
「自転車が便利やって分かったしな。でかい車で全部やろうとせんでもええわ。停められるとこまで行って、そこから小さく動いたらええ」
「そのほうがACROSSも楽かもしれませんね」
「車に楽とかあるんか?」
優也が横を見ると、真琴は少しだけ笑った。
「今のところは、ないことにしておきましょう」
「言い方がもう怪しいねん」
「優也さんが拾うからでしょう」
二人は笑い、そのまま歩いた。
少し前なら、「ACROSSが楽かもしれない」などという言葉は冗談でも口にしにくかった。今は、冗談としてなら言える。ただし、そこから「なら疲れるのか」「嫌がるのか」と人間の感情へ一気に飛ばない線も、二人の中では共有されている。
今のACROSSには、増えた空間があり、使った履歴らしきものがあり、《鑑定》結果を外へ出す現象がある。
それだけだ。
そこへ人格まで足す必要は、まだなかった。
歩き始めて四十分ほどすると、真琴が川沿いのベンチで立ち止まった。
「少し休みませんか?」
「ええよ。結構歩いたな」
並んで座り、コンビニで買った飲み物を開ける。
川の向こうでは、小さな犬を連れた夫婦がゆっくり歩いていた。子どもたちの声も遠くから聞こえるが、車の音はほとんど届かない。
「こういうとこ来ると、ACROSSで旅してる感じするな」
「観光地を何か所も回るよりですか?」
「うん。目的地決めてないのに、適当に停めて、飯食って、歩いて。前は旅って、何か見に行くもんやと思ってたけど、最近は途中でこういう時間あるほうがええわ」
「私も好きです。仕事を持ち込む日もありますけど、何もしない日もあるほうが」
「予備室、仕事部屋になりかけてたもんな」
「固定してないので大丈夫です。使わない日はただの部屋ですから」
優也は、前に出た『利用――休息・作業』という表示を思い出した。
けれど、そこでスマートフォンを取り出して確かめようとはしなかった。
今は二人で川を見ている。
それだけでよかった。
◇
一時間ほどしてACROSSへ戻ると、優也は運転席へ座り、真琴も助手席へ戻った。
出発する前に車両状態を一通り確認する。
電力、水、各部の警告表示。
特に問題はない。
そこで優也は、充電中だったスマートフォンを思い出した。確認すると、まだ四十パーセントほどで、今日はこのまま帰るまで充電しておけば十分だった。
「まだ半分いってへんし、帰るまで置いとこ」
「そうですね」
真琴は助手席でペットボトルの蓋を開けた。
優也もそのまま出発しようとしたが、歩いている途中に一度気になったことを思い出す。
「なあ、今のACROSS全体、一回だけ見とく?」
「《鑑定》ですか?」
「うん。何か出そうとしてじゃなくて、普通の状態確認。最近、外部表示ばっか気にして、逆に全体をちゃんと見てへん気して」
真琴は少し考えてから頷いた。
「それならいいと思います。私もここにいますし、いつものように“私にも同じものを見せたい”という意識だけ持ってください。スマートフォンは充電したままで」
「結果的にちょっと実験っぽくなるけどな」
「無理に条件を作ったわけではないので、この程度なら」
「了解」
優也は運転席に座ったまま、ACROSS全体へ意識を向けた。
状態を知る。
そして、隣にいる真琴にも同じものが見えればいい。
それ以上は考えない。
『鑑定』
『対象――ACROSS』
『空間状態――安定』
『追加空間――維持』
『外部寸法――変化なし』
『接続状態――安定』
『魔素反応――微弱』
六行が、いつものように優也の内側へ現れた。
真琴は反射的にスマートフォンのほうへ視線を向けかけたが、充電中だったことを思い出したのか、そのまま前を見る。
「優也さん」
「何?」
「画面」
声の調子が変わった。
優也も運転席のモニターへ目を向ける。
通常の車両情報の上に、白い文字が一行だけ浮かんでいた。
『対象――ACROSS』
二人とも動かなかった。
前回の『共有――』より、文字ははっきりしている。
数秒後、その下へ二行目が加わった。
『空間状態――安定』
さらに少し遅れて、
『追加空間――維持』
三行目。
そこで止まった。
優也の内側には、残りの『外部寸法――変化なし』『接続状態――安定』『魔素反応――微弱』まで、いつもどおり六行すべてが出ている。
モニター側は三行だけだった。
優也も真琴も、続きを待った。
しかし四行目は出ない。
やがて三つの文字列はまとめて薄くなり、通常の車両画面へ戻った。
真琴はしばらくモニターを見たまま、ゆっくり息を吐いた。
「三行、出ましたね」
「うん。俺の中はいつもの六つ全部」
「スマートフォンは?」
優也が充電中の端末を見る。
画面は消灯したままだった。
「何も出てへん。通知もない」
「じゃあ今回は、共有する場所が運転席の画面へ移ったように見えます」
「前は『共有――』だけやったのに、今度は中身まで来たな」
「はい。でも、三行で止まりました。全部ではありません」
真琴はそこをはっきり分けた。
優也も頷く。
六行すべてが安定して表示されたのなら、「運転席モニターでも共有できるようになった」と言いたくなる。だが実際には途中までしか届いていない。
「もう一回やる?」
「今はやめましょう。さっきのは、スマートフォンをわざと使えなくしたわけじゃなく、たまたま充電したままだった。私も普通に助手席にいた。それで自然に起きたので、すぐ同じ条件を作り直すより、まず記録だけ残したいです」
「了解。今日は素直に聞くわ」
「今日は?」
「いつも聞いてるやろ」
真琴は答えず、少し笑った。
◇
二人はリビングへ移り、そこで初めて、今回の表示を撮影できていなかったことに気付いた。
前回までの実験では、追加表示が出る可能性を考えて別の端末で記録することも多かったが、今回は本当に普通の状態確認だった。運転席モニターへ出るとは期待しておらず、映像は残っていない。
「こういう時に限って撮ってへんねんな」
「でも、二人とも同じものを見ています。映像がない分、記録としては弱いですけど、なかったことにする必要はありません」
「三つやったよな。対象、空間状態、追加空間」
「はい。順番も、優也さんの内部結果と同じでした。そのあと消えています」
真琴はノートへ書きながら、前回との違いを整理した。
前回は《鑑定》を使っていない状態で、『共有――』という途中表示が一度だけ現れた。
今回は《鑑定》を使い、真琴へ同じ結果を届けたいという意図を持った状態で、通常の鑑定結果の一部が運転席モニターへ出た。
「この二つがつながっているなら、前回の『共有――』は、スマートフォン以外へ出す経路ができかけていた途中だったのかもしれません」
「今回はそこに普通の鑑定結果が乗った?」
「そう見えます。ただし、“ACROSSが自分で画面を選んだ”とはまだ言いません。共有先を探す仕組みが広がっただけかもしれないので」
「真琴がおる場所に近い画面へ出た、とか?」
「それはあり得ます」
真琴はペンを止め、一度ノートから顔を上げた。
「最初の共有も、単にスマートフォンを指定しただけでは反応が弱かったでしょう。私が優也さんのスマートフォンを持って、実際に画面を見る条件のほうが強かった。つまり、最初から“どの機械へ出すか”より、“誰へ届けるか”のほうが重要だった可能性があります」
「で、今日は真琴が助手席におって、目の前にモニターがあった。スマホは充電中で、真琴は見てへんかった」
「はい。結果的に、私がその場で見られる別の表示装置へ出た、と考えることはできます」
「前に言うてた、スマホは最初の出口やっただけってやつか」
「少し現実味が増しましたね」
優也はソファへ背を預けた。
最初にやりたかったことは、本当に単純だった。
自分の頭の中にしか見えない《鑑定》結果を、真琴にも同じ形で見せたい。口で読み上げれば順番を間違えることもあるし、研究記録としても不便だから、画面へ出せないか。
それだけだった。
目的そのものは、スマートフォンで共有できた時点ですでに達成している。
それなのに、共有という現象はそこで止まらなかった。
結果の複製だけでは説明しにくい追加表示が出るようになり、使ってきた履歴らしきものが整理され、優也が知らなかった利用まで示され、今度はスマートフォン以外の画面へ鑑定結果そのものが届き始めた。
「最初の目的、だいぶ越えてきたな」
優也が言うと、真琴も静かに頷いた。
「そうですね。でも、始まりは今でも同じだと思います。“優也さんだけが見える”状態から、“私にも同じものを届ける”状態へ変わった。そこから先が少しずつ広がってる」
「二人目ができたから、外へ出る必要ができた」
「たぶん。少なくとも、共有する前には今みたいなことは起きていませんでした」
「何か、人間でも似てるな」
「何がですか?」
「頭の中だけで考えてるうちは、自分が分かればええやん。でも誰かに伝えようとしたら、言葉にしたり、見せたりせなあかん。で、一回外に出すようになったら、だんだん出し方が増える」
真琴は少し驚いたように優也を見た。
「それ、かなり近いかもしれません。少なくとも現象の説明としては分かりやすいです」
「また俺ええこと言うた?」
「今日は二回目ですね」
「前回たまに言うてたのに、昇格したな」
二人は笑った。
冗談を挟める程度には、まだ余裕がある。
それが優也には少し安心でもあった。
◇
帰る前に、二人は公園の駐車場でコーヒーを淹れた。
すぐ出発してもよかったが、さっきの表示を見た直後に運転へ戻るより、一度気持ちを落ち着けたかった。
真琴はマグカップを両手で持ちながら、ノートに書いた内容をもう一度見直している。
『共有先――スマートフォン固定ではない可能性』
『受け手が見ることのできる表示装置へ出力が移る可能性』
『運転席モニターへの表示――三項目のみ、不完全』
『新機能として扱わない』
「最後、やっぱりそこ書くんやな」
「大事ですから。次に乗った人へ“このモニターに鑑定結果が出ます”なんて説明できる状態じゃないでしょう?」
「俺と真琴しか乗らへんけどな、今のところ」
「だからこそです。二人だけなら、曖昧なことを曖昧なまま使えてしまいます。あとで何かあったとき、“できると思ってた”が一番危ないので」
「できないことを、できることに数えない」
「はい」
「もう完全に合言葉やな」
「何度も必要になってるので」
優也はコーヒーを飲みながら、少し考えた。
「でもこれ、もし安定したら便利ではあるよな。運転席におる時、真琴がわざわざスマホ持たんでも見られるし」
「そうですね。ただ、今は三行で切れるし、いつ出るかも分からない。便利になる可能性はある、くらいです」
「そこから先はまだ考えんとこか」
「はい。運転席モニターの次はどこ、とか、声はいつ、とか、順番をこっちで決めないほうがいいです」
「分かってる。俺の頭の中ではもう三段階くらい先まで行ってるけど」
「それは止められないので、口に出さないでください」
「厳しいな」
「優也さんが先走るからです」
真琴の言い方はいつもどおりだった。
けれど、ノートを閉じる前にもう一度『運転席モニターへの表示――三項目のみ』を見ていたところを見ると、彼女も相当気になっているらしい。
優也はそこを指摘しなかった。
自分だけではないと思うと、少し面白かった。
◇
帰り道は、何も起きなかった。
優也は運転へ集中し、真琴は助手席で外を眺めたり、次の休みに行けそうな場所を調べたりしている。運転席のモニターも通常の車両情報を表示するだけで、白い線すら出なかった。
途中、道の駅へ一度だけ寄った。
真琴が飲み物を買いに行っているあいだ、優也は一人で運転席へ残った。目の前には、さっき三行の鑑定結果を表示したモニターがある。
試そうと思えば試せた。
真琴が戻るまでに《鑑定》を使い、彼女がいない状態で何が出るか見ればいい。
けれど、優也はやらなかった。
今知りたいのは「一人のときにも出るか」ではある。
それでも、その疑問を今すぐ解かなければ困ることは何もない。
数分後、真琴が戻ってきて助手席へ乗る。
「何かありました?」
「何も。普通に待ってた」
「偉いですね」
「何その褒め方。犬みたいやん」
「試さなかったんでしょう?」
「何で分かんねん」
「顔です」
「研究者怖いわ」
真琴が笑い、優也もつられて笑った。
そのままACROSSはガレージへ戻った。
◇
車体を停めて荷物を片付けたあと、二人は最後に一つだけ確認した。
優也のスマートフォンは十分に充電されている。
「こっちは今までどおり動くかだけ見とこか」
「はい。それなら一回だけ」
リビングで真琴が優也のスマートフォンを持ち、画面を見る。
優也はACROSS全体を《鑑定》した。
『対象――ACROSS』
『空間状態――安定』
『追加空間――維持』
『外部寸法――変化なし』
『接続状態――安定』
『魔素反応――微弱』
六行すべてが、これまでどおりスマートフォンへ表示された。
追加の一行はない。
「こっちは安定してるな」
「はい。スマートフォンでの共有が消えて、モニターへ移行したわけではなさそうです。少なくとも今日は、従来の出口も残っています」
「出口が一個増えかけてるだけ?」
「今は、その言い方が近いと思います」
真琴は表示が消えるまで見届け、スマートフォンを優也へ返した。
二人とも、もう一度運転席へ行こうとは言わなかった。
出るかもしれないし、出ないかもしれない。
どちらでも、今日分かったことは変わらない。
共有という現象は、優也のスマートフォン一台に閉じたものではなくなり始めている。
◇
夕方、真琴は予備室で少しだけ仕事をしてから帰ることにした。
優也はリビングで無線の問題集を開く。途中で分からないところをスマートフォンへメモし、また本へ戻る。互いに別のことをしているのに、同じ車内にいる時間は、もう珍しいものではなくなった。
一時間ほどして真琴が予備室から出てくる。
「終わりました。今日はここまでにします」
「お疲れ。俺も三ページで頭止まった」
「三ページでも、理解して進んだなら十分です」
「西村さんと同じこと言うなあ」
「同じこと言われるってことは、たぶん正しいんです」
真琴は笑いながら荷物をまとめた。
玄関へ向かう途中、運転席の方向を一度だけ見る。モニターは消えている。
「今日は、あれ以上出ませんでしたね」
「うん。でも、ちょうどええんちゃう。三行出たからって、次にいきなり全部表示されて、そのまま喋り出したら俺らが追いつかへんわ」
「本当にそう思ってます?」
「七割くらい」
「残り三割は?」
「早く見たい」
「やっぱり」
真琴が笑う。
「でも、今くらいの速度でいいと思います。私たちが一つ確認して、一つ慣れて、そのあと次が来るくらいで」
「せやな。何か最近、ACROSSのほうが待ってくれてるみたいやけど」
「また相手がいる前提になってます」
「たとえ話やって」
「分かってます」
靴を履いた真琴は、帰る前に振り返った。
「次に同じ表示が出ても、すぐ先を求めないでくださいね。三行出たから次は六行、その次は文章、その次は声、って順番を作らないこと」
「先に全部言われたわ」
「考えてたんですね」
「ちょっとだけ」
「その“ちょっと”が怪しいんです」
優也は笑いながら手を上げた。
「了解。次も普通に使う」
「はい。それでいきましょう」
真琴を見送ったあと、優也は一人でACROSSへ戻った。
◇
車内は静かだった。
さっきまで真琴が使っていた予備室には、折りたたみテーブルが壁際へ戻されている。リビングには二人分のカップが残り、キッチンには洗い終えた皿が乾かしてあった。
優也は先にそれらを片付けた。
カップを洗い、皿を収納し、照明を一つずつ落としていく。
最後に運転席へ座った。
モニターを点けると、通常の車両情報が表示される。
今日はもう《鑑定》を使わない。
真琴もいない。
だから、ただ数秒だけ画面を見た。
何も起きない。
『共有――』も、三行の鑑定結果も出なかった。
「まあ、今日は十分やな」
優也は画面を消した。
今日確認できたのは、たった三行だけだった。
声はない。
質問への返事もない。
自分が知らないことを新しく教えられたわけでもない。
けれど、頭の中にしかなかった《鑑定》の情報は、スマートフォンとは別の場所へ初めて届いた。
最初に優也が望んだのは、真琴にも同じものを見せたいという、それだけのことだった。
今、その「届けたい」という形だけが、少しずつ器を選ばなくなり始めている。
優也は玄関を降り、扉を閉めた。
ガレージの照明を消す前に一度だけACROSSを振り返ったが、当然、何も変わっていない。
次に何が起きるかは分からない。
だから今は、三行でいい。
声になるには、まだ少し早かった。
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