ep.9 答えを知らない箱
三浦真琴と連絡先を交換してから三日ほど経った夜、福山優也は仕事を終えて帰宅すると、暖房を入れるより先にスマートフォンを確認していた。
別に連絡を待っていたわけではない――と自分では思っている。それでも通知欄に真琴の名前を見つけた瞬間、仕事関係のメッセージを見る時とは明らかに違う速さで指が動いた。
『こんばんは。実験、その後どうですか?』
短い文章だったが、優也は少しだけ頬を緩めた。
「向こうから聞いてくるんや」
そのまま『ぼちぼち。疲れてる時は結果が悪くなるっぽい』と打ち込んだものの、送信する直前で手を止める。これでは何の実験をしているのか余計に分からない人間になっている気がして、少し考えてから文章を足した。
『教えてもらった通り、距離とか順番を変えて試してる。前よりかなり分かりやすくなったよ。ありがとう』
送信すると、数分もしないうちに返信が届いた。
『よかったです。ただ、自分で用意した物だと、やっぱり「本当は知ってた」が残りますよね』
「……それなんよな」
優也も同じところで引っ掛かっていた。
ACアダプターの出力や古いケーブルの断線箇所は、自分では覚えていないつもりでも、過去に一度くらい表示を見た可能性がある。テレビの劣化については確認手段そのものがなく、鑑定でそう分かったというだけでは証明にならない。
自分でも絶対に答えを知らない物を、誰かに用意してもらう必要がある。
問題は、それを頼める相手だった。
『それ、俺も考えてた。でも誰かに頼むと説明が面倒なんよね』
送ると、少し間を置いて真琴から返事が来た。
『私が用意しましょうか?』
「……え?」
思わず声が出た。
続けて届いたメッセージには、『中身が見えない箱か袋に、材質や種類の違う物を何個か入れるだけならできますよ』と書かれている。
優也はスマートフォンを持ったまま考え込んだ。
真琴に手伝ってもらえれば、これまでよりはるかに信頼できる実験ができる。しかし、結果があまりにも正確だった場合には、今度は自分がどうやって答えを当てているのか説明しなければならなくなるかもしれない。
収納と鑑定については、まだ誰にも話さない。
その方針を変えるつもりはなかった。
だからといって、せっかく向こうから提案してくれたのを断るのも惜しい。
「……まあ、“勘がいい”で通せる範囲ならええか」
優也はしばらく迷った末、『もし迷惑じゃなければお願いしたい』と返信した。
すぐに『じゃあ簡単なの作ってみます』と返ってきて、その下には笑顔のスタンプまで付いている。
画面を見ながら、優也は少しだけ笑った。
◇
次の日曜日、二人は前回と同じ大型書店の近くにあるカフェで待ち合わせることになった。
偶然ではなく、時間と場所を決めて会うのは初めてだった。
優也は約束した時間より十五分ほど早く到着してしまい、駅から店までの途中で一度時計を確認したあと、自分でも少し呆れた。
「早すぎるやろ」
普段の仕事なら遅刻しない程度に着けば十分だと思っているくせに、今日は妙に余裕を持って家を出てしまった。
カフェへ入る前に周囲を少し歩いて時間を潰し、約束の五分前になってから店へ向かう。ところが入口へ着くと、すでに真琴が窓際の席に座っていた。
白いニットの上に淡い色のカーディガンを羽織り、テーブルの横には大きめのトートバッグが置かれている。医学書ではなく小さなノートを開いていた真琴は、優也に気づくと軽く手を上げた。
「こんにちは」
「こんにちは。……早いですね」
「福山さんもですよ」
「俺は今来たところ」
「外、何分くらいうろうろしてました?」
優也の動きが止まった。
「……見てた?」
「窓から見えました」
「恥ずかし」
真琴が楽しそうに笑う。
「そんなに早く来なくても、逃げませんよ」
「いや、そういうんじゃなくて。遅れるの嫌やっただけ」
「はいはい」
「絶対信じてないやろ」
そんなやり取りをしながら向かいへ座ると、前回よりもさらに自然に会話が始まった。
優也がコーヒーを注文して戻ってくると、真琴は足元のトートバッグから小さな箱を五つ取り出した。どれも同じ大きさの無地の紙箱で、外側には一から五まで番号だけが書かれている。
「ちゃんと作ってきたんや……」
「どうせやるなら、適当よりこっちの方がいいかなって」
「国家試験前の人に何させてんねん、俺」
「昨日の夜、休憩中に十分くらいで作っただけですよ」
真琴はそう言いながら、さらに一枚の紙を取り出した。
「中身は全部違います。福山さんが答えた後に開けて確認しますけど、先に私が答えを見せたら意味ないので、ここに書いた内容は伏せておきますね」
「本格的やな……」
「福山さんが始めたんじゃないですか」
「そうなんやけど」
真琴の方が明らかに実験へ乗り気になっている。
優也は少し可笑しくなりながら、一番の箱を手元へ寄せた。
「触っていいんですよね?」
「そこも条件なんですか?」
「まあ……一応」
詳しい理由は説明せず、箱の側面へ指先を触れる。
最初に知りたいのは、中に何が入っているのか。
意識を集中すると、これまでと同じように情報が少しずつ形になり始めた。
『金属製物品。一点』
もう少し詳しく。
『鉄を主成分とする合金。表面処理あり』
優也は眉を寄せた。
「一番……金属。鉄っぽい。表面に何か加工されてる」
真琴は表情を変えず、ノートへ結果を書き込む。
「もっと分かります?」
「形までは……ちょっと待って」
対象をはっきり意識しようとする。
すると、『締結用部品』という曖昧な情報が返ってきた。
「ネジとかボルトみたいな物……かな」
「それで確定?」
「たぶん。いや、確定って言うと怖いから、それで回答」
「じゃあ開けますね」
真琴が箱の蓋を開ける。
中から出てきたのは、銀色の六角ボルトだった。
「……当たり」
真琴が呟いた。
「マジで?」
「自分で言ったんじゃないですか」
「いや、そうやけどさ」
優也自身も少し驚いていた。
これまでの実験とは違う。中身については本当に何も知らなかった。
「次いきます?」
「いこう」
二番の箱へ触れる。
今度はすぐに『樹脂製』という情報が分かり、続けて柔軟性があることまで伝わってきた。
「プラスチック……いや、柔らかい。樹脂製で曲がる物」
「それだけ?」
「形が……輪っか?」
箱を開けると、黄色い輪ゴムが数本入っていた。
真琴の表情から、先ほどまでの軽い興味が少しずつ消えていく。
「……福山さん、これ本当に知らないですよね?」
「知らんよ。今日初めて見た箱やし」
「そうですよね」
三番目は木製の洗濯ばさみ、四番目は小さなガラス玉だった。材質についてはどちらも当たり、用途や形についても完全ではないものの、おおよそ近い答えが出た。
優也の方も、回数を重ねるほど笑えなくなってきた。
これまで心のどこかに残っていた『自分の思い込みかもしれない』という逃げ道が、少しずつ塞がれていく。
最後の五番へ手を置く。
「これで最後ですね」
「うん」
優也は一度息を整え、箱へ意識を集中させた。
ところが、今度はこれまでと違い、情報がすぐには返ってこなかった。材質を知ろうとしても輪郭が曖昧で、何か複数の物が組み合わさっているような感覚だけがある。
「分からん?」
真琴が尋ねる。
「いや……複数ある。金属と樹脂……あと、なんか電気使う物っぽい」
さらに集中すると、少し頭が重くなった。
『電子部品。電源なし。記録媒体――』
そこで優也は意識を切った。
「ちょっと待って。これ、USBメモリとか?」
真琴の表情が止まる。
「開けてみてください」
「俺が?」
「はい」
優也は箱の蓋を開けた。
中には、小さなUSBメモリが一本入っていた。
「……」
二人とも、すぐには何も言わなかった。
優也はUSBメモリを手に取り、掌の上で眺める。
「これ、三浦さんの?」
「いいえ。昨日、家電量販店で買った新品です。箱から出して、この中に入れました」
「中身は?」
「何も入れてません。買ったままです」
優也はUSBメモリへ意識を向ける。
『記録データなし。使用履歴なし』
今度は触れているため、箱越しより情報が明確だった。
「……未使用。データなし」
真琴はしばらく黙っていた。
「それ、見て分かります?」
「普通は分からんよな」
「少なくとも私は、新品のUSBメモリを見ただけで、内部にデータがあるかどうかは判断できません」
「……俺も無理」
「でも、分かった?」
「分かった」
優也は自分で答えながら、初めて少し困った。
真琴の実験は、思った以上に上手くいってしまった。
◇
五つの箱を片づけたあとも、二人の間には先ほどまでとは違う空気が残っていた。
真琴はノートへ結果を書き込みながら、時々USBメモリへ視線を向けている。優也も何を言えばいいのか分からず、冷めかけたコーヒーを一口飲んだ。
「福山さん」
「はい」
「これ、直感って言うにはちょっと当たりすぎてません?」
「……俺もそう思う」
「最初から中身を知っていた可能性は?」
「三浦さんが用意したんやから、それはないやろ」
「そうなんですよね」
真琴はノートを閉じず、そのまま考え込んだ。
「じゃあ、箱の重さとか、振った音とかで判断したとか?」
「一番から四番までは、それもあるかもしれない。でもUSBは?」
「電子機器だと当てた上で、データが入ってないところまで分かった」
「……うん」
優也はそこで少し後悔し始めていた。
最後の一言は言わない方がよかったかもしれない。
しかし、もう遅い。
真琴がゆっくり顔を上げる。
「福山さん、本当は何を調べてるんですか?」
予想していた質問だった。
それでも実際に聞かれると、すぐには答えられなかった。
「前にも言ったけど……ちょっと変なこと」
「それは知ってます」
「まだ自分でも分かってないんですよ」
「だから調べてる?」
「そう」
真琴は少し考えたあと、意外にもそれ以上踏み込んでこなかった。
「じゃあ、今すぐ話せとは言いません」
「……ええの?」
「言いたくない理由があるんですよね?」
「あるというか……俺自身が信じ切れてない」
「だったら、信じられるところまで調べればいいんじゃないですか?」
優也は真琴を見た。
無理に聞き出そうとしている様子はなく、かといって興味を失ったわけでもない。むしろ知りたい気持ちは強そうなのに、その一線を越えないようにしているのが分かった。
「三浦さん、変な人やな」
「福山さんに言われたくないです」
「それはそうか」
二人とも少し笑い、張っていた空気がわずかに緩む。
それから真琴はノートへ新しいページを開いた。
「じゃあ、詳しく聞かない代わりに、一つだけ提案していいですか?」
「何?」
「次からは、私も答えを知らない条件でやりましょう」
「三浦さんも?」
「私が中身を知ってたら、福山さんが私の反応を見て答えてる可能性を完全には消せないですよね。誰か別の人に箱を作ってもらうとか、中身をランダムにするとか」
「……まだやる気なん?」
「ここまで当たったら気になりますよ」
真琴の目が、少し楽しそうに輝いていた。
優也は思わず笑う。
「研究好きって、こういうことか」
「たぶん」
その日の実験は、そこで終わった。
収納については話していない。鑑定という名前も伝えていないし、頭の中へ情報が浮かぶことも説明していない。
それでも、真琴はもう気づき始めている。
優也が調べているものは、単なる勘や思い込みでは説明しにくい何かだということを。
店を出て駅へ向かう途中、二人は次の実験について話していた。今度は真琴自身も答えを知らない状態をどう作るか、どんな物なら結果を後から確認できるか。優也一人では思いつかなかった方法が、会話をするたびに増えていく。
優也はそれを楽しいと感じていた。
これまで一人で抱えていた秘密そのものを共有したわけではない。それでも、その周りにある疑問を誰かと一緒に考えられるだけで、実験の面白さは明らかに変わっていた。
横を歩く真琴が、不意にこちらを見る。
「福山さん」
「ん?」
「いつか、話せるようになったら教えてくださいね」
何を、とは言わなかった。
それでも意味は分かる。
優也は少しだけ考えてから、前を向いたまま答えた。
「……そのうちな」
以前なら、誰にも言わないと即答していたかもしれない。
けれどその日は、なぜか完全に否定することができなかった。
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