ep.10 知らない答え
日曜日の実験から二日後、福山優也のスマートフォンに三浦真琴から一枚の写真が届いた。
道路工事の現場で昼休みに入ったばかりだった優也は、休憩用の車両へ腰を下ろし、コンビニで買ったおにぎりの包装を開ける前に通知を確認した。写真に写っていたのは、机の上へ置かれた小さな茶色の封筒が六つ。それぞれには番号だけが振られており、前回の箱と違って中身を想像できそうな特徴は何もなかった。
『次の実験用です。今回は私も中身を知りません』
「……もう作ったん?」
思わず呟いてから、続いて届いたメッセージを読む。
『大学の知り合いにお願いして、私が見ていないところで六つ用意してもらいました。中身は全部、市販されている小物です。答えも封筒に入れてもらったので、実験が終わるまで私は見ません』
前回、真琴自身が箱の中身を知っている以上、表情や反応から優也が無意識に情報を拾っている可能性を完全には消せないという話になった。その問題を解決するため、本当に第三者へ準備を頼んだらしい。
『そこまでやるとは思ってなかった』
そう返信すると、すぐに既読がついた。
『福山さんも気になるでしょ?』
『気になるけど、国家試験前の医学生がやることではない気がする』
『休憩です』
『便利な言葉やな、休憩』
笑顔のスタンプが返ってきたところで、優也も小さく笑った。
「何ニヤニヤしてるんですか?」
向かいに座っていた同僚から突然声を掛けられ、優也はスマートフォンを伏せた。
「別に」
「彼女?」
「ちゃうわ」
「返事早っ」
「そんなんじゃないって」
「怪しいなあ」
「おにぎり食っとけ」
適当に追い払うように言い、優也も自分の昼食へ手をつける。
彼女ではない。
それは間違いないし、真琴とはまだ知り合って間もない。連絡先を交換したのも実験の相談がきっかけで、二人で会ったのも前回が初めてだった。
それでも、ここ最近ほとんど仕事の連絡にしか使っていなかったスマートフォンへ、仕事以外の相手からメッセージが届くことを少し楽しみにしている自分がいる。
優也はそこまで考え、紙パックのお茶を一口飲んだ。
「……まあ、ええか」
何か名前をつけなければならない関係でもない。
今はただ、真琴と話すのが楽しい。それで十分だった。
◇
その週の土曜日、二人は前回とは別のカフェで待ち合わせた。
同じ場所ばかり使って店員に顔を覚えられるのも妙だという優也の意見に、真琴が「別に悪いことしてるわけじゃないですよ」と笑ったものの、結局は駅から少し離れた落ち着いた店を選ぶことになった。
優也が到着した時には、真琴はすでに奥の席へ座っていた。白いニットの上に淡いベージュのカーディガンを羽織り、テーブルの横には例の封筒が入っているらしいトートバッグが置かれている。
「こんにちは」
「こんにちは。今日は外うろうろしてなかったんですね」
「それ、まだ言う?」
「ちょっと面白かったので」
「忘れてください」
笑いながら向かいへ座り、注文したブラックコーヒーが届くのを待つ間に、真琴はバッグから六つの封筒と、それとは別に白い封筒を一つ取り出した。
「これが答えです。私もまだ見てません」
「ほんまに?」
「疑うなら今から福山さんが持っててもいいですよ」
「いや、そこまでは疑ってない」
白い封筒にはテープが貼られ、開封された形跡もない。茶色の六つの封筒も同じように封がされており、外から触った程度では中身の形すら分かりにくいよう、小さな緩衝材まで入れてあるらしかった。
「用意した人には何て説明したん?」
「心理実験みたいなことをしたいから、中身を知らない状態で物を当てるテストをしたいって言いました」
「怪しまれへんかった?」
「ちょっとだけ。でも私が変なことするの、研究好きの延長だと思われてるので」
「普段から何してんねん」
「失礼ですね」
真琴は少し頬を膨らませたものの、すぐに笑って一番の封筒を優也の前へ置いた。
「今回は、私も本当に答えを知りません。だから表情を読んでも意味ないですよ」
「そこまで言われると緊張するな」
「前回は五問中ほぼ全部当たってますからね」
「プレッシャー掛けんといて」
優也は苦笑しながら、封筒の中央へ指先を触れた。
収納するつもりはない。
知りたいのは、中に何が入っているのか。
最近では、この切り替えにもかなり慣れてきていた。最初の頃のように強く念じなくても、対象を意識して何を知りたいのか明確にすれば、頭の奥に情報が形を作り始める。
ただ、今回は少し違った。
封筒の存在。
紙。
緩衝材。
その内側に、別の何かがある。
「……金属」
優也が呟くと、真琴がノートへ書き込む。
「もう少し分かります?」
「待って。軽い……小さい。金属だけじゃなくて、表面に樹脂っぽいものがある……かな」
さらに集中する。
細長い。
先端。
ばね。
書くための道具――そこまで感じたところで、優也は目を開けた。
「ボールペン?」
「回答、ボールペンでいいですか?」
「うん。ただ、全部金属ではない。金属とプラスチックが混ざってる普通のボールペンっぽい」
真琴が一番の封筒を開く。
中から現れたのは、小型の油性ボールペンだった。
二人とも一瞬黙り、それから真琴が小さく息を吐いた。
「……一問目から当たりましたね」
「俺も今ちょっと引いてる」
「自分の能力なのに?」
「能力って言い切らんといて。まだ俺、最後の逃げ道残してんねんから」
「だいぶ細くなってますけどね、その逃げ道」
「言わんといて」
二番目は、優也が『植物由来の繊維を加工した物。柔らかい。水分を吸収する用途』と答え、開けてみると小さく折り畳まれたコットン製のハンカチが入っていた。
三番目では少し苦戦した。
硬質樹脂、透明、容器の一部のような形というところまでは分かったものの、用途を絞れず、『何かの蓋』と回答した。実際に出てきたのは透明なペットボトルのキャップだったため、完全な正解ではないが大きく外してもいない。
「これ、正解にします?」
「いや、“何かの蓋”は広すぎるから半分くらいでええんちゃう?」
「そこ厳しいんですね」
「当たったことにしたいだけなら実験する意味ないやろ」
優也がそう言うと、真琴は少し嬉しそうに頷いた。
「そこは福山さん、ちゃんとしてますね」
「三浦さんに教えられたんやけどな」
四番は陶器製の箸置き、五番は小型の消しゴムだった。どちらも材質についてはかなり正確に当てたものの、用途については少し曖昧で、優也自身も回答に迷う場面があった。
そして最後の六番目。
封筒へ触れた瞬間、優也は小さく眉を寄せた。
「……これ、変やな」
「変?」
「物は入ってる。けど、さっきまでと感じ方が違う」
真琴がノートから顔を上げる。
「分からないってことですか?」
「いや……分かるんやけど、なんて言えばいいんやろ」
優也は封筒へ触れたまま、意識を深く向けた。
小さな固体が一つ。
主成分は樹脂。
内部に金属。
さらに、ごく僅かではあるが、それまでの品物では感じなかった何かが混じっている。
熱でも電気でもない。
磁気と呼ぶにも違う。
物質の一部と言えばそうなのに、優也が知っている材質の分類へ当てはまらない何かだった。
「……知らんものがある」
「知らないもの?」
「樹脂と金属は分かる。でも、それとは別に何かある気がする」
「それ、形とか用途は?」
優也は少し集中を強めた。
すると、頭の奥に重さを感じたものの、今度は品物そのものについての情報が浮かんでくる。
「小さい……キーホルダー? いや、ストラップみたいな物かな」
「開けます?」
「うん」
真琴が六番の封を切り、中身をテーブルへ出す。
現れたのは、透明な樹脂の中に小さな金属片が封入された、安価なキーホルダーだった。
「キーホルダーは当たりですね」
「うん。でも……」
優也はそれを手に取った。
今度は封筒越しではなく、直接触れて確かめる。
『アクリル樹脂』
『鉄系合金』
そこまでは普通だった。
ところが、さらに深く意識を向けた瞬間、やはり説明できない感覚が残る。
優也は黙ったまま、キーホルダーを裏返した。
「どうしました?」
「これ、どこで買った物か分かる?」
「私は知りません。答えの紙に書いてあるかもしれないですけど」
真琴は白い封筒を見た。
「全部終わったし、開けます?」
「うん」
二人で答え合わせをする。
一番から五番までは、準備した人物が書いた内容と一致していた。六番目については、『大学近くの古道具と雑貨を扱う店で購入したキーホルダー。中古品』と書かれている。
「中古なんや」
「そのせいですか?」
「分からん。劣化とか汚れなら、今までも見てるし……そういう感じちゃうねんな」
真琴の表情が少し変わった。
「もう少し詳しく調べられます?」
「やってみる」
優也はキーホルダーを掌へ載せ、今度は材質ではなく、『さっき感じた知らない何か』そのものを知ろうとした。
すぐには何も返ってこなかった。
いつもの鑑定なら、答えが分からない時は空白のまま終わる。しかし今回は、情報がないというより、何かがあるのに自分が意味を理解できていないような感覚だった。
優也は目を閉じ、余計なことを考えずにその部分だけへ意識を向け続ける。
やがて、ほんの一瞬だけ。
『未定義――』
そう感じた。
「……未定義?」
思わず口にすると、真琴が身を乗り出した。
「何がです?」
「いや……分からん。今、なんかそういう感じがした」
「“未定義”って?」
「俺にも分からんって」
優也は困ったように笑ったものの、内心では笑っていられなかった。
これまで鑑定で返ってきた情報は、少なくとも自分が理解できる言葉や概念だった。材質、状態、故障、用途。知らない専門用語が出ることはあっても、調べれば意味が分かる範囲に収まっている。
ところが今回は違う。
能力そのものが、『これは今の自分には分類できない』と言っているように感じた。
「三浦さん、このキーホルダー借りてもいい?」
「いいですけど、私のじゃないですよ」
「あ」
「用意してくれた人の物なので、一度確認します。買った物なら、代金払えば譲ってもらえると思いますけど」
「それお願いしていい?」
「もちろん。ただ……」
真琴はキーホルダーへ視線を落とした。
「そんなに気になります?」
優也は少し迷ったが、今回は誤魔化さなかった。
「めちゃくちゃ気になる」
「ですよね」
真琴の目にも、研究者のような好奇心がはっきり浮かんでいた。
◇
カフェを出たあと、二人はそのまま駅へ向かわず、近くのベンチへ座った。
真琴はキーホルダーを用意した知り合いへメッセージを送り、購入した店についてもう少し詳しく聞いている。数分後に返信があり、大学からそれほど離れていない、小さなリサイクルショップのような店で買ったものだと分かった。
「千円もしなかったみたいです。別に返さなくていいって」
「ほんま? 助かるわ」
「じゃあ、これは福山さんに」
真琴からキーホルダーを受け取り、優也はもう一度掌の上で眺めた。
見た目は本当に普通だった。透明な樹脂の中へ金属片が埋め込まれているだけで、高価そうにも特別な物にも見えない。鑑定がなければ、雑貨店で見掛けても素通りしただろう。
「これ、家でまた調べるんですか?」
「そのつもり」
「結果、教えてくれます?」
「もちろん」
答えたあと、優也は少しだけ考えた。
以前なら、自分の能力に関係する情報を他人へ渡すこと自体にもっと抵抗があったはずだ。しかし今は、真琴へ結果を話すことをほとんど当然のように考えている。
秘密そのものはまだ伝えていない。
それでも二人で実験を重ねるうちに、その境界は少しずつ曖昧になっていた。
「三浦さんさ」
「はい?」
「もしこれが、本当に普通じゃない何かやったらどうする?」
真琴はすぐには答えなかった。
冗談で聞かれているのか確認するように優也の顔を見て、それから少し考える。
「普通じゃないって、どのくらいですか?」
「例えば……今の科学で説明できないとか」
「それなら、まず本当に説明できないのか調べます」
「即答やな」
「“分からない”と“説明できない”は違うので。私たちが知らないだけかもしれませんし、既知の現象を勘違いしてる可能性もありますよね」
「それでも分からんかったら?」
「もっと詳しい人に聞きます」
「それでも?」
真琴はそこで少し笑った。
「そこまでいったら、面白いじゃないですか」
「怖くない?」
「怖さがないとは言わないです。でも、分からないからって見なかったことにはしたくないかな」
真琴らしい答えだと思った。
優也は手の中のキーホルダーを見つめながら、自分ならどうするだろうと考える。
収納を見つけた夜は、誰にも言わずに自分だけで調べようと決めた。鑑定まで現れても、その方針を変えるつもりはなかった。
けれど、ここまで一緒に確かめてきた真琴に対して、いつまで『ただの勘を調べている』と言い続けられるのか。
それはもう、以前ほど簡単な問題ではなくなっていた。
真琴が立ち上がり、コートを整える。
「今日はここまでにします?」
「そうやな。三浦さんも勉強せなあかんし」
「そうなんですよ。本当は福山さんと遊んでる場合じゃないんです」
「遊んでたん?」
「実験です」
「どっちやねん」
二人で笑いながら駅へ向かう。
別れ際、真琴はいつものように軽く手を振った。
「分かったことがあったら連絡してください」
「了解。勉強も頑張って」
「はい。福山さんも、調べすぎて寝不足にならないように」
「そこまでハマってへんよ」
「この前、一時間夕飯忘れてましたよね?」
「……なんで覚えてんねん」
真琴は笑いながら改札の向こうへ消えていった。
優也も反対方向のホームへ向かい、電車へ乗る。
座席へ腰を下ろしてから、ポケットの中にあるキーホルダーへ手を触れた。
鑑定を使う。
やはり、同じ場所に理解できない何かがある。
今までは、答えを知るために能力を試してきた。
けれど今回初めて、能力そのものが答えを持っていないように感じる対象へ出会った。
優也は窓の外へ流れていく大阪の街並みを眺めながら、知らず知らずのうちに口元を緩めていた。
「……おもろなってきたやん」
白い皿が消えた夜から始まった奇妙な出来事は、ここへ来て初めて、優也自身の力だけでは説明できない何かへ触れようとしていた。
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