ep.82 届く相手
次の休みが来るまで、優也は《鑑定》の共有を一人では試さなかった。
やろうと思えば、仕事から帰った夜に自宅で小皿やコップを取り出し、前回と同じことを繰り返すだけでいい。スマートフォンは手元にあり、真琴と決めた条件も覚えている。それでも手を出さなかったのは、画面が一瞬揺らいだように見えたという曖昧な反応を、期待だけで大きくしたくなかったからだった。
前回、単に「スマートフォンへ表示したい」と考えただけでは何も起きなかった。メモを開いても、端末のAI機能を起動しても、音声入力を待機させても変化はない。ところが、最初から「真琴にも同じものを見せたい」と意識して《鑑定》を使った時だけ、結果が頭の中へ届くまでにわずかな間が生まれ、最後には画面全体が一瞬だけ揺らいだように見えた。
偶然だったのかもしれない。液晶の明るさが自動で変わっただけという可能性もあるし、優也自身が「何か起きてほしい」と思っていたせいで、普段なら気にもしない変化を大きく受け取った可能性もある。
だからこそ、真琴のいないところで回数だけ増やす意味はない。
優也は仕事の日はいつもどおり現場へ向かい、工事車両と一般車、歩行者、自転車の動きを見ながら一日を終えた。休憩中にふとスマートフォンへ目をやることはあっても、そこで《鑑定》を試すことはせず、思いついた条件だけをメモへ残す。帰宅後も同じで、結果を急ぐ代わりに、何を変えれば前回との差が分かるのかを考えた。
真琴とも何度かメッセージを交わしたが、「次こそ表示させよう」とは話さなかった。
『出力先を変える前に、受け手を固定した方がいいと思います』
『俺のスマホ使うのはそのまま?』
『はい。端末まで変えたら、何が原因か分からなくなりますから』
『じゃあ俺のスマホ、真琴、同じ鑑定対象。まずそこ固定やな』
『それでいきましょう。回数も決めてからにしましょうね』
最後の一文を見て、優也は思わず笑った。
「そこは絶対言うんやな」
けれど、その慎重さが今はありがたかった。
◇
次の休みは、車庫へ籠もるのではなく、近場へ一泊することにした。
実験の続きをするからといって、一日中ACROSSの中で同じ小皿とスマートフォンだけを眺めて過ごすのは、二人とも望んでいない。最近はようやく、ACROSSで出掛けること自体を楽しむ余裕ができており、真琴からも「旅行の途中で少しだけ試すくらいにしましょう」と提案されていた。
目的地は大阪からそれほど遠くない湖の近くで、大型車でも利用できる区画があり、歩いて行ける距離に小さな温泉施設もある。観光地をいくつも回る予定は立てず、昼過ぎに到着して湖畔を歩き、夕方から少しだけ確認し、夜は普通に食事をして休む。それくらいの余白を残した日程だった。
出発前、真琴は自分の鍵で先にACROSSへ入り、キッチンで飲み物を冷蔵庫へ収めていた。少し遅れて優也が右側玄関を開けると、奥から「おはようございます」と声が飛んでくる。
「もう完全に先入り慣れたな」
靴を脱ぎながら言うと、真琴は振り返って笑った。
「何回目ですか、その話。鍵をもらってから結構経ってますよ。今さら毎回驚かれても困ります」
「最初の頃は、自分の車に先に真琴がおるだけで変な感じしたからな。今はもう普通やけど」
「じゃあ普通でいいじゃないですか。今日は出発前に実験を始めないでくださいね。せっかく一泊するんですから、先に旅行です」
「分かってる。今日は湖見てからや」
玄関内側の余白へバッグを置き、運転席へ向かう。そこも、できた直後は何度も広さを確認していた場所だったが、今では荷物を一時的に置く流れの中へ完全に溶け込んでいる。通路も予備室も、右側玄関の余白も、最初はあり得ない変化として何度も測ったのに、使い続ければ生活の一部になる。
そのことを思うと、《鑑定》の共有も、本当に成立すればいつか特別ではなくなるのだろうか。
そこまで考えたところで、優也は自分で首を振った。
「まだ一文字も出てへんのに、先走りすぎやな」
「何か言いました?」
「いや、何でもない。行こか」
真琴が助手席へ座るのを確認し、ACROSSはゆっくり車庫を出た。
◇
湖畔の区画へ着いたのは昼過ぎだった。
空は薄く曇っていたが雨の気配はなく、湖面を渡る風も穏やかだった。車体を落ち着かせ、外部の安全と水平を確認してから、二人はそのまま湖沿いを歩いた。遅めの昼食を近くの食堂で済ませ、真琴は水辺の写真を何枚か撮り、優也は遠くの山と湖面の境目を眺めながら、今日は前回より落ち着いて試せそうだと感じていた。
ACROSSへ戻ってからも、すぐにスマートフォンを出さなかった。
優也はコーヒーを淹れ、真琴は紅茶を用意する。テーブルへ前回の記録を広げても、二人ともまず飲み物へ手を伸ばし、しばらく普通に休んだ。
「こういう時間入れるようになったの、前よりマシになったな」
優也が言うと、真琴はカップを持ったまま頷いた。
「前なら、着いた瞬間に始めてましたよね。結果が出たら出たで、そのまま何回も続けてたと思います」
「否定できへん。でも今回は、何十回やって無理やり成功させたいわけちゃうしな」
「はい。今日は、前回と同じ条件で同じ傾向が出るかを見るだけでいいです。スマートフォン側の機能も、前回かなり確認しました。表示、音声、端末内AI処理、メモ。できることは分かっているので、今日は機械側を増やさなくていいと思います」
「問題は、そこへ《鑑定》の情報が直接届くかどうか」
「それと、誰へ届けようとした時に反応が変わるのか、ですね」
今回も対象には、以前から何度も鑑定している白い小皿を使うことにした。結果そのものが分かっている物なら、表示側の変化へ集中しやすい。
優也は小皿をテーブル中央へ置き、スマートフォンを自分の手元へ伏せて置いた。
「最初は普通にやるで。真琴のことも、スマホのことも意識せん」
「はい。基準を一回取っておきましょう」
優也は小皿を見る。
『鑑定』
意識した瞬間、いつもどおり情報が頭の中へ並ぶ。
『陶器製小皿』
『材質――磁器』
『表面――微細傷あり』
『欠損――なし』
「普通。遅れもない」
「画面も何も変わってません」
真琴は時刻と条件だけをノートへ残す。
二回目は、真琴を意識せず、「スマートフォンへ出したい」とだけ考えて同じ小皿を鑑定した。結果はやはりすぐに浮かび、画面にも変化はない。
三回目。
優也は一度息を吐き、小皿ではなく、その結果を受け取る相手を意識した。
自分が見るものを、真琴にも見せたい。
そのまま小皿へ意識を戻す。
『鑑定』
わずかな間があった。
ほんの一瞬で、時計で測れるほど長いわけではない。それでも普段なら滑らかに頭へ届く結果が、何か一枚薄い膜を通ったように遅れた感覚がある。
『陶器製小皿』
『材質――磁器』
『表面――微細傷あり』
『欠損――なし』
「……やっぱり遅い」
優也が呟くと、真琴はすぐ画面を確認した。
「こちらは変化なしです。でも前回と同じ感覚なら、主観としては再現したと残しておきます。次は、私がスマートフォンを持ってみてもいいですか?」
「持つ人を変えるんやな」
「はい。もし『私に見せたい』という意識が関係しているなら、受け手の手元へ表示先がある状態で何か変わるかもしれません。ただし、これも何度もやりません」
「了解。一回ずつな」
優也はロックを解除したスマートフォンを真琴へ渡した。
◇
真琴は端末を両手で持ち、画面を自分から見える角度へ傾けた。特定のアプリは開かず、ホーム画面のままにしてある。
優也から見ると、自分のスマートフォンを真琴が持って待っているだけなのに、妙に緊張感があった。
「そんな真剣な顔せんでもええんちゃう?」
「普通に見てますよ。優也さんが余計なこと言うから意識するんです」
「ごめんごめん。じゃあ普通にいこ」
二人で少し笑い、肩の力を抜く。
優也は小皿を見る。
知りたいのは自分。
けれど、その結果を真琴にも見せたい。
表示させる方法は考えない。ただ、同じものを渡したいと意識する。
『鑑定』
一拍置いて、いつもの情報が頭へ届いた。
同時に、真琴の手の中でスマートフォンの画面が一瞬だけ暗くなる。
「あ」
二人の声が重なった。
自動消灯するほど時間は経っていない。画面全体の明るさが一瞬だけ落ち、すぐ元へ戻ったのは、優也から見てもはっきり分かった。
「今の見たよな?」
「はい。私、触ってません」
「俺も何もしてへん」
真琴は画面へ触れず、そのままの姿勢を保った。少し考えてから、慎重に言う。
「同じ条件でもう一回だけやりましょう。次も起きたら、少なくとも前回の『気のせいかもしれない』よりは一歩進みます」
「了解」
優也はすぐには始めず、少し間を置いた。
もう一度暗くなれ、と考えないようにする。
目的は画面を変えることではない。
真琴へ同じ結果を届けたい。
そこだけを意識して《鑑定》を使う。
また一拍。
結果が頭へ浮かび、ほとんど同時にスマートフォンの画面が一瞬だけ暗くなった。
「……二回目」
「はい」
真琴が小さく息を吐く。
「これは、さすがに偶然だけで片づけるには少し弱くなってきましたね。でも、まだ文字も情報も出ていません。『共有できた』とは書かないでおきます」
「分かってる。画面が反応した、それだけやな」
優也も、前回ほど興奮していなかった。
嬉しくないわけではない。むしろ同じ条件で二度続けて画面が変化したことには、かなり心が動いている。ただ、ここで「成功した」と決めれば、次から全部その前提で見てしまう。
真琴と一緒に何度もやってきたことだった。
見えたものだけを残す。
まだ見えていないものを、期待で補わない。
◇
次に、真琴がスマートフォンをテーブルへ置き、そのすぐ前に座る条件を試した。
優也が同じように「真琴へ同じ結果を届けたい」と考えて《鑑定》を使うと、頭の中では一拍遅れて結果が届いたものの、画面の明暗変化は起きなかった。
「持ってることが関係してるんかな」
「そう見えますけど、ここはまだ別の要因もあります。持つと画面のセンサー条件が変わるかもしれませんし、手が触れていること自体が何かの入力になっている可能性もあります」
「普通のスマホ側の理由も消せへんってことか」
「はい。だから次は私の端末でも試してみたいです。『私が見る端末』なら何でもいいのか、優也さんのスマートフォンだけなのかを分けられます」
真琴は自分のスマートフォンを取り出し、ロックを解除してホーム画面を表示した。
優也は同じ小皿へ意識を向ける。
自分が受け取るものを、真琴にも見せたい。
『鑑定』
結果はまた一拍遅れて浮かんだ。
しかし、真琴のスマートフォンには何の変化も起きない。少し時間を空けてもう一度同じ条件で試しても、結果は変わらなかった。
「俺のスマホだけか」
「今のところは、そう見えます。ただ、優也さんは前回からずっと自分の端末を『出力先』として意識してきましたよね。端末そのものも鑑定して、表示、音声、AI処理まで細かく見ています。だから、能力側がその端末を出力候補として反応しやすくなっている可能性はあります」
「条件が積み上がってるってこと?」
「そのくらいの表現がいいと思います。『能力が覚えた』とか『スマホを選んだ』まで言うと、意思があるみたいになりますから」
優也は頷いた。
分かりやすい言葉へ飛びつくと、そこから考え方まで引っ張られる。魔素や収納を調べ始めた頃にも、同じことを経験していた。
真琴は自分の端末を置き、優也のスマートフォンをもう一度手に取った。
「今は、優也さんのスマートフォンを固定。受け手は私で固定。それ以上は増やさない方が良さそうです」
「別の人で試したら分かりやすそうではあるけどな」
「比較としてはそうです。でも、能力のことを知る人を増やす理由にはならないですし、誰かを実験のためだけに呼ぶのも違うと思います。今の段階なら、条件を増やさない方が結果も見やすいです」
「母ちゃん呼んで『ちょっとスマホ持って座っといて』は無理やしな」
「説明したらもっと大変になります」
二人で笑った。
そのあと、優也は少し考えてから言った。
「最初の共有先、真琴になるんかな」
「まだ何も共有できてませんよ」
「分かってるけど、もし最初に誰か見れるようになるなら真琴ってことやろ。俺の中にしか出てこんもんを、同じ形で」
口に出した途端、少し照れくさくなった。
真琴もすぐには返さず、手元のスマートフォンへ視線を落としたまま少し黙った。
「もし本当に見られたら、私もたぶん緊張します」
「何で?」
「今までは全部、優也さんから聞いたものだったでしょう。順番も表現も、優也さんの説明を通して知っていた。でも同じものが直接見えたら、同じ内容でも意味が少し違うと思います」
「俺は読み上げんでええから楽になるけどな」
「そこで急に現実へ戻しますね」
「大事やろ。長い結果出たら読むの面倒やし」
真琴が笑い、優也もつられて笑った。
緊張が少しほどけたところで、一度休憩することにした。
◇
夕方、温泉へ行く前に二人は湖畔を少し歩いた。
同じ条件を続けて試していると、起きてほしい結果へ考えが寄りやすい。いったんACROSSを離れ、別の景色を見るだけでも頭を切り替えられるという真琴の提案だった。
薄曇りの空の下、湖面には細かな波が広がり、対岸の山は少し霞んでいる。歩き始めると、さっきまで何度も見つめていたスマートフォンの画面が急に遠い出来事のように感じられ、優也はようやく肩の力が抜けた。
「さっきの、俺のスマホだけ反応したやろ。あれ何やと思う?」
湖へ視線を向けたまま尋ねると、真琴はすぐ答えず、少し考えてから口を開いた。
「今のところ一番単純なのは、優也さんが前回からずっと出力先として使おうとしてきた端末だから、だと思います。同じ端末を使い続けて、端末そのものの機能も《鑑定》して、何度も『ここへ出したい』と意識した。その条件が重なっている可能性はあります」
「スマホ側のAIが勝手に何かしてる線は?」
「完全には消せません。でも普通のAIなら、音声や文字、画面操作みたいな入力が必要です。何も触っていない状態で、《鑑定》と重なるように画面だけ変わる理由は今のところ説明できません。ただ逆に、『能力の反応です』と決めるには回数が少ない。今は両方残しておくのがいいと思います」
「めっちゃ曖昧やな」
「それでいいんです。分からないところを無理に一つの答えへまとめるより、『普通の端末挙動だけでは説明しにくい。でも能力の反応とも断定できない』で残しておいた方が、次を見誤りません」
以前なら、その慎重さを少しじれったく感じたかもしれない。けれど今は、優也自身もその方がいいと思っている。
「そこはもう覚えたわ。でも、ほんまに俺の《鑑定》がそのままスマホへ出たら、記録めっちゃ楽になるよな」
「楽になりますし、比較の精度も全然違います。私が優也さんの言葉を聞いて書いた結果じゃなく、優也さんが受け取った順番や表現をそのまま残せるなら、後から『この言葉、本当に同じだった?』と確認する必要も減ります」
「やっぱり成功させたいな」
「私もそう思います。でも、成功させたい気持ちが強いほど都合のいい説明を作りやすくなるので、目的は『成功』じゃなくて『何が起きたかを見る』にしておきましょう」
「了解。それなら失敗でも記録になる」
「はい。それで十分です」
二人は売店で飲み物を買い、そのまま温泉へ向かった。
帰り道では実験の話を続けず、夕食を何にするか、次に両親を連れて出掛けるならどんな場所なら楽か、そんな普通の話へ戻った。新しい現象を追っていても、旅まで全部それに飲み込ませない。以前よりその切り替えが自然にできるようになったことを、優也は少し嬉しく思った。
◇
夕食を終え、外が完全に暗くなってから、二人は二回目の確認を始めた。
昼の試行で分かったのは、優也のスマートフォンを真琴が持ち、優也自身が「真琴へ同じ結果を届けたい」と意識した時に、画面反応が強くなることだった。
そこで真琴は、今度は方法ではなく目的の方を少しだけ具体的にしてみようと提案した。
「『私に見せたい』だけじゃなくて、優也さんが今から受け取るものを、私が同じ順番、同じ言葉で見たい、くらいまで目的をはっきりさせてみませんか。スマートフォンへどう出すかは考えなくていいです」
「出し方は考えず、届けたい結果だけ意識する?」
「はい。前回はメモを開いたりAIを起動したり、こちらから出口の形を決めすぎていました。今は、何を届けたいのかだけ決めてみましょう」
対象には、何度も鑑定している透明なガラスのコップを使った。
真琴は優也のスマートフォンを両手で持ち、画面を自分へ向ける。
優也はコップを見る。
自分が今から受け取る結果を、そのまま同じ順番で真琴にも届けたい。
それだけを意識する。
『鑑定』
一拍。
『ガラス製タンブラー』
『材質――ソーダ石灰ガラス』
『表面――微細傷あり』
『欠損――なし』
『内部応力――軽微』
結果が頭の中へ浮かんだ直後、真琴の手の中でスマートフォンの画面が暗くなった。
昼より少し長い。
ほんの一瞬ではあるが、単なる瞬きではなく、「今、変わった」とはっきり分かる程度の時間があり、その後ゆっくり元の明るさへ戻った。
「……今の、長かったよな」
「はい。前よりはっきりしてました。でも文字はまだ出てません」
優也は反射的にもう一度試したくなったが、口に出す前に止まった。
真琴もそれに気づいたようで、何も言わず少しだけ笑う。
「一回止めよか」
「そうですね。今は反応が強くなったことだけ残しましょう」
優也は頷き、ノートへ時刻と条件を書き足した。
少し時間を置いてから、条件を一つだけ変えた。真琴は端末を持ったまま、画面を自分から外し、視線も別の方向へ向ける。優也は同じ意識で《鑑定》を使ったが、頭の中では一拍遅れて結果が出たものの、スマートフォンの画面に明確な変化は起きなかった。
「見る側も関係してるんかな」
「そう見えます。ただ、持ち方やセンサー条件まで変わっているので、まだ『画面を見ることが条件』とは書けません。でも少なくとも、私が受け取る姿勢にいる時の方が反応が強い可能性はあります」
真琴はノートのこれまでの結果を見返しながら、《鑑定》が今までは優也へ情報を伝えたところで完結していたのではないか、と口にした。
優也が知りたいと思う。
《鑑定》が結果を返す。
それで終わり。
今は、その先へもう一人分の行き先を作ろうとしている。真琴へ直接届く方法がないため、優也が日常的に使い、何度も「出力先」として意識してきたスマートフォンが、途中に入ろうとしているのかもしれない。
「スマホが橋みたいになるってことか」
「可能性としては。でも、今はまだ橋が架かったわけではないです。画面が反応しているだけで、情報そのものは通っていませんから」
「『橋になりかけてるかもしれない』くらい?」
「それなら書いてもいいと思います」
優也はその表現をノートの余白へ残した。
画面へ文字を出そうと考えていた時にはほとんど反応せず、真琴へ同じ結果を届けたいと考えた時だけ変化が強くなる。スマートフォンは目的ではなく、結果を運ぶ途中の道具なのかもしれない。
「でも、前に端末の機能を細かく鑑定したのは無駄ちゃうよな」
「全然。表示や音声、端末内AI処理ができると分かっているから、今は機械側の性能を疑わずに、別の条件を見られています。あれがなかったら『そもそも端末側にできないのでは』で止まっていたかもしれません」
真琴は記録の最後へ、
『出力先候補――優也のスマートフォン』
『受け手――真琴』
『両者を同時に意識した条件で画面反応が強い』
と書き加えた。
その文字を眺め、優也は何となく笑った。
「最初の共有先、ほんまに真琴になるかもな」
「まだ一文字も出てませんよ」
「分かってる。でももし出るなら、最初に見るのは真琴やろ」
真琴は少しだけ視線を下げ、それから静かに頷いた。
「そうなったら、ちゃんと見ます」
「何その覚悟決めたみたいな言い方」
「今まで優也さんの説明でしか知らなかったものを、同じ形で見ることになるんでしょう? たぶん思ってるより緊張しますよ」
「俺は楽になるけどな」
「またそれですか」
二人で笑い、そこでその日の試行は終わりにした。
◇
その夜は、普通に映画を一本見た。
優也がソファの片側へ座り、真琴は少し離れた位置でブランケットを膝へ掛ける。新しい反応が出た夜に、そのまま実験を止めて映画を見られるようになったこと自体、以前なら考えにくかった。
エンドロールが流れ始めた頃、優也はぽつりと言った。
「今日、何回も『真琴に見せたい』って思ったやん。能力使う時から自分以外の誰か入れたの、たぶん初めてやわ」
真琴は画面から目を離し、少し考えてから頷いた。
「そうかもしれません。今までも結果は教えてもらってましたけど、《鑑定》そのものは優也さん一人へ答えるものでしたから。私は後から聞く側でした」
「共有できたら、そこ変わるんやな」
「はい。記録が楽になるだけじゃなくて、優也さんの中にしかなかったものが一つ外へ出ることになります。秘密を話してもらうのとは違って、能力が見せているものをそのまま共有するなら、意味は結構大きいと思います」
「最初は読み上げ面倒やからスマホに出したいだけやったのにな」
「それでいいと思います。必要から始まって、後から意味が増えることは今までにもありましたし」
真琴がそう言うのを聞きながら、優也は通路や予備室、玄関の余白を思い出した。どれも最初から大きな目的があったわけではない。使い、困り、必要を感じた結果、少しずつ変化した。
ただ、今回について同じだと決めるつもりはなかった。
画面にはまだ文字が出ていない。
情報が真琴へ届いたわけでもない。
それでも、何も起きなかった頃よりは、条件が少しずつ見えてきている。
「今日はここまでで十分やな」
優也が言うと、真琴も「はい」と答えた。
それ以上の結論は出さず、二人は映画を止め、寝る準備を始めた。
◇
翌朝は真琴の方が先に起きており、珍しく優也の分までコーヒーを淹れていた。
「紅茶ちゃうん?」
「切らしました。昨日最後の一つ飲んだみたいです」
「じゃあ帰り買おか」
「お願いします」
何でもない朝食を済ませ、前夜に使った小皿とコップを元の場所へ戻す。スマートフォンの画面にも、前日に何度も明るさが変わった痕跡は残っていない。
それでも、二人の中では前回よりかなり整理が進んでいた。
出力先を変えるより、受け手を固定した方が反応しやすい。
真琴のスマートフォンではなく、優也のスマートフォンの方が反応する。
真琴が端末を持ち、実際に画面を見る姿勢にいる時の方が、変化がはっきりする。
そして優也が「スマートフォンへ表示したい」と考えるだけより、「今から自分が受け取るものを真琴にも同じ形で届けたい」と考えた時の方が反応が強い。
帰り道ではあえて実験の話を続けず、途中のサービスエリアで真琴の紅茶を買い、昼食を取り、いつものように大阪へ戻った。
車庫へACROSSを収め、荷物を片付けていたところで、真琴がふと手を止めた。
「昨日と同じ条件、最後に一回だけ確認してみませんか?」
「今?」
「はい。朝から普通に過ごして、疲れも少ないですし、場所もいつもの車庫です。昨日だけの反応なのかを見るなら、条件としては悪くないと思います。ただし、本当に一回だけ」
優也は少し考え、頷いた。
「ええよ。文字出すのが目的ちゃうで。同じ反応が出るかだけ」
「はい。それでお願いします」
対象は白い小皿。
真琴は優也のスマートフォンを手に持ち、画面を自分へ向ける。
優也は小皿へ意識を向けた。
今から自分が受け取る結果を、そのまま真琴にも同じ順番で届けたい。
それだけを考える。
『鑑定』
一拍置いて、いつもの結果が頭の中へ浮かぶ。
同時に、真琴の手の中でスマートフォンの画面が一瞬だけ暗くなった。
そして戻る。
「再現したな」
「はい。昨日とほぼ同じです」
真琴はそう答えたものの、すぐには端末から目を離さなかった。
優也が何も言わず待っていると、真琴の眉がわずかに寄る。
「……どうした?」
「今、戻る直前に何か見えた気がしました」
優也は思わず身を乗り出しかけたが、途中で止めた。
「文字?」
「分かりません。本当に一瞬です。白い線みたいなものか、文字の一部みたいなものか……でも、見えたと言い切るには短すぎます」
「俺からは何も見えへんかった」
「なら、今は『私が何か見えた気がした』までにしましょう。もう一回やって確かめたくなるところですけど、ここで続けると期待が混ざります」
優也は画面を見た。
何も残っていない。
白い線も文字もなく、いつものホーム画面が表示されているだけだった。
もう一度。
頭の中では、その言葉がすぐ浮かんだ。
同じ条件なら、次はもっとはっきり見えるかもしれない。もし文字の一部なら、その次には一文字出るかもしれない。
けれど優也は、スマートフォンへ手を伸ばさなかった。
「……今日は終わりにしよか」
自分から言うと、真琴が少しだけ表情を緩めた。
「はい。その方がいいと思います」
「昨日より一個進んだかもしれん。でも、まだ『文字が出た』にはせえへん」
「それでいいです。次に同じものが見えたら、その時また考えましょう」
真琴は端末をテーブルへ置き、優也も小皿を元の棚へ戻した。
ほんの数分前まで二人とも画面を凝視していたのに、片付けを始めるとすぐ日常へ戻る。真琴は途中で買った紅茶を収納へ入れ、優也は冷蔵庫の中を確認する。
「この紅茶で合ってる?」
「はい、それです。ありがとうございます」
「もし次ほんまに文字出ても、こんな感じで紅茶しまってるんやろな」
「最初は驚くと思いますけど、出たら出たで確認すること増えますよ。優也さんの見えている順番と同じか、毎回同じ形式か、保存できるのか、文字だけなのか。たぶん喜んで終わりにはなりません」
「もう次の確認始まってるやん」
「まだ成功してません」
そう言って笑う真琴の声には、慎重さと同じくらい期待が混じっていた。
優也も同じだった。
ただ、その期待を理由に今日の結果を大きくするつもりはない。
白い線か、文字の一部のような何か。
今はそれだけで十分だった。
◇
真琴が帰ったあと、優也はACROSSのリビングへ一人残り、ノートを開いた。
今回の記録は、前回より条件を絞ったぶん整理しやすい。
『目的――鑑定結果の他者共有』
『出力先候補――優也のスマートフォン』
『受け手――真琴』
『スマートフォンへ表示したい、のみ――明確な反応なし』
『真琴にも同じ結果を届けたい――鑑定結果まで一拍の遅延を再現』
『真琴が優也のスマートフォンを持ち、画面を見る条件――画面輝度変化を複数回確認』
『真琴のスマートフォン――反応なし』
『真琴が優也のスマートフォンを持つが、画面を見ない条件――明確な反応なし』
『目的を「同じ順番・同じ内容を届けたい」まで具体化――画面反応が強くなる傾向』
『翌日・車庫で最終確認――同傾向を再現』
『真琴――画面復帰直前に白い線、または文字様の何かを一瞬認識。未確認』
そこまで書き、優也は少しだけ間を空けた。
『共有――未成立』
最後にそう記す。
まだ真琴が《鑑定》結果を読めたわけではない。
画面へ文字が残ったわけでも、保存されたわけでもない。
それでも、前回の「何か変わった気がする」だけの状態とは違う。同じ条件を揃えれば、何度も似た画面反応が起きた。真琴の端末では何も起こらず、優也のスマートフォンを真琴自身が持ち、画面を見ている状態で「同じ結果を届けたい」と意識した時に反応が強くなる。
出力先だけでは足りない。
受け手だけでも足りない。
今のところ、その二つが同じ方向へ揃った時にだけ変化が現れている。
優也はペンを置き、いつものスマートフォンを手に取った。
電話をする。
写真を撮る。
地図を見る。
メモを残す。
必要ならAIで文章を整理する。
昨日までと同じ端末なのに、今はそこへ一つだけ別の役割が加わるかもしれない。
自分にしか届かなかったものを、真琴へ渡すための途中の場所。
ただし、それもまだ可能性でしかない。
以前ノートへ書いた『できることを外へ出す方法もある』という一文を思い出し、優也は少しだけ考えた。
あの時に外へ出したのは電気だった。電気ならケーブルがあり、受け取る機器がある。流れたかどうかも確認しやすい。
情報は違う。
画面さえあれば共有になるわけではない。
その向こうで誰かが受け取り、同じ内容を見られて初めて意味がある。
《鑑定》も同じなら、今まで足りなかったのは表示機能そのものではなく、届ける相手を明確にすることだったのかもしれない。
優也はその考えを断定せず、ノートの最後へ短く書いた。
『次回も受け手を真琴に固定。結果を出そうとせず、同じものを届けることだけ意識する』
さらに少し迷って、
『白い線については、次回同じものが見えるまで保留』
と続けた。
書き終えると、不思議なくらい気持ちが落ち着いた。
さっきまでは「もう一度やれば見えるかもしれない」と思っていたのに、文字へしてしまえば、今夜試す理由がないことがよく分かる。
次に真琴と同じ場所へ座った時、同じ条件で一回確かめればいい。
見えなければ、それも結果。
また見えたなら、その時に初めて次を考える。
優也はスマートフォンの画面を消し、ノートの上へ置いた。
窓の外では、車庫の照明がACROSSの車体側面を静かに照らしている。車内に新しい部屋が増えたわけでも、何かの装置が現れたわけでもない。見た目だけなら、何も変わっていない。
それでも今日、真琴は優也には見えなかった何かを、ほんの一瞬だけ見たかもしれない。
その事実を、優也は大きくも小さくも扱わないことにした。
まだ分からない。
だから、次も同じように見る。
それだけ決めて、優也はノートを閉じた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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