ep.83 同じものを見る
真琴が「白い線か、文字の一部みたいなものを見た気がする」と口にした日から、優也は数日間、《鑑定》の共有を試さなかった。
仕事から帰った夜に小皿やコップを取り出し、同じ条件を再現するだけなら難しくない。優也のスマートフォンも手元にあり、何を意識すれば画面の反応が強くなるのかも、前回までの記録からある程度絞れている。それでも一人ではやらなかったのは、あと一歩で届きそうだという期待が強くなっている自覚があったからだった。
画面が一瞬暗くなった。白い線らしきものが見えた。真琴だけでなく優也自身も似たものを確認し、外から撮った映像にもごく短い変化が残った。
そこまで来れば、もう一度だけ、あと一回だけと繰り返したくなる。
以前なら実際にそうしていただろう。
けれど今は、疲れた状態で回数を増やしても条件が曖昧になることも、成功させたい気持ちが強いほど「そう見えた」結果を拾いやすくなることも分かっている。何より、自分にしか見えなかった《鑑定》を本当に真琴と共有できるのなら、勢いで辿り着くより、何が必要だったのかを後から説明できる形で確かめたかった。
その数日間、優也はいつもどおり道路工事の現場へ出た。工事車両の出入りを見ながら一般車を止め、歩行者や自転車が来れば安全な側へ誘導し、休憩になれば弁当を食べる。ACROSSへ寄る日があっても共有は試さず、通路や空間状態をいつものように確認する程度に留めた。
真琴ともメッセージで次の条件を相談したが、「次こそ出そう」という言葉は使わなかった。
決めたのは三つだけだった。
表示に使う端末は、これまで反応している優也のスマートフォンから変えない。
受け手は真琴に固定する。
そして優也は「画面に文字を出したい」と考えるのではなく、自分が今から受け取る《鑑定》結果を、そのまま真琴にも届けたいと意識する。
新しいアプリを開くことも、AI機能を起動することも、端末設定を触ることもしない。
条件を増やすほど、何が変化を起こしたのか分からなくなる。
それだけ決めたうえで、次の休日を待った。
◇
優也が車庫へ着くと、真琴はすでにACROSSの中へ入っていた。
右側玄関を開けると、増えた余白には真琴の靴が揃えてあり、バッグは邪魔にならないいつもの場所へ移されている。キッチンから湯の沸く音が聞こえ、優也が靴を脱いでいると、真琴が奥から顔を出した。
「おかえりなさい。今日はちゃんと紅茶ありますよ」
「そこ最初に報告するとこなん?」
「前回切らして、帰りに買ってもらったでしょう。ちゃんと補充しました」
「ほな安心やな。ただいま」
返してから、優也は少しだけ笑った。
以前なら「おかえり」と言われるたびに、自分の車なのに家へ帰ってきたようで妙に照れくさかった。それが今では、ACROSSの中で交わす挨拶としてずいぶん自然になっている。
リビングへ入ると、テーブルには真琴のノートと、白い小皿、透明なガラスのコップだけが置かれていた。前回までのように複数の端末やアプリを並べた様子はなく、むしろ拍子抜けするほど簡素だった。
「今日はえらい少ないな」
「増やさないって決めたでしょう。対象も、結果が分かっている物だけにします。ただ、前回私が見たものを確認できるように、外から撮る端末だけ用意しました」
真琴は自分のスマートフォンと小さなスタンドをバッグから取り出した。
「優也さんのスマートフォンは出力先として使うので、画面録画まで同時に動かすと条件が変わるかもしれません。だから私の端末を固定して、外から優也さんの画面を撮ります。何か出れば後から見返せますし、何も出なければ普通のホーム画面が残るだけです」
「なるほど。記録用は完全に別にするんやな」
「はい。前回みたいに『見えた気がする』で終わらせたくないので」
真琴はスタンドの位置を調整し、優也のスマートフォンを持った時に画面全体が映る角度を決めた。二人の手が極端に画面を隠さないことも確認すると、それ以上は触らない。
優也は自分のコーヒーを淹れ、真琴の紅茶からも湯気が上がるのを見ながら席へ着いた。
「何か緊張するな」
「成功させようと思うからですよ。今日は同じ条件で同じ反応が出るかを見るだけです」
「分かってるけど、白い線まで来たら期待するやん」
「私も期待してます。ただ、期待していることと、記録に書けることは別にします」
「先生厳しいわ」
「ここまで来て後で全部やり直す方が嫌でしょう?」
「それは絶対嫌」
優也が笑うと、真琴も笑った。
張り詰めていた空気が少し緩む。
◇
最初は基準確認から始めた。
白い小皿をテーブル中央へ置き、優也のスマートフォンは画面を点けたまま手元へ置く。真琴はまだ端末へ触れない。
優也は共有を意識せず、いつものように小皿へ《鑑定》を使った。
『陶器製小皿』
『材質――磁器』
『表面――微細傷あり』
『欠損――なし』
結果は間を置かず頭の中へ浮かび、スマートフォンの画面には何も起きなかった。
「普通やな」
「はい。次、端末へ出したいとだけ意識してください」
今度は「スマートフォンへ表示したい」と考えながら同じ小皿を鑑定する。
やはり結果は優也の中へ普通に現れ、画面には何の変化もない。
そこまで確認してから、真琴が優也のスマートフォンを持った。
両手で端末を支え、画面を自分へ向ける。背後では真琴のスマートフォンが、その様子を外から撮影している。
「ここから前回と同じ条件です」
「分かった」
優也は一度息を吐いた。
スマートフォンへ出したい、ではない。
今から自分が見るものを、真琴にも同じ形で届けたい。
その意識だけを残し、小皿へ視線を戻す。
『鑑定』
一拍。
いつもの結果が頭へ届くのとほぼ同時に、真琴の手の中でスマートフォンの画面が暗くなった。
前回と同じ反応だった。
ただし今回は、暗くなった画面の中央へ細い白いものが一瞬だけ浮かんだ。
真琴の指が反射的に動きかけ、すぐ止まる。
優也も見えた。
「今の、線だけちゃうよな」
「私もそう思います。でも触らないでください。撮れてるはずです」
画面はもう普通のホーム画面へ戻っていた。
二人はすぐ次を試さず、外部撮影を止めて動画を確認した。
再生速度を落とす。
画面が暗くなる。
直後、中央付近へ白い横線に近いものが現れ、その形がごく短い間だけ崩れる。
一フレームずつ送っていくと、ただの線とは言い切れない形が残っていた。
「これ……『陶』の左側に見えへん?」
優也が画面へ顔を寄せると、真琴も同じ箇所を拡大した。
「見えなくはないです。でも、一文字として確定するには足りません。次の瞬間には消えてます」
「でも俺も見えたし、動画にも残った」
「はい。少なくとも、私一人の見間違いではなくなりました」
真琴はノートへ条件と結果を書き込む。
『同条件――画面暗転を再現』
『暗転中、白色の文字様表示を肉眼および外部撮影で確認』
『一文字未満。内容未確定』
横から読んだ優也は苦笑した。
「事件の現場記録みたいやな」
「『陶と表示された』って書くよりいいでしょう?」
「そらそうやな」
ほんの数日前までは、画面が暗くなること自体が《鑑定》と関係しているかどうかも分からなかった。今は少なくとも、特定の条件を揃えた時に同じ反応が繰り返され、外から撮った映像にも何かが残っている。
まだ共有とは呼べない。
それでも、完全なゼロではなくなっている。
◇
次の試行まで、二人は十分ほど間を空けた。
優也は「今の勢いでやった方が出そうやけど」と言いかけたものの、真琴に「一番やってはいけないやつです」と即座に止められ、素直にコーヒーへ手を伸ばした。
「今は疲れてへんで」
「身体の疲れだけじゃありません。『次はもっと出るはず』って気持ちも条件を変えます。さっきと同じなら、少し間を置いた方がいいです」
「はいはい……じゃなくて、はい」
「よろしい」
「何で先生になってんねん」
真琴が笑い、優也も釣られて笑った。
気持ちを切り替え、動画を一度だけ見直してから、記録用端末を再びスタンドへ戻す。
「次は何変える?」
「変えません。同じ条件でもう一度です。今の表示が偶然なら、毎回似た形にはならないかもしれません。条件が合っているなら、同じ傾向が出る可能性があります」
「長く出ろとか思わん方がええ?」
「思わないでください。私へ同じ結果を届けたい。それだけでお願いします」
優也は頷いた。
真琴がスマートフォンを持つ。
優也が小皿を見る。
自分に届くものを、そのまま真琴にも。
『鑑定』
一拍遅れて結果が浮かび、画面が暗くなる。
今度は白い文字が、前より明らかに長く残った。
『陶器――』
そこまで読めたところで消える。
二人ともすぐには声を出さなかった。
画面がホームへ戻ってから、優也が真琴を見る。
「読めたな」
「はい。『陶器』までは」
外部撮影にも、今度はかなりはっきり残っていた。完全な一行ではないが、《鑑定》の最初にある『陶器製小皿』と一致する文字列だ。
真琴は記録へ書きながら、少し手を止めた。
「これは大きいですね」
「やっと成功?」
「まだです。全部は届いていませんし、表示も短い。ただ、《鑑定》結果の一部と一致する文字列が、端末側へ表示されたとは言っていいと思います」
「部分成功?」
「……その表現ならいいです」
「よし。先生から部分成功いただきました」
「喜ぶのはいいですけど、ここで回数増やさないでくださいね」
「分かってるって」
そう答えながら、優也はかなり嬉しかった。
気のせいでも、白い線でもない。
自分の中に出た言葉と同じものを、真琴が読んだ。
まだ数文字。
それでも、今まで誰にも見せられなかったものが、初めて自分の外へ形を持って出た。
◇
次に対象を変えるかどうか、二人は少し相談した。
同じ小皿ばかりでは、スマートフォン側に何らかの形で前の表示が残っている可能性まで完全には消せない。優也自身は端末へ『陶器製小皿』と入力した覚えはないが、別の対象で別の文字列が出れば、比較として分かりやすい。
そこで透明なガラスのコップを使うことにした。
まず優也が普通に《鑑定》し、現在の結果が以前と変わっていないことを確認する。
『ガラス製タンブラー』
『材質――ソーダ石灰ガラス』
『表面――微細傷あり』
『欠損――なし』
『内部応力――軽微』
結果を真琴へ口頭で伝え、過去の記録と一致していることを確認したあと、五分ほど時間を置く。
「これで『陶器』って出たら、それはそれで分かりやすいな」
「笑い事じゃないですよ。その場合は端末側の残像やキャッシュみたいなものを疑います」
「真面目やな」
「今は真面目にしてください」
真琴が優也のスマートフォンを持ち、画面を自分へ向ける。
優也はコップへ意識を向けた。
自分が受け取る結果を、同じ形で真琴へ。
『鑑定』
一拍。
結果が頭へ届く。
同時に画面が暗くなり、白い文字が浮かんだ。
『ガラス製――』
今度は二人とも、はっきり読めた。
文字は数瞬で消えたが、外部撮影にも鮮明に残っている。
「変わった」
優也が思わず言うと、真琴は動画と自分のメモを見比べ、ゆっくり頷いた。
「対象に合わせて表示内容が変わってます。しかも、優也さんが見た最初の項目と一致しています」
「これなら、さすがに鑑定の文字が出てるって言ってええ?」
「少なくとも一部については、はい。普通のスマートフォン側だけで、このタイミングと内容が出る理由はかなり考えにくくなりました」
「部分成功から昇格した?」
「《鑑定》結果の一部共有、くらいです」
「採点細かいなあ」
「後で困らないためです」
二人は笑った。
ただ、さっきまでとは空気が違っていた。
優也の頭の中にしかなかった《鑑定》表示の一部が、対象に合わせて正しい文字列へ変わり、真琴の目の前に現れている。
しかも別の端末で撮影できている。
初めて、優也以外の人間が《鑑定》そのものへ触れ始めていた。
◇
昼を少し過ぎたところで、二人は実験を中断した。
「ここで続けたら絶対やりすぎる」
優也が自分から言うと、真琴は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「成長しましたね」
「時間掛かったとか言うなよ」
「何も言ってません」
「顔が言うてる」
二人はテーブルの上をそのままにせず、小皿とコップを元へ戻し、スマートフォンも普段どおり使える状態へ戻した。車庫の近くまで歩いて昼食を取り、その帰りに真琴の紅茶と優也のコーヒー豆を買う。
外へ出て普通に歩いていると、ついさっきACROSSの中で起きたことが少し現実離れして感じられた。信号待ちで立ち止まった優也は、ポケットの上から自分のスマートフォンへ触れる。
「これ、今は普通に地図とか決済に使ってるだけやもんな。さっき鑑定の文字出てたのに、何か変な感じするわ」
「端末そのものが別物になったとは限らないですからね。今のところ、新しいアプリが増えたわけでも設定が変わったわけでもありません。普通の表示機能を、《鑑定》側が一時的に使っているように見えます」
「じゃあスマホが賢くなったわけちゃう?」
「そう考える材料はないです。端末のAIが勝手に《鑑定》を理解したとか、スマートフォンに意思があるとか、そこまで話を広げる必要はありません。今分かっているのは、優也さんの端末を介した時だけ、私へ同じ文字列が届き始めていることです」
「橋って例え、案外そのままやな。橋そのものが考えてるわけちゃうし」
「はい。今はそのくらいで十分だと思います」
ACROSSへ戻ると、二人は買ってきた物を片付けた。真琴は紅茶をいつもの収納へ入れ、優也はコーヒー豆を所定の場所へ収める。予備室には余計な家具を増やさず、右側玄関の余白も必要な時以外は空けてある。
通路が広がった時も、予備室ができた時も、玄関に余白が増えた時も、最初は何度も寸法を測り、変化そのものを意識していた。それが今では、二人ともほとんど考えずに使っている。
優也は予備室の扉を閉めながら、何気なく言った。
「こういうのも、最初だけめちゃくちゃ気になるんよな。通路広がった時とか、歩くたび見てたのに」
「今は普通に通ってますね」
「今回の共有も、もし安定したらそのうち普通になるんかな」
「なるかもしれません。でも、今はまだ一部しか届いてませんよ」
「分かってる。そこは焦らへん」
優也はそう言って笑った。
今日起きていることは、車内の広さとは関係がない。けれど、今まで優也一人の中で終わっていたものが、少しだけ真琴の側へ届き始めているという点では、不思議と似た感覚があった。
真琴も同じことを考えたのか、少しだけ笑う。
「私が読めるようになったら、記録係としてはかなり楽になりますね」
「そっち?」
「優也さんが先に『読み上げなくていいから楽』って言ったんでしょう」
「言うたな」
少し顔を見合わせて笑い、二人は午後の確認へ戻った。
◇
午後は、回数を増やすのではなく、一回ごとの条件を丁寧に揃えることにした。
白い小皿なら『陶器』まで、ガラスのコップなら『ガラス製』まで、優也が頭の中で受け取った《鑑定》結果と同じ文字列がスマートフォンへ出ることは確認できている。
ここから「もっと長く出ろ」と意識したり、画面へ残そうと力んだりすれば、何が条件として効いたのか分からなくなる。二人はこれまでと同じように、優也が受け取るものを真琴にも届けたいとだけ考え、自然にどこまで表示されるのかを見ることにした。
最初は白い小皿。
真琴がスマートフォンを持つ。
優也は小皿を見る。
自分へ届くものを、そのまま真琴にも。
『鑑定』
一拍置いて、いつもの結果が浮かぶ。
同時にスマートフォンの画面が暗くなり、今度は途中で切れず、
『陶器製小皿』
と一行目が最後まで表示された。
真琴が読むのに十分な時間だけ残り、そのあと白い文字は静かに消えて、ホーム画面へ戻る。
「一行、全部出たな」
「はい。外から撮った映像にも残ってます。表記も優也さんが見たものと同じです」
真琴は記録へ『第一項目――完全表示』と書き加えた。
「先生、一行合格?」
「一行は合格でいいと思います」
「お、今日は甘いな」
「事実として確認できたからです」
次はガラスのコップへ対象を変える。
普通に鑑定した時の結果が変わっていないことを一度確認し、少し時間を置いてから同じ条件で共有を試す。
『ガラス製タンブラー』
『材質――ソーダ石灰ガラス』
二行目まで表示されたところで消えた。
もう白い線でも、文字の一部でもない。
優也の頭へ届いた《鑑定》結果が、同じ言葉、同じ順番で、真琴の手の中にあるスマートフォンへ現れている。
優也は嬉しさと同時に、少し妙な感覚を覚えた。
自分の中へ出る《鑑定》表示は、普段とほとんど変わらない。ただ真琴へ届けたいと意識している時だけ、結果が出たあとにわずかな余韻が残るような感じがある。
情報を受け取ったのに、まだ何かが終わっていないような感覚。
「今の共有するとき、何か自分側で感じる変化ある?」
真琴に聞かれ、優也はその感覚をできるだけそのまま説明した。
「疲れるとか、抜ける感じはない。ただ、普通の鑑定なら結果出た時点で終わりやねんけど、共有するときだけ、そのあと一瞬だけ続いてる感じする。何か渡し終わるの待ってるみたいな」
「それ、記録しておきましょう。表示時間と関係してる可能性もあります」
「体調は何もないで」
「それも書きます」
真琴は優也の顔色を確認し、脈や体調まで大げさに測ることはしなかったが、頭痛、めまい、吐き気、疲労感がないことだけ記録した。
成功に近づいている時ほど、身体の変化を後回しにしない。
そこも二人の間では当たり前になっていた。
◇
少し休んだあと、午後最後の確認を始めた。
回数は三回まで。
結果が伸びても追加しない。
最初の小皿では、
『陶器製小皿』
『材質――磁器』
まで表示された。
次のガラスのコップでは、
『ガラス製タンブラー』
『材質――ソーダ石灰ガラス』
『表面――微細傷あり』
まで伸びた。
どちらも優也の頭の中で見えている順番と一致し、外部撮影にも鮮明に残っている。
「表示時間、伸びてるように見えるな」
「そう見えます。でも私たちが慣れて読めるようになった可能性もあるので、時間そのものはまだ評価しないでおきます」
「ここまで来ても慎重やな」
「ここで急に『能力が成長してます』って決めたら、今まで慎重にやった意味がないでしょう?」
「それはそうやな」
最後の一回を何へ使うか、二人は少し考えた。
小皿やコップなら、安全に同じ結果を再確認できる。しかし今日はすでに、単純な物なら複数行の表示が出るところまで確認できている。
優也は車内を見回した。
「ACROSS全体、見てみる?」
真琴はすぐには答えなかった。
「情報量が一気に増えますよ」
「うん。でも今まで何回も鑑定してるし、空間状態も安定してる。全部出そうとはせえへん。情報量多くても同じように途中まで届くか、一回だけ見たい」
真琴はしばらく考え、やがて頷いた。
「分かりました。ただし条件は変えません。全部表示してほしいとも考えない。今までと同じで、優也さんが受け取るものを私にも同じものとして届けたい。それだけです」
「了解」
真琴は外部撮影が続いていることを確認し、優也のスマートフォンを両手で持った。
優也はリビングから車内全体を見回す。
納車された頃より広くなった通路。
後方に増えた、用途を固定していない予備室。
右側玄関の内側にできた余白。
収納には真琴の紅茶や部屋着、本が混ざり、彼女自身が鍵を持って好きな時に中へ入れる。
外から見れば、ACROSSは今も同じ四軸八輪の巨大なキャンピングカーだ。
優也はその車内全体を一つの対象として意識した。
自分が今から受け取る結果を、真琴にも同じ形で。
『鑑定』
一拍。
頭の中へ情報が浮かぶ。
『対象――ACROSS』
『空間状態――安定』
『追加空間――維持』
『外部寸法――変化なし』
『接続状態――安定』
『魔素反応――微弱』
「来た」
優也が小さく呟くのとほぼ同時に、真琴が持つスマートフォンの画面が暗くなった。
黒に近い背景の上へ、白い文字が一行ずつ現れていく。
『対象――ACROSS』
真琴は声を出さない。
『空間状態――安定』
『追加空間――維持』
優也も、自分の頭の中にある表示と見比べるように画面を追う。
『外部寸法――変化なし』
『接続状態――安定』
そして最後に、
『魔素反応――微弱』
六行目まで表示された。
文字はすぐには消えなかった。
数秒間、真琴の手の中にあるスマートフォンへ、優也が今まさに見ているものと同じ六行が残っている。
「全部……?」
優也が小さな声で尋ねると、真琴は画面から目を離さないままゆっくり頷いた。
「全部です。順番も、言葉も同じです」
二人とも、しばらく次の言葉が出なかった。
何も起きなかったところから始まり、画面がわずかに暗くなり、白い線が現れ、文字の一部が読めるようになった。午前中には一行、二行と伸び、今ようやく優也の中にしかなかった《鑑定》結果が、最後まで真琴の目の前へ表示されている。
真琴が初めて、優也の説明ではなく、自分の目で同じものを見ていた。
「……見えたな」
優也がようやく言うと、真琴は一度息を吐いてから、静かに答えた。
「はい。本当に同じものが見えました」
派手な音も光もない。
空間が広がったわけでも、新しい装置が現れたわけでもない。
普通のスマートフォンへ白い文字が六行並んだだけだった。
それでも優也には、通路が初めて広がった時とは別の意味で、大きな変化に思えた。
これまで自分一人にしか届かなかったものを、初めて真琴と同じ形で見ることができた。
◇
表示が消え、ホーム画面へ戻ったあとも、二人はすぐ次を試さなかった。
先に外部撮影を止め、今の映像を確認する。
暗くなった画面に六行の文字が順番に現れ、しばらく残ってから消えている。映像は鮮明で、優也が後から記憶で書き起こす必要もないほどだった。
「これ、ちゃんと後から見返せるやん」
「はい。端末そのものへ保存されたわけではないですけど、外から撮った記録としては残りました。それに、私が優也さんから聞いて書いたものじゃなくて、表示そのものが残ってます」
「初めてやな」
「初めてです」
真琴は動画を一度巻き戻し、六行をもう一度確認した。
「何か変な感じします」
「何が?」
「今まで全部聞いたことのある言葉なんですよ。『空間状態――安定』も『魔素反応――微弱』も、優也さんから何度も聞いてました。でも、自分の目で同じ表示を見ると、少し違いますね。これが優也さんがずっと見てたものなんだって」
「俺はずっとこれ見てたんよ」
「そうなんですね。やっと同じものを見られました」
真琴がそう言って笑うと、優也も自然に笑った。
二人は動画と優也の認識を一行ずつ照合した。
対象。
空間状態。
追加空間。
外部寸法。
接続状態。
魔素反応。
表記も順番も、すべて一致している。
「これで共有成功って書いてええ?」
「はい。少なくとも今回の条件では、《鑑定》結果を私が直接確認できた、と書けます」
「やっと先生から成功出た」
「今回は認めます」
優也は椅子の背へ身体を預け、長く息を吐いた。
成功したからといって、急に何でもできるようになったわけではない。
確認できたのは、優也が《鑑定》を使い、その結果を真琴へ届けたいと意識し、優也のスマートフォンを真琴が見ている条件で、結果が同じ順番と表記で画面へ出ること。
真琴のスマートフォンには出ない。
別の相手へ届くかも分からない。
優也の端末へ直接保存できるかも分からない。
音声も出ない。
質問をすれば答えるわけでもない。
誰かが勝手に説明を加えたわけでもない。
「今日できたんは、共有だけやな」
「はい。ACROSSが返事をしたわけでも、《鑑定》が何か新しい情報を自分で足したわけでもありません。優也さんが受け取った結果と同じものが、別の画面へ表示された。それだけです」
「でも、その『それだけ』がでかいわ」
「私もそう思います。今日はそれで十分です」
優也は強く頷いた。
結果が出たからこそ、そこで広げない。
それも今まで何度も覚えてきたことだった。
◇
夕方が近づき、二人は本当に作業を終えるつもりで片付けを始めた。
小皿とコップを元へ戻し、撮影用のスタンドを畳む。真琴は今日の記録をまとめ、優也はコーヒーを淹れ直した。大きな変化があったあとでも、結局二人はいつものキッチンで飲み物を用意し、いつものソファへ座る。
「何か変な感じやな。さっき結構すごいこと成功したのに、もう普通にコーヒー飲んでる」
「それくらいでいいんじゃないですか。通路が広がった時も、次の日には普通にそこで料理してましたし」
「予備室も、今や普通に荷物置き場やもんな」
「新しいことが起きても、使えなかったら意味ないですからね」
真琴は紅茶を飲みながら、今日の記録を優也へ見せた。
『鑑定結果外部共有――初成立』
『対象――ACROSS』
『出力先――優也のスマートフォン』
『受け手――真琴』
『表示内容――優也の認識結果と全項目一致』
『表示順――一致』
『外部撮影――記録成功』
『端末側保存――未確認』
『音声出力――なし』
『他端末・他者への共有――未確認』
『自発的応答――なし』
優也は最後の一行を指した。
「『自発的応答――なし』まで書くん?」
「書きます。今日の時点で何ができて、何ができなかったかを残しておきたいので。共有できたからといって、ACROSSや《鑑定》が自分で何か考えて返したわけではありません」
「なるほど。成功した勢いで話広げんためやな」
「そういうことです」
優也は記録を見ながら、少し考えた。
通路が広がった時も、最初はただすれ違いやすくなっただけだった。
予備室も、必要な部屋を勝手に決めず、用途を空けたまま使い始めた。
右側玄関の余白も、雨の日や来客時に困った経験のあとで自然に増え、今ではバッグや靴を一時的に置く場所として馴染んでいる。
どれも、変化が起きた瞬間より、そのあと普通に使えるようになったことの方が大きかった。
「これも、そのうち普通になるんかな」
「安定して使えるなら、なるかもしれませんね」
「真琴が毎回『それ何て出てるんですか』って聞かんでよくなる」
「優也さんも長い結果を全部読み上げなくてよくなる」
「そこ大事やな」
「結局二人とも実用なんですね」
二人は笑った。
共有が成功した意味を、今夜すべて決める必要はない。
研究の精度が上がる。
記録が楽になる。
同じものを見ながら話せる。
今はそれだけでも十分だった。
◇
真琴が帰る時間が近づき、二人はノートと撮影データを片付け始めた。
優也が今日の結果を自分の記録へ書き写し、真琴が動画ファイルの時刻を整理している途中で、彼女の手が止まった。
「最後に、同じ条件で一回だけ再現確認しておきませんか?」
「今日もう終わりちゃうかった?」
「実験を進めるためではなくて、次回の開始点を揃えるためです。全項目まで表示できたのは一回だけでしょう。同じ条件でもう一度出れば、次はそこから始められます。出なければ、それも大事な結果です」
優也は少し考えた。
ここまで何度も「あと一回」を止めてきたが、今の提案は表示を伸ばすためではない。再現するかどうかだけを見るという意味では筋が通っている。
「分かった。ほんまに一回だけな」
「はい。一回だけです」
片付けたばかりのスタンドをもう一度出しながら、二人とも少し笑った。
対象はACROSS全体。
条件も変えない。
優也のスマートフォンを真琴が持ち、画面を見る。
優也は、自分が《鑑定》で受け取るものを、そのまま真琴にも届けたいと考える。
それだけだった。
真琴が準備を整えるあいだ、優也はリビングの中央から車内を見回した。
キッチン。
ソファ。
主寝室。
予備室。
真琴の私物が混ざる収納。
右側玄関の余白。
どれも使いながら今の形になった場所だった。
優也はACROSS全体を意識する。
そして、自分が今から受け取るものを、同じまま真琴にも届けたいと考えた。
『鑑定』
一拍。
頭の中へ情報が浮かぶ。
『対象――ACROSS』
『空間状態――安定』
『追加空間――維持』
『外部寸法――変化なし』
『接続状態――安定』
『魔素反応――微弱』
さっきと同じ六行。
ほとんど同時に、真琴の手の中でスマートフォンの画面が静かに暗くなった。
白い文字が一行ずつ現れる。
『対象――ACROSS』
『空間状態――安定』
『追加空間――維持』
『外部寸法――変化なし』
『接続状態――安定』
『魔素反応――微弱』
同じ内容が最後まで表示される。
真琴が小さく頷いた。
再現した。
これで今日は終われる。
優也がそう思った、その直後だった。
六行目の下に、わずかな間が空いた。
画面は消えない。
白い文字も残ったまま。
優也は、自分の頭の中にある《鑑定》結果をもう一度確認した。
六行。
そこまでで終わっている。
なのに、真琴が持つスマートフォンの画面には、六行目のさらに下へ、新しい白い文字がゆっくり現れた。
『共有――成立』
真琴の表情が止まった。
優也も動けなかった。
自分の中には、ない。
誰も入力していない。
真琴の指は画面へ触れておらず、端末のAIへ何かを尋ねてもいない。
外部撮影の端末だけが、二人の間に流れた短い沈黙ごと、その七行目を記録し続けていた。
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