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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
81/266

ep.81 見せられないもの


 キャンプ場の停電から戻って数日が経っても、優也はノートへ書いた一文を何度か思い出していた。


『できることを外へ出す方法もある』


 あの夜に外へ出したのは、ACROSSの中へ蓄えられていた電力だった。管理用のスマートフォンや無線機を中へ持ち込み、必要なぶんだけ充電して返す。それだけのことだったが、人そのものを車内へ受け入れなくても役に立てる場面があると分かったのは、優也にとって思っていた以上に大きかった。


 だからといって、その考えを何にでも当てはめるつもりはない。右側玄関の段差は残ったままだし、車椅子で安全に出入りできない問題も消えていない。電気や物を外へ渡せるからといって、中へ入れない人の問題まで解決したことにはならない。その線は、前回の最後に自分で書いたとおりだった。


 それでも、「外へ出す」という言葉だけは妙に頭へ残っていた。


 きっかけは、次の休みだった。


 真琴が午後から車庫へ来ることになり、二人は久しぶりに旅へ出ず、ACROSSの中でこれまでの記録を整理することにした。空間拡張が起きた回数も増え、通路、予備室、右側玄関の余白と、それぞれ別の形で変化している。最近は旅行そのものの出来事も多く、優也のノートは数冊に分かれ始めていた。


 優也が先にACROSSへ入り、テーブルへノートを並べていると、右側玄関のロックが解除される音がした。真琴が自分の鍵で入ってきて、靴を脱ぎながらバッグを玄関内側の余白へ置く。その動きはもうすっかり自然で、優也も振り返って「おはよう」と言っただけだった。


「今日は本当に出掛けないんですね」


「たまにはな。旅ばっかりやと記録追いつかんし、俺も仕事の日は帰ったら眠いから、必要なことだけ書いて終わってるやつあるし」


「適当に書いてる自覚はあるんですね」


「適当ちゃう。要点だけや。ただ、字が汚い」


 真琴が笑いながらリビングへ入り、自分の紅茶を淹れる。優也もコーヒーを用意し、二人でテーブルを挟んだ。


 最初に見返したのは、通路が広がったときの記録だった。


「これ、最初の日は『空間状態――変化あり』で、その次の日が『空間状態――拡張状態』やんな」


「はい。それと『状態――安定』が後から追加されています」


「予備室のときは『追加空間――形成』『用途――未設定』。玄関の余白も似た感じやった」


 優也はページをめくりながら、記憶を頼りにそのときの鑑定結果を読み上げた。真琴は自分の端末ではなく、あえて紙のメモへ項目を整理していく。後で並べ替えたり、余白へ気づいたことを書き込んだりするには、そのほうが楽らしい。


「待ってください。玄関のとき、順番どうでした?」


「え?」


「『接続――右側玄関』が先で、そのあと『用途――未設定』でしたっけ。それとも逆?」


「……どっちやったっけ」


 優也はノートを探し、該当するページを開いた。そこには自分が聞いた順に書いたつもりの項目が並んでいるが、旅から戻ってまとめ直した部分もあり、最初に頭へ浮かんだ順番まで完全に再現できているかは分からない。


「ノートは『追加空間――形成』『接続――右側玄関』『用途――未設定』やけど、これ俺が読みやすいよう並べ直してる可能性あるな」


「順番そのものが重要とは限りませんけど、もし今後表示の変化を見るなら、出た内容をそのまま残せたほうがいいですね」


「毎回録音する?」


「鑑定中に優也さんが全部読み上げられるなら、それでもいいです。でも初めて見る情報が増えたときって、途中で止まるでしょう。前も『増えてる』って先に言ってましたし、驚いたところだけ先に口へ出ることがあります」


「言うたな。しかも俺、自分で何言うたか後から忘れるし」


「私もその場で聞いて書いてるので、結局一度、人を通しているんですよね。聞き間違いもあり得ますし、私が書きやすい順に並べてしまうこともある」


 真琴がそう言ったところで、優也は少しだけ黙った。


「なあ」


「はい?」


「これさ、俺が毎回読み上げんでも、真琴にそのまま見せられたら一番早ない?」


 真琴は一度ペンを止めたが、すぐには答えなかった。


「鑑定結果を、ですか?」


「うん。俺の頭の中に出てるやつ。前の停電んときさ、ACROSSの電気を外に出したやろ。あれと一緒ではないやろうけど、情報も外へ出せへんのかなって、ちょっと思って」


 言葉にしてから、優也自身も妙なことを言っている気がした。鑑定は電気ではないし、頭の中に浮かぶ文字がどこから来ているのかも分からない。それでも、真琴へ毎回読み上げるより、同じものを二人で直接見られたほうが正確なのは間違いない。


 真琴はしばらく考えたあと、テーブルの上にある優也のスマートフォンへ目を向けた。


「もし外へ出すなら、最初の候補はスマートフォンですかね」


「そうなるよな。毎日持ってるし、画面あるし、文字出せるし、音声も使える。何より、わざわざ別の機械買わんでええ」


「ただ、前に写真や画面越しで鑑定できないことは確認しています。スマートフォンのカメラを通して対象を見るとか、画面に映した写真を鑑定するのは無理でした」


「うん。それとは別やと思ってる。スマホで対象を鑑定したいんじゃなくて、俺が鑑定した結果をスマホに出したい」


「出力先として使う、ということですね」


「そうそう。俺の中で出たやつを、外へ表示するだけ」


 言っていることは単純だが、方法は何一つ分からない。それでも真琴は否定せず、まず条件を分けようと提案した。


「いきなりACROSS全体を対象にするより、結果が分かっている物から始めたほうが比較しやすいです。何か変な結果が出たとしても、対象そのものの変化なのか、共有を試した影響なのか分からなくなりますから」


「じゃあ、いつもの皿とか?」


「そうですね。あるいはコップでもいいです。まずは鑑定そのものがいつもどおり成立する状態で、表示先だけ増やせるかを見るほうが分かりやすいと思います」


 こうして、午後の予定は記録整理から少しだけ横へ逸れることになった。


          ◇


 最初に使ったのは、キッチンで普段使っている白い小皿だった。


 優也はスマートフォンのメモアプリを開き、何も書かれていない画面をテーブルへ置く。真琴は向かい側に座り、結果を記録する準備だけしていた。


「これで何すんの?」


「私に聞かれても困ります。優也さんの能力ですから」


「そこ研究者として何か案ないん?」


「ありますけど、まず本人がどういう感覚なのか分からないと。今まで『頭の中に出る』で済ませてきましたけど、どこへ出て、どう消えるのか、優也さん自身も説明できないでしょう?」


「そう言われたら何も説明できへんな。見えるっていうか、分かるっていうか……目ぇ閉じても出るし」


「だからこそ、最初は単純な条件からです」


 優也は少し笑い、小皿へ意識を向けた。


『鑑定』


 いつものように、頭の中へ情報が浮かぶ。


『陶器製小皿』

『材質――磁器』

『表面――微細傷あり』

『欠損――なし』


 内容は特に変わらない。


 優也はそのまま、スマートフォンへ表示されろ、と意識してみた。


 何も起きなかった。


「……出ぇへんな」


「画面は変わってません」


「もうちょい強く思ってみる」


「力む必要あるんですか?」


「知らん。何となく押し出す感じで」


 今度は、頭の中に浮かんでいる文字を、そのまま画面へ押し込むようなイメージを作ってみる。だが、メモアプリにはカーソルが点滅しているだけだった。


「無理や」


「まあ、一回で成功したら逆に怖いです」


「そう言われたらちょっと安心した」


 次に、音声入力を使ってみた。スマートフォンの音声入力を起動し、優也が鑑定結果を声に出さず、そのまま認識されないか試す。当然ながら、無音では何も入力されない。


「そらそうやな」


「スマートフォン側からしたら、音が入ってきてないですからね」


「頭の中の声拾ってくれたら便利やのに」


「それはもう別の装置です」


 真琴が笑う。


 そこで優也は、試しに鑑定結果を声に出してみた。音声入力は普通に文字へ変換し、多少の誤変換はあるものの、メモ欄へ結果らしい文章が並んでいく。


「ほら、これなら一応できるで」


「できますけど、それは今までの『優也さんが読み上げて、私が書く』の書き手をスマートフォンへ替えただけです。目的はそこじゃないでしょう?」


「せやな。俺が声出さんでも、そのまま出したい」


「それに、読み上げる途中で順番を変えたり、言い直したりしたら、元の表示をそのまま保存したことにはなりません。便利ではありますけど、今回は成功扱いにしないほうがいいと思います」


「了解。便利な逃げ道は見つかったけど、本命ではない、と」


「そういうことです」


 そのあとも、画面を見ながら鑑定する、スマートフォンを手に持った状態で鑑定する、メモアプリのカーソルへ意識を向ける、小皿の横へ端末を置く、端末へ触れたまま対象を鑑定する、といった簡単な試し方をいくつかやったが、結果は全部同じだった。


 鑑定結果は優也にだけ見える。


 スマートフォンには何も出ない。


 真琴はその失敗を一つずつ記録しながら、「少なくとも、出力先を目の前へ置くだけでは駄目みたいですね」と整理した。


「当たり前っちゃ当たり前やけどな。今までずっと俺の頭ん中だけやったもんが、スマホ置いただけで急に出ても困るわ」


「何年もではないですけどね」


「あ、そうか」


「体感では長いんでしょうけど」


 二人で笑い、いったん休憩することにした。


          ◇


 コーヒーを淹れ直しながら、優也は自分のスマートフォンを眺めていた。


 高性能なモデルを選んだ理由は昔から単純で、毎日使うものだから中途半端にしたくなかっただけである。カメラも処理性能も容量も、買ったときには十分以上だった。最近は端末上で動くAIを使った文章整理や音声処理、画像補正なども普通に入り、特別意識せず使っている機能も多い。


 そこで、ふと思った。


「なあ真琴」


「はい?」


「スマホ自体、ちゃんと鑑定したことあったっけ?」


「最初のころに物として見たことはあったと思いますけど、今みたいに目的を決めて詳しく見たことはないんじゃないですか?」


「やってみよか」


「いいと思います。表示先に使いたいなら、まず何ができる端末なのか確認したほうが自然ですね」


 優也は自分のスマートフォンを手に取り、今度は端末そのものへ意識を向けた。


『鑑定』


 最初に浮かんだのは、以前ならそこで終わっていたような一般的な情報だった。


『携帯情報端末』

『状態――正常』

『電池状態――良好』

『通信機能――正常』

『表示機能――正常』


「普通やな」


 優也がそう言うと、真琴は「もう少し機能に意識を向けてみたらどうですか」と促した。


「どの機能?」


「今回使いたいのは、表示と情報処理ですよね。そこを知りたいと思いながら。全部の部品構成を見たいわけではないので、細かくなりすぎない範囲で」


「なるほど」


 優也は改めて端末へ意識を集中した。


 すると、さっきより情報量が増えた。


『表示系――高解像度可変表示』

『音声入力――複数話者認識対応』

『音声出力――内蔵スピーカー/外部出力対応』

『端末内処理――ローカルAI演算対応』

『文字認識――対応』

『画像解析――対応』

『文章要約・分類――対応』

『音声文字変換――対応』

『外部機器連携――複数規格対応』

『自動化処理――条件設定により一部対応』

『補助知能機能――利用可能』


 優也は途中から黙り込み、頭の中に出てくる項目を一つずつ読み上げた。真琴もすぐに記録を始める。


「待ってください。『補助知能機能』って、端末のAI機能をそう表現してるんでしょうか」


「たぶん。『ローカルAI演算対応』も出てる。あと文章要約とか分類、音声文字変換」


「今までスマートフォンを鑑定したとき、そこまで出てました?」


「出てへん。少なくとも覚えてない。前はもっと機械の状態だけやったと思う」


「やっぱり、知りたい内容に合わせて情報の深さが変わってますね」


「鑑定側が詳しくなってんのか、俺が聞き方覚えただけなんか、どっちやろ」


「両方かもしれません。今は決めないでおきましょう。大事なのは、少なくとも端末側には、文字を表示したり、音声を扱ったり、受け取った情報を整理したりする機能があることです」


「これだけあったら、何か使えそうな気するんやけどな」


「端末ができることと、鑑定結果を受け取れることは別です。ただ、受け取れさえすれば、その後に表示したり保存したりする器としては十分そうですね」


「問題は、どうやって渡すかやな」


「そうですね。今はそこだけが完全に分からない」


 真琴はしばらくメモを見てから、少し考えるように続けた。


「たとえば、鑑定結果って文字そのものなんでしょうか」


「え?」


「優也さんには文字に見えてますけど、本当に最初から文字データとして存在してるのか、それとも優也さんが理解できる形へ変換されているだけなのか、分からないですよね」


「……確かに。俺、最初から日本語で見えてるから、文字やと思ってたわ」


「もし能力側にあるのが情報そのものなら、スマートフォンへ渡すときに別の形へ変換する必要があるかもしれません。逆に、もう文字として成立しているなら、そのまま出せる可能性もある。でも今は、そのどちらかを決める材料がありません」


「その違い、どうやって調べるん?」


「分かりません」


「そこは分からんのかい」


「だから実験するんでしょう?」


 真琴が笑い、優也もつられて笑った。


          ◇


 午後の後半は、スマートフォン側の機能を一つずつ使いながら、どこまでが普通の端末処理で、どこから先が《鑑定》との接続になるのかを切り分けていった。


 まず、画面上に真っ白なメモを出し、そこへ鑑定結果が現れることを意識する。次に、端末のAI機能を起動した状態で同じことをする。その次は、音声文字変換の待機状態にしてみる。さらに、優也が読み上げた結果をAIに整形させ、項目順を保ったまま保存できるかも試した。


 最後の方法だけは、普通のスマートフォン機能としてはかなり使えた。


 優也が読み上げた内容を端末が文字へ変換し、簡単な指示で項目を整えて保存する。真琴が手書きするより速く、後から検索もしやすい。今後の記録方法としては十分使えそうだった。


 ただし、それは今回の目的とは違う。


「これ、日常的には便利やな。俺が読んだら勝手に整理してくれるし」


「はい。今後の記録には使ってもいいと思います。でも、今やりたいのは《鑑定》から直接出すことです。ここで満足すると、優也さんの読み上げを一度通す問題は残ります」


「分かってる。これは副産物やな」


「そうですね。失敗の中で普通に便利な使い方が見つかった、くらいで」


 真琴はそう言いながら、成功条件とは別の欄へ記録した。


 そのあと、二人はACROSSではなく、小皿とスマートフォンだけを対象にして、能力そのものへ意識を向けるようにした。優也が小皿を鑑定し、そのあとスマートフォンへ「今の結果」と意識する。次は、小皿を鑑定する前から「この結果をスマートフォンへ出したい」と思っておく。さらに、画面ではなく端末そのものへ渡すイメージを試し、最後に真琴へ見せたいと考えながら鑑定した。


 それでも画面は変わらない。


 ただ、最後の試し方だけ、優也は少し違和感を覚えた。


「今、何か変やった」


「何がです?」


「分からん。鑑定結果は普通やねんけど……いつもより出るまで一瞬だけ間あった気する」


「どの条件でした?」


「最初から真琴に見せたいって思いながらやったやつ。スマホに出したいっていうより、真琴に同じやつ見せたいって」


 真琴の表情が少し変わった。


「もう一回同じ条件でやってみましょう。ただ、今度は意識しすぎないでください。再現するかだけ見たいので」


「了解」


 優也は一度深呼吸し、小皿を見る。真琴にも同じ結果を見せたい。そう意識してから《鑑定》を使う。


 頭の中へ情報が浮かんだ。


 さっきと同じ内容。


 ただし、確かに一拍だけ遅い。


「……やっぱちょっと遅い」


「内容は?」


「同じ。画面は?」


「変化なしです」


 真琴はすぐに結論を出さず、記録だけした。


「今の段階では、何か意味があるか分かりません。単に優也さんが別のことを意識したせいで集中が散っただけかもしれないですし、結果が出るまでの感覚も主観ですから」


「せやな。ここで『反応した!』って決めたら早すぎるな」


「はい。でも、次に試す条件としては残せます。少なくとも『スマートフォンへ出したい』だけのときには感じなかった違いです」


 優也は頷いた。


          ◇


 夕方が近づくころには、さすがに二人とも少し疲れていた。


 能力を何度も使ったからというより、似たような条件を少しずつ変えて試し続けたせいで集中力が落ちている。真琴も「今日はここまでにしましょう」と言い、優也も異論はなかった。


 片付けを始める前に、真琴は今日の記録を一度読み返した。


「整理すると、スマートフォン側には表示、音声、端末内AI処理、文字認識、外部連携など、結果を受け取ったあとに使えそうな機能は十分ある。優也さんが読み上げれば、音声文字変換とAI整理で記録することもできる。ただし、それは直接共有ではない。現時点では《鑑定》から端末へ結果を渡す方法がありません」


「で、真琴に見せたいって思ったときだけ、ちょっと間があったかも。でもそれも確定ちゃう」


「はい。その程度ですね。成功したとは言えません」


「何も進んでないようで、スマホ側は結構分かったな」


「それは大きいと思います。少なくとも、成功したあとに表示する器としては使えそうですから。最初から専用端末を作る必要はなさそうです」


 優也は自分のスマートフォンを手に取り、画面を消した。


「前の停電んとき、電気は出口あったもんな。ケーブル刺したら出せる。でも鑑定には、その出口がないって感じか」


「たぶん、今はそうですね」


「じゃあ出口作らなあかんのか」


「物理的な端子を作る話ではないと思いますけど」


「分かってるって」


 優也は笑いながらも、その言葉は少し引っ掛かった。


 出口。


 鑑定はこれまで、優也の中だけで完結していた。対象を見る。能力を使う。結果が優也に伝わる。そこに他の誰かが入る余地はなかった。


 それを真琴にも見えるようにしたい。


 考えてみれば、能力にとってはかなり大きな変更なのかもしれない。


「なあ真琴」


「はい?」


「俺、今まで鑑定使うときって、自分が知りたいから使ってたやん」


「そうですね」


「今日初めて、最初から真琴に見せたいって思いながら使った気する」


 真琴はすぐには返さなかった。しばらく考えたあと、手元のメモへ視線を落とす。


「確かに……今までは結果を見たあとで私に説明してましたね。鑑定する瞬間の目的は、ずっと優也さん自身が知ることだった」


「せやろ? それが今日は最初から共有する相手がおった」


「だとすると、出力先の機械より、そちらのほうが条件として大きい可能性があります」


「誰に伝えるか?」


「はい。スマートフォンへ表示したい、というのは手段です。でも『私にも同じものを伝えたい』は目的でしょう。もし能力側が何かに反応するとしたら、手段より目的のほうかもしれません」


 真琴は記録の端へ一行だけ書き加えた。


『鑑定の目的――自己取得から他者共有へ』


「大げさちゃう?」


「仮です。後で違ったら消します」


「ならええけど」


 優也はそう答えながら、何となく真琴を見た。


 知り合ったばかりのころは、鑑定の結果を口頭で説明することさえ慎重だった。能力そのものが秘密で、どこまで話していいか分からなかったからだ。それが今では、真琴に隠している結果はほとんどなく、むしろ同じものを直接見られたほうがいいと思っている。


 ずいぶん変わった。


「何か、能力より先に俺らの関係のほうが変わってるな」


「急に何の話ですか」


「いや、最初やったら鑑定結果をそのまま誰かに見せたいとか思わんかったやろなって。真琴にも、最初から全部見せてたわけちゃうし」


「それは普通でしょう。会ってすぐ秘密の能力を全部見せるほうが心配です」


「今は普通に『そのまま見せたい』やからな」


「私も、優也さんが言ったことを疑ってるわけじゃなくて、同じものを直接見られたら研究として正確だと思ってます。だから……まあ、変わりましたね」


 真琴は少し照れたように笑い、優也もそれ以上は言わなかった。


 重い話にするつもりはなかった。けれど、能力を外へ出すという今回の試みは、単に技術的な工夫だけではなく、誰かに見せてもいいと思えるところまで来たことと無関係ではない気がした。


          ◇


 今日はここまでにすると決めたあと、二人はテーブルの上を片付けた。小皿をキッチンへ戻し、スマートフォンの画面を消し、真琴が書いた記録をノートの間へ挟む。


 ところが、真琴が帰る前にもう一度だけ確認したいと言った。


「最後に一回だけやってみませんか。今度は表示させようと頑張らず、単純に『私にも同じ結果を見せたい』と思うだけで」


「スマホどうする?」


「画面は開いておきます。でも、メモアプリでもAI機能でもなく、ただロック解除したホーム画面で。出力先を指定しすぎないほうがいいかもしれません」


「なるほど。何も決めんとスマホ置いとく」


「はい。もし何も起きなくても、今日はそれで終わりです。疲れてから続けても条件がぶれますから」


 優也は頷き、もう一度白い小皿をテーブルへ置いた。


 スマートフォンはその横。


 真琴は向かい側。


 優也は小皿を見る。


 スマートフォンへ出したい、とは考えない。


 真琴にも、同じものを見せたい。


 ただそれだけを意識した。


『鑑定』


 一拍。


 頭の中へ情報が浮かぶ。


『陶器製小皿』

『材質――磁器』

『表面――微細傷あり』

『欠損――なし』


 内容は同じだった。


 スマートフォンにも変化はない。


「……駄目やな」


「はい。今日はここまでにしましょう」


 真琴の声にも落胆はほとんどなかった。最初から一日で成功するとは思っていない。


 優也も小皿を片付けようと手を伸ばした。


 そのとき、スマートフォンの画面が一瞬だけ明るさを変えた。


 二人とも同時に止まった。


 通知が来たわけではない。音も鳴っていない。ホーム画面の配置も変わっていない。ただ、ほんの一瞬だけ、画面全体がわずかに揺らいだように見えた。


「今、何かした?」


 優也が聞くと、真琴は首を横へ振った。


「触ってません。優也さんは?」


「俺も触ってへん。鑑定終わって、皿片付けようとしただけ」


 二人で画面を見つめるが、それ以上は何も起こらない。優也が端末へ触れても普通に操作でき、通知履歴にも新しいものはない。


「見間違いかな」


「二人とも同時に見てますけどね。ただ、何も残ってない以上、今は原因不明です」


「もう一回やる?」


 口にした直後、優也自身が少し迷った。


 真琴はすぐに首を横へ振った。


「今日はやめましょう。今もう一度やって何も起きなかったら、条件が違ったのか、疲れていたのか、そもそもさっきが偶然だったのか、余計に分からなくなります。次回、同じ条件を最初から組んだほうがいいです」


「……せやな。追いかけんとこ」


「そのほうがいいと思います」


 真琴は記録の最後へ、


『最終試行――表示なし』

『終了直後、画面輝度または表示状態に一瞬の変化を二名で確認』

『通知・操作履歴上の変化なし』

『原因不明』

『再現未確認』


 と書き加えた。


「こう書くと事件っぽいな」


「『画面がピカッとした』よりはいいでしょう」


「それはそう」


 二人は少し笑った。


 ただ、さっきまでと違って、完全に何も起きなかったとは言い切れなくなった。


          ◇


 真琴が帰ったあと、優也は一人でACROSSに残った。


 今日は旅へ出たわけでも、空間が広がったわけでもない。右側玄関の余白も、予備室も、通路も、何も変化していない。なのに、夕方になってから妙に落ち着かなかった。


 スマートフォンをテーブルへ置き、さっきの画面をもう一度見る。普通のホーム画面で、通知も増えておらず、履歴を確認しても新しいアプリが起動した形跡はない。端末の設定が変わった様子もなかった。


「ほんまに何やったんやろ」


 独り言に返事はない。当然である。


 優也は少し笑い、スマートフォンを置いた。


 もし今日の一瞬がただの表示の揺らぎなら、それで終わる。高性能な端末でも、自動輝度の調整や一時的な描画の変化くらい起きるかもしれない。何かバックグラウンド処理が動いただけという可能性もある。二人が同時に見ていたからといって、それだけで能力の変化だと決める理由にはならない。


 ただ、気になることは残った。


 スマートフォンそのものへ表示させようとしたときには何も起きず、真琴へ見せたいと意識したときにだけ、鑑定結果が出るまで一拍遅れた。そして最後の試行が終わった直後、二人とも画面の変化を見た。


 偶然で説明できる範囲ではある。


 それでも、次に試す価値はある。


 優也はノートを開き、今日の実験について自分なりにまとめた。


『目的――鑑定結果を真琴と直接共有できるか』

『写真・画面越し鑑定とは別。対象の鑑定は従来どおり優也が実施』

『スマートフォン――出力先候補』

『端末側機能――表示・音声・AI処理・文字変換・外部連携等を確認』

『読み上げ+音声文字変換――可能。ただし直接共有ではない』

『直接表示――未成功』

『AI機能経由――未成功』

『「真琴にも見せたい」と意識した際、鑑定結果表示までわずかな遅延を二度自覚』

『最終試行後、端末画面に一瞬の変化。二名で確認。原因不明』


 そこまで書いたあと、優也は少し迷い、


『次回――再現確認。無理に成功させない』


 と最後に加えた。


 最近は、この一文を書くことが増えた気がする。


 以前なら、何か反応らしいものが出たら、その場で何度も試していたかもしれない。けれど今日は、真琴が帰ったあと一人で繰り返す気にはならなかった。二人で見つけた違和感なら、次も二人で確かめればいい。


 その考え方自体が、少し前の自分とは違っていた。


          ◇


 翌日の仕事中、優也は何度か昨日のことを思い出した。


 道路工事の現場では、いつものように車両と歩行者を見ながら誘導する。片側交互通行の規制が続いており、無線から短い連絡が飛んでくる。相手の声を聞き、必要なことだけ返し、次の車列を止める。情報は自分の中だけに持っていても意味がなく、相手へ伝わって初めて役に立つ。


 昼休み、休憩車両の中でスマートフォンを取り出したとき、ふと昨日の端末鑑定を思い出した。表示、音声、文字変換、AI処理、外部連携。スマートフォンには「伝えるための機能」がいくつもある。一方、《鑑定》は、優也へ伝えるところまでしかない。


 そこから先は、ずっと優也自身がやってきた。


 読み上げる。ノートへ書く。真琴へ説明する。必要なら写真を撮って補足し、後から並べ直す。


 つまり、鑑定が完全に閉じているというより、出力の最後をずっと自分が担当していたとも考えられる。


「……じゃあ、俺が橋なんか?」


 小さく呟き、自分で少し笑った。


 もしそうなら、やろうとしていることは《鑑定》を別物へ変えることではなく、今まで自分が担っていた橋渡しの一部を、別の方法へ置き換えることになる。


 それなら、少しだけ現実味がある気がした。


 休憩が終わり、優也はスマートフォンをしまった。答えは次の休みに考えればいい。


          ◇


 その夜、真琴からメッセージが届いた。


『昨日のこと、少し考えてました』

『スマートフォンへ直接出すことより、まず「誰に伝えるか」を意識したとき何が変わるのか見たほうがいいかもしれません』


 優也はすぐに、


『俺も仕事中ちょっと思った』

『鑑定って今まで俺に伝えるだけやったんよな』

『そこから真琴に伝える部分は俺がやってた』


 と返した。


 少しして、


『そうです』

『だから、出力先の機械を先に決めるより、「優也さん以外にも伝える」という条件そのものが能力側に必要なのかもしれません』


 と返ってくる。


 優也は画面を見ながら考えた。


『次、それで試そか』


『はい。ただし、昨日の画面変化を再現しようと追いかけすぎないようにしましょう』


『分かってる』

『無理に成功させない』


 送信すると、


『最近ちゃんと言う前に書けるようになりましたね』


 という返信が来た。


『学習するタイプやからな』


『時間は掛かりますけど』


『またそれ言う』


 優也は一人で笑った。


 会話が終わったあと、机の上へスマートフォンを置く。昨日と同じ端末で、同じ画面のまま、何も変わっていない。けれど優也の中では、次に試したいことが少しだけはっきりしていた。


 スマートフォンへ出したい、ではない。


 真琴にも伝えたい。


 その結果として、どこかへ表示できればいい。


 順番が逆だったのかもしれない。


          ◇


 次の休みまで数日あった。


 その間、優也は一人で実験を進めなかった。スマートフォンを鑑定することも、小皿を出して試すこともせず、普通に仕事へ行き、帰れば食事をし、眠る。ACROSSへ寄る日もあったが、状態を確認して照明を落とすだけだった。


 ただ、右側玄関を出る前に、ふと足を止めることが一度だけあった。


 少し前まで、この場所はもっと狭かった。自分たちが雨の日に困り、六人になったときに詰まり、濡れたものを置く場所がないと感じた。その積み重ねのあとで、内側に余白が増えた。


 ACROSSの変化は、いつも「こうなれ」と一度願った直後に起きたわけではない。通路も、予備室も、玄関の余白も、実際に使い、不便を感じ、何度か似た必要に出会ったあとで少しずつ形になった。


 使う。困る。覚える。また使う。


 その繰り返しの中で、必要だったものが少しずつ姿を持ってきた。


 それなら、鑑定も同じなのかもしれない。


 一度「スマホに出ろ」と思っただけで変わらなくても不思議ではない。これまでずっと一人へ伝えるために働いていたものを、初めて二人へ届くように変えようとしている。しかも、その理由は便利だからだけではなく、真琴にも同じものを見せたいからだった。


 優也はそこで、前回の停電のことを思い出した。


 ACROSSの電力は、最初から外へ渡すために存在していたわけではない。自分たちが使うための電気を、そのとき必要だったから少し外へ回しただけだ。それでも役に立った。


 鑑定も、最初は優也一人のための能力だった。


 そこから少し外へ。


 まだ何も成功していないのに、考え方だけは不思議なほど似ている。


 優也は玄関内側の余白を見回し、何も置かれていないことを確認してから扉へ手を掛けた。今ここにある空間も、最初から完成した役割を持っていたわけではない。使いながら意味が見えてきた。


 今回も、同じくらいゆっくりでいい。


 もし本当に何かが変わるとしても、すぐ答えを出させる必要はない。


 優也は玄関を閉め、ロックを確認した。


 今回、何かが広がったわけではない。新しい部屋もできていないし、スマートフォンへ鑑定結果が表示されたわけでもない。それでも、自分たちが次に広げようとしているものは、もしかすると空間ではなく、《鑑定》が届く範囲なのかもしれなかった。


 まだ、その答えは見えない。


 ただ、初めてその向こう側へ、真琴というもう一人の受け手がいた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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