ep.80 中に入れなくても
右側玄関の内側へ増えた小さな余白は、その後も何か別の形へ変わることなく、ただそこに残っていた。優也が仕事帰りにACROSSへ寄ったときはバッグを一時的に置き、真琴が先に来ている日は二人分の靴が並び、雨の日には濡れた傘や上着をリビングへ持ち込む前の受け皿になる。棚もフックも増やしていないので、使わないときには何もない場所へ戻り、予備室と同じように「空いていること」が役目になりつつあった。
それ以上の変化を期待する気持ちは、優也の中でも以前ほど強くない。便利になったのだから、まずはそのまま使ってみる。次に本当に困ることが出たら、そのとき考える。そういう進み方へ少し慣れてきたころ、二人は山間のオートキャンプ場へ一泊することにした。
キャンプ場といっても、ACROSSで寝る二人にはテントも焚き火台も必要ない。大型車を受け入れられる区画と電源、水場、近くに温泉があれば十分で、今回は自転車も車庫へ置いていくことにした。場内と周辺だけなら徒歩で動けるし、一泊のために何でも積んでいく必要はない。
「ほんま荷物減ったな」
出発前、優也が予備室を覗き込むと、壁際には真琴の小さなバッグと二人分の上着くらいしかない。真琴は冷蔵庫へ飲み物を入れながら、「私の物はかなり置いてありますから。洗面用品も部屋着も充電器もありますし、優也さんも大体ここに揃えてるでしょう」と答えた。
「前やったら、念のためで何でも積んでた気するわ」
「今も念のためは多いですけど、少なくとも旅ごとに増やすのは減りましたね。使わなかったものを毎回見てるので」
「学習したんや」
「時間は掛かりましたけど」
「最近それ言うの好きやな」
真琴が笑い、優也も苦笑しながら運転席へ向かった。
◇
キャンプ場へ着いたのは昼を少し過ぎたころだった。山の斜面にはまだ紅葉が残っていたものの、季節はもう冬へ近づき始めていて、日陰へ入ると空気が冷たい。週末ということもあって場内には家族連れや夫婦の利用者が多く、テントの区画、小型キャンピングカーの区画、簡易キャビンがほどよく埋まっている。
ACROSSは周囲の車よりかなり大きかったが、端にある大型車用区画へ入れてしまえば邪魔にはならない。優也は車体を落ち着かせ、外部電源が使えることだけ確認したうえで車内へ戻った。
「今日は電源つなぐ?」
真琴に聞かれ、優也は少し考えてから頷く。
「使えるとこでは使っとこ。バッテリー余裕あるけど、わざわざ全部自前にする理由もないし」
「その考え方も前より柔らかくなりましたね」
「何でもACROSSだけで完結させんでええ、やろ?」
「はい。覚えてますね」
「俺を何やと思ってんねん」
二人は笑いながら昼食へ出た。
施設内の食堂で簡単に食べたあと、近くの遊歩道を一時間ほど歩き、夕方前には日帰り温泉へ向かった。特別な観光地を巡ったわけではないが、最近はそのくらいの旅がむしろ心地いい。温泉から戻り、玄関の余白へ上着を一度置いてから靴を脱ぐと、真琴が「ここ、もう普通に使ってますね」と言った。
「慣れたな。できた直後は毎回見てたけど、今もう荷物置くとこやもん」
「名前は?」
「付けへん」
「即答ですね」
「名前付けたら真琴がまたもっといい名前考え始めるやろ」
「それは予備室の話です」
他愛のない会話をしながら夕食の準備を始める。外はすっかり暗くなり、場内の照明と各区画のランタンが木々のあいだから見えていた。
◇
異変は、夕食を食べ終える少し前に起きた。
突然、窓の外が暗くなったのである。
ACROSSの車内照明は消えなかった。冷蔵庫も動き、空調にも変化はない。ただ、外に見えていた場内照明が一斉に落ち、向かいの管理棟の明かりも消えている。
「停電?」
真琴が窓へ目を向け、優也も立ち上がった。
「っぽいな。でもうちは切り替わったんか、何も変わらん」
外部電源からの供給が途切れても、ACROSSは車内側の電源へ切り替わっていた。非常用の特殊機能ではなく、自立運用を前提とした大型キャンパーとして備えている範囲のものなので、優也も過度に驚くことはない。
外を見ると、利用者たちはスマートフォンのライトやランタンを点け始めていた。管理棟ではすぐに非常灯が点灯し、スタッフが外へ出て各区画へ状況を説明している。真っ暗で何もできないような事態ではなく、キャンプ場という場所柄、ほとんどの利用者が何らかの照明を持っているため、大きな混乱もなかった。
「俺ら何かする必要なさそうやな」
「そうですね。スタッフの方が対応してますし、まずは待ちましょう」
二人は夕食を続けた。
しばらくすると場内放送の代わりにスタッフが区画を順番に回り、近隣一帯の停電らしいこと、復旧時刻はまだ分からないことを伝えていった。水道は使え、管理棟には非常用の照明があり、トイレも一部は利用できる。暖房が電気頼みの簡易キャビンについては、状況を見ながら個別に対応するらしい。
ACROSSの区画へ来たスタッフは、車内が普通に明るいのを見て少し驚いた。
「こちらは大丈夫ですか?」
「はい。車の電源に切り替わってるんで、今のところ問題ないです」
「良かったです。復旧まで少し掛かるかもしれませんので、何かあれば管理棟へお願いします」
それだけ確認し、スタッフは次の区画へ向かった。
優也は扉を閉めながら、「こういうときも、でかいバッテリー積んでて良かったな」と言ったが、真琴は「今日は私たちが困ってない、それだけですね」と返した。
「分かってる。まだ何も始めへんよ」
「ならいいです」
◇
それから三十分ほどは何も起こらなかった。
優也はコーヒーを淹れ、真琴は本を開いた。外ではところどころにランタンの光が見え、静かなキャンプ場がいつもよりさらに暗くなっている。停電しているとはいえ、電気がない前提で準備している利用者も多いので、騒ぎにはなっていなかった。
ただ、管理棟のほうだけは少し忙しそうだった。
優也が窓越しに見ていると、スタッフの一人が何度も出入りし、そのたびにスマートフォンを確認している。別のスタッフは携帯用の無線機らしいものを持っていたが、しばらくすると管理棟へ戻っていった。
「気になる?」
真琴が本から顔を上げる。
「ちょっとな。でも向こうから何も言われてへんし、勝手に行くほどちゃう」
「それでいいと思います」
数分後、そのスタッフのほうからACROSSへやってきた。
扉を開けると、先ほど状況を説明していた男性スタッフが少し申し訳なさそうに立っている。
「何度もすみません。ちょっとお願いがあるんですが、こちら、車内で電源は使えてるんですよね?」
「使えてますよ。どうしました?」
「管理用のスマートフォンが一台、充電がかなり少なくて。予備のモバイルバッテリーも別件で使ってまして、もし可能なら少しだけ充電させていただけないかと思って……もちろん無理なら大丈夫です」
「ああ、それくらいなら全然」
優也は反射的に「中どうぞ」と言いかけ、途中で止めた。スタッフ本人が休みたいわけではなく、必要なのはスマートフォンの充電だけである。
「端末だけ預かる感じでええです?」
「はい。そのほうが助かります。連絡用なので、ある程度戻ればすぐ取りに来ます」
「ほな大丈夫です」
優也は端末を受け取り、扉を閉めた。
真琴がそれを見て少し笑っている。
「今、中へどうぞって言いかけました?」
「バレた?」
「顔で分かりました」
「癖になってたわ。前二回、待ってもらう話やったから」
「今日は人が入る必要ないですからね。充電したいのはスマートフォンです」
「ほんまやな」
二人は玄関内側の余白へ小さな折り畳み台を置き、その上で端末を充電することにした。リビングのテーブルまで持ってくる必要もなく、扉を開ければすぐ渡せる。
「ここ、また違う使い方してるな」
「でも固定の充電場所にはしませんよ」
「言う前に止めるの早いって」
◇
スタッフの端末を充電し始めてから十五分ほどすると、別のスタッフが今度は小型の無線機を一台持ってきた。予備バッテリーへ交換して運用しているものの、念のため空いているうちに充電できるなら助かるという。
優也は一瞬迷った。
通信機器だからといって、勝手に操作するつもりはない。以前、西村から教わったように、機器があることと、自分がそれを適切に扱えることは別である。
「充電だけなら預かりますけど、操作はせえへんですよ。ケーブルとか、これで合ってます?」
スタッフが自分で確認し、付属の充電器ごと渡してくれたので、優也はそのまま受け取った。
「それでお願いします。助かります」
玄関の小さな台には、管理用スマートフォンと無線機が並んだ。
優也はそれを見ながら、少し前なら「通信設備あるで」と自分の車の機器を使いたくなっていたかもしれないと思った。しかし今回は、施設側の通信手段が生きており、必要なのはただ電池を戻すことだけだった。
「うちの通信設備出す必要、全然ないな」
「はい。普通の方法が使えるなら、それが先です」
「西村にも同じこと言われたわ」
「ちゃんと身についてますね」
「だから俺を何やと思ってるん」
真琴が笑い、優也も笑った。
さらに少し経つと、今度はキャンプ場の利用者が一人、スタッフと一緒にやってきた。スマートフォンの電池がほとんどなく、家族へ連絡したいらしい。ただ、充電希望者が増え始めると、優也はそのまま何台でも受け取ることには少し抵抗を感じた。
スタッフも同じことを考えたらしく、「もし何台かお願いすることになっても大丈夫でしょうか。ただ、こちらで順番は管理します」と先に言った。
「それなら大丈夫です。俺らが誰の何か管理するより、スタッフさん側で名前とか分かるようにしてもらったほうが安心なんで」
「そうですね。端末はこちらで番号を付けて、必要な方だけお持ちします」
真琴も横から「充電する物だけ預かる形なら、車内へ人が出入りしなくて済みますし、そのほうがいいと思います」と補足した。
その場で大げさな仕組みを作ったわけではない。スタッフが必要な端末を持ってきて、持ち主が分かるよう簡単に区別し、ある程度充電できたら回収する。ACROSS側では玄関内側の余白へ折り畳み台を出し、そこから先へは持ち込まない。
それだけだった。
◇
一時間ほど経つころには、玄関の小さな台に三台のスマートフォンと一台の無線機が並んでいた。どれも満充電にする必要はなく、連絡や施設運営に支障が出ない程度まで戻れば順番に返していく。スタッフもACROSSを臨時の充電所として大々的に案内するつもりはないようで、管理側の機器や、家族へ連絡する必要がある利用者など、本当に必要なものだけを持ってきていた。
「これなら、俺らが誰に貸す貸さん決めんでええな。施設の人が状況見て、必要な人だけ回してくれるし」
「はい。利用者のことを一番把握しているのはスタッフの方ですから、私たちは電源を少し貸しているだけでいいと思います。困っている人がいたとしても、私たちが全部の判断まで引き受ける必要はありません」
優也はその言葉に頷いた。前のロードサービス待ちでも、テントが濡れた家族を一時的に受け入れたときでも、間に施設や専門の人がいるだけで負担はかなり違った。ACROSSを持っているからといって、誰を優先するか、何が必要か、どこまで面倒を見るかまで二人だけで決め始めれば、すぐに無理が出る。今回は電気が余っていて、必要な機器が少しある。それなら、その部分だけを渡せばいい。
そのとき玄関の外から声がして、先ほどスマートフォンを預けた年配の男性がスタッフと一緒に戻ってきた。優也が端末を渡すと、男性は画面を確認してほっとしたように笑い、「家に連絡できました。本当に助かりました」と何度も頭を下げた。
「それは良かったです。うちは車の電源があるんで、ちょっと貸しただけですよ。施設も非常灯は動いてますし、俺らだけが何か特別なことしてるわけちゃうんで」
「いや、それでも電話一本できるだけで全然違います。家族も心配しますから」
男性はそう言ってスタッフと一緒に戻っていった。優也は扉を閉めながら、ふと玄関の段差へ目を向けた。さっきの男性は一度もACROSSへ上がっていない。スマートフォンだけを預かり、充電して返したので、ステップの高さも、内側へ入れるかどうかも関係なかった。
「今日みたいなんやったら、入れん人にも電気は渡せるな。スマホ預かって返すだけなら、玄関越えんでええし」
真琴も同じことを考えていたらしく、少し間を置いてから頷いた。
「そうですね。ただ、それと『中で休める』は分けて考えたほうがいいと思います。外へ渡せるものがあるからといって、車椅子の方が安全に入れない問題までなくなったわけではありません」
「そこは混ぜへんよ。入れん人にもできることがある、でも入れない問題はそのまま。両方覚えとけばええんやろ」
「はい。そのくらいが一番整理しやすいと思います」
優也は言葉にしてみて、少し頭の中がすっきりした。これまでは「助けるなら中へ入ってもらう」という発想に寄りがちだったが、電気や物、情報のように、外へ渡せるものもある。逆に、中へ入って休んでもらわなければ意味がない場面もある。その二つを一緒にせず、必要に応じて分ければいい。
◇
停電は、発生から二時間ほどで復旧した。場内照明が一斉に戻り、管理棟にも通常の明かりが点くと、遠くで子どもが「ついた」と声を上げるのが聞こえた。大きな歓声が上がるほどの混乱ではなかったが、暗さに慣れ始めていた場内へ一気に光が戻ると、それだけで空気が少し緩んだように感じる。
スタッフが最後の無線機を取りに来たとき、優也は充電器ごと返した。相手は何度も礼を言いながら、今回の停電を受けて予備電源の置き場所や管理方法を見直すつもりだと話した。キャンプ場という場所柄、利用者側はランタンやモバイルバッテリーを持っていることが多いが、管理側の端末が同時に減ると意外に余裕がないらしい。
「今後はこちらでも予備をもう少し使いやすい場所へ置くことになりそうです。今日は本当に助かりました」
「それが一番やと思います。うちが毎回来るわけちゃいますし、次からスタッフさん側で回せるなら、そのほうが確実です」
「そう言っていただけると助かります」
スタッフが帰ると、真琴は玄関の折り畳み台を見ながら少し楽しそうに笑った。
「今回は増やさなかったですね」
「何を?」
「専用の充電棚とか、外部受付カウンターとか。前の優也さんなら帰る前に候補くらい書いてそうです」
「俺そこまで早ないで……って言いたいけど、まあ前なら考えてたかもしれん」
二人で笑い、優也は折り畳み台を元の収納へ戻した。停電が起きてもACROSSの中では普段どおり過ごせたし、余っている電力の一部を外へ出すこともできた。それでも発電所になったわけでも、避難所になったわけでもない。必要だった二時間のあいだ、必要な機器へ少し電気を渡しただけで、それ以上の役割を今から作る必要はなかった。
玄関の余白も、充電機器が片付けばまた二人の靴しかない場所へ戻る。用途を固定していないから、そのとき必要なものを受け止められる。その使い方が、予備室とは違う形で少しずつ馴染み始めていた。
◇
夜が更け、場内が再び静かになってから、二人はリビングで温かい飲み物を飲んだ。外の電気はもう戻っているので、窓からはいつものキャンプ場の明かりが見える。優也はカップを持ちながら、数時間前までのことを思い返していた。
「前の俺やったら、停電って聞いた瞬間に通信設備どうやとか、電気どんだけ出せるとか、何人分いけるとか考えてた気するわ」
「今も少しは考えたでしょう?」
「考えた。でも、向こうから頼まれるまで何もせんかったし、頼まれたのもスマホ充電やったから、それだけした。やってみたら、そのほうが楽やった。全部こっちで抱えんでええし」
真琴はカップを置き、少し考えてから頷いた。
「できることが多いほど、全部やらなければいけない気がしてしまうんだと思います。でも今日は、施設側がちゃんと動いていました。非常灯もあって、スタッフの方が利用者を見て、必要な端末だけ持ってきた。私たちが補ったのは、本当に電源の一部だけです」
「もし管理棟も真っ暗で、スタッフさんらも連絡取れへんかったら、また違うやろな」
「はい。そのときは、その状況に合わせて考えればいいと思います。ただ、今日うまくいったからといって『停電したらACROSSが全部やる』という形にする必要はないでしょうね」
「せやな。毎回条件違うやろうし」
優也は玄関へ視線を向けた。今回、人は一人も中へ入れていない。前の旅行では故障した車の夫婦や、雨でテントを使えなくなった家族が短時間ACROSSで待ったが、今回は端末だけを受け取った。その違いは思ったより大きかった。
「今日ちょっと分かったわ。人を中へ入れることと、ACROSSの機能を外へ出すこと、別で考えられるんやな」
「そうですね。電力なら外へ渡せるし、物や情報も場合によっては外でやり取りできます。人を受け入れる必要がない場面まで、全部車内へ案内する必要はありません」
「そのほうがこっちの生活も守れるしな。寝室とか予備室まで毎回片付けんでええし」
「はい。相手にとっても、必要が充電だけなら中へ入るより簡単だと思います」
優也はその言葉を聞きながら、前回まで考えていた「境界」という感覚を思い出した。ここから先は自分たちの生活空間で、必要なら一部を開ける。けれど、外で済むことなら外で渡す。何でも閉じるでも、何でも開くでもなく、そのとき必要な範囲だけを使うほうが自然なのだろう。
◇
翌朝は、前夜の停電が嘘のように普通だった。管理棟も通常どおり営業し、電源設備にも問題はない。朝食を済ませたあと、優也は外部電源を外し、車体の周囲を確認してから帰る準備を始めた。
出発前、昨日のスタッフが一人声を掛けに来た。
「昨日はありがとうございました。管理のほうでも話して、予備バッテリーを停電時にすぐ取り出せる場所へ移すことになりました。充電済みかどうかも定期的に確認することにします」
「それが一番やと思います。昨日はたまたま俺らがおっただけやし、次に同じこと起きても施設だけで回せるほうが安心です」
「本当にそうですね。助かりました」
互いに軽く頭を下げて別れ、優也がACROSSへ戻ると、真琴が玄関の内側で靴を揃えていた。
「施設側も、昨日困ったことを次へ残すんですね」
「うちらと一緒やな。困ったから置き場所変える。でも必要以上には増やさん」
「そうですね。必要だったところだけ直す」
「なんかACROSSの育ち方と似てるな。まあ、向こうは普通の設備やけど」
真琴が笑い、優也も笑いながら運転席へ向かった。
◇
大阪へ戻り、片付けを終えたあと、優也はいつものノートを開いた。今回も空間変化そのものは起きていないので、記録は出来事と使い方が中心になる。
『山間キャンプ場一泊』
『施設・周辺――一時停電』
『ACROSS――車内電源へ移行、通常利用継続』
『施設非常灯――作動』
『スタッフ対応――継続』
『管理用スマートフォン――充電』
『管理用無線機――充電のみ。操作なし』
『利用者スマートフォン――施設側管理で少数充電』
『人員の車内受入――なし』
『右側玄関追加空間――機器一時置き場として使用』
『復旧――約二時間後』
『空間変化――なし』
そこまで書き、少し考えてから続けた。
『支援=人を中へ入れること、ではない』
『物・電力・情報を外へ渡せる場合がある』
『施設運営が機能しているなら、施設側を優先』
『ACROSSだけで完結させない』
書き終えてから、優也は前のページも少しめくった。救急の場面では、真琴が医師だからといって全部を抱えず救急隊へつないだ。通信では、普通の回線が使えるならまずそれを使う。町へ入れないなら自転車や公共交通へ乗り換え、故障した車を自分で直せないならロードサービスを待ち、そのあいだだけ暖かい場所を貸した。雨でテントを使えなくなった家族には、キャンプ場が用意するキャビンへ移るまでの短い時間だけ場所を貸し、今回は停電そのものを解決するのではなく、必要な端末へ少し電気を渡した。
並べてみると、最近の出来事はどれも似ていた。ACROSSができることを増やすほど、自分たちが全部やるのではなく、どこまでを引き受け、どこから先を外へ渡すのかを考える場面が増えている。できることを抱え込むより、必要な部分だけ出すほうが長く続けられるし、専門の人や施設が機能しているなら、そこを使ったほうが安全でもある。
優也はページの下へ、
『できることを外へ出す方法もある』
と書き足した。
その一文を見ているうちに、右側玄関のことが頭に浮かんだ。昨日はそこへスマートフォンと無線機を置き、今日は何もない。用途を固定していない小さな余白だからこそ、必要な時間だけ受け渡しの場所として使えた。
けれど、その便利さを考えていると、自然にもう一つの未解決へ戻る。
車椅子で中へ入れなかった人のことだった。
充電なら外へ渡せる。飲み物も、情報も、場合によっては毛布や物資のようなものも、外で受け渡しできるだろう。それでも寒い夜に中で休んでもらいたいとき、今の右側玄関を越えられない人はいる。外へ出せる機能が増えたからといって、その問題まで解決したことにはならない。
優也はさらに、
『外へ渡せるものがあっても、入れない問題は別』
と書いた。
そこまで残して、ようやくノートを閉じた。
便利な方法を一つ見つけるたび、それを万能な答えにしない。玄関の余白ができても、車椅子問題は残る。外へ電気を渡せても、休める場所が必要な人には別の対応が必要になる。施設側が動けるなら任せ、自分たちにしかできない部分があれば、そのとき初めて手を出す。
以前の優也なら、「できることが増えた」と聞けば、そのまま「もっとできること」を考えたかもしれない。しかし今は、できることを増やすだけでなく、やらなくていいことを見分けるほうが大事だと思えるようになっている。それはACROSSが広がることとは少し違うが、この車を長く使っていくうえでは同じくらい必要な変化だった。
照明を落とす前、優也は玄関の扉へ手を掛け、内側の余白を一度だけ振り返った。昨夜ここから数台の端末へ電気を貸したことなど、見た目には何も残っていない。二人の靴を置けば、またいつもの玄関になる。
必要なときに、必要なぶんだけ使う。
中へ入ってもらう必要がなければ、無理に入ってもらわない。中へ入る必要があるのに入れないなら、その問題は別に残しておく。全部を自分たちの中へ抱えず、外へ渡せるものは渡し、専門の人へ任せるものは任せる。
ACROSSが少しずつ広がっているのは、部屋の数だけではないのかもしれない。旅を重ねるたび、優也自身も、何を抱え、何を手放し、何をまだ解けないまま残しておくのかを覚えている。
扉を閉めると、玄関の余白はまた何もない場所へ戻った。
次にそこへ何が置かれるのかは、まだ決めなくてよかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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