ep.73 置いて帰るもの
両親との二回目の一泊を終えてから数日後、優也は仕事帰りにACROSSへ寄り、まだ車内に残していた細かな物を片付けていた。四人分の寝具やタオルはすでに洗い終えていたが、冷蔵庫には使い切らなかった調味料が少し残り、予備室の棚には母親が置き忘れた小さな菓子袋が一つ転がっている。次に実家へ行くとき持っていけばいいかと思いながら、それをキッチンの端へ移し、今度は洗面まわりを確認したところで、見覚えのある小さなポーチが目に入った。
真琴が旅行のたびに持ってくるものだった。
中身を勝手に見る気はないのでそのまま持ち上げ、忘れ物かと思ってスマートフォンを取り出したものの、すぐに手を止める。前回の旅では、確か真琴が「毎回同じものを持ってくるのが少し面倒ですね」と笑っていた。そのあと、使わない物は置いて帰ってもいいかもしれないという話も、ほんの一言だけ出ていた気がする。
優也はポーチを元の場所へ戻し、洗面台の下にある収納を開けた。自分の歯ブラシや髭剃り、洗面用品が入っている横には、まだかなり余裕がある。キッチンや主寝室ほどではないが、二人で使う前提なら困るほど狭い場所ではない。
「これ、忘れたんか置いてったんか、どっちや」
一人で呟いてから、結局その場で真琴へメッセージを送った。
『洗面のとこにポーチ残ってるけど、忘れ物?』
数分後に返ってきた答えは簡単だった。
『置いて帰りました。だめでした?』
優也は画面を見たまま少し笑い、
『いや、全然ええ』
『忘れたと思っただけ』
と返した。すると、すぐにもう一通届く。
『毎回持っていくものなので、あそこに置いておいたほうが楽かなと思って』
『邪魔なら持って帰ります』
『邪魔ちゃうよ』
『むしろ他にも毎回持ってくるやつあるなら置いとけば?』
送信してから、優也は自分の文章を読み返した。別におかしなことは書いていない。ACROSSで一緒に旅へ行く機会が増え、同じ物を毎回運ぶくらいなら、収納へ置いておくほうが合理的である。それでも「他にも置いとけば」という一言には、単なる荷物の話とは少し違う響きがある気がして、返事が来るまで妙に落ち着かなかった。
『じゃあ、次に少し持っていきます』
『置きすぎないようにしますね』
優也はほっとしたような、少し残念なような気分になりながら、
『置ける分は置いてええで』
『ACROSS広いし』
と返した。
『その言い方すると、また増えますよ』
『それは困る』
『どっちなんですか』
最後のやり取りに一人で笑い、優也はスマートフォンをポケットへ戻した。
その日は、それだけだった。
◇
次の休みは、二人とも偶然三日続けて予定が空いていた。最初から三泊するほど遠くへ行くつもりはなく、優也が考えたのは一泊だけして、二日目の夕方には大阪へ戻る普通の旅だった。三日目は家で休めばいいと思っていたし、真琴も特に異論はなかった。
出発の朝、真琴はいつもより明らかに小さなバッグで車庫へ来た。
「それだけ?」
優也が思わず聞くと、真琴はバッグを持ち上げながら、「着替えと必要なものだけです。洗面用品も充電ケーブルも、前回少し置いて帰りましたから」と答えた。
「ほんまに置いたんや」
「置いていいって言ったの、優也さんですよ」
「言うたけど、急に荷物減ると何か変な感じするな」
「私も少し変です。旅行の準備をしたのに、忘れ物してるみたいで」
二人で笑いながら車内へ入り、真琴はバッグを予備室へ置いた。洗面台の下には前回残したポーチがあり、キッチン脇の小さな収納には自分用の充電ケーブルと、いつも飲んでいるティーバッグが少し入っている。さらに今回は、薄手の部屋着を一組と予備の靴下、読みかけではない文庫本を一冊だけ持ってきて、後部の空いている引き出しへ入れた。
「本まで置くん?」
「毎回持って帰っても、結局次の旅で別の本を持ってきてしまうので、ここで読む用を一冊置いておこうかと」
「なるほど。ACROSS専用の本やな」
「そういう言い方をすると、大げさですけど」
「専用って言うたほうが秘密基地感あるやん」
「また基地ですか」
真琴が笑いながら引き出しを閉じた。ほんの数点増えただけで、車内の見た目はほとんど変わらない。それでも、今まで優也の物しか入っていなかった場所に、真琴の物がそのまま残るようになったことは、少しだけ大きな変化に感じられた。
今回の目的地は、山と川の間にある小さな町だった。大型車対応の区画がある温浴施設を一泊で予約してあり、周囲には古い商店街と川沿いの遊歩道がある。ACROSSを停めたあとに歩いて回れる範囲が多いため、自転車は積んでいくものの、使うかどうかは決めていなかった。
午前中に大阪を出て、昼を過ぎたころには町へ着いた。道路は広く、駐車区画にも余裕があり、優也はいつもどおり時間を掛けてACROSSを収める。車体を落ち着かせたあと、二人は歩いて町へ出た。
古い商店街には観光向けに作り直された店と昔から続いている店が混ざっていて、派手さはないものの、ゆっくり歩くにはちょうどいい。昼食を済ませ、地元の菓子を買い、川沿いまで足を延ばしてから温泉へ入る。夕方にACROSSへ戻るころには、二人とも観光をやり切ったというより、普通の休日を少し遠くで過ごしたような気分になっていた。
◇
夕食は商店街で買った惣菜と、冷蔵庫に残していた野菜を使って簡単に済ませることにした。真琴が湯を沸かし、優也が皿を並べる。以前なら旅行のたびに「せっかく来たから」と何か特別なものを作ろうとしていたが、最近は外で食べたいものがあれば食べ、疲れていれば買ってきたものを温めるだけでもいいと思えるようになっていた。
「今日、ほとんど何もしてへんな」
食後、優也がソファへ座って言うと、真琴は向かいで温かい飲み物を作りながら、「温泉に入って、商店街を歩いて、ご飯も食べたでしょう」と返した。
「いや、そうやけど。旅行って感じより、休みの日って感じする」
「私は最近、そのくらいのほうが好きです。予定を詰めて疲れて帰るより、ここへ戻ってきて普通に過ごせるほうが」
「分かる。前やったら『あと一個どっか寄ろか』って考えてたけど、今もう風呂入ったし、明日の朝まで動かんでええかなって思ってる」
優也が笑うと、真琴も同じように笑った。
夜は大きなモニターで映画を流したが、前回のように最後まで真剣に見るでもなく、途中で話をしたり、真琴が文庫本を開いたりして過ごした。優也はソファの端へ座り、スマートフォンで次の旅先を何となく眺めていたが、ふと翌日の天気予報を見ると、朝から夕方までよく晴れるらしい。
「明日、めっちゃ天気ええみたいやで」
「帰る日なのに、ですか」
「そうなんよ。今日より良さそう」
真琴は本から顔を上げ、少し考えた。
「明後日も休みですよね?」
「休み。俺は何もない。真琴も?」
「私も特にないです。家に帰って洗濯するくらいですけど、ここにもありますし」
その言葉で、二人とも同じことを考えたらしい。
優也は地図を開き、現在地から大阪へ戻る方向とは少し外れた場所にある湖畔の滞在施設を見つけた。大型車用の区画が空いているかは分からない。予約できなければ普通に帰ればいいだけなので、二人で空き状況を確認すると、翌日一泊分なら利用できる区画が残っていた。
「……行く?」
優也が聞くと、真琴はすぐには返事をせず、一度車内を見回した。予備室には二人分の荷物があり、冷蔵庫には朝食と飲み物が残っている。着替えも足りるし、必要なら洗濯もできる。今いる場所から次の滞在地までは無理のない距離で、帰宅が一日延びても仕事には影響しない。
「行ってもいいと思います。むしろ、こういうときのために三日目を空けてたみたいですね」
「最初から狙ってたわけちゃうけどな」
「だからいいんじゃないですか。行きたくなったから、もう一泊する」
優也はその言い方が気に入り、その場で次の区画を押さえた。
ホテルなら、一泊分の荷物しか持っていないとか、次の宿を探すとか、チェックアウト後に荷物をどうするかとか、いろいろ考えたかもしれない。ACROSSなら、自分たちがそのまま移動すればいい。部屋も荷物も冷蔵庫も、寝具も全部ついてくる。
「家ごと次行くって、やっぱ変やな」
優也が笑うと、真琴は「今さらです」と言いながらも、少し楽しそうだった。
◇
翌朝は急いで出発せず、いつもどおりコーヒーと簡単な朝食を済ませてから車体を整えた。真琴が洗面へ行ったあと、しばらくしてリビングへ戻ってくると、「置いてて良かったです」と言いながら手に充電ケーブルを持っていた。
「何が?」
「昨日、スマートフォンのケーブルをバッグに入れたつもりで忘れてました。でもここに一本置いてたので」
「早速役立ってるやん」
「ですね。前ならコンビニで買うか、優也さんのを借りるところでした」
「俺のでもええけど、端子違うしな」
「だから、置いてて正解でした」
ほんの小さなことだったが、優也にはそれが妙に嬉しかった。設備を増やしたわけでも、何か特別な問題が解決したわけでもない。ただ、真琴の物がここにあることで、真琴自身が少し楽になった。それだけだった。
出発後は大きな道を使い、昼前には次の湖畔へ着いた。前日とは景色がまるで違い、水辺の向こうに低い山が連なり、区画の周囲には風が抜けている。優也はACROSSを停めると、運転席を回転させたまましばらく外を眺めた。
「昨日の夜まで、今日ここおる予定なかったんやもんな」
「そう考えると、少し得した感じします」
「休み一日増えたわけちゃうのに?」
「予定を決め切らなかった分、増えた感じです」
真琴の言葉に、優也は何となく納得した。
昼は近くの店で軽く食べ、午後は湖沿いの遊歩道を歩いた。自転車を出すほどの距離ではなく、二人で話しながら歩けば一時間ほどで戻れる。途中のベンチへ座って休んでいると、真琴がバッグから小さなタオルを取り出した。
「それも置いてたやつ?」
「これは今日持ってきました。何でも置いてるわけじゃないですよ」
「確認しただけやって」
「優也さん、私がそのうちACROSSの収納を全部使うと思ってません?」
「ちょっとだけ」
「そんなに持ち込みません」
「でも服一式、本、ケーブル、洗面ポーチ、紅茶……増えてきてるで」
指を折りながら数える優也を見て、真琴は呆れたように笑った。
「そのくらいなら許容範囲じゃないですか。優也さんの物のほうが何倍もありますし」
「そら俺の車やからな」
言ってから、優也は少しだけ引っ掛かった。
俺の車。
間違ってはいない。所有者も契約も支払いも優也で、ACROSSを買ったのは自分だ。それでも最近、「俺の車」という言い方が以前ほどしっくりこなくなっていることに気づく。
真琴はその変化を知らないまま、「じゃあ、やっぱり置きすぎないようにします」と軽く返した。
「いや、それはええねん」
「どっちですか?」
「俺の車やけど、真琴もずっと使ってるやろ。毎回一緒に来て、寝て、飯食ってるし。必要なもんくらい置いとけばええ」
「……ずっと、ですか」
真琴がそこだけ拾ったので、優也は一瞬詰まった。
「いや、ずっとって、最近ずっと一緒に使ってるって意味な。未来永劫とか、そういう重い意味ちゃうで」
「分かってます。そこまで慌てて説明しなくても」
真琴は笑っていたが、頬がほんの少しだけ緩んで見えた。優也はそれ以上何も言わず、水面へ目を向ける。今の距離をわざわざ言葉で決めなくても、一緒にいる時間が増えている事実は変わらない。
◇
二泊目の夕方、二人は近くの小さな店で食材を買い、ACROSSへ戻った。昨日の惣菜中心の夕食とは違い、今日は真琴が少し料理をしたいと言ったので、優也は邪魔にならない範囲で野菜を洗い、皿や調味料を準備する。
冷蔵庫を開けると、前日の残りと今日買った物が並んでいる。その横には真琴が好きな飲み物もあり、洗面には真琴のポーチ、引き出しには部屋着と本が入っている。どれも小さなものばかりで、車内の広さからすれば誤差のような量なのに、優也には空間の印象が少し変わったように感じられた。
「何見てるんです?」
「いや、物増えたなと思って」
「またその話ですか?」
「ちゃうねん。量の話じゃなくて……何て言うんやろ」
優也はうまく言葉が出ず、冷蔵庫を閉めた。
「前はここにあるもん、全部俺が選んだ物やったやろ。食器もコーヒーも服も、工具も。今は真琴の物も普通に混ざってる。それが何か、不思議やなって」
真琴はすぐには返さず、鍋へ入れる材料を切りながら少し考えた。
「嫌ですか?」
「何でそうなるん。嫌やったら置いてええなんて言わんよ」
「じゃあ、良い意味で不思議なんですね」
「たぶん。俺一人で使うつもりで考えてた車やのに、今は真琴の紅茶が切れたら買っとかなって思うし」
「勝手に買うんですか?」
「嫌なん?」
「嫌じゃないですけど、それはもう私の家みたいですね」
冗談めいた言い方だったが、優也はすぐに笑えなかった。
真琴自身も言葉の響きに気づいたらしく、包丁を動かす手が少しだけゆっくりになる。
「……みたい、ってだけですよ」
「分かってる。でも、俺も最近そんな感じするわ」
優也がそう返すと、真琴は顔を上げた。
「この前も言ったやろ。真琴と戻ってくる場所になってきたって。だから物置いてあっても、別に変じゃない。むしろ毎回全部持って帰るほうが、今となっては変な気する」
真琴はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「じゃあ、もう少し置いてもいいですか?」
「増やす気満々やん」
「優也さんがいいって言ったんでしょう」
「言うたけど、収納一個丸ごと占領とかはなしな」
「しません」
二人とも笑い、会話はそこで終わった。告白でも約束でもない。ただ、自分の物を残して帰ってもいい場所だと、真琴が少しずつ思い始めている。それを優也が自然に受け入れている。そのことだけで、今夜は十分だった。
夕食後は映画を流したが、途中から二人ともあまり画面を見ていなかった。真琴はソファの隅で本を読み、優也は向かい側で次のルートを眺める。時々どちらかが思いついたことを話し、またそれぞれのことへ戻る。会話が途切れても気まずくならず、同じ場所で別々のことをしていられる時間が、いつの間にか増えていた。
◇
三日目の朝、帰る準備を始めると、真琴は自分のバッグへ荷物を戻しながら、引き出しの前で少し迷っていた。部屋着を一度手に取り、畳み直したあと、バッグへ入れずに元の場所へ戻す。文庫本も同じように残し、洗面のポーチと充電ケーブルもそのままにした。
優也はキッチンでコーヒーの器具を片付けながら、その様子を横目で見ていた。
「持って帰らんの?」
「次も使うと思うので。いいんですよね?」
「ええよ。昨日言うたやん」
「じゃあ置いておきます」
真琴は引き出しを閉じ、その上へ手を置いたまま少しだけ笑った。たったそれだけの動作なのに、優也には何かを決めたように見えた。
帰り道は混雑を避けてゆっくり走った。予定外でもう一泊したぶん、疲れているかと思ったが、むしろ二人とも余裕がある。途中の休憩場所で昼食を取り、優也は「三日目家で寝るつもりやったのに、結局今日まで旅行してもうたな」と言った。
「後悔してます?」
「全然。帰ってから洗濯せなあかんと思ったけど、昨日ちょっと回したしな」
「私も着替えが少なくて済みました。置いてあるものがあると、二泊でも荷物が増えないですね」
「この調子やと、最終的に手ぶらで来るんちゃう?」
「さすがにそれはないです。財布とスマートフォンは持ってきます」
「そこだけ?」
「冗談です」
真琴が笑い、優也も笑った。
車庫へ戻ったのは夕方だった。いつものように荷物を降ろし、冷蔵庫の中を整理し、ゴミをまとめる。二泊したわりに真琴の持ち帰る荷物は少なく、最初に来たときとほとんど変わらない大きさのバッグ一つだけだった。
玄関で靴を履いたあと、真琴が一度車内を振り返った。
「何か忘れてる気がします」
「置いてるからやろ」
「分かってるんですけど、やっぱり変な感じしますね」
「そのうち慣れるって。俺なんかもう、真琴の紅茶どこ入ってるか覚えたし」
「それ、私より使わないでくださいね」
「飲まへんわ。俺コーヒー派やし」
真琴は笑いながら外へ出た。
優也は車庫の出口まで見送り、真琴が帰ったあとに一人でACROSSへ戻った。いつもなら旅のあとには、忘れ物がないかを一度確認する。今回は同じようにリビング、予備室、洗面、後部の寝室と順番に見ていったが、途中で自分でも何を確認しているのか分からなくなった。
洗面には真琴のポーチがある。
引き出しには部屋着と本がある。
キッチン脇にはティーバッグがあり、充電ケーブルも一本残っている。
どれも忘れ物ではない。
それを確認したところで、優也は一人で少し笑った。
◇
これまでACROSSに何か新しいものが増えるとき、優也はたいていノートへ書いてきた。通路が広がったことも、予備室ができたことも、自転車を積んだことも、通信や応急用品の使い方も、あとで分からなくならないように記録している。
けれどその夜は、ノートを開かなかった。
真琴の歯ブラシが一本増えたとか、部屋着を一組置いたとか、そういうことを設備記録へ書くのは何か違う気がしたからだ。必要ならいつでも持って帰れるし、置く物が変わることもある。今後もっと増えるかもしれないし、逆に減るかもしれない。そこまで管理項目にするものではない。
優也はリビングのソファへ座り、静かな車内を見回した。
前回、両親が帰ったあとには、四人で使った跡がしばらく残っているように感じた。今日は二人で戻ってきただけなのに、真琴が帰ったあとも、いつもより人の気配が残っている。
それは物があるからだけではなかった。
次に来たとき、真琴は洗面ポーチを探さなくていい。充電器を持ってきたか心配する必要もなく、夜になれば引き出しから自分の部屋着を出せる。本を読みたくなれば、ここに置いてある一冊を開けばいい。優也も、真琴が来る前に紅茶が少なくなっていれば買っておこうと思うだろうし、洗面用品が切れそうなら声を掛けるかもしれない。
その一つ一つは、ごく普通の生活の行動だった。
旅行のたびに必要な物を全部持ってきて、終われば全部持って帰るなら、ACROSSはまだ宿に近い。けれど自分の物を少し残し、次に来ることを前提に帰るようになれば、意味は変わる。
優也はテーブルの上へ置いたスマートフォンを手に取り、真琴とのメッセージ画面を開いた。何か送ろうとして、結局やめる。今日のことをわざわざ言葉にすると、急に大げさになりそうだった。
付き合っているわけではない。
将来を約束したわけでもない。
それでも、次に来ることを二人とも疑っていない。
真琴の物がACROSSに残っているのは、その小さな証拠みたいなものだった。
優也は立ち上がると、キッチン脇の収納を開けた。真琴が置いているティーバッグは、思っていたより残りが少ない。自分は飲まないので今まで意識したことがなかったが、次の旅を考えるなら補充しておいてもいい。
「……いや、勝手に買ったら銘柄違うとか言われるか」
一人で呟いてから、棚の中をスマートフォンで撮った。
『これ、次同じの買っといたらええ?』
送信すると、数分で返事が来る。
『飲むんですか?』
『飲まん』
『減ってるから』
しばらく間が空き、
『じゃあ、お願いしてもいいですか』
『次、お金払います』
『それくらいええって』
『じゃあコーヒー買います』
『交換条件なん?』
『一方的にもらうの落ち着かないので』
優也は笑いながら、
『ほな次一緒に買お』
と返した。
『はい』
短い返事だった。
それ以上の言葉は続かなかったが、優也には十分だった。
次に一緒に買う。
次にまたここへ来る。
その前提が、ごく自然に会話の中へ入っている。
優也は収納を閉じ、玄関へ向かった。右側の扉には、前回見つけた未解決の問題がまだ残っている。後部ガレージも変わらず、自転車二台を積むための場所のままだ。ACROSSそのものに、新しい部屋も機能も増えていない。
それでも、この二泊で変わったことはあった。
家というものは、広さや設備だけで決まるわけではない。そこへ戻ってくる人がいて、その人の物が少しずつ残り、次に使うことを当たり前に考えるようになって、初めて生活の匂いが生まれる。
優也が最初に欲しかったのは、一人でもどこへでも行ける大きなキャンピングカーだった。
今、車庫に停まっているACROSSは、まだ所有者としては優也一人の車である。
けれど中には、優也が選んでいない物が少しずつ増えている。
それを邪魔だとは、もう少しも思わなかった。
照明を落とし、最後に車内を振り返る。引き出しの向こうに何が入っているかは見えない。それでもそこに真琴の部屋着と本があることを知っているだけで、ACROSSの静けさは以前とは少し違って感じられた。
置いて帰るということは、次に戻ってくる場所だと思っているということなのかもしれない。
優也はそんなことを考えながら扉を閉めたが、その言葉までノートへ書くつもりはなかった。
記録しなくても忘れないことが、少しずつ増えていた。
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