↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
70/267

ep.70 帰る場所を置いていく


 電動アシスト自転車を二台積むようになってから、優也の地図の見方は少し変わった。以前なら、大型車で入りやすい駐車場があるか、道幅は十分か、途中に切り返しの難しい場所がないかを先に調べ、その条件から外れる場所は候補から外していた。今もACROSSで無理をしないこと自体は変わらないが、目的地のすぐそばまで車で行く必要はないと分かってからは、少し離れた場所へ安全に置けるなら、その先は別の方法で行けばいいと考えられるようになっていた。


 次の休み、優也が選んだのは、海沿いの古い町並みと小さな港が残る地域だった。前にも地図を眺めたことはあったものの、中心部には細い道が多く、ACROSSで入り込むような場所ではないと諦めていたところである。ただ、郊外には大型車でも利用できる滞在型の駐車区画があり、そこを二泊で押さえれば、あとは自転車や公共交通で動ける。今回は最初から「車を置いて旅をする」つもりで計画を立てた。


「前までは、目的地までACROSSで行けるかどうかから調べてたけど、今回は駐車する場所だけ決めたら、その先はほとんど何も決めんでええんよな」


 車庫で荷物を積みながら優也が言うと、真琴は左後部のガレージハッチ前でヘルメットを二つ確認し、少し笑った。


「何も決めないというより、決めるものが変わったんだと思います。ACROSSをどこへ置くか、自転車でどこまで行くか、疲れたらどう戻るか。そのくらい分かっていれば、あとは現地で選べますから」


「それやな。前は全部ACROSS基準やったけど、今はACROSSを基地にして、その周りで遊ぶ感じや」


 優也がそう言うと、真琴は「基地って言い方、優也さん好きですね」と笑った。優也も否定する気はなく、寝床も風呂も着替えも冷蔵庫も全部ここへ置いたまま出掛けられるのだから、実際に基地みたいなものだと返した。


 車体左後部へ回り、主寝室床下のガレージハッチを開いて二人で中を確認する。折り畳んだ電動アシスト自転車は左右に分けて固定してあり、その脇にはヘルメットと簡単な雨具、充電器、小さなバッグが収まっている。前回より積み方も自然になり、必要な物を出す順番も分かってきた。優也は固定具を一つずつ確かめてからハッチを閉じ、車体を軽く見上げた。


 大きいままでいい。足だけ小さくすればいい。


 前回ノートへ書いた言葉が、少しずつ本当の使い方になっている気がした。


          ◇


 出発した日は天気も穏やかで、海沿いへ近づくにつれて空が明るく開けていった。優也は幹線道路を外れすぎないように進み、途中で道の駅に寄って昼食を取り、夕方前には予約していた滞在区画へACROSSを収めた。


 周囲には普通のキャンピングカーや乗用車も何台か停まっていたが、ACROSSはその中でも明らかに大きい。それでも区画自体に余裕があり、出入りの導線も確認できたので、優也は焦らず車体を落ち着かせた。水平を確認し、運転席を回転させると、いつものように車内が「移動する場所」から「過ごす場所」へ切り替わる。


 真琴は冷蔵庫へ買ってきた飲み物を入れながら、窓の外を見た。


「今日はもう動かさないんですよね?」


「うん。明日もたぶん動かさん。最終日の帰るときまで、ここに置いとくつもり」


「二泊して、一度もACROSSで観光地まで行かない旅って初めてですね」


「せやな。前の二泊は一日動かんかったけど、今回は最初からここが家や。明日は朝から自転車で出て、帰ってくる」


「帰ってくる、ですか」


 真琴が少しだけ言葉を拾ったので、優也は一瞬考えたあと、「いや、ここで寝るんやから帰ってくるで合ってるやろ」と笑った。


「確かにそうですね。ホテルに戻る、とはちょっと違いますけど」


「ホテルより荷物置きっぱなしにできるし、冷蔵庫の中身も昨日と一緒やし、コーヒーも自分のやつやしな。だいぶ家寄りやと思う」


 夕食は途中で買った魚と野菜を使い、二人で簡単に作った。通路が広がってからは、以前のようにどちらかが完全に動きを止めなくても作業できるようになっていたが、それでも二人同時に同じ場所へ立てば邪魔になることはある。真琴が包丁を使っている間、優也はテーブル側で食器を出し、火を使い始めたら洗い物を引き受ける。以前なら「手伝っているつもり」で近くに立ち、かえって動線を塞いでいた優也も、今では自分がどこへいれば邪魔にならないかを少し考えるようになっていた。


「こういうのも慣れたなあ。前は二人で料理するだけで渋滞してたのに」


 優也が感心したように言うと、真琴は、通路が広がったことだけでなく、優也が無駄に後ろをうろうろしなくなったのも大きいと指摘した。「無駄って言うな。何か手伝おうとしてただけや」と抗議する優也に、包丁を使っている後ろを三回往復したら手伝いではなく交通量だと返し、最後には「警備員に交通量言う?」という優也のぼやきに二人で笑った。特別なことは何も起きていない。それでも、旅先でいつもの食事を作り、片付けをして、明日の天気を確認しながらソファへ座る時間は、少し前より落ち着いて感じられた。


          ◇


 翌朝、二人は急がず朝食を済ませた。ACROSSを動かす必要がないので、出発前の確認も簡単だった。財布とスマートフォン、飲み物、小さなタオル、必要なら羽織れる薄手の上着をそれぞれ持ち、左後部へ回る。


 優也が左後部のガレージハッチを開き、固定を外して一台ずつ電動アシスト自転車を取り出す。二台を広げ、バッテリー残量とタイヤの状態を確認し、ヘルメットを被るまでに、それほど時間は掛からなかった。前回は一つ一つ確認しながらやっていたので少し手間取ったが、二度目になると順番も分かっている。


「ほんまに家から自転車出してるみたいやな」


 優也がそう言うと、真琴は「家の横から、ですね。普通の家よりだいぶ大きいですけど」と笑う。優也が一応は車だからと返せば、「最近、その一応が怪しくなってます」と言われ、二人は笑いながら駐車区画を出た。


 町の中心までは、自転車なら苦にならない距離だった。歩けば少し遠く感じる道も、電動アシストがあると景色を見ながら進める。途中には緩い坂もあったが、優也が息を上げるほどではなく、真琴と並びすぎない距離を保ちながら進んだ。


 中心部へ近づくにつれて道は細くなり、古い家並みの間に小さな商店や喫茶店が見え始める。もしACROSSで来ていたら、道幅を見た時点で引き返すしかなかっただろう。普通の乗用車でも対向車が来れば少し気を使う場所を、自転車なら端へ寄ってゆっくり抜けられる。


「これ、やっぱ正解やったな。ACROSSで来ようとしたら絶対嫌になる道や」


「そもそも来ようと思わないでください。駐車できる場所もほとんどないですし」


「もうせえへんって。前回学んだからな。今日は大きい家、向こうに置いてきてる」


 優也が後ろを振り返るような仕草をしたが、もちろんACROSSは見えない。少し離れた場所に置いてあるだけなのに、その存在を背中側へ感じるのが妙だった。


 午前中は古い商店街を歩くような速度で自転車を押したり乗ったりしながら過ごし、小さな神社へ寄ってから港のほうへ出た。昼は漁港近くの食堂へ入り、店先に二台を停めて地元の魚料理を食べた。ACROSSの駐車場所を探す必要もなく、食後に「次どこへ行く?」と相談しながらその場で地図を開ける。


 真琴が画面を見ながら、少し内陸側を指した。


「ここ、古い展望台があるみたいです。距離はそんなにないですけど、最後が坂ですね」


「電動の出番やん。行ってみよか。ただ、しんどかったら途中でやめるで」


 前回の『行けることと、行くことは別』ですね、と真琴が言うので、優也は「ちゃんと覚えてるやろ」と少し得意そうに返した。真琴から、自分で気に入った言葉はよく覚えているだけだと言われても、否定はしなかった。


 少しだけ遠回りし、途中から坂道へ入る。電動アシストがあっても傾斜そのものが消えるわけではなく、優也は途中で一度止まり、海側を振り返った。


「これ以上急になったら押そか。帰りもあるし」


「そうしましょう。景色を見る前に疲れ切ったら意味ないですし」


 無理をせず、最後の短い区間だけ自転車を押して上る。展望台は観光名所というほど大きな場所ではなかったが、海と町が一緒に見下ろせた。遠くには自分たちがACROSSを置いたあたりの方向も見える。


「たぶん、あのへんやな」


「見えませんね」


「見えたら逆に怖いわ。どんだけデカいねんってなる」


 ベンチへ座り、持ってきた飲み物を飲みながらしばらく休む。観光地を次々回る旅ではない。ここまで来られたから来ただけで、少し座って満足したら戻ればいい。その気楽さが、優也には以前より合っていた。


          ◇


 午後になって空の色が少し変わった。


 朝の予報では夕方までは大きく崩れないはずだったが、海側から雲が流れ込み、風も少し強くなっている。真琴がスマートフォンで雨雲を確認すると、しばらくすれば弱い雨が掛かる可能性が出ていた。


「どうします? 今から普通に戻れば、降る前に着ける可能性はありますけど」


 真琴がそう言ったとき、優也はすぐには答えず、現在地とACROSSまでの距離を見た。急げば間に合うかもしれない。ただ、帰り道は下りが多く、雨が降り始めてから焦って走るほうが嫌だった。


「間に合うかもしれん、で急ぐのはやめよ。自転車で濡れるだけならまだしも、路面濡れた下りで急ぐのは嫌や」


「私もそのほうがいいと思います。近くに駅がありますね。そこから電車とバスを乗り継げば、ACROSSの近くまで戻れそうです」


「ほな駅まで行こか。自転車は……」


 言いかけたところで、優也は自分の自転車へ視線を落とした。駐輪場へ置いて翌朝取りに来る方法もあるが、二台とも今ここへ残しておく必要はない。真琴も同じことへ気づいたらしく、少しだけ声を落とす。


「《収納》に入れます?」


「それが一番楽やな。ただ、駅前で消すわけにはいかんから、人目のないところでやろ」


「そうしてください。便利だからって、見られていい能力ではないですから」


 優也は頷いた。普段は真琴一人でも使えるように後部ガレージへ積んでいるが、今日は二人とも一緒に行動している。一時的に持ち運ぶだけなら、《収納》を使わない理由もなかった。


 二人は駅へ向かって坂を下り、混み合う場所へ入る少し手前で、海沿いの遊歩道にある屋根付きの休憩場所へ寄った。細かな雨が落ち始めていたものの周囲に人影はなく、優也は道路側と遊歩道の両方を一度確認してから自転車を畳む。


「まず俺のからな」


 フレームへ手を触れて《収納》を意識すると、一台目が音もなく姿を消した。続けて真琴の自転車も同じように収納する。二台分の重さを抱えた感覚はなく、そこに入っていることだけがいつものように分かった。


 真琴は残ったヘルメットを持ち上げ、少し笑う。


「これは?」


「それも入れとこ。わざわざ持って歩く理由ないしな」


 優也が二つのヘルメットにも触れると、それらも続けて消えた。さっきまで自転車で走っていたのに、二人の手元にはスマートフォンや財布を入れた小さな荷物しか残っていない。


「こうなると、本当に途中から電車で来た人みたいですね」


「それでええやろ。帰る手段変えただけや」


 雨が少し強くなる前に二人は歩いて駅へ向かった。自転車をどこかへ預けたわけでも、翌朝取りに戻る必要もない。優也は、普段はガレージへ積み、必要な時だけ能力へ預けるという使い分けが思っていた以上に自然だと感じていた。


 駅のホームへ上がるころには雨脚が少し強くなり、二人は濡れた肩をタオルで拭きながら電車を待った。優也は線路の向こうを見ながら、妙に面白そうに笑っている。


「何です?」


「いや、ACROSSで旅に来て、ACROSS置いたまま電車で帰ってるんやなと思って。なんか変な感じするけど、これも旅やな」


「全部を一台で完結させなくていいって、昨日言ってたじゃないですか」


「言ってたけど、実際やるともっと分かるな。ACROSSがあるから、別の交通手段使っても戻る場所が決まってる。ホテル探さんでええし、荷物も持ち歩かんでええ」


「だから動きやすいんでしょうね。必要な物は最初から戻る場所に置いてあるから」


 電車が来ると、二人は並んで座った。窓の外を濡れた町並みが流れていく。自分たちの車で走っているわけではないので、優也は運転に集中する必要もなく、真琴と同じように景色を眺められた。


 途中でバスへ乗り換え、最寄りの停留所からは少し歩いた。雨は弱くなっていたものの、傘を差しながら戻る道では、二人とも自然と歩幅が遅くなる。


 やがて遠くにACROSSの大きな車体が見えた。


「あった」


 優也が思わず声にすると、真琴も同じ方向を見て、「ありますね。当たり前ですけど」と笑った。今日一日ほとんど乗っていないのに、車体が見えた瞬間に安心したと優也が続けると、真琴も、宿を見つけたというより戻ってきた感じに近いと頷いた。


 優也はその言葉を聞きながら歩き、車体の横へ着いたところで、いつもの右側玄関を開けた。濡れた上着と靴を整え、車内へ入る。外では雨が屋根を叩いているが、中の空気は朝出たときと変わらない。テーブルの上には朝使ったマグカップが片付けられ、冷蔵庫には昨日買った飲み物が入っている。誰かが部屋を整えてくれたホテルではなく、自分たちが朝そのまま出ていった場所へ戻ってきたのだという感じが強かった。


「ただいま、って言いたくなるな」


 優也が靴を片付けながら言うと、真琴は少しだけ笑い、誰も聞いていないのだから言えばいいと車内の奥へ目を向けた。優也がACROSSなら聞いているかもしれないと言えば、「まだ返事しませんよ」と返ってくる。その当然の答えに「分かってるって」と笑いながら、二人は濡れた上着やタオルを片付けていった。


          ◇


 その夜は外へ出ず、車内で夕食を作った。昼にしっかり食べていたので、簡単な汁物と買っておいた惣菜を温める程度にする。雨はしばらく続いたが、風は強くなく、ACROSSの中にいる限り不安になるほどではなかった。


 食後、優也はソファへ深く座り、今日の経路をスマートフォンで見返した。ACROSSから自転車で町へ入り、展望台まで行き、途中で二台を《収納》へ預けてから電車とバスで戻ってきた。地図上では移動手段が途中で何度も切り替わっているのに、一日の感覚としては不思議と一本につながっている。


「前まで、旅の移動って全部車で線つなぐ感じやったんよ。ここ出て、ここ寄って、ここ泊まって、次の日また走る。でも今日、ACROSSほぼ動いてへんのに、行動範囲はむしろ広かった気する」


 優也が画面を真琴へ向けると、真琴は隣から覗き込んだ。


「ACROSS自体が動かなくても、私たちが動けますからね。むしろ大きい車を町中へ連れていかない分、気にしなくていいことが増えた気がします」


「駐車場探さんでええ、狭い道気にせんでええ、帰りが危なそうなら自転車は一回しまって電車にも乗れる。考えたら、ACROSSを全部に使おうとしてたほうが不自然やったんかもな」


「でも、それに気づくには、一度歩いて大変だったり、自転車を積んでみたりしないと分からなかったと思いますよ。最初から全部決めても、実際に使わないと必要かどうか分かりませんし」


 その言葉に、優也は少し考えてから頷いた。


「せやな。通路もそうやったし、予備室もそうやった。先に『こうなるはず』って作ったんじゃなくて、使って困って、あとから形が変わった。自転車も、細い町に入れんかったから積んだだけやし」


「だから、今の段階で何でも積もうとしないほうがいいんでしょうね。今日みたいに電車やバスで足りるなら、それでいいですし」


「小さい車もバイクも、必要な旅が出てからでええか」


 真琴が「私はそう思います」と頷くのを見て、優也はスマートフォンを伏せ、テーブルの上へ置いた。何でもできる車を先に作ろうとするより、できないことが出たときに、その都度いちばん自然な方法を選ぶ。そのほうがACROSS自体にも、自分たちの旅にも無理がない。


 しばらく雨音だけを聞いていると、真琴が窓の外へ目を向けた。


「今日、ACROSSに戻ってくる途中で、少し変な感じがしました」


「変?」


「はい。旅行先に戻るというより、家に戻る感じがしたんです。朝ここを出て、町へ行って、雨が降ったから電車とバスで帰ってきて……やってることだけ見ると、普通の休日みたいでしょう」


「確かにな。俺もACROSS見えたとき『帰ってきた』って思ったわ」


「今までも泊まる場所ではありましたけど、今日は一日ほとんど離れていたから、余計そう感じたのかもしれません」


 優也は返事をしながら、隣にいる真琴へ一度だけ目を向けた。二人で出掛け、二人で戻ってくる。それが当たり前のように一日の流れへ入っていることを意識すると、少しだけ照れくさくなる。


「俺もさ。真琴と戻ってくる場所になってきたな、とは思う」


 口にしたあとで、自分でも少しだけ踏み込みすぎたように感じたが、真琴は驚いた顔のまま視線を逸らすことはなく、数秒だけ考えてから「そうですね。私も、そう思います」と柔らかく笑った。そこで無理に続きを言葉へ変えることはしなかった。付き合っているわけでも、将来の話を決めたわけでもない。それでも同じ場所へ戻ることを二人とも自然に受け入れ始めているのなら、今夜はそれだけで十分だった。


          ◇


 翌朝には雨が上がり、濡れた路面が朝の光を薄く反射していた。


 二人は朝食を済ませてもACROSSを動かさなかった。昨日の自転車はまだ優也の《収納》に入ったままである。駐車区画が静かなうちに左後部へ回り、周囲に人がいないことを確認してから、車体の陰へ一台ずつ戻した。


「昨日の駅まで取りに行かんでええの、やっぱ楽やな」


「便利なのは間違いないです。でも、普段から全部入れたままにはしないんですよね?」


「せえへんよ。俺おらんかったら真琴が出されへんし。普段はガレージ、こういう一時避難だけ収納でええやろ」


「その使い分けなら安心です」


 二台を広げ、バッテリー残量とタイヤの状態を確認する。雨に濡れた路面が残っているので、優也は急がず走れる海沿いの道を選んだ。昨日とは違う方向へ少し遠回りし、途中のパン屋で昼用のパンを買って、小さな公園で休憩する。時間には余裕があり、ACROSSを動かす必要もないため、戻る時刻に追われることもなかった。


 公園のベンチで真琴がパンの袋を膝へ置きながら、昨日の展望台とは反対側の海を眺めた。


「二泊なのに、結構いろいろ行けましたね」


「ACROSS一回も観光地の駐車場入れてへんけどな」


「そのほうが良かったんじゃないですか。昨日の町中なんて、入っていたら観光どころじゃなかったでしょうし」


「ミラーばっか見て終わるわ。せっかく景色見に来てるのに、道幅の記憶しか残らん」


 優也は笑ってから、少し真面目な顔で続けた。


「今まで、ACROSSが大きいことって長所でもあるけど、旅先によっては短所やと思ってた。でも短所を消さんでもええんやな。大きいから広くて快適なんやし、入れん場所は入れんままでええ。その代わり、手前で止まればええ」


「昨日みたいに、途中で交通手段を変えてもいいですしね」


「そう。全部一個でやろうとせんかったら、逆に自由やったわ」


 買ったパンを半分ずつ食べ、二人はまた自転車へ乗った。


 ACROSSが見えてきたのは昼前だった。昨日と同じ大きな車体が、同じ場所に停まっている。優也は少し手前で速度を落とし、真琴もそれに合わせた。


「なんか、ほんまに家に帰ってきた感じするな」


 優也が昨日と同じことを言うと、真琴はすぐにそれを指摘した。それでも優也は、今朝ここで《収納》から自転車を戻し、そのまま海沿いへ出掛け、途中で買い物までして戻ってきたから、昨日よりずっと生活している感じがすると譲らない。真琴が「じゃあ、ただいまって言います?」とからかうと、昨日少し恥ずかしかったから今日は言わないと返し、「誰も聞いてませんでしたよ」「真琴が聞いてたやろ」と続いたところで二人とも笑った。


 そのまま左後部へ回り、自転車を軽く拭いて折り畳む。主寝室床下のガレージハッチを開き、前回決めた位置へ二台を収めて固定を確認する。雨具は乾かしてから戻すことにし、濡れたタオル類は洗濯乾燥機へ入れた。


 作業が終わると、優也は一度外へ出て車体を見回った。二日間、ACROSSそのものには何の変化も起きていない。新しい扉も部屋も増えず、外観もそのままだが、それでいいと思えた。今回必要だったのはACROSSをさらに大きくすることではなく、動かさずに置いておき、必要に応じて自分たちの移動手段を変えるという使い方を覚えることだった。


          ◇


 大阪へ戻った日の夜、優也は車庫で一人になってからノートを開いた。


 最初に書いたのは、設備の変化ではなく旅の流れだった。


『二泊――ACROSS固定』

『一日目――到着後は移動なし』

『二日目――電動アシスト自転車で町・港・展望台』

『天候変化――自転車二台を一時《収納》、公共交通で帰還』

『三日目――《収納》から自転車を戻し、別経路で周辺を移動』

『車両移動――帰路までなし』

『空間変化――なし』


 そこまで書いてから、優也は少し考え、次の行へ続けた。


『ACROSSが行く場所と、自分たちが行く場所は同じでなくていい』


 さらに、


『戻る場所を先に置く』

『そこから先は、その場所に合う方法を使う』


 と書いた。


 前回の『大きいままでいい。足だけ小さくすればいい』という言葉に、今回の旅で少し意味が足された気がする。足は自転車だけではなかった。電車でも、バスでも、歩きでもいい。場合によっては現地で車を借りてもいい。必要になれば別の方法を考えればよく、最初からACROSSの中へすべてを詰め込む必要はない。


 優也はペンを止め、しばらく今日の車内を見回した。


 通路が広がったときも、予備室ができたときも、先に完成形があったわけではなかった。実際に使って、不便を知り、必要が生まれ、そのあとで何かが変わった。今回も同じで、ACROSSが町へ入れないからこそ自転車を使い、自転車で戻るのが危ないと思ったところでは《収納》へ一時的に預け、電車とバスへ切り替えた。能力があるから全部を能力へ寄せるのではなく、今ある設備や交通手段と使い分けるほうが自然だった。


 解決方法は、必ずしもACROSSそのものが変わることではない。むしろ今ある道具や交通手段で済むなら、それを選んだほうが簡単で安全なこともある。その感覚は、これから先の旅で意外と大事になるかもしれないと思い、優也はノートの余白へ小さく一行だけ追加した。


『困ったら、まず今ある方法で考える。足りなければ、そのとき次を考える』


 書き終えた優也は、自分でも少しおかしくなって「俺にしては、だいぶ慎重になったな」と誰もいない車内で呟き、ノートを閉じた。その瞬間、昼間の真琴との会話がふと頭へ戻ってくる。


 真琴と戻ってくる場所になってきた――勢いで口にした言葉だったが、あとから考えても間違っているとは思わなかった。


 最初は自分一人が欲しくて買った車で、納車前には一人でどこへ行こうかばかり考えていたはずなのに、今では次の行き先を考えるとき、自然に助手席の真琴まで思い浮かぶ。


 後部の主寝室も、前方のベッドも、キッチンも、ソファも、二人で使うことが当たり前になりつつある。それでも関係に名前を付ける必要を、優也はまだ感じていなかった。急いで言葉にしてしまうより、今は一緒に出掛けて、一緒に戻り、また次の旅を考えるほうがしっくりくる。


 スマートフォンを見ると、真琴からメッセージが届いていた。


『無事に片付け終わりましたか?』


 優也は笑いながら返信する。


『終わった。自転車もガレージに固定済み。雨具は乾燥中』

『次からは最初から電車も候補に入れとくわ』


 少しして返事が来た。


『いいと思います。全部ACROSSで行く必要はないですから』

『でも次は、晴れてる日に自転車で帰りたいです』


 優也は画面を見ながら、思わず笑った。


『それは俺も思う』

『次どこ行くか探しとく』


 送信してから地図アプリを開く。


 以前なら大型車で入れないという理由だけで消していた場所が、今は候補として残っている。古い町、山の入口、小さな港、島へ渡る船が出る場所。ACROSSそのものが行けるのは、その手前までかもしれない。それでも、そこへ戻れる場所を置いておけるなら、その先へ行く方法はいくらでも考えられる。


 優也は一つの場所を保存し、続けてもう一つを保存した。ACROSSは、どこへでも入り込める車ではないし、その大きさを無理に消す必要もない。安全に置ける場所まで連れていき、そこから先は自転車でも、電車でも、歩きでも、その土地に合う方法を選べばいい。


 そうやって戻る場所を持ったまま旅の続きを選べるのなら、ACROSSは単にどこへでも走っていける車ではなく、どこへでも行くための家へ、少しずつ近づいているのだと思えた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークしていただけると嬉しいです。

評価・感想も励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。