ep.69 大きな家の、小さな足
ACROSSで二泊してから、優也の中では旅の形が少し変わっていた。一泊のときは、目的地まで走って泊まり、翌朝には帰るという流れが基本だったが、二泊目を挟むと、車そのものを拠点にして周囲で一日を過ごせる。朝起きてすぐ撤収しなくてよく、買い物へ行き、昼寝をし、夕食を作り、洗濯までしてから同じ場所へ戻る。大型のキャンピングカーを買った理由が、ようやく「移動」と「滞在」の両方で見え始めていた。
ただ、拠点として使えば使うほど、新しい不便も見えてくる。
次の休み、優也と真琴は海沿いの古い町並みが残る地域へ出掛けた。観光地として大きく整備された場所ではなく、昔からの商店や食堂、細い路地がそのまま残っているようなところで、真琴が以前から「一度ゆっくり歩いてみたい」と言っていた場所だった。
問題は、目的地へ近づくほど道が細くなることだった。
地図上では通れそうに見えても、ACROSSで入っていい道かどうかは別の話である。住宅の軒先が近く、電柱もあり、対向車とすれ違う余裕も少ない。優也は無理に進まず、少し離れた場所にある大型車も停められる駐車場へACROSSを入れた。
「ここから二キロちょいか」
エンジンを止め、地図を見ながら優也が言うと、真琴は窓の外へ目を向けた。
「歩けなくはない距離ですね。天気もいいですし」
「帰り荷物増えたら、ちょい面倒やけどな。まあ今日は散歩と思って行こか」
「はい。無理にACROSSで入るより、そのほうが安全です」
優也もそれには異論がなかった。
◇
駐車場から町の中心までは、最初の十分ほどは広い歩道があったが、その先から道が細くなった。古い家並みの間を抜け、小さな橋を渡り、海へ続く路地を曲がる。普通乗用車なら通れるところも多いが、ACROSSでは入ろうと思わない幅だった。
「これ、来なくて正解やったな」
優也が前から来た軽自動車を避けながら言うと、真琴も頷いた。
「景色を見る余裕がなくなってたと思います。駐車できる場所もほとんどないですし」
「ACROSS、でかいのが長所やけど、こういうとこ来ると完全に短所やな」
「家をそのまま持ってきてると思えば、仕方ないですよ」
「家で路地入ろうとするほうが間違いやな」
二人で笑った。
町そのものは楽しかった。小さな鮮魚店をのぞき、路地の奥にある喫茶店で休み、海が見えるところまで歩く。観光地として作り込まれていない分、急いで回るような場所もなく、気になる店があれば入るくらいの速度がちょうどよかった。
ただ、歩く距離は思ったより伸びた。
昼食を終えたころには、駐車場から三キロ以上離れている。買った物も少し増え、真琴が小さな紙袋を二つ、優也も土産の袋を提げていた。
「帰り、地味に遠いな」
「さっきまで『散歩や』って言ってた人が何を言ってるんですか」
「行きは散歩や。帰りは荷物運搬や」
「都合いいですね」
「せめて自転車あったら楽やったな」
優也が何気なく言うと、真琴は少し歩いてから振り返った。
「それ、かなり現実的じゃないですか?」
「自転車?」
「はい。ACROSSを無理に町の中へ入れなくても、離れた駐車場を拠点にして、そこから自転車で動くなら今日みたいな場所でも行けますよね」
優也は荷物を持ったまま少し考えた。
「……確かに」
◇
駐車場へ戻るころには、二人ともほどよく疲れていた。真琴は「いい運動でした」と言っていたが、優也はACROSSへ入るなりソファへ座り込み、冷蔵庫から水を出した。
「今日くらいなら歩けるけど、毎回これやるんは嫌やな」
「夏はもっと大変でしょうね。雨の日も無理ですし」
「しかも買い物したら荷物増える。ACROSSで長く旅するなら、行き先全部が大型車向きとは限らんもんな」
「むしろ、町の中心や観光地ほど大きい車が入りにくい場所は多そうです」
「せやなあ」
優也は水を飲みながら、後方へ視線を向けた。
主寝室の下には外から使える大きめの収納があり、もともと自転車や小型の二輪を積むことも考えて作っている。ただ、これまでは工具やアウトドア用品、折り畳みの椅子などを置く程度で、本格的な移動手段を積んだことはなかった。
「後ろの収納、使えるかもしれんな」
「自転車を入れるんですか?」
「うん。最初からそういう想定もあったし。普通の自転車より、電動アシストのほうがええかな。坂もあるし、二人で長めに走るなら楽やろ」
「折り畳みなら、積み降ろしもしやすそうですね」
「でも、せっかく考えるなら一回ちゃんと候補出そ。自転車だけで決めると、あとで『バイクのほうが良かった』とかなるかもしれん」
「珍しく慎重ですね」
「最近それ言われるな」
真琴が笑った。
◇
その夜は予定どおりACROSSで一泊した。夕食のあと、優也はテーブルへノートを開き、真琴と一緒に「ACROSSを置いてから動く方法」を考え始めた。
最初に出たのは、単純に公共交通機関を使う方法だった。
「駅とかバス停が近ければ、それが一番楽ですよね」
「そうやな。運転せんでええし、何も積まんでええ。ただ、今日みたいなとこやと本数少ないし、行きたい場所が駅から遠かったら使いにくい」
「タクシーもありますけど、毎回だと気を使いそうですね」
「近場なら全然ありやけどな。二泊三泊で何回も乗るなら、自分らの足あったほうが気楽かも」
次に、普通乗用車を別に持っていく案が出た。
「小さい車を引っ張るとか?」
真琴が言うと、優也は想像しただけで顔をしかめた。
「ACROSSだけでも長いのに、後ろに車まで付けたら俺が嫌や。駐車もバックも面倒になるし、今の俺にはメリットよりストレスのほうがでかい」
「現地でレンタカーを借りるなら?」
「長く滞在するときはありやな。でも毎回予約して店まで行くなら、結局そこへ移動する手段いるし」
「では、小さいバイク」
「それは結構ええと思う。距離走れるし、駐車もしやすい。でも二人で使うなら一台で二人乗りするか二台積むかやろ。ヘルメットもいるし、雨の日弱いし、俺らが今すぐ使うには準備増えるな」
優也はバイクそのものが嫌いなわけではない。むしろ旅先の足として考えれば魅力は大きい。ただ、ACROSSの補助移動手段としてすぐ導入するには、少し重い気がした。
「じゃあ電動アシスト自転車が一番無難ですね」
「今のところな。二台積めるし、近場なら十分。駐車場所も困りにくいし、降ろしたらすぐ使える」
「歩くには遠いけど、車を出すほどじゃない距離にちょうど良さそうです」
「今日の町なんかまさにそれやな」
優也はノートへ大きく書いた。
『ACROSSが入れない場所――ACROSSを置いて動く』
その下に、公共交通、タクシー、レンタカー、小型車、バイク、自転車と並べていく。
最終的に、今すぐ使う候補として残ったのは二台の電動アシスト自転車だった。
◇
大阪へ戻った翌週、二人は自転車店を見に行った。
優也が最初に目を向けたのは、タイヤが太く見た目の迫力があるタイプだったが、真琴はすぐに「収納できることが最優先でしょう」と現実へ引き戻した。
「見た目も大事やろ」
「ACROSSの中へ入らなかったら意味がありません」
「分かってるって」
結局、二人が見たのは折り畳みができ、電動アシスト付きで、街中から多少の坂道まで無理なく使えるタイプだった。極端に軽量なものでも、スポーツ走行に寄せたものでもなく、旅先で買い物や散策に使うことを優先する。
優也は店員から畳み方や持ち上げ方を教わりながら、何度か実際に折り畳んでみた。
「これやったら、俺一人でも積めるな」
「私もできそうです。毎回優也さんに頼まなくていいのは助かります」
「二台並べて入るかだけ、帰って寸法確認しよ。いや、細かい数字より実際に積ませてもらったほうが早いか」
「購入前に車まで持ってきてもらうんですか?」
「相談できるならな。入る前提で買って、ハンドル引っ掛かるとか一番嫌やん」
優也は以前なら「たぶん入る」で買っていたかもしれない。しかし、GRANZを作る過程で、数センチの差や扉の開き方ひとつが使い勝手を変えることを嫌というほど知った。今回は必要以上に仕様を詰めるのではなく、実際に積み降ろしできるかだけを確認する。
店側も事情を理解してくれ、後日、候補の二台を車庫で試せることになった。
◇
試し積みの日、屋内車庫へ運ばれてきた二台を前に、優也は後部の収納を開けた。
もともと広めに取っていた区画ではあるが、工具箱や椅子、アウトドア用品が入っているため、そのままでは二台を並べにくい。真琴と一緒に中身を一度全部出し、使用頻度の低い物は別の収納へ移した。
「こうやって見ると、物増えてたな」
「『空いてるから入れとこう』が積み重なってますね」
「家と一緒やな」
「優也さんの場合、家よりこっちのほうが整理されてますけど」
「それ褒められてる?」
「一応」
二人で笑いながら、収納の中を簡単に整える。
一台目を折り畳んで入れると、思ったより余裕があった。二台目も向きを少し変えれば入り、固定するためのスペースも確保できる。無理に押し込む必要はなく、ほかの小物も最低限なら残せそうだった。
「おお、入った」
優也が少し嬉しそうに言うと、真琴は収納の外から眺めた。
「これなら実用になりそうですね。出すときに上の荷物をどかす必要もないですし」
「そこ大事やな。使うたびに十五分片付けるなら絶対使わんくなる」
「優也さんは特に」
「否定せえへんけど」
収納扉を閉めても問題はない。
優也はそれだけで、導入をほぼ決めた。
◇
ただ、買う前にもう一つ確認したかった。
「二台積めるん分かったけど、実際これでどこまで動けるかやな。店の周り一周だけやと分からん」
「試乗できる場所で、少し長めに乗ってみます?」
「うん。坂あるとこも欲しい」
別の日、二人は試乗可能なコースで一時間ほど走ってみた。最初は普通の自転車との違いに少し戸惑ったが、発進や坂道で補助が入る感覚はすぐに慣れた。
真琴は思った以上に楽しそうだった。
「これ、旅先ならかなり便利ですね。歩くには遠いところでも気軽に行けます」
「せやろ? 坂で俺だけ息上がって、真琴に置いてかれる未来も減る」
「そこが心配だったんですか?」
「大事やで。格好つけて普通の自転車選んで、坂でゼーゼー言うん嫌やもん」
「最初から電動で正解ですね」
「俺もそう思う」
優也は笑った。
速度を出すためのものではなく、無理なく移動範囲を広げるための道具として考えると、ACROSSとの相性はかなり良かった。
◇
二台を正式に用意したあと、最初の実地テストは、あえて前に歩いた町へもう一度行くことにした。
「同じ場所なら違い分かりやすいやろ」
「今度は荷物を持って二キロ歩かなくて済みますね」
「そこや。あの日の俺に見せたいわ」
「数週間前の自分ですよ」
「それでも見せたい」
ACROSSは同じ大型駐車場へ入り、優也は後部収納を開けた。
二台の電動アシスト自転車は、固定した状態で問題なく収まっていた。走行中に動いた形跡もなく、周囲の荷物とも干渉していない。
優也は一台ずつ降ろし、真琴と一緒に展開する。ヘルメットを被り、小さなバッグをそれぞれ取り付けるまで含めても、それほど時間はかからなかった。
「準備、十分かかってへんな」
「これなら気軽に使えますね」
「よし、行こか」
前回は二十分以上歩いた道を、今回はゆっくり走って進む。細い路地へ入れば自転車を降りて押せばよく、駐輪できる場所を選べば店にも寄りやすい。
何より、ACROSSを無理に動かす必要がない。
そのことが優也には大きかった。
◇
前回入った喫茶店へ寄り、店を出たあと、二人はさらに海沿いの道を少し先まで走った。徒歩なら「帰りの距離を考えてここまで」と止めていたところから、もう少し先へ行ける。
「この先、展望できる場所あるみたいですよ」
真琴が地図を見ながら言った。
「行こ。自転車なら全然やな」
「帰りも楽ですし」
少し坂になった道を上がると、海を広く見渡せる場所へ出た。ACROSSを停めた駐車場は遠くにあり、車体そのものはほとんど見えない。
「こういう景色、前回来てたら諦めてたかもな」
「帰りの歩きを考えたら、行かなかったでしょうね」
「うん。これが欲しかったんやな」
優也は自転車を停め、海を見ながら言った。
「ACROSSでどこまで行けるかじゃなくて、ACROSSをどこに置いたら、そこからどこまで行けるか。考え方逆やったわ」
真琴は少し考えたあと、頷いた。
「大きい車を小さくすることはできないですからね。だったら、最後の部分だけ別の移動手段に任せればいい」
「そうそう。ACROSSは家ごと動かす役目。細い道とか町の中は、こっちが担当」
「役割分担ですね」
「最近そればっかりやな、俺ら」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
展望できる場所を出たあと、二人は前回は距離を理由に諦めていた漁港の先まで足を延ばした。道は途中からさらに細くなり、ところどころ車同士ならすれ違いに気を使う幅しかない。ACROSSで来ようとは最初から思わない場所だったが、自転車なら周囲を急かすこともなく、気になる景色があれば止まって押して歩くこともできる。
港の奥には小さな食堂があり、二人はそこで少し遅めの休憩を取った。店の外には数台分の駐車場所しかなく、その一つへ軽自動車が入るだけでもぎりぎりに見える。
「ここ、ACROSSで店の名前見つけても絶対諦めてたな」
優也が窓越しに駐車場を見ながら言うと、真琴は笑った。
「今日は『入れる駐車場があるか』を気にせず来られましたね。自転車を停める場所だけなら、店の方に聞けば済みましたし」
「これ大きいわ。ACROSSで旅してると、行きたい店より先に駐車場見る癖ついてたからな。目的地そのものじゃなくて、車が入れるかで候補削ってた」
「今後は、大きい駐車場を拠点にして周辺を探せますね。逆に、雨が強い日や距離が長い日は無理をせず、バスやタクシー、レンタカーを使えばいい」
「うん。自転車買ったから全部自転車、にはせんほうがええな。今日みたいな日にはちょうどいい、くらいが一番使いやすそうや」
優也はそう言いながら、自転車を手に入れたことでACROSSの弱点が消えたわけではなく、弱点を補う選択肢が一つ増えたのだと気づいた。その違いは思った以上に大きかった。万能にしようとすると、足りないものを見つけるたびに装備を増やすことになるが、場所によって手段を替えるなら、今あるものを無理なく使い分けられる。
食堂を出るころには、二人とも「もう少し先まで行ってみたい」という気持ちは残っていたが、帰りの時間も考えてそこで折り返した。電動アシストがあるからといって距離の感覚までなくしてはいけない。行けることと、行くことは別だという当たり前の線引きも、実際に使ってみるとよく分かった。
帰りに市場へ寄ると、前回より少し多めに買い物をした。自転車には小さなバッグが付いているため、重すぎない範囲なら荷物を分けられる。
優也は調子に乗って菓子まで買おうとしたが、真琴に「積める量と食べられる量は別です」と止められた。
「ACROSSに戻ったら冷蔵庫あるやん」
「戻るまで自転車で運ぶんですよ」
「確かに」
「前回から何も学んでないですね」
「移動手段変わったから、荷物の感覚も変わったんやって」
「言い訳が上手くなりました」
真琴が笑い、優也も笑った。
買った物を積み、二人はACROSSへ戻る。最後の広い道へ出たところで、大きな車体が見えてきた。
「あ、見えた」
優也が言うと、真琴も視線を向ける。
「戻ってきた感じしますね」
「せやろ。なんか、自転車で出掛けて家に帰ってきたみたいや」
「今まで以上に拠点らしくなりましたね」
その表現が、優也にはしっくりきた。
◇
二台を収納へ戻す作業も、思ったより簡単だった。買った物を先に車内へ運び、自転車を軽く拭いてから畳み、順番に固定する。
優也は扉を閉める前に、収納の中をしばらく見た。
「ここ、まだ少し余裕あるな」
「何か増やそうとしてません?」
「ちゃうちゃう。将来的にやで。自転車で足りん旅もあるかもしれんやろ」
「例えば?」
「長期で同じ場所に何日もおるとか、もう少し遠くまで動きたいとか。そんときは小さいバイクでもええし、現地で車借りてもええ。場合によっては、小さい車をどうにかする方法考えるかもしれん」
「今すぐ全部積もうとはしないんですね」
「学んだんよ。まず電動自転車で困るか見てからや。足りんかったら次考える」
「かなり成長しましたね」
「四十五過ぎてから成長言われるの、やっぱ複雑やわ」
二人で笑った。
優也は後部ガレージに並んだ二台を見ながら、自分の《収納》なら自転車そのものも入れられるのではないかと、ふと思った。これまで確かめた物よりかなり大きいため実際に試してみなければ分からないが、少なくとも普段から能力へ預ける必要はない。真琴だけで使いたい時には取り出せず、日常的な装備なら決まった場所に置いてある方が扱いやすいからだ。必要な時だけ《収納》を使い、普段は二人とも触れられる場所へ置く。その方が自然だった。
後部ガレージには、今は二台の電動アシスト自転車だけで十分だった。
◇
その夜、優也はACROSSのリビングでノートを開いた。
『ACROSSが入れない場所への移動手段』
『公共交通――場所によって有効』
『タクシー――近距離なら有効』
『レンタカー――長期滞在時の候補』
『小型車の牽引――現時点では見送り』
『バイク――将来候補』
『電動アシスト自転車――採用』
さらに下へ、
『後部収納――二台搭載可能』
『積み降ろし――問題なし』
『走行後の固定状態――問題なし』
『町中移動・買い物・坂道――実用範囲』
『ACROSSを無理に細い道へ入れない』
と書いた。
最後の一行が、今回いちばん大事な気がした。
巨大な車を買った以上、その大きさを無理に消すことはできない。外寸が変わらないまま内部が広がるという不可思議な現象が起きても、道路を走るときのACROSSは依然として大きな8×8であり、狭い町へ押し込めば周囲にも迷惑が掛かる。
だから、ACROSSそのものを万能にする必要はない。
行けない場所があれば、手前で停める。
そこから先は歩くか、自転車に乗るか、公共交通を使う。
もっと遠ければ、そのとき別の方法を考える。
優也はノートへもう一行だけ書き足した。
『大きいままでいい。足だけ小さくすればいい』
自分で書いてから、少し気に入った。
◇
真琴は向かいで温かい飲み物を飲みながら、その文字を覗き込んだ。
「いいですね、それ」
「せやろ。今日の結論これやわ」
「ACROSSを小さくするんじゃなくて、移動を分ける。これなら場所に合わせられますね」
「しかもさ、自転車積んだだけで、行ける場所増えた感じするんよ。ACROSSで通れへん道があっても、前ほど『じゃあ無理やな』ってならん」
「拠点を置ける場所さえ見つければ、その周辺はかなり動きやすくなりますね」
「長く旅するとき、これ大きいと思うわ」
優也は窓の外へ目を向けた。
昼間、自転車で走った細い道は、ACROSSでは絶対に入ろうと思わない場所だった。それでも、ACROSSを諦める必要はなかった。大きな家を安全な場所に置き、自分たちだけが小さな足で先へ進めばいい。
旅の範囲は、車体の幅だけで決まらない。
◇
翌朝、二人はもう一度だけ自転車を出し、近くの店まで朝食用のパンを買いに行った。往復しても大した距離ではないが、わざわざACROSSを動かさなくていいというだけで気楽だった。
「これ、朝ちょっと買い物行くのに車出さんでええの便利やな」
「停め直す必要もないですしね」
「大型車って、一回いい場所停めたら動かしたくなくなるんよ」
「それは前から言ってましたね」
「だから、ACROSSを宿にして、自転車を日常の足にする感じが一番合ってるかも」
「二泊以上すると特にそうでしょうね」
「うん。昨日までACROSS一台で全部やろうとしてたけど、別に一台で全部せんでええんやな」
優也はパンの袋を自転車のバッグへ入れながら言った。
その考え方は、最近覚えたこととよく似ていた。通信も一つの回線だけに頼らない。誰かが倒れたときも、一人で全部やろうとせず、真琴、施設スタッフ、救急隊へ役割をつなぐ。旅の移動も同じで、ACROSSが得意なところと、不得意なところを分ければいい。
何でも一つで済ませようとするより、そのほうがずっと楽だった。
◇
大阪へ戻る途中、真琴が助手席から後方を振り返るような仕草をした。
「自転車、ちゃんと入ってると思うと少し不思議ですね」
「家の下に二台積んで走ってるからな」
「将来、本当にバイクまで積み始めそうです」
「あり得る。でも今は要らん」
「本当に?」
「ほんまやって。自転車で困ってから考える。車も同じ。長期旅行で必要になったら現地レンタカーとか、別の方法試して、それでも足りんかったら考える」
「その順番なら安心です」
「信用なかったんやな」
「全盛り前科がありますから」
「前科言うな」
二人の笑い声が車内に広がった。
◇
屋内車庫へ戻ると、優也はACROSSをいつもの位置へ収めたあと、真琴と一緒に後部収納を開いた。
二台とも固定は緩んでおらず、周囲に当たった跡もない。電動自転車用の充電器やヘルメット、簡単な雨具も一緒にまとめて置けるよう、収納の一角だけを整理する。
「これ以上ごちゃごちゃさせんようにしよ」
「使うものが増えたからこそ、場所を固定したほうがいいですね」
「ヘルメットここ、自転車の鍵ここ、充電するもんここ。細かく箱分けしすぎんで、ぱっと見て分かるくらいで」
「優也さん向きです」
「俺基準にして正解やろ?」
「はい。使う本人が覚えられない収納は意味がないですから」
真琴に肯定され、優也は少し得意そうに頷いた。
片付けを終え、収納扉を閉める。
見た目は何も変わらない。
ACROSSの車幅も全長も、当然そのままだ。
それでも優也には、旅の範囲が少し広がったように思えた。
◇
真琴が帰ったあと、優也は一人でもう一度後部収納を開いた。
二台の電動アシスト自転車が収まっている。
その横には、まだ少し余白があった。
以前なら、その空きを見つけた瞬間に「何を入れよう」と考えていたかもしれない。しかし今は、無理に埋めなくていいと思える。
必要になれば、小型のバイクを検討するかもしれない。もっと長期の旅をするようになれば、現地で使う小さな車について考える日も来るかもしれない。もし将来、ACROSSの空間がまた変わり、車両をそのまま収められるような場所まで生まれることがあるとしても、それは今決めることではなかった。
今必要なのは、二台の自転車で十分だ。
優也は扉を閉め、車内へ戻った。
リビングのソファへ座ると、先ほど書いたノートの一文が目に入る。
『大きいままでいい。足だけ小さくすればいい』
その言葉は、ACROSSの使い方そのものを少し変えていた。
これまでは「この車でどこまで行けるか」を考えていた。
これからは、「この車をどこへ置けば、その先まで行けるか」と考えればいい。
ACROSSは大きな家として、広い道を走り、泊まる場所まで運んでくれる。その先の細い路地や古い町並み、海沿いの小道やちょっとした坂道は、自分たちが小さな足で進めばいい。
全部を一つに詰め込まなくても、旅はつながる。
優也は次の休みに行けそうな場所をスマートフォンで眺めながら、以前なら大型車では無理だと外していた候補を、いくつか保存し直した。
ACROSSで入れない。
それだけでは、もう行けない理由にならなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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