ep.68 帰らない二日目
名前を付けたからといって、車そのものが変わるわけではない。屋内車庫へ入れば、いつもの場所にGRANZ 8×8 Expeditionが停まっていて、運転席もキッチンも予備室も昨日までと同じだった。それでも、ノートの最後に書いた『愛称――ACROSS』という文字を見てからは、優也の中で少しだけ呼び方が変わっていた。
真琴と連絡を取るときも、「今度GRANZでどこ行く?」ではなく、「次、ACROSSで二泊してみいひん?」と自然に打っていた。送ってから少し恥ずかしくなったが、真琴から返ってきたのは『いいですね。名前、もう普通に使ってるじゃないですか』という一文と笑っている絵文字だった。
これまでの旅は、ほとんどが一泊だった。遠くまで走ることより、まず大きな車の扱いに慣れ、車内で一晩過ごして問題がないか確かめることを優先していたからだ。しかし通路の拡張も予備室も落ち着き、通信や応急手当用品の位置まで一通り把握できるようになった今なら、もう一日帰らずに過ごしてみてもいい。
「二泊って言うても、遠く行く必要ないよな。一日目に移動して、二日目はほぼ動かんでもええし」
車庫で荷物を積みながら優也が言うと、真琴は予備室へバッグを入れつつ頷いた。
「むしろ、そのほうが『二泊する意味』が分かりやすいかもしれません。毎日移動したら、長いドライブが二日続くだけになりそうですし。今回は一か所を拠点にして、二日目を普通に過ごしてみたいです」
「せやな。朝起きて、今日帰らんでええってどんな感じなんか試したいわ」
「試すって言ってますけど、検証は無しですよ」
「分かってるって。生活のほうの試すや」
真琴に先回りされ、優也は笑った。
◇
行き先は海と山の両方が近い方面にした。初日は少し走って温泉施設の大型区画へ入り、二日目は周辺の市場や散歩できる場所を回りながら、基本的には同じ場所へ戻る。三日目の朝にゆっくり帰れば、無理に予定を詰めなくても二泊の感覚を味わえる。
初日の朝、ACROSSはいつものように屋内車庫を出た。優也は運転席でミラーを確認しながら、口の中で一度だけ新しい名前を言ってみた。
「ACROSS、出発やな」
「今、車に話しかけました?」
「独り言や。聞こえてたん?」
横を見ると、真琴は笑いを堪える気もなくこちらを見ていた。
「すぐ隣ですから」
「忘れて」
「無理です」
真琴が笑い、優也も観念したように笑った。道中は穏やかだった。市街地を抜け、高速道路へ入り、途中の広い休憩場所で一度止まる。通信設備は普通の回線のまま、天気も安定しており、車内で何か特別な表示が出ることもない。優也はその何もなさを歓迎しながら、以前より余裕を持って運転できていることを実感していた。
納車直後は、走っているだけで一日分の集中力を使っていたような気がする。今でも大型車を扱っている緊張感はあるが、それが全身を固くするものではなく、必要なところへ意識を向ける感覚へ変わってきていた。
◇
昼過ぎに目的地へ着き、ACROSSを区画へ収めたあと、二人は施設内で食事を取った。海の近くということもあり、優也は刺身と焼き魚の付いた定食を選び、真琴は煮魚を中心にした御膳にした。
「二泊やと、今日の夜も明日の夜もここに戻ってくるんやな」
食事をしながら優也が言うと、真琴は少し笑った。
「ホテルなら当たり前ですけど、車だと不思議ですね。しかも部屋ごと自分たちで持ってきてる」
「チェックアウトせんでええホテルみたいやな」
「掃除と片付けは自分たちですけど」
「そこは現実やな」
二人はゆっくり食事を終え、近くを散歩したあと、夕方には温泉へ入った。戻ってきたACROSSの中では、予備室へ入れたバッグ以外はほとんど出ておらず、リビングもすっきりしている。
初日の夜はいつもの一泊旅行とあまり変わらなかった。真琴は後部の主寝室、優也は前方の降下式ベッドを使い、リビングはそのまま残す。違うのは、明日の朝に帰る準備をしなくていいことだけだった。
◇
翌朝、優也はいつもより少し遅く目を覚ました。前方のベッドを上げると、真琴はすでに起きていたが、帰り支度ではなくキッチンでコーヒーを淹れている。
「おはよう。何時?」
「八時少し前です。今日は帰らないから、起こさなくていいかなと思って」
「その言葉、めっちゃええな。『今日は帰らない』って」
「そんなに?」
「一泊やと朝起きた瞬間から、なんとなく撤収始まるやん。今日はまだここおってええんやと思ったら、急に休み感ある」
優也は顔を洗い、リビングへ座った。昨日と同じ景色が窓の外にあるのに、朝の空気は少し違って見える。朝食も急がず、パンと卵、サラダを簡単に用意し、コーヒーを飲みながらその日の予定を決めた。
「市場行って、なんかうまそうなん買って、昼は外で食ってもええし、夜はここで作る?」
「いいですね。二泊するなら、一回くらいちゃんとキッチン使いたいです」
「前みたいに俺途中で邪魔扱いされんよう頑張るわ」
「役割分担すれば大丈夫です」
「その言い方、前回も聞いたな」
二人で笑った。
◇
二日目は、ACROSSを動かさずに過ごすことにした。歩ける範囲に小さな市場や店があり、少し離れた場所へは施設の送迎も使える。優也は最初、「車あるのに乗らんのもったいなくない?」と思ったが、実際に歩き始めると、車を置いたまま過ごすのも悪くなかった。
市場では地元の野菜と魚、夕食に使えそうな食材を少しずつ買った。真琴が必要な量を考えて選んでいる横で、優也はつい惣菜や菓子まで手を伸ばし、そのたびに「二人分ですよ」と止められた。
「分かってるって。でもこういうとこ来たら色々欲しなるやん」
「買うのはいいですけど、食べ切れる量にしてください。余ったら持って帰れますけど、冷蔵庫が大きいからって無限に入るわけじゃないです」
「そこは空間拡張せえへんかな」
「そういうこと言わないでください」
「冗談やって」
優也は笑いながら、菓子を一つ棚へ戻した。買った物はACROSSへ戻ると予備室と冷蔵庫へ分けて収めた。二泊分の着替えや荷物があるにもかかわらず、リビングが散らからないのは大きかった。予備室ができる前なら、バッグの置き場所を少しずつずらしながら生活していたはずだ。
「予備室、二泊で一番ありがたさ分かるかもしれんな」
「一泊だと荷物が少ないですからね。今回は着替えも増えてるし、買った物もあるのに、生活する場所へほとんど出てないです」
「ほんまに納戸やな。でも寝ようと思ったら寝れるし、決めきらんかったの正解やったわ」
「名前を付けても、部屋の用途は決めないんですね」
「ACROSSは名前やけど、予備室は予備室や。そこは別」
優也なりの理屈に、真琴は笑った。
◇
午後は天気が少し崩れた。強い雨ではないものの、海側から細かな雨が流れてきたため、二人は早めにACROSSへ戻った。外へ出る予定がなくなると、時間が一気に余る。真琴は持ってきた本を読み、優也はソファへ寝転びながらスマートフォンを見ていたが、しばらくするとそれにも飽きて、天井を見上げた。
「暇やな」
「贅沢ですね」
「二泊したかったん俺やけど、いざ何もせん時間できたらどうしたらええか分からん」
真琴は本から目を上げ、ソファへ完全に身体を預けている優也を見た。
「家でも休みの日、何もしないことあるでしょう?」
「家やったら昼寝する」
「ここでもできますよ」
その答えに優也は納得し、「それやな」と本当に目を閉じた。
優也は本当に目を閉じた。少しして目を覚ますと、真琴は同じ場所で本を読んでいた。窓の外では雨が細く流れ、空は朝からずっと灰色のままだった。それでも車内が妙に暗くないのは、真琴がリビング中央のEWINDOW EW3120を昼側の設定にしていたからだった。天井の一角がただ白く光るのではなく、明るい空の下にいるような色と方向のある光がソファやテーブルへ落ち、窓の外の曇天とは別の昼間が室内に出来ている。
優也は寝起きのまま天井と窓を交互に見た。
「……外、雨やのに中だけ晴れてるみたいやな」
「私もさっき思いました。こういう日に一番意味ありますね、これ」
「納車のとき『外が暗い日に分かる』言うてたけど、ほんまやったな」
雨の日にカーテンを閉め、普通の照明だけを点ければ、昼でも夜のような部屋になっていただろう。EWINDOWは時間を誤魔化すというより、閉じた車内へ昼間らしい明暗を残してくれる。優也はしばらく天井を見たあと、「これ、ただの照明扱いしたらもったいないな」と小さく笑った。
旅行中なのに、観光をしていない。それでも不思議と「無駄にした」とは感じなかった。むしろ、知らない土地へ来て、いつもの部屋のような場所で何もしない時間を過ごせることが、ACROSSらしい旅なのかもしれない。
◇
夕方になると雨は少し弱くなったが、二人は外食せず、昼間に買った食材を使って車内で夕食を作ることにした。優也が野菜を切り、真琴が魚を焼き、スープを作る。通路が広がる前なら、キッチン前で二人が動くたびに何度も止まっていたが、今は少し身体をずらすだけで済む。小さな変化だったはずなのに、二泊目の夜に二人で料理をしていると、そのありがたさがよく分かった。
「最初のころ、ここで二人立つだけで狭い言うてたな」
「覚えてます。冷蔵庫を開けるたびに、どちらかが避けてました」
「今、普通に後ろ通れるもんな」
「便利になりましたね」
「慣れすぎて忘れてたわ」
料理ができると、二人はリビングのテーブルへ並べた。市場で買った魚は思った以上においしく、優也は「これ外で食ったら結構するで」と妙に得した気分になり、真琴に「材料費は払ってますけどね」と笑われた。
食後には洗い物を済ませ、洗濯乾燥機へ二日分の衣類を少し入れた。納車時には「旅先で洗濯までほんまにするんかな」と思っていた設備が、二泊目になると急に現実的に見える。脱水へ入ると床へごく小さな振動は伝わったが、滞在中は六点式の油圧ジャッキで車体を支えているため、大きな車体が周期的に揺すられるような感覚までは出なかった。
「ジャッキ、こういうとこでも効いてるんやな」
「歩いたときだけじゃなくて、停まって生活してる間ずっと支えてるんですもんね」
「水平取る装置くらいに思ってたけど、二泊すると揺れ止めのありがたさのほうが分かるわ」
優也は洗濯乾燥機の作動音を聞きながら、また一つ、カタログの機能名だったものが生活の感覚へ変わった気がした。
「これ、三泊四泊したらもっと使うやろな」
「着替えを減らせますしね。長く旅するなら便利だと思います」
「家の設備そのまま持って走ってる感じやな」
「だから『旅する家』なんでしょうね」
真琴がさらっと言った言葉に、優也は少し笑った。
「ACROSS、名前付けた途端ほんま家っぽくなってきたな」
「名前を付けたからじゃなくて、二泊して生活してるからだと思います」
「それもそうか」
洗濯乾燥機を回し始めたあと、二人はこの日は施設の風呂へ戻らず、車内のシャワーをきちんと使ってみることにした。一泊のときは温泉があればそちらを選んでいたため、完成してから実際の生活として使うのはこれが初めてに近い。
先に入った優也が扉を閉め、湯を出す。狭さを覚悟していたが、身体を洗って向きを変えるだけなら十分で、温水も安定していた。問題は、数分もしないうちに個室へ溜まる湿気だった。
シャワーを止めて身体を拭いたあと、優也は換気を強めた。まずシャワー室専用の防湿換気ファンが回り始め、個室に溜まった湿った空気を専用の排気口から直接外へ送り出していく。低い作動音の中で、鏡を覆っていた曇りが少しずつ薄くなった。
同時に、通路天井のPLUS FUNもSHOWERモードに連動して低速で排気へ回っている。シャワー室そのものの湿気は専用系統で外へ出し、扉を開けたあとに残る湿気だけを居住側から引いていく役割だ。屋根側には専用の低背レインカバーがあるため、外ではまだ細い雨が降っていたが、窓を開ける必要はなかった。
「雨降ってんのに普通に回せるん、やっぱええな……」
独り言を漏らしながら扉を開けると、待っていた真琴が笑った。
「そこ、納車のとき一番試したがってませんでした?」
「せやけど、ほんまに雨の日に使うとは思わんかった。シャワーの湯気、もっと残ると思ってたわ」
「じゃあ、次は私が使ってみます。優也さん、換気そのままでお願いします」
「了解」
しばらくして真琴が出てきたときにも、シャワー室の湿気がリビングまで流れ込んでくる感じはほとんどなかった。前後二基のエアコンで冷やすことはできても、濡れた空気そのものを外へ出す役目は別に要る。図面では「換気」と一行で済んでいた設備が、雨の二泊目になって初めて生活の機能として見えた。
「これも、付けたときはちょっとやりすぎかと思ってたんよな」
「今は?」
「いる。これはいるわ」
真琴は髪をタオルで拭きながら、小さく笑った。
◇
夜は、前日よりゆっくり過ぎた。明日の朝には帰るため、二人とも少しだけ名残惜しい気分になっていた。優也はリビングの大型モニターを展開し、動画配信で映画を一本選んだ。真琴がソファの端へ座り、優也は少し間を空けて隣へ腰を下ろす。照明を落とすと、車内は小さな映画室のようになった。
「これ、最初に設備考えてたときは『大画面あったら絶対ええやろ』くらいやったけど、ちゃんと使う日来るんやな」
「今まであまり使ってませんでしたもんね」
「一泊やと風呂入って飯食ったら、なんやかんやもう寝る時間やったし。二泊目くらい余裕ないと、映画まで行かんわ」
「こういうのも二泊の違いですね」
映画の途中で真琴が少し姿勢を崩し、ソファの背へ寄りかかった。優也は何も言わず、テーブルを少し前へずらして足元を楽にする。二人の距離は以前より近くなっていたが、それをわざわざ言葉にすることはなかった。旅を重ねるうちに、どちらがコーヒーを淹れるか、荷物をどこへ置くか、夜は誰が先に風呂へ入るかといった小さなことが自然に決まってきたのと同じように、隣に座ることにも以前ほど意識が向かなくなっている。
映画が終わるころ、真琴は少し眠そうだった。
「もう寝る?」
「はい。でも、このまま少しだけ座ってたいです」
「ええよ。明日朝ゆっくりでええし」
二人はすぐ立たず、暗くなった画面を前にしばらく座っていた。
◇
「優也さん」
「ん?」
「二泊、どうでした?」
真琴が静かに聞いた。優也はすぐ答えず、車内を見回した。
「一泊の延長やと思ってたけど、全然ちゃうな。二日目の朝に帰らんでええだけで、急にここが泊まる場所やなくて、暮らす場所っぽくなる。昼寝して、買い物して、洗濯して、映画見て……旅行してるのに、普通の休みみたいやった」
「私も似た感じです。観光をいっぱいしなくても、ここに戻ればいいと思えるから、外で何かしなきゃって焦らないです」
「ホテルやったら、部屋おるだけやともったいないって思うかもしれんけど、ACROSSやと何もせんでもええ気するんよな。自分らの場所やからかな」
「たぶん、そうだと思います」
真琴は少し笑った。優也はその横顔を見て、すぐに視線を前へ戻した。今の関係に名前を付けることは、まだしていない。それでも、ACROSSに名前を付けたときと同じで、呼び方がなくても積み重なっているものは確かにある。
◇
三日目の朝、二人は目覚ましを少し遅めに設定していた。優也が起きると、真琴はまだ主寝室から出ておらず、珍しく自分のほうが先だった。コーヒーを淹れようとキッチンへ立ち、湯を沸かし始めたところで、後ろから扉が開く音がした。
「おはようございます。今日は早いですね」
「俺もたまには起きるで。コーヒーもうすぐ」
「ありがとうございます」
真琴がリビングへ座り、優也が二人分のカップを持っていく。
「なんかさ、昨日真琴が毎朝これやってくれてるの思い出して、今日は俺がやろかなって」
「珍しいこともあるんですね」
「そこは素直に喜んで」
「嬉しいです」
真琴が笑った。朝食を取ったあと、二日分の荷物をまとめる。とはいえ予備室へ集めていたため作業は早く、洗濯した衣類も乾いている。二泊した割に、車内を元へ戻す作業は一泊のときとほとんど変わらなかった。
「これなら三泊くらいもいけそうやな」
「優也さん、すぐ次へ増やしますね」
「いやいや、今すぐ行くって意味ちゃう。できそうって話」
「それなら同意です。二泊で大きな問題はなかったですし」
真琴が乾いた衣類をまとめる横で、優也は予備室の荷物を見ながら、もう少し先の使い方まで想像してしまう。
「次は親連れて二泊とかもありやな……いや、四人やとまた全然ちゃうか」
「それはまた別ですね。荷物も増えるし、予備室も寝る場所として使うことになりますから」
「せやな。まず二人で二泊成功、でええか」
「はい」
優也は満足そうに頷いた。
◇
帰り道、ACROSSは海沿いを離れ、少しずついつもの街へ戻っていった。二泊したからといって運転が重く感じることもなく、むしろ昨日一日ほとんど走らなかったぶん、優也は体力に余裕があった。
「毎日移動せん旅、ええな」
「長く旅するなら、こういう日を入れたほうが疲れないでしょうね」
「一週間とか旅するようになったら、二日に一回くらい動かん日あってもええかも」
真琴が呆れたように笑ったので、優也も自分がまた少し先まで話を広げていることに気づいた。
「まだ二泊しただけなのに、もう一週間の話ですか?」
「夢や夢。今すぐちゃうって」
「分かってます」
真琴は笑った。優也も笑いながら、前方へ意識を戻した。いつか一週間、あるいはもっと長く旅をする日が来るかもしれない。そのときも、毎日観光地を追いかけるのではなく、途中で何もしない日を作り、ACROSSで普通に暮らすような時間を挟みたい。
そんな旅なら、自分にも続けられそうだった。
◇
屋内車庫へ戻ると、優也はいつもの位置へACROSSを収め、外周を確認したあと車内へ戻った。二泊しても通路や予備室に変化はなく、通信設備も普通のまま、何か新しい現象が起きた形跡もない。
真琴が荷物を持ちながら、少し笑った。
「今回は本当に何も起きませんでしたね」
「最高やん。俺ずっとこれ求めてた」
「でも、二泊できるって分かったのは大きいです」
「せやな。何も起きてへんけど、使い方は一個増えた」
二人は車内を軽く整え、次に使いやすい状態へ戻していった。予備室は空にしすぎず、普段使う寝具と予備のタオルだけ残す。冷蔵庫は必要な物だけ残して整理し、洗濯乾燥機の中も確認する。生活したあとに整えておくことまで含めて、少しずつ自分たちのやり方が決まってきていた。
「名前付けたあと最初の旅、二泊で良かったかもな」
「どうしてです?」
「一泊やと『名前付いた車で旅行した』で終わってたと思う。でも二泊したら、ACROSSって旅の名前だけやなくて、帰ってくる場所の名前っぽくなった」
優也が何気なく言った言葉を、真琴は少し考えるように受け止めてから頷いた。
「なるほど。『ACROSSへ戻ろう』って何回か言ってましたもんね」
「自分でも普通に言ってたわ」
「もう慣れましたね」
「ちょっとだけな」
◇
真琴が帰ったあと、優也はリビングへ座ってノートを開いた。
『ACROSS――初の二泊』
『一日目――移動/温泉』
『二日目――車両移動なし』
『市場・買い物・車内調理』
『洗濯乾燥機――実使用』
『六点式油圧オートレベリング――二泊時の揺れ抑制まで有効』
『Clesana――水洗・ブラックタンク処理なしで二泊でも扱いやすい』
『車内シャワー――問題なし』
『シャワー専用換気――湿気排出問題なし』
『RV PLUS FUN+専用レインカバー――雨天時も補助換気有効』
『EWINDOW EW3120――雨天昼間の閉塞感がかなり減る』
『予備室――二泊分の荷物収納で有効』
『通信――通常』
『空間変化――なし』
『二泊――問題なし』
ここまで書いたところで、優也はペンを止めた。いつものように機能や状態を書き並べると、今回の旅は地味に見える。通路が広がったわけでも、新しい部屋が増えたわけでも、通信設備が活躍したわけでもない。
けれど、優也にとっては今までで一番「家」に近い使い方をした旅だった。二日目の朝に帰らず、昼寝をして、買い物へ行き、夕食を作り、洗濯し、映画を見た。観光の途中で車へ戻ったのではなく、ACROSSから一日を始め、ACROSSへ戻って一日を終えた。
優也はノートの余白へ書き足した。
『二泊目――泊まる場所ではなく、暮らす場所に感じた』
その一文を見てから、少し考える。最初に巨大なキャンピングカーを欲しいと思ったとき、優也が想像していたのは「どこでも寝られる車」だった。実際に完成してみると、欲しかったのはそれより少し違うものだったらしい。
どこでも寝られるだけではなく、どこへ行っても自分たちの生活を持っていける場所。外の景色が変わっても、コーヒーを淹れるキッチンがあり、荷物を置く予備室があり、真琴が本を読むソファがある。朝になれば同じテーブルで食事をし、その日の予定を決められる。
それが今のACROSSだった。空間拡張がこの先どうなるのか、優也にはまだ分からない。予備室の次に何か増えるかもしれないし、しばらく何も変わらないかもしれない。それでも、今ある広さと設備だけで二泊を十分楽しめたことは、次を急がなくていい理由になった。
むしろ、使う時間が増えるほど、必要なものと欲しいだけのものの違いが見えてくる。優也は前のページに書いた言葉を思い出した。
『広さより先に、そこで誰と何をするか』
今回、それにもう一つ付け足すなら、
『長くいるほど、家になる』
そんなところだろう。二泊したことで、真琴との距離にも少し違うものを感じていた。一緒に観光したとか、特別な場所へ行ったというより、昼寝をしている間も、片方が本を読んでいる間も、同じ場所にいることが当たり前になっていた。会話がなくても気まずくならず、それぞれ好きなことをして、必要になれば自然に声を掛ける。そういう時間は、一泊だけの旅ではなかなか見えなかった。
まだ二人の関係に名前を付けるつもりはないし、急いで変えたいとも思っていない。それでも、ACROSSの中で過ごす時間が増えるほど、真琴が「一緒に旅へ行く人」から「ここで一緒に暮らす人」に少しずつ近づいている気がして、その感覚だけは優也の中に静かに残った。
優也はそこまで書いて、ノートを閉じた。車庫を出る前に一度だけ振り返ると、ACROSSはいつもの場所に静かに収まっている。次に乗るときも、きっと外見は何も変わらない。それでも中へ入れば、二泊目の夜に映画を見たソファも、真琴が朝のコーヒーを飲んだテーブルも、そのまま待っている。優也は小さく笑い、車庫の照明を落とした。
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