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ACROSS  作者: ☆あんパンまん☆
第二章 広がる家
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ep.54 できることを増やす


 屋内車庫を決めた翌週、優也は久保田に教えてもらった西村と、たまたま同じ現場へ入ることになった。


 普段の西村は必要なこと以外あまり喋らず、休憩に入れば缶コーヒーを飲みながらスマートフォンを眺めているような男だった。年齢は久保田より少し上で、現場では落ち着いていて、若い隊員が焦っていても声を荒らげることがない。優也も何度か一緒になったことはあったが、趣味まで聞いたことはない。


 午前の休憩で、優也は少し迷ってから声を掛けた。


「西村さん、久保田さんから聞いたんですけど、アマチュア無線やってるんですか?」


 西村はスマートフォンから顔を上げ、少し意外そうに目を細めた。


「やってるで。最近は昔ほど出してへんけどな。なんや、興味出たんか」


「今度納車される車に無線関係の設備がいろいろ載ってるんですけど、俺、そこら辺ほとんど分からんくて。普通に使える通信と、資格とか必要なやつが混ざってるみたいなんですよ」


 そこまで話すと、西村の表情が少し変わった。久保田が言っていたとおり、無線の話になると興味が前へ出るらしい。


「車に載ってるからって、全部同じもんちゃうからな。携帯回線使うやつもあれば、衛星経由のやつもあるし、無線局として扱うもんもある。で、お前が何を使いたいかによって話変わる」


「そこから分かってないです。メーカーから設備一覧はもらってるんですけど、見ても名前しか分からんというか」


「ほな今度持ってこい。俺も全部分かるわけちゃうけど、どれがどういう系統かくらいは見たる。ただし、俺が持ってるアマチュアの資格と、お前が必要になるかもしれん資格は別やぞ」


「そこも久保田さんから聞きました。何か一陸特ってやつがあるんですよね?」


「第一級陸上特殊無線技士やな。もしそれが必要な設備を自分で扱いたいんやったら、ちゃんと勉強せなあかん。ただ、車に載ってるから絶対お前が全部触らなあかん、って話でもないから、まずメーカーに確認して、使う設備だけ整理したほうがええ」


 専門用語が増え始めたところで、優也は早くも少し眉を寄せた。


「もうその時点で難しそうなんですけど」


「そら最初から分かるわけないやろ。俺も昔、無線機のカタログ見てるだけで意味分からんかったわ。言葉に慣れたら、だんだん何の話してるか見えてくる」


 そう言って西村は笑った。


 優也が想像していたのは、無線に詳しい人なら何でも知っていて、聞けば一発で答えをくれるような人物だった。実際の西村は、分からないことは分からないと言いながら、調べる入口を教えてくれる。その距離感のほうが、優也にはありがたかった。


          ◇


 数日後、優也はメーカーから受け取っていた通信設備の一覧を印刷し、現場の休憩時間に西村へ見せた。


 西村は紙を広げ、しばらく目を通したあと、鉛筆でいくつか印を付けていった。ただし細かな仕組みを説明し始めるのではなく、「これは普段使い」「これは非常時に意味がある」「これは資格や運用条件を確認したほうがいい」と、大きく分けていく。


「全部覚えようとせんでええ。まず、お前が旅先で何したいか考えたらええねん。普通にネット繋いで連絡取るだけなら、無線従事者の資格なんか関係ない場面のほうが多い。でも携帯が弱い場所とか、災害時とか、そういうときまで考えて設備載せてるんやろ?」


「そうです。元々は旅行用やけど、メーカーと話してるうちに通信だけはケチらんとこうってなって。山の中とかでも、何かあったとき連絡取れるほうがええやろって」


「それなら意味あるわ。ただ、装備を持ってることと使えることは別やからな。そこだけ勘違いせんかったらええ」


 西村はその場で資格制度を講義するようなことはせず、必要になりそうな名前だけ教えてくれた。優也が一陸特について調べると、講習を受ければ簡単に終わると思っていたルートには、自分の学歴や経歴ではそのまま当てはまらないものがあると分かった。


 その日の帰り、優也は少し複雑な顔で西村へ話した。


「俺、中卒やから、考えてた講習の取り方そのまま無理みたいですわ」


「ほな試験受けたらええやん」


「そんな軽く言います?」


「いや、軽くはないで。勉強はいる。でも、道がないわけちゃうやろ。お前、二億の車買うまで何年掛けたんや。試験の勉強くらい、それに比べたら小さいもんや」


「比べ方がおかしい気もするけど……」


「それに、無線工学なんて最初は分からん言葉だらけやけど、問題見てたら繰り返し出てくる考え方がある。俺が全部教えるのは無理やけど、分からんところ持ってきたら一緒に見るくらいはできる」


 優也はしばらく考え、それから頷いた。


「じゃあ国家試験で狙ってみますわ。納車までに絶対取るとかはやめときますけど、使えるようにはなりたいんで」


「それでええ。期限決めて焦って、分かったふりするのが一番あかん」


 西村の言葉には妙な説得力があった。


          ◇


 家へ帰った優也は、さっそく問題集や解説を調べ始めた。


 最初の数ページを見たところで、予想どおり意味の分からない言葉が並んでいる。電気や電波の話は、中学校を出てからほとんど触れてこなかった分野で、数字や記号を見るだけで頭が拒否しそうになる。


「……これ、ほんまに取れるんか」


 独り言を漏らしたところへ、ちょうど真琴から電話がかかってきた。


 優也が事情を話すと、真琴は少し笑った。


『いきなり全部理解しようとしなくていいんじゃないですか。医師国家試験の勉強だって、最初から全部分かっていたわけじゃないですし』


「真琴の国家試験と一緒にされたら余計プレッシャーやわ」


『比較してるんじゃなくて、分からない状態から始めるのは普通って言いたいんです。まず試験で何を聞かれるのか見て、言葉に慣れて、それから分からないところを潰していけばいいと思います』


「西村さんにも似たようなこと言われた」


『じゃあ二人とも同じこと言ってるんだから、たぶんそれが正解です』


 優也は笑いながら、机の上の問題集をもう一度開いた。


 真琴に教えてもらえば早いところもあるかもしれないが、全部を任せるつもりはなかった。自分が使う設備のために取る資格なのだから、分からないなりに自分で手を動かして覚えたい。


「無線は時間掛けてやるわ。納車してからでもええし、必要になる前に取れたらええ」


『そのほうがいいと思います。納車前に詰め込みすぎるより、実際に車を使い始めてから、何が必要か分かった状態で勉強したほうが身につくかもしれませんし』


「せやな。で、もう一個相談あんねん」


『救命のほうですか?』


「よう分かったな」


『昨日言ってたでしょう』


 優也は、真琴が覚えていたことに少し照れながら話を続けた。


          ◇


 救命について調べてみると、医療資格を取るような話ではなく、一般の人でも受けられる講習から始められることが分かった。


 真琴はそこを最初にはっきりさせた。


「優也さんが医療従事者になる必要はないですし、私と同じことができる必要もありません。むしろ、救急車が来るまでに何ができるかとか、心肺蘇生やAED、止血や搬送の基本を知っているほうが、旅では現実的に役に立つと思います」


「俺もそれくらいのイメージ。医者みたいなことしたいわけちゃうし、できるとも思ってない。でも、目の前で誰か倒れて、真琴が処置してる横で俺が『何したらええ?』って固まってるのは嫌やねん」


「それなら、まず救命講習を受けてみるのがいいと思います。そのあと、もう少し応急手当や搬送まで広げたければ、赤十字の講習もあります。順番にやれば十分ですよ」


 優也はスマートフォンで予定を確認した。仕事の休みと合う日を探し、まず上級救命講習へ申し込むことにした。


 数日後、講習の日が来た。


 会場には優也と同じくらいの年齢の人もいれば、もっと若い人もいる。仕事で必要になって受けに来た人、家族のために覚えたい人、理由はそれぞれのようだった。


 講習は、ただ話を聞いて終わるものではなかった。


 胸骨圧迫を繰り返せば腕も肩も疲れるし、AEDの使い方は頭で知っているつもりでも、実際に声を掛けながら動くと意外に順序が飛びそうになる。止血や外傷の対応、搬送の考え方なども、言葉だけで聞くより身体を動かしたほうがはるかに分かりやすい。


 優也は、道路工事の現場で倒れている人を見つけた場合や、旅先の山道で事故に出会った場合を想像しながら、一つずつ手順を覚えていった。


 講師から「完璧にやろうとして何もしないより、周囲の安全を確認して助けを呼び、自分にできることを始めるほうが大切です」と言われたとき、優也は大型車の教習で聞いた言葉を思い出した。


 分からなければ止まる。


 必要なら助けを呼ぶ。


 無理に一人で全部やろうとしない。


 分野は違っても、根っこは似ている気がした。


          ◇


 講習を終えた夜、優也は真琴と食事をしながら、その日のことを話した。


「胸押すん、思ってたよりしんどいわ。動画とかで見てたら単純そうに見えるけど、ちゃんと続けようとしたら結構体力いる」


「実際にやってみないと分からないですよね。だから講習を受けた意味があると思います」


「AEDも、機械が喋ってくれるから簡単って思ってたけど、周りに声掛けたり救急呼んでもらったり、同時に考えること多いな。現場やったら俺、普段から人に声出す仕事してるから、その辺はまだ動けそうやけど」


「交通誘導の経験は意外と役に立つかもしれませんね。事故や急病の場面で、周囲の安全を見たり、人に具体的に頼んだりするのは大事ですから」


 優也は頷きながら、自分が思っていたよりも今の仕事と繋がる部分があることに気づいた。警備員として医療行為をするわけではないが、危険な場所へ人が入らないようにしたり、救急車が来たときに通路を確保したり、必要な人へ声を掛けたりすることは、普段の仕事とまったく無関係ではない。


「次、赤十字のやつも受けてみようかな。基礎から順番あるみたいやし、納車後でもええから」


「いいと思います。ただ、資格を増やすこと自体を目的にしないでくださいね。何かあったときに使えるようになることのほうが大事です」


「それ、西村さんにも似たこと言われたわ。無線も、資格持ってるだけで設備使えんかったら意味ないって」


「じゃあ今の優也さん、いろんな人から同じ方向に修正されてますね」


「俺そんな暴走してる?」


「少しだけ」


 真琴が笑い、優也も笑った。


 以前なら、何かを始めると決めた瞬間に全部そろえたくなっていたかもしれない。しかし今回は、無線も救命も納車日に間に合わせる競争ではない。GRANZとこれから何年も旅をするなら、その中で少しずつ身につけていけばいい。


          ◇


 上級救命講習を受けてから数日後、優也は真琴と一緒にGRANZへ載せる救急用品についても話した。講習を受けた勢いで、あれもこれも積んでおいたほうが安心なのではないかと思い始めていたのだが、真琴はそこで一度止めた。


「優也さんが持っていて意味があるものと、使い方を知らないと逆に困るものは分けたほうがいいです。消毒やガーゼ、包帯みたいな基本的なものはいいですけど、医療機器まで車に積んだから安心という話ではないですから」


「やっぱりそうか。何かあったとき用に、できるだけ揃えたほうがええんかなって思ってた」


「気持ちは分かります。でも、優也さんが救命講習を受けた意味は、医療者みたいになることじゃなくて、最初の数分でできることを増やすことだと思います。呼吸しているかを見る、助けを呼ぶ、AEDを持ってきてもらう、止血する。そういうことを迷わず始められるだけでも全然違います」


 真琴の言葉を聞いて、優也は少し肩の力が抜けた。資格や装備を増やしていけば安心も増えると思いかけていたが、必要なのは「何でもできるようになること」ではなく、自分の役割を分かったうえで動けることなのだろう。


「じゃあ救急用品も、最初は普通の範囲でええな。旅しながら、必要やと思ったら増やしていく」


「それで十分です。私が一緒にいるときも、何かあれば二人で役割を分ければいいですし、私がいないときでも優也さんが最初の対応をできるようになっていれば安心です」


「そう言われると、講習受けた意味あったなって思うわ」


 優也はそう言って笑ったが、真琴の言葉はそのあとも頭に残った。GRANZへ何を載せるかという話をしているはずなのに、結局は自分たちがどう動けるかのほうが大事なのだと、少しずつ分かってきた。



 その流れで赤十字の講習についても改めて調べると、こちらはいきなり救急員になるのではなく、まず基礎講習を受け、その先に救急員養成講習があることが分かった。優也は最初こそ「また順番あるんか」と苦笑したものの、内容を見れば心肺蘇生やAEDの基礎から始め、そこから外傷や搬送へ広げていく形になっているので、むしろ自分にはそのほうが合っていると思えた。


「じゃあ、まず基礎からやな。納車前に無理やったら、そのあとでええし」


「そうしてください。納車日に資格を全部揃えることが目的じゃないですから」


 真琴にそう言われ、優也は空いている開催日だけ確認して、無理のない日程を一つ候補に入れた。大型車の免許のときのように「間に合わせなければ」という焦りはなく、GRANZが来たあとも続けられる準備として予定表へ置いておく。そのくらいの距離感が、今の優也にはちょうどよかった。


          ◇


 それからの優也は、仕事の休憩時間に一陸特の問題を数問だけ見ることを習慣にした。


 分からないものは印を付け、西村と現場が重なった日にまとめて聞く。西村も答えを全部教えるのではなく、「これはまずこの言葉の意味から見たほうがええ」と、調べる順番だけ示してくれることが多かった。


「先生みたいですね」


「やめてくれ。俺にそんな責任持たすな」


「でも助かってます。最初、何書いてるか全然分からんかったのが、今は問題見たら『これはあの辺の話やな』くらいまでは分かるようになってきました」


「それで十分や。最初は正解するより、何の話してる問題か分かるほうが大事やからな」


 優也は、その言葉を聞いて少し気が楽になった。


 納車日はもう決まっている。


 それまでに一陸特まで取得する必要はないし、無理に試験日をねじ込むつもりもない。GRANZが来たあとも勉強を続け、準備ができたところで国家試験を受ければいい。


 一方で救命については、上級救命講習を受けたことで、もっと実際的な応急手当も覚えてみたいという気持ちが強くなっていた。赤十字の講習について調べ、まず基礎から進み、その先の救急員養成へ繋げるつもりで予定を見ていく。


 ただし、今度は予定表を資格で埋め尽くさなかった。


 納車の日も近いし、仕事も副業も続いている。真琴と過ごす時間もある。全部を急いで詰め込めば、どこかで無理が出ることくらい、ここまで来れば優也にも分かっていた。


          ◇


 ある夜、屋内車庫の鍵を受け取った帰りに、優也と真琴は少しだけ中へ立ち寄った。


 シャッターを開けると、まだ何も置かれていない空間へ外の光が細長く入り込む。優也は照明を点け、中央まで歩いてから振り返った。


「次ここ来るとき、GRANZ入ってるかもしれんな」


「納車の日にそのまま来るなら、そうなりますね」


「なんか変な感じやわ。今はただの空っぽの建物やのに」


「でも、前よりずっと『帰る場所』っぽくなりましたね。車だけじゃなくて、旅の準備をしたり、帰ってきて片付けたりする場所になるんでしょうし」


 優也は頷きながら、シャッターから奥までの距離を目で追った。


 優也は一度シャッターの外まで出て、もう一度中を振り返った。納車の日には、工場からここまで自分で運転して戻ってくることになる。助手席には真琴がいて、最後は二人で車体を見ながらシャッターを閉めるのだろう。まだ経験していないはずの場面なのに、そこまで具体的に想像できるようになったこと自体が、GRANZが本当に生活へ入ってくる証拠のように思えた。


 車庫を探し直したのは、悪戯が怖くなったという、少し情けない理由だった。それでも結果として、GRANZを置くだけではなく、これからの旅を支える場所ができた。


 そして自分の側にも、少しずつ準備が増えている。


 大型車を運転するための経験を積み、救命講習を受け、無線についても勉強を始めた。どれも一つだけ見れば大したことではないし、まだ途中のものも多い。それでも、車を買ったときの自分よりは、確実にできることが増えている。


「真琴」


「はい?」


「最初にこの車欲しいって言ってたころ、俺、ほんま何も考えてへんかったな」


 真琴は少し笑った。


「知ってます。最初は『これ欲しい』から始まってましたから」


「ひどい言い方やけど事実やな。でかい、カッコいい、家みたい、欲しい。たぶんそれくらいやった」


「でも、そのあと必要になったことは一つずつやってきたじゃないですか。最初から全部知ってる必要はなかったんだと思います」


 優也は空っぽの車庫を見ながら、その言葉に頷いた。


 最初から旅の全部を準備することはできない。


 必要になったときに知り、足りないものを覚え、できることを少しずつ増やしていけばいい。


 それなら、この先GRANZがどこまで変わっていっても、自分も一緒に変わっていける気がした。


          ◇


 帰宅後、優也はいつものノートを開いた。


 『保管場所――屋内車庫へ変更』の横へ、小さく『完了』と書き、続く二行は少し書き換えた。


『通信――勉強開始。一陸特は国家試験』

『救命――上級救命講習修了。次は赤十字』


 以前なら、いつまでに取る、何月までに終えると細かな期限まで決めていたかもしれないが、今回は書かなかった。無線は納車後も続ければいいし、救命も順番に学べばいい。資格の名前を増やすことではなく、必要な場面で動けるようになることが目的なのだから、焦って形だけ整える意味はない。


 ノートを閉じる前に、優也は最後に一行だけ『できることを、少しずつ増やす』と付け足した。車庫と運転の準備は整い、通信と救命はまだ途中にいるが、今の優也にはその「途中」が以前ほど気にならない。全部を完成させてから旅に出るのではなく、旅をしながら必要なものを覚えていけばいいし、GRANZが完成へ近づくのを見てきたように、自分自身も少しずつ整えていけばいいのだと思えた。


 納車日まで残された時間はもう多くないが、今度はただその日を待っているだけではない。迎える場所を整え、自分に足りないものを知り、必要な準備へ手を伸ばしながら、優也は少しずつGRANZのある生活へ近づいていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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