ep.53 守る場所
納車日が決まってからというもの、優也はカレンダーを見る回数が明らかに増えていた。日付を忘れるはずもないし、仕事の勤務表には休みを入れ、真琴の予定も確認し、保管場所の利用開始日まで合わせてある。それでも朝に一度、仕事の休憩中に一度、夜に帰宅してからもう一度と、気づけば何度も同じ日付を確かめてしまう。
GRANZ 8×8 Expeditionの存在を知ったころには、二億円を超える車を本当に買う日が来るとは思っていなかった。そこから資金を作り、申請を進め、契約を結び、工場で骨組みから完成車へ変わっていく姿を何度も見てきた。一つずつ振り返れば長かったはずなのに、いざ納車日が現実の予定になってしまうと、その日までの時間だけが妙に短く感じられる。
そんなある夜、風呂上がりにソファへ座った優也は、工場で撮ったGRANZの写真を眺めていた。落ち着いたアースカラーの車体に大きな窓と高い車高、四軸八輪の足まわりは普通のキャンピングカーとは明らかに違い、知らない人が見てもかなり珍しい車だと分かる。写真を指で拡大しながら「……やっぱカッコええな」と口元を緩め、しばらく満足そうに眺めていたのだが、画面を閉じようとしたところでふと手が止まった。
納車されたら、この車は東大阪方面で確保した大型車用の屋外区画へ置くことになる。舗装されていて出入りもしやすく、周囲には業務車両も並んでいる。何度も現地を見て、真琴とも相談し、条件として問題がないことは十分に確認した場所だった。
「……これ、ずっと外やんな」
独り言を口にした瞬間、それまで気にしていなかったことが急に現実味を持った。屋外用の車なのだから雨に濡れるのは当然で、直射日光も受けるし、旅に出れば泥や砂埃だって付く。そこまで気にし始めたら大型の旅車など持てないことくらい、優也自身も分かっている。けれど、頭に浮かんだのは天候ではなく、もっと人間くさい不安だった。
「誰か、触ったりせえへんよな……」
もう一度写真を見る。珍しい車だからこそ、興味を持つ人はいるだろう。写真を撮るくらいならまだいい。手を触れられる程度なら、それも仕方ないと思えるかもしれない。けれど、そこから先を想像した途端、優也の頭の中では小さな不安が勝手に膨らみ始めた。
◇
翌日、仕事の休憩中になっても、そのことは頭から離れなかった。現場脇の休憩場所で缶コーヒーを飲みながら、優也はスマートフォンで駐車場周辺の地図を開き、出入り口や周囲の道路を改めて確認していた。どれも現地で見た情報ばかりなのに、今はなぜか防犯面ばかりが気になる。
横から画面を覗き込んだ久保田が、「また車か。納車日まで決まったんやろ、もう見るとこないやん」と笑ったので、優也は少し迷ってから事情を話した。
「置き場所です。屋外の大型車駐車場に決めたんですけど、あれだけ目立つ車をずっと外に置いといて大丈夫かなって、急に気になってきて」
「業務用の車も普通に置いてるとこなんやろ? そら絶対何もないとは言われへんけど、そこまで心配せんでもええんちゃうか」
「俺もそう思って決めたんですけどね。完成した写真見てたら、新車やし珍しいし、誰かが面白半分で触ったり、傷付けたりしたら嫌やなって。二億超えですよ。さすがに笑って済ませられへんでしょ」
久保田は「心配しすぎや」と笑いながらも、最後には「まあ、気になるなら納車前に一回考え直したらええんちゃうか。納車されてから毎晩気にするほうが面倒やろ」と言った。その一言で、優也の中では逆に方向が決まった。
今の駐車場が危険だと決めつけたいわけではない。ただ、気になるなら今のうちに調べればいい。条件のいい場所がなければ予定どおり使えばいいし、もっと納得できる場所が見つかれば変更すればいい。それだけの話だと思えば、悩み続けるよりずっと簡単だった。
◇
その夜、真琴から電話がかかってきた。大学での予定や納車日の話をひと通りしたあと、優也はなるべく何でもないことのように切り出した。
「なあ、ちょっと聞いてええ? GRANZ置くとこ、屋外の駐車場で決めたやん。あれ、夜中とか誰か入って触ったりする可能性って、あると思う?」
『可能性だけで言えば、ゼロではないでしょうね。でも、普通の大型車も置いている場所ですし、管理もされているんですよね。急に心配になったんですか?』
「昨日、完成した写真見ててん。あれ、普通に目立つやろ。新車やし珍しいし、誰か写真撮りに入るとか、触ってみるとか、その程度ならまだしも……」
そこで言葉を止めると、真琴が少し笑いながら「まだ何かあるんですね」と先を促した。優也は、自分でも考えすぎだとは思いながら、頭に浮かんだ最悪の想像をそのまま口にした。
「スプレーで落書きとかされたら、俺たぶん立ち直られへん。横一面に変な文字とか描かれてみ。たぶんその場で膝から崩れるで」
『そこまで考えてたんですか』
「笑い事ちゃうって。確率低いんは分かってるけど、ゼロちゃうやろ?」
『ゼロとは言えませんけど、それで今の駐車場が危険だという話でもないですよ。心配し始めると、どこに置いても何かしら気になります。ただ、長く大切に乗るなら屋内で保管できる場所を探すこと自体は悪くないと思います。条件が悪いところへ無理に変えるくらいなら、今の駐車場のほうがいいでしょうけど』
その言い方なら納得できた。屋根があるから絶対安全になるわけでも、シャッターを閉めれば何も起きなくなるわけでもない。それでも外から見えず、旅へ出ない間に落ち着いて保管できる場所があるなら、気持ちはかなり違う。
「普通のガレージは無理やろうし、小さい倉庫とか、昔トラック入れてた建物みたいなん探してみるわ。今のとこを解約するんは、代わりが見つかってからにする」
『それならいいと思います。GRANZが入るだけじゃなくて、出入りしやすいかも見てくださいね。建物の中へ入っても、毎回そこへ持っていくのが大変なら意味がないですから』
「そこは教習行って、前より気にするようになったわ」
真琴の返事を聞きながら、優也はすでに検索を始めていた。
◇
翌日から数日、空いた時間に大型車が入れそうな建物を探してみたが、やはり簡単ではなかった。屋根付きの月極ガレージはあっても普通車向けでは話にならず、倉庫は広くても入口や前面道路が合わなかったり、車は入れそうでも奥で方向を変えにくかったりする。写真だけでは分からない条件も多く、何件か問い合わせたところで優也は早くも面倒になり始めた。
「そら、あんなデカい車を家みたいに置こうとしてんねんから簡単ちゃうわな」
そう呟いてスマートフォンをテーブルへ置いたところへ、ちょうど北摂リユース商会から別件の連絡が入った。仕事の話を終えたあと、優也が何となくGRANZの保管場所を探し直していることを話すと、担当者は少し考えてから「倉庫として探すより、元々業務車両を入れていた建物を探したほうが早いかもしれません」と教えてくれた。
『古い整備場とか、小さい配送会社が使っていた車庫なら、普通の貸倉庫より入口や前のスペースが車向けになっていることがあります。知り合いの不動産屋に、そういうのが出てないか聞くだけ聞いてみます?』
「お願いします。無理に探してもらわんでいいんで、条件合いそうなんあったら教えてください」
数日後、本当に一件連絡が来た。東大阪の工業地域にある、以前は事業用車両と資材の保管に使われていた小規模な建物で、現在は空いているという。大型のシャッターがあり、前面にもある程度の余裕があると聞き、優也はその日のうちに真琴へ連絡した。
「見に行く?」
『行きます。ただし、見るだけですよ』
「俺もそのつもり」
『その言葉、信用していいんですか』
「今回はほんまに見るだけやって」
そう答えたものの、優也自身も少し怪しいと思っていた。
◇
週末、二人は紹介された建物を見に行った。大きな幹線道路から少し入った工業地域で、周囲には工場や倉庫が並び、住宅街の中ではないぶん大型車の出入りにも違和感がない。建物自体は新しくなく、外壁には多少の色褪せもあったが、正面には車両を入れるための大きなシャッターがあり、その横には人が出入りできる扉も付いていた。
中へ入ると床はコンクリートで、天井にも余裕があり、奥には以前の利用者が残した簡単な棚と作業スペースがあった。豪華さはないが、優也にはむしろその素っ気なさが好ましく思えた。GRANZを見せるための場所ではなく、旅に出ない時間を静かに過ごさせる場所として考えるなら、これくらいでちょうどいい。
優也は入口から中を見渡し、何も言わずに数歩進んだあとで「……ここ、ええな」と呟いた。
「まだ入るか確認してませんよ。雰囲気だけで決めたら駄目ですからね」
「分かってるって。でも見た感じ、かなり余裕ありそうやん。前の駐車場より安心感あるわ」
不動産会社の担当者と一緒に、GRANZのおおまかな大きさや出入りを改めて確認すると、細かな部分は納車前に最終確認する必要があるものの、車体を収めること自体には問題がなさそうだった。優也は建物の中央へ立ち、頭の中で完成した車体を置いてみる。シャッターを開けてゆっくり入れ、右側の玄関から降りて車体の周囲を歩き、左後部のガレージハッチから旅の荷物を出し入れする。出発しない日はシャッターを閉めてしまえば、外からGRANZそのものは見えない。
「……めっちゃ安心するやん。雨も直接当たらんし、知らん人が横通って触ることもないし、スプレー持った奴が来ても、まず中に入られへん」
「まだスプレーを引きずってたんですね」
「そこが一番嫌やねん。傷ならまだ直す方法考えられるけど、落書きされたら精神的にくるやろ」
真琴は呆れたように笑ったものの、建物の中を一周すると表情を少し真面目にした。
「でも、思っていたよりいいですね。車庫としてだけじゃなくて、旅行の前に荷物を積んだり、帰ってきて片付けたりするのもやりやすそうです。外の駐車場だと、そのたびに周りを気にしますけど、ここなら多少時間が掛かっても落ち着いてできますし、雨の日でも準備できます」
「やろ? 俺も今それ思った。最初は悪戯されたくないだけやったけど、使い方まで考えたらこっちのほうが合ってるかもしれん。余計な荷物を積みっぱなしにせんでも、一回ここへ置いとけるしな」
単に車体を隠したかっただけの話が、実際に建物へ入ったことで少し違って見え始めていた。旅へ出る前の準備、帰宅後の片付け、簡単な点検、荷物の一時置きまで含めれば、屋内の車庫はGRANZを生活の一部として扱うための場所にもなる。自宅から少し距離はあり、費用も屋外区画より高くなるが、二億円を超える車を長く大事に使うつもりなら、優也の中では十分に納得できる範囲だった。
そこで満足しかけた優也だったが、改めて建物の中を見回したところで、別のことが気になった。
「……ここ、水道って使えるんですか?」
不動産会社の担当者が頷き、建物の奥に既設の水栓があることを説明する。以前の利用者も車両や資材を扱っていたため、上水道と床排水そのものは残っているらしい。ただし、GRANZへ清水を補給したり、大型車を本格的に洗車したりする前提で整えられた設備ではない。
優也はすぐに左側の壁へ視線を移した。
「電源は? 普通のコンセントだけですか。GRANZって外部電源つないで保管できるんですけど、専用で引くことってできます?」
「容量を確認して、必要なら電気工事になりますね。こちらで勝手に増設していただくことはできませんが、内容を出してもらえればオーナーへ確認できます」
「二百ボルトも?」
「設備容量次第です。そこは業者確認ですね」
真琴が隣で小さく笑った。
「さっきまで『入ればいい』みたいな顔してたのに、急に増えましたね」
「いや、考えたら要るやろ。長いこと置くんやったらバッテリーも管理したいし、水も入れたいし……洗車もここでできたら楽やん」
そう言ってから、優也はGRANZの高さを思い出して天井を見上げた。
「というか、屋根どうやって洗うん?」
「まさか屋根に登るつもりじゃないですよね」
「登らんって。三メートル半以上あるんやぞ。落ちたら終わるわ」
車両を置いたつもりで左右の余白を見直す。右側は玄関を普通に使える通路を残し、左側には給水や外部電源などのサービス作業に加え、左後部のガレージハッチを開いて自転車や荷物を出し入れできるだけの幅を確保したい。将来は移動式の作業台を置き、車体側面や屋根周辺へ安全に手を届かせることも考えていた。
単にGRANZが収まるだけでは足りない。
幸い、この建物は普通車一台分のガレージではなく、以前から事業用車両と資材を扱っていた場所だった。GRANZを少し右寄りへ定位置として置けば、左側には作業用の広い空間を残せる。天井にも車体の上で作業するための余裕があり、前後もハッチや荷物を扱えるだけの距離が取れそうだった。
「ここ、車置くだけにするんやなくて、左側を作業する場所にできません?」
優也が聞くと、担当者は建物の図面を開いた。
電源、水道、排水、照明、防犯設備。変更するならどこまで可能なのか。賃貸物件である以上、壁や床を好き勝手に触るわけにはいかないため、追加設備の内容は事前にオーナーへ提出し、必要な工事は専門業者が行うことになるという。
「全部自分持ちですよね?」
「借主様のご希望による設備追加なら、基本的にはそうなります。退去時の扱いも含めて、工事内容ごとに相談ですね」
優也はそこで少し現実へ戻った。
「……そら、タダでは無理やわな」
「車庫代だけ見て決めないほうがよさそうですね」
「うん。一回ちゃんと見積もろ。車買えても、置く場所で金回らんようになったらアホやし」
車庫を気に入り始めているからこそ、その場の勢いでは決めない。賃料だけではなく、外部電源、給水、排水、洗車環境、屋根へ安全に届く作業設備、それらを整えたあとの月々の維持費まで確認して、それでも副業側の資金で無理なく持てるなら借りる。
優也はそう決めた。
それでも、その場では決めず、一度外へ出て周辺も確認した。大きな車で入るときに無理な曲がり方をせずに済むか、夜に戻ってきても周囲へ迷惑を掛けにくいか、シャッター前へ一時的に車を止められる余裕があるか。最初に保管場所を探していたころなら、建物にGRANZが入ると分かった時点で満足していたかもしれないが、今は教習で大型車を動かした経験があるぶん、入口の大きさだけではなく、そこまでどうやって持ってくるかまで考えるようになっていた。
「前の俺やったら、たぶんシャッター見て『入る、ここや』で終わってたな。今は道の曲がり方とか、戻ってきたときどこで切り返すかまで見るようになったわ」
「教習に行った意味がちゃんと出てますね。それに、ここへ最初に入れるときは私が外で見たほうがいいと思います。広く見えてもGRANZが入ると感覚は変わるでしょうし、慣れるまでは一人で何とかしようとしないでください」
「もちろん。納車の日も来てくれるんやろ? そのままここまで一緒に来てもらうつもりやで」
「そのつもりです。最初から助手席に乗ると言ってるじゃないですか。だからこそ、私も入口や周りの見え方を覚えておきたいです」
真琴の言葉を聞いて、優也はもう一度シャッターの奥へ目を向けた。まだ何も置かれていない空間なのに、そこへGRANZが入ってくる場面を想像すると、不思議なくらい現実味があった。
◇
数日考えたあと、優也はこの建物を借りることに決めた。ただし、最初に見た勢いのままではなく、不動産会社を通してオーナーへ設備追加の可否を確認し、電気と給排水については専門業者にも現地を見てもらった。
既設の上水道や床排水は利用できるが、GRANZ用としては手を加えたほうが使いやすい。左側の作業スペースへ外部電源用の専用回路を設け、飲用給水と洗車用のホースを分け、床排水も大型車を洗ったときに泥や砂をそのまま流さない形へ整える。車体上部を洗ったり点検したりするときのために、屋根へ直接登らずに済む移動式の高所作業台も置けるよう、左側の空間は物置で埋めないことにした。
もちろん、その分だけ初期費用は増える。賃料も以前考えていた屋外区画より高い。優也は副業用の資金、GRANZの本返済、保険や整備の積立、納車後の維持費まで改めて確認し、返済予備資金や生活防衛費へ手を付けなくても成立することを確かめてから契約した。
元の屋外駐車場については、納車に合わせた利用開始前だったこともあり、管理会社へ事情を説明して調整した。条件のいい区画を用意してもらっていただけに多少申し訳なさはあったが、大きな揉め事にはならなかった。
その話を久保田へすると、予想どおり「結局、屋内にしたんか。お前ほんま心配性やな」と笑われたが、優也は今回はあまり気にしなかった。
「新車ですよ。しかもあれだけ目立つんですよ。毎晩『大丈夫かな』って思うくらいやったら、最初から見えんとこ置いたほうがええでしょ。結果的に荷物の出し入れもしやすそうやし、悪くない選択やと思ってます」
「まあ、自分の金やし好きにしたらええけどな。ただ、そのうち車庫の床に傷つくん嫌やとか言い出すなよ」
「そこまでは言いませんって。……たぶん」
「もう怪しいやん」
二人で笑ったところで話は終わるかと思ったが、GRANZの設備の話になった流れで、優也は前から気になっていた通信関係のことも口にした。
「そういや、無線もちゃんと見とかんとあかんのですよね。載せてるだけで使えるやつと、資格とか要るやつがあるみたいで。前にざっくり聞いて、そのまま後回しになってて」
久保田はその分野には詳しくないらしく、少し考えたあとで「ああ、それやったら西村さんに聞いてみたらええやん」と言った。たまに別の現場で一緒になる年上の警備員で、昔からアマチュア無線をやっているらしい。
「資格そのものが同じかどうかは知らんけど、無線のことなら俺らより百倍詳しいわ。休憩中にアンテナの話し始めたら長いから、そこだけ気ぃつけや」
「西村さん、そんな趣味あったんですか。現場では全然そんな話せえへんから知らんかった」
「聞かんかったら言わん人やからな。最初から難しい本読むより、何を見たらええかくらい聞いたほうが早いやろ」
「それはそうですね。今度一緒になったら聞いてみますわ」
優也にも顔は思い浮かんだ。現場では淡々と仕事をする人という印象しかなかったが、久保田がそう言うなら一度相談してみる価値はありそうだった。GRANZを買うまでの相談相手は真琴や商会、メーカーの担当者が中心だったのに、車が実際の生活へ近づくほど、仕事仲間の経験や趣味のような、今まで気にしていなかったものまで役に立ち始めている。その広がりが優也には少し面白かった。
◇
その夜、真琴が優也の部屋へ来ると、ダイニングテーブルの上には新しい車庫の資料が置かれていた。真琴は椅子へ座るなりそれを手に取り、「これで本当に決まりですね」と確認したので、優也は「うん。もう変えへん。たぶん」と答えた。
「最後の『たぶん』が気になりますけど、前の駐車場より優也さんには合ってると思います。心配で夜中に見に行くよりは」
「さすがにそこまではせえへんって。でも結果的には良かったわ。最初はただ隠したかっただけやけど、荷物積んだり帰って片付けたりする場所まで考えたら、屋内のほうが使いやすそうやし」
「研究の荷物を持ち込むこともあるでしょうし、雨の日に出発準備できるのも助かりますね。車の中だけで全部完結させる必要がなくなるなら、余計な物を積みっぱなしにしなくて済みます」
その言葉に頷きながら、優也は工場でもらった設備一覧の一部を思い出し、久保田から聞いた西村の話も伝えた。
「無線のこと、やっぱり納車前に一回ちゃんと見直しとくわ。資格が要るやつもあるみたいやし、警備仲間でアマチュア無線やってる人がおるらしいから、まず何を勉強したらええか聞いてみる。いきなり専門書読んでも、たぶん俺には入口から分からん」
「それならいいと思います。分かる人に最初の整理を手伝ってもらえば、自分で調べるときも迷いにくいでしょうし、全部を一度に覚えようとしなくて済みますから」
優也はスマートフォンへ「無線 資格」とだけメモし、さらに少し考えて、その下へ「救命」と書き足した。真琴が視線で続きを促したので、優也はGRANZで山間部へ行くことも増えるだろうし、何かあったときに真琴へ全部任せるのは違うと思っていることを話した。
「俺も最低限、救急車来るまで何したらええかくらいはちゃんと勉強しといたほうがええかなって。真琴がおるから大丈夫、で済ませるんは何か違うやろ」
「それはいいと思います。医療行為ができるようになる必要はないですけど、一次救命や応急手当を知っている人がもう一人いるのは大きいです。私が何かしているときに、優也さんが状況を分かって動けるだけでも全然違います。ただ、無線も救命も納車までに全部終わらせようとはしないでくださいね。必要なものを順番に確認して、できるところから進めれば十分です」
「そこは分かってる。今度は資格集めしたいわけちゃうし、GRANZで旅するときに困らん程度から始めるわ」
真琴が「それなら安心です」と笑い、優也もつられて笑った。話してみると、通信も救命も車そのものを豪華にするための準備ではなく、旅を続ける自分たちの側を少しずつ整えていく話なのだと分かった。
◇
真琴が帰ったあと、優也はノートを開いた。前のページには『保管場所――確定』『運転――準備完了』『納車日――決定』と書かれている。最初の一行に小さく線を引き、その下へ『保管場所――屋内車庫へ変更』と書き直してから、『通信――確認』『救命――勉強する』と続けた。
納車日が決まった時点では、準備はほとんど終わったつもりだったが、GRANZが近づけば近づくほど、それまで見えていなかったことが少しずつ具体的になってくる。雨や悪戯を気にせず保管できる場所が欲しいことも、安全に運転するだけではなく通信設備を必要なときに使えるようにしておきたいことも、旅先で何か起きたときに真琴だけへ全部を背負わせたくないことも、最初に巨大なキャンピングカーへ憧れたころには考えていなかった。
けれど、それは不安が増えたというより、「所有する」という言葉の中身が現実になってきたということなのだろう。車庫を決めたことで、優也の中ではGRANZの帰る場所まで一つの風景として見えるようになった。旅へ出ることばかり想像していたころとは違い、帰ってきて荷物を降ろし、次の旅まで車体を休ませ、その間に自分たちも少しずつできることを増やしていく。そんな時間まで含めて、ようやくGRANZとの生活が始まるのだと思えた。
優也はノートを閉じ、ソファへ戻った。納車まで、もう長くはない。それでも、迎える前にできることはまだ残っているし、今はそれを一つずつ片付けていけばいいと思えた。
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